第3話 『魔法の授業』
チチチ・・・・・・という小鳥の囀りが、耳に入って来た。
「・・・・・・ぁ?」
次に、木目調までハッキリと見える天井が視界に広がる。
「・・・・・・・・・・・・ッ!!!」
ぼやけた意識が覚醒し、ガバッ! とユレスは上半身を起き上がらせた。そこから周囲に視線を散らし、見慣れた室内を見やっていく。
「————」
熱で寝苦しく、永遠に夜が明けないと思い込んでいた暗闇の世界は今や、何もかもを遍く照らす陽光が差す世界となっていた。
要するに、朝がやってきたのだ。
そして、散らす視線がある一点で止まる。
「くかー」
「・・・・・・・・・・・」
掛け布団の上に、仰向けで呑気に寝息を立てているハルマレアがいた。
口をもにょもにょと動かして寝る姿は実に子供相応の姿だ。意識が落ちる前に感じた安心感など一欠片も感じない。
「フッ・・・・・・」
そんな彼女に笑いを零しつつ、ユレスはぐるぐると首と両腕を回す。体はもう熱くなく、むしろ調子がいい。発熱は完全に治っている。
「(乗り越えたんだな。私は)」
その事実を認識しても、ユレスに喜びの感情は湧かなかった。踊り出すぐらい喜んでもいいものだが、まったく普通。いつもと変わらない心の動きだ。
魔法を使えば実感が湧くかもな、とユレスはとりあえずハルマレアを起こそうと思案したが、
「くこーかっかっか」
「変な寝息立ててる・・・・・・」
気持ち良さそうに眠るハルマレアを見て、やはりこのまま寝かしとくか、と決めた後、静かにベッドから抜け出したユレスは、寝間着から黒い上下の普段着に着替えつつ己の部屋から出る。
扉も静かに閉め、顔を洗う為に水場に向かい、丸い桶にたっぷりと入っている水を両手で掬いバシャバシャと顔に冷たい水を叩きつける。残った熱を逃がすような気分で実に清々しく気持ちがいい。
ふと、思い立ったユレスは水に濡れた右手で、己の白い前髪をかき上げる。
水に写る自分の顔、額を見やり、昨日の夜に行った儀式での血の横線を見てみようと思ったのだが——サッパリと消えていた。
顔を洗ったのだから消えてるか、と自分の阿呆さを笑った彼は下ろしていた腰を上げ、今度は礼拝する場所へと向かう。
そうして着いた矢先、本を片手に持って広げている、青い神父服を纏っている父——ソムロスを発見した。
ソムロスの前には長椅子に座り、両手を組んで顔を伏している老婆が一人いる。
——どうやら仕事中のようだ。ユレスは黙って、祈りをする老婆とソムロスに視線を張り付かせる事にした。
しばし時が流れた後、老婆が組んでいる両手を解き、顔を上げた。祈りが終わったらしい。彼女は重たそうに腰を上げつつ立ち上がり、ソムロスに頭を下げている。ソムロスも礼を返し、老婆は教会の出入り口に向かい去っていった。
「——おはようございます。ソムロス様」
他に祈りを捧げる者はいない。仕事がひと段落したソムロスに挨拶しつつ、ユレスは彼に近づいていく。
パタン、と本を閉じたソムロスもユレスに顔を向け、
「ああ、おはようユレス。いつもより起きるのが遅いな? もうすぐで昼だぞ」
「す、すみません・・・・・・その、夜更かしをしてしまったので・・・・・・」
「若いなぁ。まぁお前も男だ。何も訊くまい」
発熱して苦しんでいたなどと言えるワケもない。故に曖昧に答えたが、何か変な勘違いをされたような気がする。
しかし変に掘り下げられても困るので、ユレスは勘違いを訂正する事無く、違う話題を口にする。
「何か手伝う事あります?」
「いや、今のところないな。自由にしてなさい。それより飯食べたか?」
「起きたばかりでまだですね」
「だと思ったよ。私も腹減ったし、昼食食いに行くか」
「そうですっ・・・・・・ね・・・・・・」
「? どうした?」
「いえ・・・・・・」
昼食、ユレスにとっては朝食を食べに行くのは勿論賛成なのだが、今自分の部屋にはハルマレアがいるのだ。寝ている彼女を放置して行ってもいいものか。
