◇◇第二百七十二話◇◇◆:幻の悠子エンド
悠子エンディング
「これでよしっと……」
間山悠子は早朝から準備を重ねていたアタッシュケースを持ち上げて頷く。これから、ちょっとした旅を行う予定である。今回、こんなことをしたのは失踪してしまった自分の兄のせいだった。
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「……!」
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兄である間山霧之助が行方不明になったのは彼が高校を卒業して次の日のことであった。あの日、悠子は兄の住むアパートへと越してきたわけだが、いつも出迎えて笑ってくれるのにあの日は一切の音がしなかった。不思議に思って中に入ると一人分の朝食が用意されている以外に何も代わったことは無く、てっきりちょっと外に出ているだけだろうと思っていたのだ……だが、現実はそうでもなかったようで朝食は冷え、日付が変わっても彼が戻ってくることは無かった。
もとよりトラブルに巻き込まれやすいことを知っていたためにすぐさま警察に連絡。知人や友人に連絡を入れたのだが全くの手がかりは無し。携帯電話はテーブルの上におかれているだけで異常な点は一切ない。財布が無かったことといつも着ていた服が無く、ついでに言うのならばやはり、何処かに出かけたかのように彼の靴がなかったことだろう。その後は様々な捜索を行ったのだが彼の行く先を知るものは一人としていなかった。
結局、行方不明者となってしまったわけだが、家出か駆け落ちという話しになったのだ。しかし、どちらもそんなことありえるはずがないと悠子は考えていた。
間山悠子が兄である霧之助に告白されたのは卒業式の日であった。
『僕と一緒にまた住んで欲しいんだ』
電話越しだったが間違いなく兄の声だったし、悠子が聞き間違えるはずも無い。
『彼女、ううん、いつか、もっと先でいいんだけど……僕の奥さんになってほしい』
いつも曖昧で気持ちが伝わっていないと思っていたのだがそうでもなかった。それに対して電話の向こうにいる霧之助にはきっと伝わらなかっただろうが涙を流した。そして、返事は小さく『うん』と頷いただけのものだったがほっとした息を霧之助が吐いたのをしっかりと耳で聞いたのだ。
『明日、待ってるから。おやすみ』
それが最後の言葉だった。そんな嘘をつく人間ではないということはわかっている。家出なんてありえない、駆け落ちなんてなおさらありえないのだ。それから一年間、本当に地獄のような日々だった。警察からは音沙汰無しで、一緒に住もうと約束したアパートの一室は『お帰り』なんて言ってくれない。声を聞きたかったが、あるものは一緒に写った写真だけ。
一年間、何度も母親、父親、そしていつもは全く係わり合いを持とうとしない妹からも大丈夫かと心配された。兄と同じく行方不明だった結からも心配されたのだ。しかし、やはり一番に心配してもらいたいのは兄だった。その兄がいないことで自分は酷く変わってしまった。
兄が綺麗にしていた一室はもはやゴミ捨て場よりも汚く、酷いものとなった。鏡に写っている自分の姿はそれにふさわしいもので、髪はぼさぼさ、目は落ちくぼんでいて死んでいるかのようだ。気がついたときに食事を採るだけ………だったが、三ヶ月前に母親が急遽こっちにやってきて掃除し、しっかりとした状態に戻された。三食とも監視があるために無理にでも食べなくてはいけなくなった。
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「……子!」
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そして、昨日……行方不明になってしまった兄から電話があった。
『ごめんね、悠子』
最初、その言葉を聞いたときは……本当に涙が出てしまうところだった。いや、実際は出ていたのだがそれすらも気がつかないでその声を、言葉をしっかり聞いていたのだ。久しぶりに、本当に久しぶりに聞く兄の声はあのころから全く変わっておらず、やはりどこかのほほーんとした調子の声。ただ、それはどんな言葉よりも、声よりも心から安心させるような何かがあった。別に、他の人がどういっても構わないが自分にとってそれだけその声は安心させてくれるものなのである。
『悪いけどさ、明日の朝駅前に来てくれないかな?えっと、旅行するようなスタイルで』
