第7話 『邪神魔法』
——『吸黒魔雲』。
いつもなら手のひらサイズに留めているが、今回はいつもよりも多く魔力を変換し、ダラネモアが繰り出した火球よりも大きな黒い雲を想像して発現させる。
そして、両手を突き出す先に。
ボゥン!!!! とユレスとハルマレアの視界を塞ぐ程の巨大な黒い雲——『吸黒魔雲』が出現した。
「な——!!?」
驚愕でダラネモアの目が大きく見開かれる。『吸黒魔雲』の出現に驚いたのではない。〝位〟を受け継いだハルマレアが『黒魔刻魔法』を使ってくるだろうなんてのは百も承知だ。
故に自分の赤熱魔法を飲み込んだ瞬間にハルマレアの元まで一直線に駆け出し、素手で半殺しにしようと思案していたが、
「なんで・・・・・・劣等種族の一匹が使ったんだ・・・・・・!!!??」
ありえない。
ありえない。
絶対にありえない。
しかし、『黒魔刻魔法』の『吸黒魔雲』を発現させたのは間違いなく白髪の男。この目でしかと見た。否定したくても出来ない。
『黒魔刻魔法』が使えるのは『魔王』の〝位〟を受け継いだ者だけだ。
つまり、こういう事か?
よりにもよって、あの小娘は——、
「クソッタレの劣等種族たる人間に譲ったのかッッッ!!!?? 〝位〟をォ!!! ハルマ、」
直後だった。
スッポリと彼が発射した巨大な火球は暗雲に飲み込まれ——。
ポンッ、と巨大な『吸黒魔雲』から出たのは、ダラネモアが繰り出した火球よりもさらに大きな——超巨大な火球だった。
その火球が、一直線にダラネモア目掛けてやってくる。
「————」
その超巨大な火球はまさに、太陽と呼ぶにふさわしい程の熱気と大きさだ。
実際はもっと桁違いなのだろうが、少なくとも、ダラネモアには避けようがない死の太陽だ。まさかこれ程だとは。
迫る。逃げられない。迫る。死。迫る。ありえない。迫る。ありえない。迫る。迫る。迫る。
——死の太陽が、やって来た。
「がァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!?????」
ドゴバッッッ!!!!! とダラネモアの鎧に炸裂した瞬間、天高く燃え上がる業火。
防御に優れている鎧が溶けていく。髪が、肌が、チリ一つ残すものかと燃えていく・・・・・・!!
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!????」
まだ残っている脳裏によぎるのは、憤怒、屈辱、疑問。
そして、死。
「————」
——そうして、永遠に燃え続けるかの業火は幻のように霧散し、残ったのは。
全身が燃え盛り、一糸纏わない、うつ伏せで倒れている黒ずんだ男だった・・・・・・。
⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨
フッと、巨大な『吸黒魔雲』が役目を終えて消失する。消えた事で開ける視界に入ったのは、
「・・・・・・うむ。合格、だな」
うつ伏せに倒れている、全身が黒ずんだ怪魔の男——ダラネモアだ。
因果応報。自分が焼き殺したラランと同じ運命を辿ったのだ。
ドスン、とユレスはその場で尻餅を着く。
あの恐ろしい男を、自分が倒したのか——。
「・・・・・・・・・・・」
これが『黒魔刻魔法』。最強にして最凶の魔法。
まさに、『魔王』にふさわしい魔法だ。
「・・・・・・・・・・・」
「ユレス? 腰が抜けたのか?」
「いや・・・・・・」
そう曖昧に返したユレスは顔を俯かせる。
相手は怪魔だが、人間のような姿だ。まるで人を殺してしまったような感覚がユレスの中に渦巻いているのだ。
だが後悔はない。あの男を倒さなくては、自分もハルマレアも、ソムロスもどんな目に合っていたか。想像は容易く浮かぶ。
直後、ハッとしたユレスは顔を上げ、前方を見やる。今の業火はダラネモアを狙ったモノだが、あれ程の火力だ。巻き込まれている可能性がある。
これで父を焼き殺してしまったとしたら目も当てられない。鼓動が再びやかましく鳴る中、倒れているダラネモアの右側、首を折られ絶命した女性一人の死体に重なるように——父はいた。
ユレスが『吸黒魔雲』で出した超巨大な火球が炸裂した瞬間に、爆発のような浮遊力が働いて吹っ飛んだのかもしれない。
そんな時だった。
重そうにしながらも、父の体が動き——起き上がった。
「ソムロス様!!」
「目覚めたようだな・・・・・・良かった」
ホッとした息を出しつつハルマレアが言う。その彼女の声を合図に、居ても立っても居られずユレスは父の元に走りだす。
立ったのはいいが、すぐに前のめりに倒れそうになる父の体を到着したユレスは正面から受け止めた。
「ユ・・・・・・レス・・・・・・」
「はい! 良かった・・・・・・本当に良かった・・・・・・」
「・・・・・・心配・・・・・・かけたようだな・・・・・・」
「まったくですよっ。ソムロス様が死ぬかと私は・・・・・・」
「はは・・・・・・お前が嫁をもらうまでは、まだ死ねんよ」
「でしたら、ずっと生きている事になりますよ? 嫁を貰える自信なんて私にはありませんから」
「どうかな・・・・・・私と違ってお前は顔がいいから、明るい雰囲気を出せば色男間違いなしなんだが・・・・・・」
「顔は良くても白髪ですから無理ですよ。老人みたいだって馬鹿にされるのがオチです」
軽口を交わし合いながら、ユレスは父を抱きしめる。温かい体だ。確かに父は、生きているのだ。
助けられたのだ。自分の力で・・・・・・!
