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10,母竜が飛び去って行った

 私は身ぶるいした。

 エリックは真顔で私を直視する


「エリック。大変だわ」

「なにが?」

「私たちの手には負えない!」

「はっ!?」


 その時、母竜が大きな体躯をもたげた。


 下で子竜がしりもちをつき、母竜を見上げている。母の様子に驚き、戸惑っているかのように見えた。


 子竜は甘えるような声で、母竜に首を伸ばした。

 刹那、母竜が歯をむき出しにし威嚇する。

 子竜がびくんと身を震わせ、後方に跳躍する。

 母竜がもう一度、歯をむき出しにして、噛みつくように口を上下に動かした。

 子竜は慌てて後ろへ駆けていく。


「母竜が、子竜をおどかしている。なぜだ」

 私とエリックが仰天する。


 ワイバーンがどうしたの。訳が分からないわ。体力が回復したばかりというのに……。いや、違う。もし、ワイバーンがバジリスクに襲われたとしたら、あの傷を負った母竜は、もう……。


 母竜は分かっているんだ。だから、魚を食べて、羽を休めたから、この場を離れようとしているんだ。やはり同じ竜種だから……、わかっているのね。


 母竜から離れた子竜が尻尾をぐりんと体にまとわらせて、地面に身を伏せた。ぶるぶると震えているように見える。突然の母竜の変貌にどうしていいのか分からないでいるのかもしれない。

 

 母竜がもう一度大きく口を開ける。同時に、再び咆哮が轟いた。

 私は耳をふさいで身をかがめる。視界の隅っこに子竜が目を閉じ地面にぺったりとへばりつく姿がうつった。


 変貌した母竜は、子竜にくるなと脅している。意図が分からない子竜が、痛々しい。


 竜の咆哮にばさりばさりと木々も枝をしならせた。驚いた野鳥が彼方へと飛び退すさっていく。

 声が止むと、水の流れる音以外何も聞こえない。鳥も虫も存在を消してしまった。


「エリック……」

「……どいうことなんだ」

 

 エリックが身を寄せてくる。私は彼の衣類を掴んだ。エリックの片腕が私の肩にまわされる。


 ワイバーンがその羽を高らかと広げた。


 また土埃が舞う。ここは河原だ。今度は小石が飛んでくるかもしれない。


 私の肩に回されたエリックの腕に力がこもった。ぐっと抱き寄せられて、私の頬が彼の胸にぶつかった。そのまま彼の体に抱きつき、背後の竜を横目で盗み見る。

 

 羽の先端がピンと天に張った。かと思うと、勢いよくおろされる。風が地面に叩きつけられた。旋風が土埃をあげて、まき散らされる。思った通り、小石が風に巻かれて、周囲に石つぶてが放たれた。


 強く両眼をつむった。息を止め、エリックの腕の中で私はじっと身を震わせる。

「っつ」

 エリックの食いしばるようなうめき声がかすかにきこえた。


 風がやんだ。流水音だけが残される。

 私はゆっくりと目を開けた。

 

 置かれた状況に目を見張る。


 私は、エリックの腕にすっぽりと収まっていた。


 静けさの中で、頬がかっと熱くなる。

「あっ……」

 いやだ、こんなにそばに……。頬が彼の胸に触れ、早い心音まで聞こえる。

「エリック」

 呼びかけても、腕の力は弱くならない。

「エリック」

 もぞもぞしても彼の力の方がずっと強い。


「大丈夫か」

 ささやく声が降ってきて、体が足先から脳天までしびれて、火照った。もう腕を振り払う気力がなえり、か細い声で囁き返す。

「大丈夫だよ。だから、離して……お願い……」

 

 エリックの腕が少しだけゆるむ。それでも、回された腕や手は私の肩や背に触れている。彼の胸に手を添えて見上げた。

 エリックの頬から一筋の血が流れ落ちてきた。


「あっ……」

 私は手を伸ばした。彼の頬に触れて、指先で血をぬぐう。


「ミリア、怪我はないかい」

 私はふるふると頭をふった。

 エリックはそっと笑む。

「俺は大丈夫だよ」


 そんなことないでしょ、という言葉を飲み込んだ。頬に触れた私の指先に、彼の鮮血がつつっと垂れた。守ってもらって、怒れないよ。そう思うと、両目に熱いものがあふれてきた。

「ごめん。ごめんなさい」


 エリックはただ微笑む。

「俺は、大丈夫だよ」


 この人は、だから嫌だ。優しすぎて、嫌だ。

 私はこの人にとって、なんでもない、ただの上司の娘にすぎない。すぎないのに……。

「……ばか……」

 うつむいて、口内でごちた。

 

「ワイバーンが飛んでいってしまったよ」

 彼の言葉をなぞるように、振り向く。


 母竜は消えていた。子竜が、よたよたと母がいたところへ寄っていく。地面に鼻先をつけては、天を仰ぐ。同じ場所を回遊しながら、その行為を繰り返し続ける。


「母竜はどうして飛んで行ってしまったんだ」

 エリックの問いに、息を深く吸ってから、私は答えた。

「バジリスクは獲物に執着するの」


「執着?」

「ひいおじいちゃんが最初に屠った人食い竜がバジリスクだよ。

 人間を食べてしまって、味を覚えたバジリスクが村一つを餌場にしてしまったの。

 火も恐れない竜よ。最初に殺された人のお葬式に集まった村人を襲って、遺体も、そこで殺された人も、傷つけられた人も、みんなバジリスクが獲物と判断した。そうして順番に殺されて食べられて行くの。だから、怖いのよ」


「バジリスクは、そんなに獲物に執着するのか?」

「うん。自分が殺した獲物は特に……。たぶん、このワイバーンの親子……。特に、あの子竜の兄弟はバジリスクに殺されているのかもしれない。

 ここら辺は、そんなにバジリスクはいない地域だと思っていたけど、どこからか流れてきたのかしら」


「森は地続きだから、はぐれものが流れてきてもおかしくないだろ」

「そう単純に考えられたらいいんだけどね。竜は、色々分からないこともたくさんあるのよ。

 あの母竜自身も、あれだけ傷をつけられていたら、バジリスクの獲物になるわ」


「俺達では、どうにもならないな」

「そうね……。ワイバーンにあれだけでの損傷を与える竜よ。もし人が出会ったらひとたまりもないわ。

 これ以上は、パパの仕事よ。私たちの出る幕はないわ。バジリスクの存在を知らせに子竜を連れて戻った方がいいかもしれない」


「怒られるのは、覚悟だな」

「ごめんなさい。本当に、巻き込んでしまって……」


「いいさ。一緒に怒られよう」

「うん」


 会話が一区切りついたところで、私は指先でエリックの胸をついた。

 

「ねえ、そろそろ……離してよ」


 軽く抱き合った状態に我に返ったエリックが、ぱっと腕を離す。天を仰いだ首筋がすっと朱に染まった。


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