12,ワイバーンの巣
エリックと私は子竜を追いかける。子竜は枝から枝に身軽に飛び乗り進む。時折、私たちの進みを確認するかのように、ふいに振り向き、また別の枝へと飛んでいく。
けもの道をたどっていた。足場は細く長く草が踏みしめられ、狭くとも土がむき出しとなっている。左右は腰高の草が生い茂り、太めの木々が点々と生えている。子竜はここが道だと分かっていて進んでいるようだった。
地響きは減っていた。ぶつかり合うような音も聞こえなくなっている。
「いよいよ、終わったかもしれないな、ミリア」
声は重たい。それは母竜が死んだことを連想させる。
「バジリスクがいないことだけを願うしかないか」
けもの道、前を進む私の後ろで、エリックがため息交じりにつぶやいた。
「ミリア」
強い語気で名を呼ばれ、ちらりと後ろへ視線を流す。
「俺は最悪、子竜を見捨てるぞ」
エリックの宣言には頷くしかない。
「……うん……」
「お前を、抱えてでも連れ帰る。子竜は二の次だ」
「……ごめん……」
「子竜が森に飛び込んだ時に止めればよかったんだ。だが、そうしなかったのも俺だ」
エリックの言う通りだ。森へ消えていった子竜を見送るほうが賢明だった。はずみで追いかけてしまったけど、そんなことをしないで、森へ逃がしたと村へ帰って言えばよかったのかもしれない。
こっぴどく怒られるだろうなあ。懲罰もあるだろうか。私より、騎士団の末席に所属しているエリックの方が大変かもしれない。巻き込んでしまって、もうしわけない。
「ごめん。エリック」
「今さら」
後ろを走るエリックが笑いながら答える。
「団長も、こうやって単独で森に入ることもあるんだろうな」
言いたいことを言い終えたのか、エリックの声が明るい。私の沈んだ声を気にしてくれているのかもしれない。
「危ない竜を討伐する時はね」
「さすが、詳しいな」
「パパとママが組んで、森に入っていたのよ」
「ミリアの母さんも騎士だったのか」
「ちがう。魔導士。研究職じゃなくて、機動職。騎士と一緒に前線に行く人」
「女性で?」
「優秀だったのよ。パパがお願いしてきてもらっていたらしいわ。目的は違ったみたいだけど……」
「目的?」
「討伐中に、パパがプロポーズしてるの」
「……って……」エリックが絶句する。「竜退治だぞ。そんな余裕どこにあるんだ!!」
「うちのパパ、馬鹿だから、自分のかっこいいとこ見せたかっただけなんじゃない」
「団長、おかしいだろ……」
エリックの声が呆れかえっている。
「おかしいのよ。うちのパパ、真剣に魔法陣の補強をして集中しているママを見てたら……」
「……見てたら……」
「……キスして、プロポーズしてたって言うのよ」
私たちの間で空気がひんやりと凍りついた。
「……ありえないな、団長。規格外だろ……」
「だから、うちのパパはおばかさんなの」
「いや……団長をばかよわばりするのも、ありえないからな」
「なによ。どっちもどっちと言いたいわけ」
ママとパパは学園で知り合ったと言っていた。本当はママはただの研究職の魔術師志望だったけど、結局パパにくっついて機動職について、竜退治の補佐をしていた。
「私も、魔導士みたいなものだから、なにかあっても、役に立たないことはないわよ」
「ああ、確かに!」
これでも一応、上級の魔法陣も一部描ける。誰にも言ってないけど……。
子竜が枝から地に降りた。けもの道の上に立ち、こちらを向いている。
もう逃がさないんだから。母竜が、生かすためにあなたを逃しているのに、見捨てるなんてしたくないのよ。
私は腕を伸ばして子竜を捕まえ、抱き上げた。
「さあ、村へ帰るわよ」
背後に立ったエリックに頭を強く押された。
「しゃがめ」
彼の低い声に、私はすぐさま腰を落とした。
周囲を見渡すと、そこはけもの道の出口だった。
踏み固められ、土がむき出しになっている。斜めになぎ倒された木が何本もある。遠くに目を凝らすと、一際太い木が天に向かってそびえていた。樹齢は千年以上あるだろうか。
地面を覆う草も少なく、むき出しの地べたがつづく。母竜もバジリスクもいない。
「ここはお前の巣があったところ?」
子竜は首をまたくりんと曲げる。
「そのようだぞ」
身を低くし、衣服を通してでも密着するぐらい近くにエリックがいる。
こんな何もない時に近づかなくてもいいじゃない。命の危険を感じてドキドキする場面で、別の意味でドキドキするわ。
「上を見ろ」
私は上空を見上げた。枝葉が生い茂り、日の光は遮られている。目を凝らすと、すごい高いところに、木の枝が無数に絡まる塊が見えた。ここから見て木の枝に見えるということは、もしかすると、木そのものを引き抜いて組んでいるのかもしれない。あれがワイバーンの巣だろうか。
「ワイバーンの巣って生で始めて見るわ」
「なあ、あの巣に母竜がいるんじゃないか」
私は子竜に話しかける。
「あそこがお前のおうちなの?」
子竜は小さな声で鳴いた。
「あそこから、お前はおちてきたの?」
もう一度鳴く。
これは肯定ととらえていいのだろうか。私の方が困ってしまう。
「ミリア。引き返そう。子竜も捕まえた」
「そうね」
その時、地面がかすかに揺れた。
「エリック」
「しっ」
かがんだまま、エリックの腕が私の胴にまわされる。
「少しずつ下がるぞ。子竜、お前も声を出すなよ。ミリア、できるなら、そいつの口を上下でつまんでおけ」
「嫌がるわよ」
「じゃあ、鳴かすな」
「無理よ」
もう一度、地面が揺れた。
ゆっくりと後方へ下がる。背後に生い茂っている草の中にゆっくりと身を隠した。ざざっと草がすれる音がする。踏み固められていたけもの道より、柔らかい土に足がとられそうになる。
私たちはしげる草の中に潜み、息を殺した。
地響きが近づいてくる。嫌な汗がわいてきそう。
「お願い、お願いだから、鳴かないでね」
子竜にささやきかけた。
鳴きもせずに、子竜は身を固めて、私の腕に抱かれている。
草と草の隙間を覗く。
すっと、竜の横顔が現れた。蛇のような長い面。口は裂けるように大きい。牛や馬なら一飲みにしてしまうほどの顎と喉をもっているという。バジリスクだ。
本の挿絵通りの顔つき。のっそりのっそりと歩く。一歩を踏み込むたびに、地面が揺れた。体長は馬二頭から三頭ぐらいだろうか。蛇やトカゲを連想される胴に短い脚が四本あり、交互に動かし、進んでいく。
エリックが生唾を飲み込んだ。
身を横に曲げていく。樹齢千年近い巨木に向かおうとしていた。
その時、尻尾がぶんとふられて、私たちのすぐ上を水平に切った。
ひやりとして、ぞくりとする。立っていたら、あの尻尾にぶつかっていただろう。