1,なんで彼が婚約破棄されるのよ
注意:物語の中盤に流血ありの戦闘描写あります。好まれない方は、ご注意ください。
「ミリア喜べ、エリックの婚約が破棄されたぞ」
パパの喜び勇んだ発言が耳に飛び込んできた拍子に椅子から腰が浮いた。何をそんなに驚くと言わんばかりに口をあんぐりと開けるパパ。その顔を横目に、私は「なんで」と喉を押し殺し呻いていた。
「ど、どうした。ミリア」
朝食を共にしていたパパの手が止まっている。おそらく、私が喜ぶと思っていたのだ。
「なんで……あの人が……」
声がしぼんでいく。悟られない程度に、目じりが歪む。
いたたまれなくて、パパから視線をそらした。
「……信じられないだけよ……」
横を向いて、床に視線を落とす。そのまま静かに椅子に座りなおした。
私はミリア・ミットフォード。騎士団長の一人娘だ。
朝日が差し込む窓辺の、平民の家かと思うような、小さな丸いテーブル席に隣り合って座って朝食をとるパパと私。私たちは、父一人、子一人の、父子家庭である。
母のいない寂しさを、親一人なりに埋めようと、時間が許せば、朝に晩に食事は、語り合える距離をパパは大切にしていた。
「驚くのも分かる。突然のことだもんな、うんうん。
そこでだ、ミリア。ほとぼりが冷めたら、彼にミリアとの婚約を考えてもらえないかと思っているんだよ。
ほら、ミリアもエリックを好きだと言っていただろう」
笑顔で悪気なく語るパパ。私の心臓が痛い。
「……嫌いじゃない程度よ……」
大して意味の違わない言い換えに、さらに胸苦しくなる。パパの気持ちを考えて私はぐっと気持ちを体の奥にしまい込んだ。
「パパも彼をとても気に入っている。パパとミリア、二人とも彼が好きなら、こんなチャンスはもうないと思うんだ。
ミリアが好きな人とパパが気に入っている人が一緒で、偶然にも婚約も破棄されるなんて、これぞ運命と叫びたくなるじゃないか」
追い打ちをかけるパパに、青ざめて、ひきつってしまう。夢を見過ぎだと叫びたい。
「……ミリアは、まだ子どもだもん。結婚なんて考えられないよ……」
「そうかあ。エリックだぞお。パパ、エリックがミリアの旦那さんになって、お義父さんと呼ばれたいなあ」
パパはロマンチストだ。それも、体の芯にずっぽりと乙女が居座っている筋金入り。見た目と中身のギャップに誰も連想できないけど……。これでも勇壮な竜殺しの騎士団長、なのだ。娘の私は頭が痛い。
「……ミリアは、パパの願望を、叶えるためにいるわけじゃないもん……」
「パパ。ミリアのお婿さんに夢見てたんだよお。可愛いミリアに並ぶなら、あんな絵にかいたような王子様がいいよう。
パパだって、ミリアの素敵な王子様に、お義父さんって言われたいんだよぉ」
とてもとても騎士団長とは思えない声で、パパが甘えてくる。ぐっと拳を握って私は耐えた。
私は、エリック・エヴァンスが好きなわけじゃない。パパが彼のことを好きだから、パパに合わせていただけだ。
だって、彼は公爵家のご令嬢と婚約している。よほどのことがないかぎり伯爵令息エリック・エヴァンスであれば、婚約破棄なんてありえない。
絶対に成就しないと安心し、パパのお気に入りと知った上で、私は、いいねと相槌を打ったのだ。
なのに公爵家のご令嬢との婚約が破棄されるなんて、どういうことなの。ましてや伯爵家からの申し出に公爵家が納得するなんて、どうかしている。
金髪碧眼の童話にでてくる端整な顔立ちの王子様みたいな人だ。パパが束ねる騎士団に、学園生の身で所属している。遠征などはいかないけど、すでに訓練などには参加して、団員との親睦ははかられている。
人当たりもいい。
物腰も柔らかい。
陣を施された武具や武器も使いこなす。
腕もいい。
見た目、実力ともに、パパが一目で気に入った。
そんな人を褒めれば、パパも喜ぶ。やっぱり公爵家に婿入りするだけの人よね、なんて頷いていたら、私も彼が好きだと勘違いされた。
いいやと思ってほっておいた。
だって、公爵家に婿入りするのよ。子爵家の娘なんて、出る幕がない。私には関係ない。なにかあっても、憧れてただけよと言って苦笑しておけば、誤魔化せると思っていたのよ。
それが、なにをもって、婚約破棄ですって!
新入生歓迎会でのあの最初のダンスを見せつけて、婚約破棄なんてありえない。あれほどお似合いの姿をさらされて、誰が彼を好きだなんて言えると思うの!
私は打ち砕かれた。パパがもたらす情報に呻かざるを得ない。
「パパ、伯爵家との婚約を子爵家のうちが通るわけないじゃない。しかもよ。うちはひいおじいちゃんが平民から功績でのし上がった成り上がりなのに、伝統あるエヴァンス家からお婿さんをもらおうなんて、絶対無理よ!」
夢見がちなパパに私は釘を刺す。残った朝食を、一気に私はかきこんだ。これ以上話しても、きっと堂々めぐりだ。
「もう時間ね。学園に行くわ」
「あっ、うん。ミリア、いってらっしゃい」
立ち上がって、コップに注がれた水を一気に仰ぐ。
勢いに呆気にとられるパパを見下ろし、ぐいっと口元を腕でぬぐった。
「行ってきます、パパ」
朝食の場を抜け出し、パパの寝言みたいな発言にため息まじりに自室へと戻る。こんな憂鬱をかかえて終える食事なんて最悪だ。
制服に着替えて、鏡の前に立った。ママに似た緋色の髪と瞳。パパと並んだ絵を見たら、どんどんママに似ていることが分かる。
パパは優しい。
パパにとって、ママは最愛の女性で、忘れ形見の私もまた大事にしてくれている。
うちは代々竜殺しの英雄を輩出する子爵家として一目置かれている。ひいおじいちゃんが、村一つ滅ぼした人食い竜を討伐して以降、おじいちゃんも、パパも、そんな竜退治の功績を残した。
国は竜を単独で退ける騎士を逃さない。
本来なら、ひいおじいちゃん一代で終わる爵位だったのに、そんなこんなで代々子爵が引き継がれている。引き継がれているというより、功績をあげるから、爵位がくっついてくる。
平民上がりの子爵家でありながら、英雄の家系と見られていることが面映ゆい。
それもきっとミリアまでは継がれない。パパもそのつもりだ。
可能性があるなら、竜退治を成し遂げた騎士を婿にむかえるか、パパが新しい妻を迎えて、子どもをもうけて、その子が竜退治を成し遂げるかだろう。
パパにとって爵位はどうでもいいことだ。
パパの願いは、一つ。
ミリアが好きな人と結婚して、幸せになってほしい。
パパの気持ちは痛いほど、分かっている。
私に好きな人はいない。
パパの好きな、エリック・エヴァンスは絶対違う。
ミリアとは釣り合わない……たぶん。
鏡の中には、緋色の髪を二つに分けて、左右の高いところで結ぶツインテールの私がいる。
大柄のパパと違い私は小柄。身長は伸びなかった。実年齢より、未だに数歳下に見られる。飴をしゃぶる子どもみたいに扱われることもあり、複雑だ。
こんな子供みたいな容姿で、あんな王子様みたいな人の隣に立ったら見劣りする。ふさわしくないと見られて当然なぐらい、ちぐはぐだ。
パパは欲目から、そんなことも見えないのね。
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