11,母竜を追いかけ子竜は飛ぶ
風で焚火は飛ばされていた。荷物も散乱し、エリックがかき集めている。
私が近づいても子竜は警戒することなく、動きをとめた。楕円の瞳を瞬き、首をかしぐ。
母竜が伏していた地は、赤黒く染まっていた。子竜がこの辺りをウロウロしているのも母の気配が残っているからかもしれない。
地面に残る母竜の痕跡。ほとんど拭いてあげたと思ったのだけど、まだこんなにも傷ついていたのかしら。そんな傷を負って、どこに行こうというの。このまま一緒にいたら、バジリスクと鉢合わせると思って、飛んで行ってしまったの。
青い空に、鳥が飛んだ。いつの間にか戻ってきた小鳥たちがさえずり、虫の声も響くようになっていた。川で魚がぴちゃんと跳ねて、木々もそよぐ風になすがままなびいている。
子竜が私の足元に寄ってきた。
首をもたげて、すりよってくるので、その頭部をなでてあげる。
甘える声を出す。母竜がいなくなった今、果物や魚をくれた私たちに頼ろうとしているのかもしれない。母竜も、私たちがいるから、子竜を置いて飛び立ってしまったのだろうか。
私は、かがんで子竜を抱いた。ギュッと抱きしめると、あたたかい。首筋を寄せてすり寄ってきた。
ごめん、子竜。私が本当に手を伸ばしたいのはね。エリックだよ。
私は子竜を抱いたまま、木々の先端が重なる空を見上げた。
嘘の奥にある本音。パパは私をよく見ている。
ミリアはエリックが好きだ。
本音はずっしりと絡めとられている。金属の鎖が絡みついて、地に括り付けられているかのように重い。認めたって、どうせ進めないんだ。
パパからママを奪ったのはミリアだ。パパが好きだ。パパもミリアが好きだ。でも、パパの大好きなママの命を消したのはミリアだ。
誰も悪いとは言わない。誰も責めない。
ただパパの背を見て想う。大切な人を失うことは辛いことだ。その背中が雄弁に語る。
無言の言葉は重い。重すぎる。
ミリアは、好きな人を、好きだと言うことが、とても怖い。
子竜の目の前で母竜が殺される様を見たくなかった。私が見たくなかったんだ。
自分のせいで母親が死んで、しこりが残らないなんてないんだ。
私は何をしているのだろう。パパが竜を屠ると決めたのは、バジリスクの傷痕を見て、跡形もなく抹消させるためだろう。
竜は肉も骨も皮もなにもかもが重宝される。取引をすればお金になる。バジリスクの傷痕があるから滅する。パパと私は理由を知っている。でも、世間では人食い竜は恐ろしいと思うばかりで、その性質までは理解していない。
殺して解体すればいいと言えないわけだ。その辺の話をしに、パパは昨日領主代行の元へと行ったのかもしれない。
バジリスクが獲物に執着するなら、解体した人間は獲物を横取りした者になる。猛り狂った竜を滅するのは、きっとパパでも大変だろう。
パパはきっと、一滴の血も残らない、影さえ残らない力で抹消させるつもりだったはずだ。
「ミリア」
頭上から声がして、見上げる。エリックが立っている。
「準備できた。村へ戻ろうな」
子竜から手を離す。
「うん」
そして、怒られよう。
森の奥から、ごおんとくぐもった大きな音が響き、地面を揺らした。
子竜が跳ね、走りだした。羽を動かし、空に浮き上がる。
「待って。どこ行くの」
私は子竜の背を追う。
森へ入る直前、子竜が上方の枝にむかって急上昇し、太い枝にとまった。
私とエリックは、子竜がとまった枝がのびる幹まで走りこんだ。
「どうしたの? 村が嫌なの? 誰も悪いことしないから、一緒に村に行こう」
また、どおんと森の奥から太い音が鳴った。
私とエリックが身を縮める。
「バジリスクとワイバーンが争っているのか」
「可能性が高いわ。あの母竜はもうバジリスクから見たら、獲物でしかないもの。どちらかが、食われるまで殺し合うんだわ」
エリックがぐっと拳を握った。
「……恐ろしいな……」
「バジリスクは怖いよ。狙われたら、殺すか、殺されるかになる」
私は再び、子竜に目をむけた。
「降りてきて、お母さんは……」
あなたに生きてほしいから……。
言おうとした言葉に、喉が詰まった。
「どうした。ミリア」
言葉を詰まらせる私の様子にエリックがいぶかる。
私は苦笑して、頭をふった。
「なんでもない」
ざざっと頭上で枝がしなり、葉が散った。
エリックと一緒に見上げると子竜が消えていた。
子竜の一声が響き、森の奥を覗くと、数本向こうの枝に子竜が移っていた。子竜はじっとこちらを見ている。
「追ってこいと言っているの」
「ダメだ」
エリックが肩を強くつかんだ。
「ダメだ、ミリア。もし、バジリスクもいるところだったら……」
「まずは、パパに知らせるのが先決よね」
エリックがほっとする。
「そうだ。俺達ではどうにもならない」
「子竜はおいていけない。あの子が、どうにかなったら、母竜がここにあの子を置いていった意味がなくなってしまうもの」
私は、エリックをふりきって、走り出した。
「ばか。ああ、もう、ちくしょう」
エリックは悪態をつく。騎士団に所属し、規約などに目を通している彼には、私の行動は罰せられることだとよくわかるのだろう。それでも追ってきてくれた彼はすぐ横に並んだ。
「どうする。このまま、子竜が母竜のところに行ったら、バジリスクと鉢合わせるぞ」
子竜がまた次の枝へと飛んでいく。
「絶対に母竜のところへ行こうとしているわよね」
再び森の奥からぶつかり合うような轟音と振動が届く。幹が揺れ、小鳥が飛び去った。はらはらと数枚木の葉が落ちてゆく。
「自分だけでバジリスクと対峙するために飛んでいったのに、これじゃあ母竜の意向を無視するだけじゃないか」
エリックが苦々しく言葉を吐く。母竜の気持ちをはかれば、子竜を捕まえていち早く村へと引き返したい。私もそう思う。
子竜は、母竜の気持ちを思うより、母を求める自身の気持ちの方が強いんだろう。
それはきっと衝動と言えるのではないだろうか。
いてもたってもいられず、かといって一人で行くのも怖いから、私たちを誘うように、進んでいく。そうは考えられない?
親の気持ち子知らずという言葉があるけど、親だって、子だって、違う存在の気持ちなんて、きっとそうそうわかるわけないんだ。
私は、私の気持ちに囚われている。その様と、あの子竜が母の意向を無視して、母の元へと衝動的に向かっている姿は、どれほど違うだろうか。