「・・・・・・ソムロス様。聞いて下さい。やっと私は、まほ、」
嬉しさのあまり、魔法が使えるようになった事を話そうとするユレスだったが。
直後。
「ユレス避けろォォォォォォォオオオオオオオオオオ!!!!!!」
悲鳴に似たハルマレアの怒声が、ユレスの耳朶を打った。
「・・・・・・?」
何事だと顔を左側に向けた瞬間だった。
巨大な火球が、目前に迫っていた。
「————」
視界一杯に火球が入ってくる中、ユレスは見た。
死んだと思ったダラネモアが、こちらに左の手のひらを向けている姿を。
「(『吸黒魔雲』を)」
否、間に合わない。魔力を変換する前に、火球は自分に当たり、焼死するだろう。
油断した。戦闘の経験が皆無なのが災いした。
「(死・・・・・・)」
死を予感したのと同時に。
ドンッ、と強く体を押された。
「え・・・・・・」
誰が押した? そんなのは一人だけだ。ソムロスしかいない。
彼は、体ごとぶつけるように両手を前に突き出していた。そう、ぶつけるようにだ。
つまり、ユレスがいた位置にソムロスが入ったのだ。
時間が粘りつくように遅く感じる。そんな遅延の中、ユレスの目に焼き付いたのは——父の安心した顔だ。
その顔が、ユレスが最後に見た父の顔になった。
ゴォア!!!!!! と巨大な火球はソムロスの体に炸裂し、激しく燃え盛る。もう黒い影しか見えない。
炸裂の余波か、影響か。ユレスの体が後方に転がる。視界が急速に回転していくが、両手で無理やり地面を噛み、転がる体をなんとか止める。
次いでにバッとすぐさま顔を上げる。目が回るのはかぶりを振り、正常に強引に戻す。
そして、視界が安定した時にはもう——父は全身真っ黒に焦げて、仰向けに倒れていた。
どこからどう見ても、焼死体だ。
「・・・・・・・・・・」
おかしい。
「・・・・・・・・・・」
この手で、今日まで磨いた魔法で、自分は父を救ったはずだ。
父もまだ死ぬワケにはいかないと言ったのに。
なぜ、父が焼死体になっているのだ?
