第5話 『残酷な現実』
——大変な事になった。
「(み、皆殺しだと・・・・・・!?)」
皆殺しだと口にしたダラネモアが持ち上げているソムロスは、ぐったりと顔を落としていた。耐えがたい熱さに気を失ったのだろう。
——なぜこんな事になったのか。
彼が突飛に思いついたのだろう『ラルハルク』というハルマレアの偽名を言ったからか。あの様子を見る限り、まったく信じていないと見える。
ダラネモアの〝お遊戯〟の宣言からしばし時間が経っても、誰も動こうとせず怯えた顔を突き合わすだけだ。平和だった日常に非業な死の気配がやってきても受け止められない。認識が現実に追いつかないのだ。
そんな時だった。
一人の子供が飛び出し、右手の手のひらをダラネモアに向け、
「神父様をはなせぇ! 火の玉ぁッ!」
「ん・・・・・・?」
ボゥ! と小さい火球を手のひらから発射した。
「ララン・・・・・・!」
村人の誰かが少年をそう呼んだのをユレスは聞きつけた。ララン——いつもキレットと魔法で遊んでいる少年だ。その少年が、無謀にもダラネモアに魔法を放ったのか。
やがて小さい火球は、ダラネモアの額に見事当たった。
しかし、小さいとはいえ火球を受けたにも関わらず、ダラネモアの首は反り返るどころか涼し気なままだった・・・・・・。
「・・・・・・おぅクソガキ」
「ッ・・・・・・し、神父様を離せって言ってるんだ!」
ギロリとダラネモアに睨まれるも、ラランは気丈にも声を上げて強気な態度を崩さないでいた。
そんなラランにダラネモアはニコリと笑い、
「可愛い魔法だったなァ。だがあんな程度じゃ攻撃にならねェぞ? どれ、この俺がお手本を見せてやるヨ。同じ赤熱魔法の使い手としてヨォ」
そう楽し気に言ったダラネモアの左手の手のひらが、立ち止まっているラランに向けられる。
何をしようとする気か。そんなのは言わずもがなである。
「ララン! 逃げ、」
慌てて叫ぼうとするユレスだったが——、
「火の玉ァ~♪」
もう、遅かった。
グァ!!!! と、ラランの出した火球よりも数倍大きな火球が、ダラネモアの手のひらから発射された。
その大きさはラランの小さい体を容易に飲み込む程の大きさだ。迫る死にラランの足は硬直し、
「あぎゃァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!????」
ダラネモアが出した火球がラランの体に炸裂した瞬間、まさにラランを飲み込むように激しく燃え盛り——火だるまがここに完成した。
倒れ込み、ジタバタと暴れるラランに村人達は怯え、巻き添えを食わないように急いで離れていく。魔法を使って助けるなんて思案は誰の脳裏にもよぎらない。この残酷な現実に意識がまだ追いつかないからだ。
「ギャッハッッ!! ギャハハハハハハハハハ!!!! どうだクソガキぃ!! これが本物の赤熱魔法だぜェ!!? とくと味わえや!! ギャハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!!!!」
狂笑に爆笑。おかしくてたまらないと笑うダラネモアが見る中、ジタバタと暴れていたラランの動きが——ピタリと止まった。
その直後にフッ、と燃え盛っていた炎が嘘のように消えた後、
「おーおー、見ろよ・・・・・・い~い匂いの黒焦げ死体だぜ・・・・・・♪」
強烈な焦げた匂いを出しているラランの体は、真っ黒であった。仰向けで地面に横たわっているのは分かるが、顔のパーツ、鼻、口、両目は形しか分からない状態だ。
今の一連を見なければ、この焼死体がラランだと誰も分かるまい。
それ程酷い焼死体と化しているのだ。
「さて・・・・・・多少時間は進んだし、まず一本いってみっか? おぅ、一番左の女からいくぜ。左手の小指を折れや」
「ハッ!」
夢の中にいるような意識でラランの焼死体を村人が見つめる中、ダラネモアの声があたりに響く。
その彼に答えた青い獣人の三匹——等間隔で横一列に並んでいる——の一番左側にいる一匹は右腕を女性の首に回し、左手で、女性の左手の小指を包んだ直後。
ゴキッ! と躊躇なくヘシ折った。
「いぎゃぁッ!!?」
「不細工な悲鳴だなァ。もっといい声で鳴けや、たくヨォ」
新たな悲鳴に村人達は焼死体から顔を上げ、この場の絶対支配者であるダラネモアに視線を張り付かせる。
