アリスの心?
CHAPTER 10「アリスの心?」
「ねえ、さっきはひとりでどこ行ってたの?」
雑居ビルのエレベーターの中でマコがアリスに訊いた。
「ひとりで? アリスがか?」
俺はマコに聞いた。
「はい、私が自分の服を試着していたとき…… アリス、ひとりで外へ出てたでしょ」
「……」
アリスは無言で頷いた。
「アリスが外へ出てたのって、何分くらいか?」
「10分…… 20分くらいかな…… 、ねえアリス、どこへ行ってたの?」
もう一度マコがアリスに訊いた。
「おじいさんを探しに……」
「おじいさん? アリスにおじいさんがいるの?」
「おじいさん、て、どこのおじいさんなんだ?」
俺もアリスに訊いた。
「おじいさんは、おじいさんです」
禅問答かよ……
「まあ、いいか。今度私も一緒に探してあげるね」
やはり、どこかメモリか思考ルーチンに異常があるのだろうか。
事務所に戻ると、マコはアリスを伴って風呂に入った。
「本当の姉妹みたいね」
岡本夫人は微笑みながら言った。
「姉妹と言うより親子みたいですよ」
思わず微笑んで答えた。
「おひとりで暮らしているのですか?」
「え、ええ。ここ2年くらいは」
不意をつかれた婦人の質問に、俺は少し戸惑いながら答えた。
「そうなんですか。なんとなく、誰かと一緒に住んでいたような雰囲気がしたものですから。この部屋」
確かに、2年前までは女と同棲していた。今の隠し部屋は当時の名残だ。そう言えばキッチンの食器棚も当時のままだ。
「すみません、余計なことを訊いてしまったようですね」
婦人は申し訳なさそうに言った。
「いや、かまいませんよ。でも、奥さんの観察力は探偵並みですね」
愛想笑いをしながら答えた。
「やっぱり、こっちの方がかわいいかな」
風呂から上がったマコは、早速買ってきた服をあれこれアリスに着せて品評会を始めた。マコにとってアリスはやはり等身大の着せ替え人形だった。
「岡本さん、さっきのキャミとどっちがいいと思います?」
マコがふたりの様子を微笑みながら見ていた岡本夫人に訊いた。
「そうねえ、私は白い方がいいと思うけど」
「やっぱりそうか…… 、アリスって色が白いからビビッドカラーも似合うと思ったんですけど」
マコは紙袋の中からいくつかの服を出し、交互にアリスの体にあてがいながら言った。次に、マコは自分のバッグの中からファッション雑誌を取り出し、アリスと見比べていた。
「そうだ、ちょっと笑ってみてよ」
マコはアリスに言った。
「なぜですか?」
アリスは無表情で答えた。
「うーん、判らないかなあ」
ここまで精巧に作られているAドールが、喜怒哀楽の表情をプログラミングされていないはずはない。はたしてアリスはどうなのだろう。
「笑うってね、こんな感じに」
マコはファッション雑誌をアリスの方へ向け、笑顔で写っているモデルの写真を指さした。
「そう、そんな感じ」マコはぎこちなく表情を変え、笑顔を作ろうとしているアリスに言った。「なんか嬉しいこととか、好きな人のこととか、思い出すといいかも」
Aドール相手に無茶を言う。
「好きな人…… 判りません。フェイスモーフィングモーションの再生番号を指定してもらえれば任意の表情に変えられます」
「うーん、そうじゃないんだよなあ…… 女の子は好きな人に逢った時とか、おいしい物を食べた時、人に誉められた時とか、笑顔になるんだよ」
マコは小さな子供を諭すように言うと、ベッドの上に広げられた色とりどりの服を片付け始めた。
「今日はもう遅いから寝ようか」
マコはそう言うと髪の両サイドからカチューシャを留めていたピンを外しそのまま輪になっているカチューシャを髪から外した。
そしてカットソーを脱ごうとして初めて俺に気づいた。
「直人さん、いつからそこに…… 、もう、女の子の着替え覗くなんて、最低!」
俺は慌ててドアを閉めた、そのとき、ちらりと見た岡本夫人はすてきな笑顔で笑っていた。
『グリューネバウム児童公園 事件 18:00:00-20:00:00』
『20:09:31 殺人だって。 @nonose_963』
『20:14:47 今度はふたりだ。@shela_2760』
『21:18:43 今月に入って5回目だ。怖いな。@nino_776』
情報を総合すると、今日の夕方、グリューネバウム児童公園内で殺人事件が起こった。被害者はドラッグの売人と客。死因は脳挫傷と内臓破裂。
目撃者無し。
同じような殺人事件は今月に入って既に5件起こっていた。
被害者は全員男でギャングやそれに類する者たち。
銃や刃物を使った形跡はなく、死因は素手、または鈍器による打撃。
犯行時間は午後3時から深夜。
有力な目撃情報は皆無だった。
「そろそろ寝るか」
時計を見ると午前2時を過ぎていた。
メールのチェックに予想外に時間を取られたらしい。
背後に人の気配がした。
「ごめんなさい、邪魔しちゃいました?」
マコだった。
「い、いや」
俺は振り向きながら答えた。マコはパジャマ代わりのロングTシャツに黒のレギンスを履いていた。髪を下ろしているせいなのか、深夜という時間帯のせいなのか、昼間より大人びて見えた。
屈んだ胸元につい目がいきそうになるのを慌てて堪えた。
「アリスって完璧に女の子なんだよ」
マコは少し声を顰めるように言った。
「女の子って。そりゃ、見れば判るだろう」
俺ははじめ、マコが何を言っているのか判らなかった。
アリスが女の子って、その通りだろう。
「そうじゃなくて…… 。その…… 、エッチもできるってこと」
マコはさらに小声になって言った。
そういうことか。
アリスにそのような『機能』が付加されているということに関しては、なんとなく予想がついていたことだ。
「でもまだヴァージンなんだって、ふふ」マコはいたずらっぽく笑った。「Aドールなら条例違反にはならないでしょ」
確かに、相手がAドールなら法律は関係ないが、どんなに精巧にできているAドールでも所詮は人形、高級ダッチワイフにすぎない。
「興味ない?」
マコは俺の顔を覗き込むようにして訊いた。化粧っ気のない顔がびっくりするほど美しかった。
「人形とエッチするほど落ちぶれちゃいないよ。 ……誰が、何の目的でアリスを作ったのかは興味あるけどな」
俺はちょっとした心の動揺を悟られないように落ち着いたふりをして答えた。
こいつは何を期待しているのか。
「でも人形と人間てどう違うの? アリスは本当に人間そっくりだよ」
いたずらっぽい目を向けてくる。
「……心がないだろ。いくら体は人間と同じだって、心がなけりゃ……」
「ふーん。心、か。直人さんて意外と……」マコは少し微笑むとデスクから離れた。「でも、アリスには心があるように感じるんです。私」
「人類の科学は未だそこまで進歩してないよ。 …… それから、あんまり、アリスに余計なこと教えるなよ」
俺は振り返り、苦笑いしながら言った。
「女の子としてのたしなみです」
そう言うとマコは隠し部屋へ帰って行った。