「ゼェーーーーーーハァーーーーーー! ゼェーーーーーハァーーーーーー! ギャハッ! ギャハハハハハハハハハハハハハハハハハハァ!!!!!! ぶぁーか!! 俺はまだ生きてるぜェ!!? 赤熱魔法を何年使ってると思ってんだァ!? そこらにいる奴らより火の耐性が強ェんだよ俺はヨォ!!!!!!」
耳障りな狂笑と言葉が耳に入って来る。煩くて仕方ない。
ジリジリと、赤子のように地面を這って父だった焼死体に近づく。そして、壊れ物を扱うかのように真っ黒な頬に触れる。
優し気な瞳も、祈りを支えてくれる口も、本人が自慢していた鼻の形も。
もう、見る影もない。
「ソムロス様・・・・・・?」
静かに声を掛けるも、ソムロスは動かない。
「ソムロス様」
いつもの声量で声を掛けるも、ソムロスは動かない。
「ソムロス様!!」
比較的大きな声を掛けるも、ソムロスは動かない。
まったくピクリとも、動かない。
「・・・・・・・・・・」
嫌だ。嫌だ。嫌だ。
認めたくない。受け入れたくない。
父が——などと。
「ダラネモア様!」
「おぅ、やっと来たのかよてめェら・・・・・・」
「そ、そのお姿は・・・・・・!?」
「この劣等種族に一杯食わされてヨ。まァ酷い姿だが、一応無事だぜ・・・・・・で? 殺したのか?」
「はい! 衛兵も村人も全員殺しました! あと残っているのはこの白髪だけです!」
「そうかヨ。じゃあ次の仕事だァ。俺がこのクソガキを殺すまで適当にハルマレアを拘束してろ」
「え? ど、どういう事ですか?」
「どうもこうも裏切ったんだよォそこの姫さんは。事もあろうにこの劣等種族に〝位〟を受け継がせちまった」
「な・・・・・・!!?」
いつの間にか、真っ黒なダラネモアが目の前にいた。それに大量の足音。
全てが、煩い。
「くっ・・・・・・ユレス! しっかりしろ!!」
もがくような、聞き覚えのある声が聞こえてくる。
これも、煩い。
「さて・・・・・・随分とかましてくれたなァ? 白髪野郎。てめェのせいで色男が台無しになっちまったヨ。しばらく湯浴みもできねェぞ、火傷の痛みでヨォ」
「・・・・・・・・・・」
「神父を殺せたから多少スッキリしたが、まだまだ満足出来ねぇぜ。てめェを八つ裂きにするまではヨ」
「・・・・・・・・・・」
「ハ。ビビッて声も出ねェか? まァ無理もねェな。村で人間狩りをしていた俺の部下全員がてめェを囲んでっからヨ。魔法を使う必要もないから『吸黒魔雲』出しても意味ねェぜ」
「・・・・・・・・・・」
恐怖など欠片も感じていない。
今思っている事は一つだけだ。
——耳障りな音を、消したい。父と二人きりにして欲しい。
そう思案した直後だった。
体中の魔力が、かつてない程に熱くなってきた。
迸るように、『魔王』の魔力が産声を上げたがっているのを激しく、全身で感じる。
「(あぁ・・・・・・)」
これを解放したなら、どれ程気持ちがいいか。
迷う事すらなかった。
「あ・・・・・・?」
スッと、ユレスは両手を天にかざした。その姿はまるで雨ごいをするような、何かを受け入れるような姿だ。
祈る。
いつものようにユレスは心中で祈りを捧げ始める。
見守ってくれているであろう神様に——ユレスはこう祈った。
「(どうか・・・・・・どうか・・・・・・この煩い者達を、黙らせてください)」
そして、出たがっている魔力をユレスは——解放した。
⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨
それは、一瞬だった。
天にかざすユレスの両手から、数えきれない程の『吸黒魔雲』が生まれ始めた。
『————!!?』
全員が瞠目する中、発現した『吸黒魔雲』は我先にと様々な方向に飛んで行く。
「なんだ・・・・・・?」
勝手に動き出す黒い雲をダラネモアやハルマレア、怪魔達は目で追いかける。その一つ、否、四つが、近くに転がっている首が折れた若い女性達の死体とラランの焼死体の真上に、それぞれピタリと止まった。
それを見て、ハルマレアの喉が冗談抜きに干上がった。
怪魔達に拘束されたまま、ハルマレアはユレスに視線を張り付かせる。彼は変わらず、『吸黒魔雲』を発現させている。
「(なんて事だ・・・・・・なぜだ? あてはそれを一度も教えてないはずだ。なのになぜだ!!?)」
彼がやろうとしている事を理解したハルマレアは、冷や汗をかきつつダラネモアに顔を向け、
「ダラネモア! 今すぐユレスを止めろ! さもないと大変な事になるぞッ」
「あ~・・・・・・? 何上司面してんだいきなりヨォ。今更てめェの言う事を聞くと思ってんのか?」
「止めないと死ぬぞ!! あてもなれも!!!」