「(・・・・・・魔王の娘か。昨日の儀式、発熱、そして体中を駆け巡る——魔力。真実と見て間違いないか。どこから来たのかは知らないが、家名を捨てたとまで言ったんだ。帰る気は皆無なのだろう。ならば住む場所もない素寒貧の身というワケか・・・・・・色々とまだ訊きたい事はある。ここは——)」
「ユレス? お~い」
「ソムロス様」
突然黙り込んだユレスの顔の前で、手を振っていた父の名を呼ぶ。
自分の名前を急に呼ばれたからか、彼は「ぉお」と驚きつつ少しだけユレスとの距離を離す。
そして、父の目を真っすぐと見つめるユレスは口を開く。
「実は昨日の夜に、この教会に家無しの子供が来たのです」
「家無し?」
「ええ。詳しい事情は分からないのですが、どうやら家族と馬が合わずに家出をし、ここに流れ着いた模様です。今は私の部屋で寝ています」
「ほう・・・・・・」
「彼女は家に戻る気がまったく無い様子です。ですから、しばらくこの教会にいさせてやって欲しいのですが・・・・・・どうでしょうか?」
「女の子なのか。・・・・・・そうだなぁ。まぁ追い返すという選択肢はないわな。何者だろうと受け入れるのが神父だしなぁ」
「では・・・・・・?」
「ふむ。——とりあえず、その子を呼んできてくれないか? どんな子なのか確認したい」
「は、はい!」
ユレスの顔に喜色が浮かぶ。まだハルマレアがここに残るかは訊いていないが、彼女は先にも言った通り家出して家無しの身だ。
十中八九、ここにいてくれるはず。
父に背を向け、ユレスは自室へと急いで走って行った。
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——ソムロスに彼女を紹介するため、自室に戻ったユレス。寝ていたら起こさなくては、と申し訳ない気持ちだったが、すでにハルマレアは起きていた。
上半身だけ起き上がり、大きく欠伸をする彼女にユレスは近づき、
「ちょうど良かった。君に話したい事があるんだ」
「あてにぃ? ふぁ~あ・・・・・・」
寝ぼけ眼で言葉を返すハルマレアに、ユレスは頷いて口を開く。
「君に交渉を持ち掛けたい。君に住処、食事を提供するから、私に魔法を教えて欲しい」
「・・・・・・・・・・・」
「こう言っては失礼だが、この教会以外に行く当てはないだろう?」
「・・・・・・うむ。なれの言う通りだな。しかも着の身着のままで家出したものだから金もない。金が無いから食事も出来ない。強奪とかはしたくないから、このままでは飢えて死ぬ未来が待っているな。ロクに狩りとかも出来んし」
「・・・・・・という事は?」
「——断る理由はないな。しばらくこの教会にいさせてもらおうか」
「そうか・・・・・・! では悪いんだが、今すぐ私の父に会ってはもらえないか? 先程君の事を話してな。父が君に会いたいと言っているんだ」
「そうさな。家主に挨拶をしなくてはならぬな・・・・・・分かった」
掛け布団をはがし、ベッドから立ち上がるハルマレア。そこでユレスははたと思い出す。熱で苦しんでいる時に、傍にいてくれた事のお礼を言わなくては。
「レア」
「んー? なんだ?」
「——昨日の夜、傍にいてくれてありがとう。君には感謝しかないよ」
パチクリ、とまばたきを黙って数度繰り返したハルマレアは、照れくさそうに頬を掻きつつ、こう呟いたのだった。
「人間という生き物は、感謝するのが好きなんだな。まあ悪い気はせんからいいが・・・・・・」
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「・・・・・・ん。やっと来たか、ユレス」
ハルマレアを連れ、父が待つ礼拝する場所に戻って来ると、ソムロスは長椅子に腰を下ろしていた。
手持ち無沙汰を嫌ってか、仕事道具である啓蒙書を読んでいたようだ。
本を閉じ、傍らに置いたソムロスは立ち上がり、
「その子が家無しの子か」
「はい。名はハルマレアといいます」
「うむ・・・・・・」
ずい、と彼女はユレスの後ろからソムロスの前に移動し、
「ハルマレアである。長いからレアで構わぬぞ」
