◆第百七十七話◆◆
第百七十七話
「……遅い……」
十一月の頭。時間帯は夕方と夜の間と言った所だろうか?そろそろ寒くなってきているのに彼女、由美子の兄は帰ってくる気配も見せなかった。以前もこのようなことがあってそのときは連絡をしなかったのだが言わなければわからない性格なのだろうと思って先ほど、携帯電話に連絡を入れた。だがつながることはなく留守番サービスへと切り替わってしまった。
「……もしかして……」
隣人である東結のところへまた行っているのではないかと疑問を抱く。兄の女関係に何か口を挟むつもりなどさらっさらないのだがどうにも引っかかって仕方がなかった。一緒に寝ていたとか寝ていなかったとかそんな話を東結から聞いた気がしないでもない。それを聞いたときはやはり、あの花畑が頭に広がっていそうな兄も男なのだなと思ったりしたのだが…それならば納得いかないことが一つだけあった。兄妹だが血がつながっていないのだ。ちょっとは自分の下着姿に目を留めてくれても良いのではないのか?最近は寒くなってきたので風呂上りに下着で浴室から自室まで移動はしたりしないのだが秋の初めぐらいまではしていた。最初こそ慌てて出てきてちょうど兄がテレビを見ていたところに出くわした軽い事件だった。あやうく叫びそうになったのだがあの兄は『浴室から飛び出るとよく、室内で転ぶよ』というすばらしくくだらないギャグをかましてくれたのだった。それだけである。もはやお前は眼中にないよといわんばかりにグラビアアイドルの水着姿に鼻を伸ばしていた。負けた気がしてその後はずっと風呂上りは下着である。もはや、下着で兄の前をうろうろしても何も感じない……というのは御幣があるのかもしれない。やはりちょっとさびしいのだが兄はそんな下着姿の自分をちらりと一瞥することもなくいまだにテレビのグラビアに夢中だったりするのである。由美子だって元モデルだったし、年明けには再び依然お世話になっていた編集長にまたお世話になることが決まっているのだ。
ともかく、兄だったらちょっとは妹を見てほめてくれても良いのではないかと思ったりするのだ。この前、東結と話していたら姉である悠子の話が出てきた…非常にお似合いの兄妹だったといっていたのを覚えている。そのときについ、自分はどうなんだと聞いてしまって赤面したわけだがあの人は笑うことなくすごく普通に『支えあっている兄妹』といわれた。由美子はその言葉を聞いて悪い気はしなかった。ちなみに、支えあっているとは一方的に由美子のことを彼女の兄が支えているというわけであると東結は思っている。由美子は自分が兄を支えていると思っているのである。人間とはこのようにして勘違いを深めていくことなのだろう。
まぁ、由美子にしてみればそこまで信頼するに値するという人物が兄だということだ。
今日はもう、迎えに行こうと思い立ち、玄関へと向かう。もちろん、東結と自分の兄が仲良くやっていても絶対につれて帰ると決意を固める。駄目だったら泣いてでも言うことを聞いてもらおう、そう決める。シャワーサンダルを履いて金属製の重たい扉を開けると少しだけ肌寒い。隣の取っ手に手をかけるとやはり、冷たかった。
「……お兄ちゃん?」
「……はい?」
開けたが、そこには廊下で何かをやっている東結が立っているだけで兄はいなかった。寝室にいるのだろうか?そんな余計かつ、無駄な考えが頭をよぎる。
「あの、お兄ちゃんは?」
「え?きてませんけど?……ところで由美子ちゃん?」
「何ですか?」
「他人の家を勝手にあけてお兄ちゃんといってはいけませんよ?第一にわたくしは貴女の兄ではありません。性別がまずあっていません。いうならおねえちゃんです。一度言ってみませんか?」
お姉ちゃん、確かにそういった響きがよく似合う人だが……この人がお姉ちゃんとなる条件は一つだけであり由美子はそれを断じて認めたくない気がした。
「結さん、お兄ちゃんが何処に行ったのか知りませんか?」
東結が言った事を無視する形でもう一度訊ねる。
「……わかりませんね」
向こうも素直に言ってくれると思っていなかったようで普通に首を振った。しかし、眉をひそめてなにやら独り言をはじめる。
「……あの、結さん?」
「え?あ……わたくしのほうでもこれから探してみます。警察のほうにはまだ言わないほうがいいですよ」
では、用事があるのでわたくしはこれで失礼させてもらいますと重たい金属はバタンと閉ざされてしまった。
「……」
予想が外れてしまったわけだが、ほっとした。ともかく、兄のほかの友人をあたってみることとする。いつもつるんでいるあの男友達に聞いてみれば何かわかるかもしれないと思ったのだが電話番号を知るすべがない。そういえば編集長の娘たちも兄と知りあいらしい。もしかしたらそこにいるかもしれないと思い、由美子は戸締りを追えた後にそこへと向かうことにしたのだった。
――――――――
はいるときにちょっとだけ大変な思いをしたがまるで自分たちが住んでいる場所とはかなり違う高級マンションだ。編集長とその娘たちがいると思われる部屋のチャイムを押す。
「……」
反応が少しの間なかったが、ガチャリという音と共に一人の女子生徒が出てくる。たまに兄と一緒のところを見かける人であった。確か、名前を宮川百合といったような……
「惜しい」
出会いがしらにそんなことを言われる。
「え?」
「ああ、気にしない……由美子ちゃんだっけ?どうかした?」
ちょっと恐そうなイメージだったが普通に対応してくれたことにほっとする。
「あの、兄が来ませんでしたか?」
「霧之助か……今日は学校で別れた後は会ってないな……それが?」
「いえ、何でもありません……お邪魔しました」
どうやらここではないらしい。頭を下げて自宅へと戻ることにする。もしかしたら帰ってきているかもしれない……
――――――――
家に帰り着き、扉を開けるも部屋の中は真っ暗で人の気配などするはずがなかった。
「ただいま」
そういってみたもののいつものお帰りといった返事はなく、なんだか無視をされたように非常に心をイライラさせてくれる。
そこにいて当然であるはず。
それがなく、それに気がついたとき、なんだか殴られたような気がしてならなかった。心を平静にして静かに息を吸う。なんでもない、大丈夫大丈夫…きっと帰ってくる。明日の朝はいつものように料理を作って自分が起きてくるのを待っているはずだと自分に言い聞かせ、由美子は食事もとらずに眠ることにしたのだった。
風邪……かインフルエンザにかかったと思われます。ま、熱が出てきたところで健康状態がいかにすばらしいことだったか人は気がつきます。なくなって気がつくことはたくさんありますね。どこかに行ってしまった歯磨き粉のふたとかシャーペンの消しゴムの部分とか……ね。なくなってありがたみというものが身にしみますよ。次回、バトンを渡されたのは東結……ではなく、宮川結です。十一月十四日土曜、七時五十三分雨月。