それだけ言い残すと一方的に切った、そういうよりもどうやら切れてしまったらしい。公衆電話からかけてきていたからだろう。
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「……う子!」
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「まぶしっ……」
久しぶりに拝む蒼空は本当に何処までも澄み切っていた。太陽もすでに昇っていて、日光はアパート前の駐車場を照らしている。
「……」
目を細めてぼーっとそんな光景を目に焼き付ける。本当に、人間とは現金なものだ。ちょっとうれしいことがあるだけでこんなにもいつもの変わらない日常がすばらしいものと思えてしまうのだから。
何時に待ち合わせをしていたのか、さっぱりわからなかったが荷物を持って悠子はアパートを後にする。ゴミ溜めの一室は今では何処にでもあるようなちょっと古い一室となっている。
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「悠子ってばっ!!」
「んあ?」
一時期はやった脱力系パンダのような鳴き声を上げて、ようやく悠子は目を覚ましてくれた。そして、涎の泉というあまり綺麗じゃないものを白紙の上に作り出して目をこすっている状態だ。寝ていると思ったときにはずしてあげて近くに置いていたぐるぐるメガネを手探りで見つけ出して握り、装着したのを見てから話しかけることにした。
「もう、ぐっすりなのはいいけど小説かけたの?」
白紙にあるのは涎の泉だけ。文字で埋まっているとは到底思えなかった。よかった、これが部屋の墨に置かれてるノートPCじゃなくて。
「……ん~?うん、ちゃんと構成は出来てるよ。それに、寝ていたんじゃなくて小説の事を考えていただけなんだから。書けって言われたらちゃんとかけるもん」
本当だろうか?
疑惑のまなざしで悠子を見ていると心外だとばかりにため息をついた。
「はぁ、信じてないね?それなら先に教えてあげる」
「で、どういった話なの?」
「まぁまぁ、あせらない。……私ね、小説のことを『作者が考えた嘘のお話』って捉えているの。もちろん、ノンフィクション小説とかもあるけど、お兄さんや私みたいに平凡な日常を送っている人はそんなのかけないからね……ほんの一握りの人だけがノンフィクションをかいている人。ああ、自分のこと以外のノンフィクション作家もいるんだけどそれもまた違う話……嘘つくときって実際にあったことと混ぜればわかりにくくなるって言うじゃない?だからさ、私も実際にあった話を織り込んでみたの!」
実際にあった話かぁ……うれしそうに話している悠子だけど、実際にあって悠子が喜びそうな話って何かあったかなぁ?
「あ、わかった。今年の夏にみんなで海に行って悠子が無人島に置き去りくらったことだね?」
「違う!何であんな嫌なことを思い出させるのよ……一年前の卒業式の次の日のこと」
一年前の卒業式の次の日……
「って、ああ……僕が悠子を呼んだ日のこと?」
「うん、そう!」
しかし、あの日何故だか僕は………まぁ、そのことはいいや。
「で、どんな内容なの?」
「私がお兄さんに告白されて、お兄さんのところに訪れるとお兄さんが準備した朝食だけを残してお兄さんが失踪してるの」
お兄さんがたくさん出てきたのはあえて突っ込まないでスルーしよう、うん。
「でもそれって嘘でもなんでもないよね?確かに僕はあの時……いなかったから」
あの日、僕はゴミを出すためにちょっとだけ、そう、それこそ五分程度家をあけていた。
「そうだけど、私が書いているのは小説よ?お兄さんはそのまま行方不明。家出とか駆け落ちって言われるの」
「……か、駆け落ちだなんてありえないよ」
「……小説にいちいち突っ込まないでよ?」
「だって、ありえないことだし」
「そんなの、わかってるから安心して。それに、駆け落ちしたとしてもそのときは私も一緒に決まってるじゃない?」
「う、た、確かにそうだね……」
一人じゃ駆け落ちなんて出来ないからね。やっぱり、相棒がいないと……
「それで、一年後お兄さんから電話があって、私が会いに行くの」
「それから?」
「それから……それからがねぇ、ちょっとね。AにするかBにするか迷ってるの」
「AかB?」
うん、AかB。それってなんだろうか?ああ、きっとAプランのAとBプランのBって事かな?