「意味わかんね・・・・・・」
ぷい、とハルマレアから顔を逸らすダラネモア。
彼は知らないのだ。『吸黒魔雲』の真価を。
魔法だけしか吸収しないと思い込んでいるのだ。
「(魔王たる魔力がユレスに教えたのか・・・・・・? だが今のユレスは正気とは思えぬ!! なにせ今ユレスがやろうとしているのは——」
そして、発現し続けた『吸黒魔雲』は止まり、ユレスはゆっくりと両手を下ろした。
直後だった。
「(生き物の死体を取り込んで発現させる『邪神魔法』だからだ!!!!!!)」
グァ!! と浮かんでいた『吸黒魔雲』が、女性三人の死体とラランの焼死体を飲み込んだ。
『!!!!??』
ハルマレア以外の全員がその『吸黒魔雲』の動きに驚愕を隠せなかった。
人間の死体を飲み込むなど、見た事も無いし聞いた事も無い。
彼らが見えない所で、他に飛んで行った『吸黒魔雲』も同じように、怪魔達に殺された衛兵らや村人らの死体を飲み込んでいく。
何かが——始まろうとしている。
天啓が如き予感が、ダラネモアの脳裏によぎった。
今すぐこの人間を殺さないと、自分は今度こそ死ぬ、という予感だ。
「ッ!!!」
右手を伸ばし、絞殺しようとダラネモアは動き出したが——もう完全に遅い。
準備は、すでに完了した。
数えきれない程の『吸黒魔雲』が一斉に消え去る。取り込んだ人間の死体も無論、消えている。
そして、ポツリと、ユレスは顔を俯かせたまま、
「——邪神魔法、〝鐘死天槍〟」
そう、呟いた。
刹那。
リィン、と心地良い鐘の音が、ダラネモアの頭上から聞こえてきた。
「鐘・・・・・・?」
見上げると——漆黒の槍が真上に浮かんでおり、暗澹とした穂先が彼に向けられていた。石突きの部分は何かの冗談か、紫色の小さい鐘が取り付けられている。
——さっきの心地良い音は、あの鐘が鳴ったのか。
それが、彼の最期の思案になった。
ズブシュッッ!!!!! と穂先が彼の口と喉を貫通し、地面をえぐった。
縫い留められる形になり、ダラネモアは倒れる事も出来ず、天を見上げる事しか出来なくなった。
「か・・・・・・か・・・・・・」
ドスッ! ドズッ! とさらに二本の漆黒の槍が追い打ちをかけてくる。その二本は交差するように、ダラネモアの心臓、肺を容赦なく貫いた。
やがて、目や口から血が垂れ流れていき、何が起きたかも分からないまま——ダラネモアは死を迎えた。
そして、漆黒の槍が頭上にあったのは彼だけではなかった。
リィン・・・・・・と鐘の音が一斉に鳴った。
その安らぐも、恐ろしい音に全ての怪魔が頭上を見上げた。
見上げる天上。青い空を覆いつくすように——この場にいる怪魔の数と同等の漆黒の槍が空中で止まっていた。
「ひっ、」
その中の誰かが引き攣ったような悲鳴を上げかけた瞬間。
槍の雨が、高速で降り出した。
『うァァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!??』
ドスドスドスドスドスドスドスドスドスドスドスドスドスドスッッ!!! と、正確に漆黒の槍は怪魔の急所を狙い突き刺さっていく。
避けるのに成功しても漆黒の槍は独りでに動き、心臓を一気に串刺しにしていく。
悲鳴、血潮。それらがひっきりなしに飛び交う中、ユレスは変わらずに顔を俯かせて座り込み、父だった焼死体の顔を見つめていた。
「くぅ・・・・・・!?」
ハルマレアはたたらを踏みながら立ち止まる。自分を拘束していた怪魔も漆黒の槍に急所——脳を貫かれ絶命したおかげで、自由を取り戻せた。
だが安心など出来るはずがない。
漆黒の槍の雨は、いまだに続いているのだから。
「うぁ!!?」
リィン、という鐘の音が耳朶を打った瞬間、突然横から漆黒の槍が自分目掛けて跳んできた。避けられたのはまったくの偶然だ。
その槍は一度空中でピタリと止まると、反転し、穂先を自分に向けてくる。
「この槍が・・・・・・あての死神ってワケか」
やはり自分も標的に入っているか、とハルマレアはジリジリと後ろに下がっていく。
そして、ビュンッ! と漆黒の槍は、ハルマレアの命を刈り取ろうと向かって来た。
「クソッ・・・・・・!」
タイミングを計り、ハルマレアは地面に飛び込むように転がり、二度目の回避に成功するが、漆黒の槍はまたピタリと止まり、穂先をハルマレアに向けてくる。
ハルマレアが死ぬまで、この槍は止まらないだろう。
「(——だが、止める方法はもう一つある・・・・・・! この『邪神魔法』を使っているユレスに止めさせる、だ!!)」
生き残るにはそれしかない。
ダッ! とハルマレアは体制を整え、ユレスの元へと走りだす。
その彼女を、漆黒の槍は追いかけ始めた・・・・・・。