13,バジリスクが追ってくる①
バジリスクが尻尾を左右に振って前進し、樹齢千年をくだらない巨木へと近づいていく。
私たちは息をのんで、その緩慢な動きを見送った。
今まで見たどんな生き物よりも大きい。ワイバーンでも大きいと思ったけど、その倍近くありそう。
「大きいね」
「もう少し離れたら逃げるぞ。団長にバジリスクが潜んでいることを知らせたい」
子竜はじっとしている。私はその頭をなでた。
「えらいね、静かにしてて。お前は、本当にえらいよ」
子竜は天を仰いだ。そこが自分の家だったのだろう。
バジリスクが巨木に近づくなり、前足で地をかいた。這いつくばる身をさらにぐっと地に押し付けるように、踏ん張っている。
なにをするのかと思えば、どおんと巨木に向かって体当たりを行った。
足元がぐらつくような振動に、私たちはさらに低く腰を落とした。
「これね。さっきの地響きは……」
バジリスクが二度目の体当たりを行うと、今度は上空からどおんと丸太のような木が落ちてきた。先端がどこかの木の枝に引っかかり、その反対の先端が地面にめり込んだ。斜めに倒れた木がそこここにあったのは、ああやって落ちてきた木の残骸なのだろう。
巣に普通の木を引っこ抜いて使っている事実に私はしびれた。
「さすがワイバーン。丸太で巣作りなんてしていたのね」
「感心するな。あれにぶち当たったら死ぬんだぞ」
さすがのエリックも泡食っている。
確かにこの状況で感心することじゃないか。
「……ねえ、エリック」
「なんだ」
「ああやって、体当たりして、丸太が落ちるってことは、きっと巣の上にいた子竜もああやって落とされたのね」
「……そうだな」
「この子も、落とされたのでしょうけど……」
ぐっと言葉に詰まった。
「お前だけが逃げのびたの?」
ささやきかけた子竜はただ震えて、じっとしている。
一度にワイバーンは十個ほど卵を産む。恐らく、子竜の兄弟はバジリスクに食べられてしまったのだろう。子竜はどうにかして唯一逃げ切ったのかもしれない。
その後、人に見つかって、捉えられた。村でつながれて、ふるえていたところに、生き残った我が子を母竜は迎えに来ただけなのかもしれない。
子竜がこの細道の出口で立ち止まったのは、懐かしい我が家の変わり果てた姿に茫然としていたのかな。
私はぎゅっと子竜を抱いた。
母竜が置いていった意味を分かってほしい。
「ねえ、エリック。きっと、母竜は、この子に生きてほしいのよね」
「そうだろうな。そうじゃなければ、威嚇までしてくるなと示さないだろう」
人のことは見えるのに、自分のことは分からないものね。子竜と母竜の気持ちは考えられても、私は私のことばかりで、パパやママのことはあんまりよく考えられていない。
ママが望むこと。
パパが望むこと。
もっと素直に受け止めればよかっただけなのかもしれない。
「……まずは、逃げるぞ」
「うん」
私たちは、草に隠れながら、横の横に、カニのように歩き始める。
「このまま、バジリスクに気づかれないで逃げ切りたいね」
「そうだな」
草に隠れつつ、ゆっくりとけもの道を引き返そうとした。
バジリスクが動いた。前足を大樹の幹に這わせて、登ろうとするかのような仕草を見せる。大きな体なのに体を柔らかそうにうねらせる。巣が見えるから、まだ子竜が残っているか確かめているのかもしれない。
こうなったバジリスクは、今後も子竜を狙っていくだろう。人間を食べて、人間しか食べれなくなってしまったように……。旨味を知って逃れられなくなったのはバジリスクの方だ。
子竜を餌とするようになって、こんなところに流れてきたのかもしれない。憶測だけど。
「道へ戻るぞ」
ずっと胴に添えられていたエリックの手が離れた。私の肩を抱いて、けもの道へと引き返そうと力がこもる。
もう片方の手はしっかりと槍を握っている。
私の両手は子竜を抱いたまま。これ以上逃げられたくなかった。
バジリスクが大樹にへばりつき、上へと目指す。巣は上方にあり、その大きな頭をぐっとのけぞらせた。樹上にある巣は、バジリスクが背伸びした程度では届きもしない。
その時、バジリスクが大樹の幹を突き放した。大きな体を、空中でぐるりとひねり返す。
その巨体のどこに、そんな芸当をこなす筋肉と柔軟性を備えているのかと、私は目を見開いた。そして悟る。バジリスクの黒目が地面の一部、私たちをとらえていることに。
彼らの視界は馬のように広い。
「見つかったんだ」
「行くぞ」
けもの道へと飛び込んだ。
影が差した。はっとつられて見上げてしまう。
頭上で大木が躍る。さらに上にワイバーンの姿が垣間見えた。
あっという間に、どおんと大木が地面に落ち、バジリスクの進行を留める。落ちた大木に両手をかけ、バジリスクが吠えた。
その頭部めがけて、両足をぶち当てようとワイバーンが下降する。バジリスクが片腕のばし、ハエを払うかのように、腕を振り回した。
一瞬の様子におののいた。息をのむ。とどまっているわけもいかず、前を向き、私は走った。エリックがすっと横にそれて、足を止める。私が抜き去ると、彼は後ろについた。
「私たち、やっぱり村へ帰ればよかったのね」
頭上の巣にワイバーンはいたのかもしれない。怪我をしているから、息をひそめて休んでいたのだろうか。私たちが戻ってしまったことで、彼女に負担をかけたとしたら……。悔やまれる。
でも、ここまで走らなければ、現実を目の当たりにすることもなかった。
もし子竜と母竜を狙ってバジリスクが村へやってきていたとしたら、もっとぞっとする。あんなのが平地で暴れていたら、村の役場なんて尻尾数振りで半壊しているかもしれない。
さっきまで元気に枝を飛びまわっていた子竜も大人しい。現実を突きつけられて、打ちひしがれているのだろうか。
細いけもの道を突き進む。
走って、逃げて、どうしよう。このまま村へと直進して、バジリスクを村に連れ込むことはできない。
「エリック、どうしよう。私たち、このまま……」
「まずは、川だ。河原へ戻るぞ」
背後から飛んだ指示に、奥歯を噛む。
咆哮が飛んできて、地響きに足元がもつれそうになった。
「来るぞ!」
エリックの掛け声に、背後を見てしまう。彼は背を向けていた。荷物を捨て、槍を構える。
その向こうに、バジリスクの頭部がかすみ見えた。
私は急停止し、子竜を地面に転がした。腰につけているポーチから布を一枚取り出しながら、エリックの背後に向かって走った。