そんな彼らにダラネモアは笑いかけ、口を開く。
「あと二十九本の女どもの指と神父の首・・・・・・さっさと『ラルハルク』を見つけないとお前ら——死ぬぜ?」
この時になってようやく、村人達の意識が——現実を認識した。
その中の一人、領主のリンストンは大慌てで、唾を飛ばしながらこう言った。
「さ、探せッ!! 探すんだ!! 紫髪の女の子を探せェェェエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエ!!!!!!」
『うァァァァァァアアアアアアアアアアアアア!!!!!!』
命の危機を感じた村人達が四方八方に散っていく。誰もがこの場から走り去る中、ユレスは呆然と佇んだままだった。
視界に入るのは、ダラネモアに持ち上げられたままのぐったりとした父、ラランの黒焦げ焼死体、それに怪魔に捕えられている若い女性三人。
これまで、のんびりとした平和な日々を過ごしてきた。
今日も平和に終わるはずだった。
きっと——死ぬまでこの日々は続いていくモノだと思っていた。
ソムロスの仕事をハルマレアと共に手伝い、魔法を習い、感謝を捧げて祈る何気ない日常。
その日常がガラガラと崩れるのを——ユレスは心中で確かに感じたのだった・・・・・・。
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「——おいユレス」
呆然と佇んでいる時、ユレスに声を掛ける人物がいた。
領主のリンストンだ。いつの間にかユレスの目の前に移動していた彼は、ガッ、と両手でユレスの両肩を掴み、
「今『ラルハルク』という少女は、どこにいるんだ・・・・・・!?」
「ッ・・・・・・」
力強く握られ、僅かな痛みがユレスを刺激する。リンストンの顔にはまったく余裕が無い。力強く握っている事すら気付かない程、焦っているのだろう。
この最悪な〝お遊戯〟が催されている現実に。
「ラ、『ラルハルク』は・・・・・・」
どう答えるべきか。教会にはすでに大量の村人がなだれ込んでいる事だろう。自分とソムロスと共にいたという情報が開示されたのだから当然の話だ。今頃自分達の部屋も物をひっくり返されたりと荒らされているに違いない。
しかし、ハルマレアは礼拝堂にはいない。教会の外、すぐ近くの木に隠れている。
だがあのまま隠れられるはずがない。いずれ見つかるだろう。
思考を巡らし、ユレスはスッと——右腕を上げ、人差し指を村の奥、店が集中的に集まっている方を指し、
「あっちの方で散歩しつつ・・・・・・食べ歩きすると言ってました・・・・・・」
そう、嘘の情報を彼に教えた。
本当か嘘か判断する余裕もないのか、リンストンは「そうかっ」とだけ言い残し、すぐさまドタドタとユレスが指した方向へと走って行った。
「ふぅ・・・・・・」
一度落ち着き、ユレスが父を見ようと顔を上げた時だった。
「ひぎぃッ!!?」
一番左側にいる若い女性が再び、悲鳴を上げた。
「はい二本目~・・・・・・指折るだけじゃなんかつまんねェな? おまけで爪も剥がすか」
ダラネモアの戯言を聞いた三人の若い女性は、顔を引きらせつつ「ひぃ!?」と顔を青ざめさせた。そんな彼女達が面白いのか、ダラネモアと怪魔達のゲラゲラとした笑い声が木霊し、不快感をユレスに与えてくる。
——今は、ハルマレアの所に戻ろう。
そう決めたユレスは体を反転させ、この場から去ろうとする・・・・・・前に、首だけ振り返る。
相変わらずソムロスはぐったりとしたままだ。
「ッ・・・・・・!」
首を正面に戻し、ユレスは走りだした。一刻も早くハルマレアの元に戻るために。
そして、歯噛みしつつ彼は決意を固めるように、小さくこう呟くのだった。
「待っていてくださいソムロス様・・・・・・! 必ず私があなたを!!」
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木の幹に隠れているはずのハルマレアが、いない。
「————」
急いで戻ってきたユレスは思わず絶句していた。
なぜ彼女がいないのか、もしや村人の誰かに掴まったのだろうか。
そう思案し、この場からユレスはダラネモアを見やり——それはなさそうだ、と安心する。
