14,バジリスクが追ってくる②
布に一気に私の魔力を注ぎ込む。じわっと濡れだしたそれを地面にほおり投げると、一帯に水があふれ出した。
「ミリア」
槍を構えていたエリックが驚愕する。
正方形の布きれに施した魔法陣から出現させた水がけもの道に水たまりを作り出す。柔らかい土にしみ込み水底は泥となす。そのぬかるみに、あの巨体がすこしでも足を取られれば本望だ。
「少しは足止めできるでしょ」
エリックは、くっと口角をあげる。
「さっすが」
「逃げよう」
「先に行け」
なに言っているの! 言い返す間もなかった。
「行け!」
エリックの怒声に私は一人後方に退いた。
座り込む子竜と目が合った。また逃げられてもかなわない。バジリスクが、子竜の味をしめているなら、この子はきっと標的になる。
子竜も、今のままでは、人里へは連れていけない。
どうしよう。バジリスクを倒す以外、選択肢がないみたいじゃない。
私は奥歯をぎゅっと噛む。走り込みながら、腕を伸ばし、再び子竜を抱き上げた。一度立ち止まり、背後に目をむける。
エリックの背。彼があふれる水の際を、そっと後退しながら、槍に魔力を込めている。
バジリスクの片足が水を踏んだ。泥に足をとられても、意に介さず、更に一歩を踏み込み、両足を水につけた。
同時に、彼が槍を水に突き立てる。その瞬間、水がブクブクと泡立った。
魔力と魔法陣で熱を発し、水を沸騰させたんだ。突如、熱せられた前足を抜こうとバジリスクが、のけぞった。
空に前足が浮かび上がる。
熱い泥水の水滴が周囲に散った。
エリックがかがんで、腕で顔をかばう。片手に槍を握ったままに引く。再び魔力をそこに込めているのが分かる。
子竜を抱きながら、私は数歩後ずさった。本当は逃げなきゃいけない。エリックが、行けと言った意味は分かっている。
分かっていても、目が離せられない。
エリックは、私の施した陣で何をしようとしているの。私の陣を、彼の魔力が、どう生かすの。
空をかいていたバジリスクの前足がぴたりと止まる。
両眼がぎらりと光った。
エリックに狙いを定めた。怒りに猛った竜の白目が赤々と燃える。
熱も泥も関係ない。猛る竜が両足を地面に叩きつけた。熱湯の泥水の飛沫が舞う。空間に泥壁がつくられ、そこを突き抜けて、バジリスクの頭部が吠えながら現れた。
エリックがもう一段、腰を低くする。
後方に引いた槍には両手を添えていた。
呑み込もうと大きく開けたバジリスクの赤黒い口内に、太い舌がのぞく。人間を頭部から丸呑みにしようという勢いで、エリックに上部から襲い掛かった。
槍が動いた。迷いのない一線が、竜の顎めがけて突き出される。
下顎に刺さりこんできた槍に押され、バジリスクの口が閉ざされる。瞬時、こもった爆発音が響き、バジリスクの食いしばりむき出しになった歯の隙間から黒々とした煙が立ちのぼった。
魔力を切っ先に集めて、炎を爆発させたのね。
やはり、エリックはすでに中級ぐらいの魔法陣は使いこなせるんだ。
でも、あれだけの水を熱して、更にバジリスクの口内を焼き払ったら……どうなる。あんなに立て続けに魔力を注がれて持つほど、私の陣は強化していないはずだ。
せいぜい、あの一発分の魔法陣しか描いていない。だって、演習ぐらいにしか使わないと思っていたんだもの。そんな危ないものは、求められていない。
陣を描いた線が裂けていてもおかしくない。私の額に冷たい汗が流れた。
エリックがさらに槍の柄をグッと握った。柄をねじりこむ。同時に、魔力を込めているのが遠目にも分かった。
「ダメよ。エリック、陣が暴発する!」
柄をたどった魔力が先端に伝わると同時にエリックが一気に、槍をねじりこんだ。
柄と刃の付け根が砕けた。陣が確実に割れた。
同時に、刃の先端に到達した魔力が爆ぜた。魔力過多による影響だ。はじけ飛んだ刃に口内を痛めつけられたバジリスクが怒る。
あれがバジリスクの口内じゃなければ、砕け散った刃の破片が飛び散り、周囲の人、特に武器を扱う本人を怪我させる。ああいう事故を防ぐために、陣の点検は不可欠なんだ。
エリックが、柄を握ったまま、踵を返す。
私と目が合って、瞠目する。
「走れ!」
その言葉に、一歩後方に片足を引いた。
口内に飛散した刃の破片に呻くようにバジリスクが声もなく身をそりかえし、地面に顔を叩きつけようとしていた。
私は背を向けた。
どおんと大きな地響きが続く。バジリスクが倒れたのだろう。
走り出した私のすぐ後ろにエリックがつく。
「河原まで走るぞ」
「うん」
そのまま、黙々とけもの道を走り抜けた。
河原に到達するなり、真っ先に隠れやすそうな場を探した。こんな視界がひらけている場。どこにかくれたらいいの。
軽い土の斜面があった。その上は木々がうっそうとしている。とりあえず、エリックと顔を見合わせ、頷き合う。斜面を登り、木の影に身を寄せることにした。
斜面を登りきり、木の幹に背を預けて、呼吸を整える。私は子竜を地面に置いた。子竜は逃げずに、大人しく座り、私を見上げる。
「ごめん」
「なにがだ」
「魔法陣、もっといいの描いておけばよかったね」
「こんな実践で使うなんて想定外だろ」
「違う」
上級クラスの魔法陣を描けるくせに黙っていた私がもどかしいんだ。私は胸元に手を入れる。そこに隠し持っている、小刀を取り出した。
「エリック、その柄をちょうだい。代わりに、これをあげるから」
横で息を切らすエリックに、懐に隠している秘密の小刀を差し出した。手が伸びて、彼は自然に、小刀の柄をつかむ。
小刀をまじまじと見つめるエリックが無造作に差し出した槍の柄を、私は受け取った。そこに模様として描かれた文様を眺める。
エリックは、鞘から抜いた小刀を左右に傾けながら凝視する。
「……なあ、ミリア……」
「なあに」
槍の柄を眺めつつ答える私は、エリックのものものしい声を聞き逃していた。
「お前、この小刀の魔法陣も自分で描いたのか」
「そうね」
「これ、上級だよな」
「ええ、そうよ」
「……まさか、学園にも持ってきているってことは、ないよな……」
「持っていってるわよ。護身用だもん」
「お前、これ持っている奴の方が、危ないだろ」
頭ごなしに、怒鳴られて、私もさすがにはっとした。
はっとしたけど、意味が分からなかった。
「どうして? 飾りよ、飾り」
はあぁぁとエリックが深く嘆息する。額を覆うように片手をつつみ、ゆっくりとその手をおろす。
「学園に、竜退治にも使える魔法陣を描いた武器を持ち歩くやつなんていないだろう!!」
「上級の魔法陣描けるのに驚いたわけじゃないんだ」
「それも驚くけど、それ以前に、こんな物騒なの物を持ち歩く神経におどろくわ」