「帰ってきたお兄さんがAHOになっているかBAKAになっているかすっごく、悩むのよ。AかB……Aのほうじゃ駅前にやってきた私に対してお兄さんは空から降ってくるの、パンツ一枚で」
「……」
いや、確かにそんなことをしたら阿呆と呼ばれてしまうだろうなぁ。
「Bだったら一輪車で登場」
「で、登場してどうするの?」
「登場して……『これが僕の愛車なんだ♪後ろ、乗るかい?』と言ってくるのよ。そして、誘いを断れない私も一輪車に乗ってしまうの」
「え?一輪車だよね?一輪車に二人乗りなんて出来るの?」
「当たり前よ、私が言っている一輪車は工事現場にあるほうだから」
あ、ああ……って、そっちのほうがなおさら格好悪い気がする。
「で、AだろうとBだろうとそのまま二人で海まで行くの」
Aだったらパンツ一枚のためちょうどいいだろう。いや、よくよく考えてみたらまだまだ寒い時期にパンツ一枚で登場した後に海とは……意外と難しいことなのかもしれない。
「それで、夕日を肩を寄り添いあってずっと見てるの。夜になるまでね」
「すでに夕日は沈んでいるね?」
「うん、その後は……幸せな結婚生活を送るの」
あれ?先ほどまでの過程の中に結婚式が入り込んでいただろうか?
「けどね、どうしても結婚生活がうまく書けないのよ」
あ~締め切りがもうすぐだ~と叫んでいる。小説家というのも大変なんだなぁ……と、思いつつも何かアドバイスを与えることはできないか考えてみた。
「う~ん、いっそのこと海のところでやめておいたら?」
「え?何で?」
「自分たちが一番幸せだっていうのはわかっているからさ」
「私としては……その幸せを他人にわかってもらいたいんだけどね……けど、そうかぁ、そうだよね。他人に幸せあげるなんてそこまで私、優しくないもん。うん、やっぱり海のところで終わりってことにしておくよ……えっと、『こうして、パンツ一枚の夫と天才である少女の物語は終わりを告げたのだった。』……で、終わりだね」
悠子は立ち上がり、背伸びをする。高校のころとあまりスタイルは変わっていない……まぁ、あれからまだ一年しか経っていないから……いや、もしかしたらもう伸びしろは無いかもしれない。
「どうしたの?」
「え?いや、あ、そうだ!これから海行かない?」
「海ぃ?暦じゃ春だけど寒いよ?」
「それでもいいから行こう?」
「まぁ、小説の中でも海にいってるから一度は言ってみるのもいいかも……わかった、じゃあ行こう?」
僕は彼女の手を引いてアパートを後にする。
「……」
アパートを開けるとそこはいつものように日光が照らしている駐車場があった。
「ほら、何ぼーっとしてるの?早く行かないと海が逃げちゃうよ?」
「ははは、海が逃げるわけ無いじゃないか」
「それなら……私が逃げちゃおうかな?」
そういって悠子が走り出す。
「え?ちょっと、それはないよっ!!」
そして、もちろん僕は走るしかない。彼女に逃げられてしまっては大変だ。まだまだ駆け出しだけど彼女の小説をずっと近くで読んでいたいのだから。
もちろん、彼女の彼氏としても……いや、そろそろ夫としてみていてあげたいのだから。
510さん、読んでくれましたか?さて、皆様……今回の話はどうだったでしょう?前回で終わりって言うのは悠ファンにとっていいことだったのかもしれませんねぇ、ですが!初代のメインヒロイン?である悠子も忘れてはいけないよということで登場しました。もはやゾンビ状態ですが感想などお待ちしております。一月二十四日日曜、十一時十八分雨月。