ダラネモアの前にハルマレアどころか村人一人すらいないからだ。
であれば、彼女自身がどこかに移動したという事か。教会になだれ込んだ村人達を見て危険を感じたのかもしれない。
「(どこに行ったんだ・・・・・・あ、もしかして)」
心当たりを思い出し、ユレスは教会を回り込み——裏手に入る。
この場所を知る者はソムロスと自分とハルマレアぐらいだろう。故に魔法の授業もここで行っていたのだ。
そして、案の定——彼女はいてくれた。
「やはりここだったな」
「ユレス・・・・・・」
青空を見上げていたハルマレアの顔がこちらに向く。
その直後、ザァ・・・・・・とやや強めの自然の風が吹き、彼女の長い紫髪をはためかせた。
実に絵になる光景だ。こんな状況でもなければずっと見ていたいぐらいに、今の彼女は美しい。
そして、風に撫でられている彼女は肩をすくめつつ口を開いた。
「昼寝・・・・・・出来なくなったな。こんないい天気なのになぁ」
「ああ・・・・・・そうだな」
本当に残念だ。そう彼女に同調しながら近づき、
「レア。今の状況の説明は必要か?」
「いや、必要ない。礼拝堂に入っていった奴らを見て得心がいったわ。あてを探しているのだろう?」
「ああ。ソムロス様が偽名を言ったが、容姿は完全に特定されているから関係ないだろうな・・・・・・。ほぼ村人全員が今、捜索に当たっている」
「ここにいてもいずれ見つかる。時間の問題か・・・・・・ふむ」
「しかも女性三人に・・・・・・ソムロス様が人質になっている。だから衛兵達も迂闊に手が出せない」
「あてが行く以外、詰んでいる状況ってワケだな」
腕を組んだ彼女はもう一度、首を上に向けて青空を見上げる。彼女はこうやって空を見上げる姿が多い。思考する時の癖なのかもしれない。
そうして、少し間を置いて彼女は首を戻し、こう言った。
「仕方あるまい。村の入り口はダラネモア達に封鎖されてるし、村内で逃げ回ってもユレス達が皆殺しにされるだけだし・・・・・・ここは、今からあてがダラネモアの元に行って、交渉を仕掛けてみよう」
「交渉・・・・・・?」
「無論、人質解放を条件にあてが帰るという交渉だ」
「!?」
「慌てるな。そういう条件を言うだけで、あては帰る気などサラサラない。これは作戦だ。人質が解放されて避難が完了したら——あてとなれで、ダラネモア達を撃退するのだ」
「げ、撃退って・・・・・・戦うのか!? あいつらと!!?」
「あてだって戦いなんて野蛮な真似はしたくない。だが、こればかりは戦わざるを得ないのだ・・・・・・でなければ、このテルスタ村に未来はない」
戦う——ダラネモアと怪魔達と。
無理だ、とユレスは即座にかぶりを振る。戦闘の心得などないし、人を殴った事すらないのだ。そんな男が戦えるはずがない。
しかし、ハルマレアはそんな彼の不安を打ち砕くように、
「ここ数日の修練でなれの『黒魔刻魔法』は大分板についた。十分勝機はある。それに、なれは『魔王』なのだ。あやつら程度、一顧だにしないはずだが?」
「ま、おう・・・・・・?」
「実感は持てないだろうがな。だが紛れもなく、なれは『魔王』。あらゆる魔を支配する王だ。勝てない道理など微塵もあるまいて」
「・・・・・・・・・・・」
——意識はしていた。
目をそらしていたのだ。自分が『魔王』などと。彼女の言う通り、まったく実感が持てないまま今日まで来た。
自分はただ、魔法が使いたかったから、彼女から〝位〟を受け継いだのだ。
だがいつまでも・・・・・・知らぬ振りが出来るワケではない。
『魔王』という枷は、もう自分を捕えているのだから。
「・・・・・・す~~~~~~、ふ~~~~~~・・・・・・」
大きく深呼吸をする。鼓動はドクンドクンとやかましいままだが、少しは落ち着けた気がする。
このままジッとしていても時間を無駄に浪費するだけだ。
父を、ソムロスを助けると決めたのだ。
「——分かった。やろう・・・・・・やってみせるよ」
「うむ。まぁ案ずる事はない。魔法が来たらなれは『吸黒魔雲』を出すだけでよい。それだけでなれは——最強にして最凶をあやつらに示せる」
そう言ってくれた彼女にユレスは頷き、彼女を連れて表に出て行こうと歩んでいく。
湧き上がる緊張と恐怖を無理やり抑え込みながら、ユレスは父が待つ場所へと向かって行った——。