「ではそう呼ぼうかな。私はユレスの父のソムロスだ。よろしくな、レアお嬢ちゃん」
「お嬢ちゃん、か・・・・・・」
「?」
「いや、気にしないでくれ。それでソムロスよ、なれに頼み事があるのだ」
「ぁあ、ユレスから聞いてるよ。この教会に住みたいんだったな?」
「迷惑を掛けるのは承知なんだが、どうか・・・・・・」
「教会は来る者拒まずだからな」
そう言ったソムロスは、ポン、とハルマレアの紫髪の頭に右手を置く。
見上げるソムロスの顔は笑顔だ。答えは分かり切っている。
「好きなだけいなさい。ユレスにとっては妹のような存在になるのかな? ははッ!」
彼の答えにユレスはホッと胸を撫で下ろす。
分かり切っているとはいえ、彼の口から聞くまでは安心は出来なかったのだ。
緊張感が消えていく中、ハルマレアがジッとこちらを見ている事に気付く。
彼女は腕を組みつつ「ふむ」と呟き、
「お兄ちゃん、と呼んだ方がいいのか?」
「・・・・・・いや、ユレスでいい」
「今迷わなかったか?」
「気のせいだ」
ハルマレアから顔を背けるユレスの耳が赤くなっている事に、ソムロスだけは気付いてつい含み笑いをしてしまう。
同時に嬉しくもなる。この息子は、自分の仕事を手伝ってばかりで遊ぶという事をあまり知らないのだ。老人のような白髪を気にしているのか、魔法が使えない事を気にしているのか。
恐らくはどちらもだろう。悲しいが、人という生き物は自分とは違う者を迫害しがちだ。ユレスも例外ではない。
いい友達になれるといいが、とソムロスはハルマレアをしばし見つめた後、口を開く。
「——よし! では新たな家族を祝して軽い宴を開くかァ! レアっ、お前もついてこいっ。今から3人で飯を食いに行くぞォ!!」
「おお・・・・・・!! そういえば腹減ったな!!! 飯だ飯だわっほーーーーーーーい!!!!!」
「テンション高いな二人共・・・・・・」
「おおよ! 踊り出すぐらい嬉しいぞ!」
そう言ったソムロスは変なステップを刻み始める。
「あても踊るー!」
影響されたのか、ハルマレアもソムロスと同じように変なステップを刻み始め、しかもなぜか。ユレスを中心にぐるぐると回りながら二人は延々と踊っている。
「「えいさ! ほいさ! そっさっさー!!」」
「・・・・・・なぜだろうか。この二人を見てたらなんか・・・・・・力が抜けるような・・・・・・」
せっかく手に入れた魔力が抜けていくような気がし、戦々恐々と天井を見上げるユレスだった。
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「——さて」
昼食を食べ終え、教会に戻ってきた3人。ソムロスは神父の仕事があるため礼拝堂にいる。
そして、ユレスとハルマレアは外、教会の裏手にいた。
なぜそんな誰も来ないような所に来たのか、それは無論——魔法を使う為である。
「そろそろ授業といこうか、ユレスよ」
「ああ」
魔力、魔法——『黒魔刻魔法』を手に入れたはいいが、どう使えばいいかはからっきしのユレスだ。
故に今、交渉の時に持ちかけた魔法の授業をハルマレアに頼んでいるのだ。
「と言っても、あてが教えられるのは基本だけだ。なにせ先生のような真似はした事がないのでな」
「それでもいい。よろしく頼む」
「うむ。まずはそうだな・・・・・・魔力についての説明か。魔力というモノは魔法を使うのに必要不可欠なモノだ。人体に血が必要なようにな。血と同じで、魔力は体中を駆け巡っている。今のなれなら、感じているはずだが」
「ああ・・・・・・漲るような力を感じるよ」
「あとは簡単な話。その力を外に放出するように念じれば・・・・・・ほっ」
彼女がそう言った直後、ボッ! と突き出した右手の、爪の色が紫色の人差し指から小さい火が灯った。
赤熱魔法だ。
「とまぁ、こんな感じだが・・・・・・なれが受け継いだ『黒魔刻魔法』はちと普通の魔法とは違うのだ」
「違う?」
フッ、とハルマレアの人差し指から火が掻き消える。
火からハルマレアの顔に視線を移すと、右手を下ろした彼女の顔は——険しくなっていた。
初めて見る顔に、ユレスの中に動揺の波紋が生まれる。
そして、少しばかり時間を置いてから、彼女の口は開いた。
「うむ。魔法は魔法なのだが、なれが魔力を変換して発現出来るのは——雲なのだ」
「雲・・・・・・?」
「黒い雲・・・・・・父上は『吸黒魔雲』と呼んでいたな。とりあえず、小さい雲を想像して出してみろ」
「わ、わかった・・・・・・」
よく分からないが、こちらは教えてもらっている身だ。言われた通りにやってみよう。
瞑目し、脳裏に小さい雲、黒い雲を想像して右手の手のひらを前に向ける。
発現するように念じ——体内が熱くなるのを感じた直後。
右手の手のひらから、何かが放出された感覚が走った。
「・・・・・・ッ・・・・・・」
恐る恐る目を開けてみると、突き出している右手の先に、手のひら程の黒い雲——『吸黒魔雲』が生まれていた。
「こ、これが・・・・・・!」
「そうだ。それが『吸黒魔雲』、」
「これが・・・・・・」
「?」
ぶるぶると体を震わし、右手の手のひらを自分に向けているユレスに、ハルマレアは首を捻りつつ——合点を得る。
彼は『吸黒魔雲』に驚いているのではない。
〝魔法〟を使えた事に、感動して震えているのだ。
「これが魔法を使う感覚かッ!! すごい・・・・・・すごい!!! 私にも魔法が使えたんだッッ!!」
生まれて初めての魔法。気分的には、この世界で初めて呼吸をしたような気分だ。
——生きている実感が、止めどなく溢れてくる・・・・・・!
そして、ユレスは自分の右手から正面、ふわふわと浮かんでいる小さい黒い雲に視線を移す。
『黒魔刻魔法』。この黒い雲は一体どんな魔法なのか、彼女に訊かなくては。
ワクワクと、子供のような態度を隠せずにユレスは口を開いた。
「レア。この黒い雲はどういう魔法なんだ?」
「うむ・・・・・・『吸黒魔雲』は、発現した魔法を取り込み、それに見合った魔法を発現するという吸収魔法だ。試しにやってみよう。——ふっ」
ボッ! と再びハルマレアの右手の人差し指の先に火が灯る。彼女はその人差し指を浮かんでいる黒い雲に向け——発射した。
昨日のラランが使った火球よりも少し小さいサイズの火球は、音も無く黒い雲の中に入りこみ。
直後。
「おっ・・・・・・!」
グォ!! と、比較的大きい火球が、ハルマレア目掛けて黒い雲から発射された。
「あぶ、」
「フンッ」
慌てて危険だと言いかけるユレスだったが、ハルマレアは顔色変えずに右手を突き出し、受け止めて握りつぶした。
杞憂に終わった事にホッとする。さすがは魔王の娘か。
そうして一瞬後、ポンッ、と小さい黒い雲が消えた。
「このように、赤熱魔法だったらそれより強い赤熱魔法が発現する。他の基本魔法も同じだ。しかしこれだけは覚えておけ。聖光魔法だけは吸収出来ぬ事を。あと出した『吸黒魔雲』は、一つの魔法しか吸収出来ぬ」
「だから消えたのか。・・・・・・聖光魔法はアレか。光と闇は相反するみたいなモノか?」
「簡単に言えばそうさな。相容れぬモノだからなぁ、光と闇は。水と油、勇者と魔王も同じよ。決して、相容れぬのだ・・・・・・」
「なるほど・・・・・・」
「あとは」
そこで彼女は一度、言葉を遮断した。
眉間に皺が寄り、顔がまた険しくなっていく。
「なんだ? まだ何かあるのか?」
「・・・・・・うむ。ある。あるんだが・・・・・・人間、それも教会に属するなれには到底・・・・・・」
「気になる言い方するな・・・・・・私はこの魔法について詳しくなりたいんだ。だから知っている事は教えて欲しいんだが?」
「・・・・・・追々な。授業はまだ始まったばかりなのだ。学というのは段階を踏んで学習していくものであろう? 階段を上るみたいにな」
「そう言われたらそうだがな」
「とりあえず、今日の授業はここまでだ。また明日な」
「ああ・・・・・・分かった」
険しい表情のまま、彼女はユレスから顔を背け、青空が広がる遠く彼方の先を見始める。
なぜ彼女がそんな顔をするのか。
この時のユレスには、まだ分からなかった・・・・・・。