第2話 『闘病』
——魔王。
曰く、人々を、世界を脅かす存在。
曰く、怪魔の親玉。
曰く・・・・・・邪神。神と同列の存在。
「・・・・・・いや・・・・・・いやいやっ」
かぶりを振りつつ、天窓に向けていた顔を正面に戻すユレス。信じられないにも程があるだろう。
目の前の幼い少女が悪名高い魔王の娘であり、さらに新しい魔王などと。
冗談だとしても、悪質過ぎる。
「ハルマレアさん、だったね。君、」
「レアで構わぬ。呼ぶとき面倒だろう」
「そ、そうか。ではレア・・・・・・これでも私は神父の息子だ。何か悩みがあるなら是非聞かせて欲しい・・・・・・! 微力ながら力になるからッ!」
「悩み? あるにはあるが、なぜいきなりそうなった?」
「自分を魔王などと言うんだ・・・・・・そんなありえない嘘をつかないとならない理由が——」
「だから! あては本当に魔王だもん! とびきり恐れられる悪の化身だもん!!」
「もんて・・・・・・口調が崩れたな。やはりそういう遊びか。やれやれ、最初から分かっていたがな。そこのあなたもそう思うだろう?」
「だれに はなしているのだ」
「? 君どうした? なんかまたおかしくないか?」
「いや・・・・・・何か言わなくてはならぬと思ってな」
コホン、と仕切り直すように咳払いしたハルマレアは、
「どうやら口だけでは信じられないみたいだな?」
「すまないがそうだな。それより帰りづらいなら仕方ない。今夜は教会で一泊して帰るのは明日に、」
「先程」
するといい、と最後まで言えず、ハルマレアは短く言葉を被してきた。
彼女と目線が絡み合う。その黄色い瞳は、よく見ている瞳。
この教会に祈りに来る人の、苦悩を潜ませている瞳だ。
「先程なれは、悩みなら是非聞かせてくれと、そう言ったな?」
「・・・・・・ああ。言ったよ」
「それなら、あての悩みを・・・・・・どうか聞いてくれんか? あてには、解決したい悩みがあるのだ・・・・・・」
「・・・・・・・・・・」
少女がどんな悩みを持っているかは分からないが、少なくとも簡単には解決出来なさそうだ。
しかし、小さかろうが大きかろうが悩みなのは変わらない。神父の息子として、聞かないワケにはいかない。
迷える者を救ってこその、神父なのだから——。
「——分かった。言ってみてくれ。私で力になれるなら良いのだが」
「うむ・・・・・・今日の早朝に、あてが『魔王』の〝位〟を継いだと言ったな」
「あ、ああ。それで?」
思い込みが強いのか。ハルマレアの作り話がまだ続いているようだ。だが悩みは本当だろう。
一体どんな悩みを持っているのか。
「実際は、無理やり継がされたのだ。あては嫌だと散々言ったのに・・・・・・! 子はお前しかいない。『魔王』の〝位〟は我が血族で継いでいかなくてはならぬのだ、とか父上がのたまってなッ。あては魔王なぞなりたくもなかったのだ!!」
「・・・・・・・・・・」
「あてはなぁ、静かにのんびりと暮らしたいのだ! ただ怠惰に日々を過ごしたいだけなのにぃ~~~~~~!!」
「はぁ・・・・・・」
「でだ。ここでなれの出番というワケよ。あてが持つ『魔王』の〝位〟を、なれに受け継がせたい。あての代わりに、なれが『魔王』になって欲しいのだ!!」
「はぁ・・・・・・は?」
「うむ。なれの言いたい事は分かる。確かに『魔王』になったらデメリットは大きい。だがな——」
「いやそうじゃな、」
「〝位〟を受け継いだならば、魔王しか使えぬ魔法——『黒魔刻魔法』を獲得出来るぞ?」
「————」
言いたい事、思案が一瞬でぶっ飛んだ。
代わりに真っ白な脳裏に、焼け付くように新たな言葉がよぎってくる。
魔法を、獲得出来る。
「(・・・・・・いや! 私は何を本気になっているんだ!? それに『黒魔刻魔法』など聞いたこともない・・・・・・)」
世にあるのは、四種の魔法のはずだ。
——火の系統、赤熱魔法。
——氷、水の系統、青氷水魔法。
——風の系統、緑風魔法。
この三つの内の一つが、誰もが持つ基本魔法だ。そして稀に獲得出来る魔法が、傷を癒し、聖なる光を操る聖光魔法。
この四つ以外の魔法が、存在するのか・・・・・・?
「〝位〟を受け継がせる儀式は簡単だ。受け継がせる者に血を飲まし、額に血文字で横線を描くだけ。それでなれは『魔王』となり、『黒魔刻魔法』を手に入れられる」
「・・・・・・・・・・」
魔法。
魔法。
魔法。
「・・・・・・本当に」
くすぶっていた心中の火が、
「私にも・・・・・・魔法が使えるようになるのか?」
火事が起きたように、激しく燃え上がっていく・・・・・・!
「ん? どういう意味だ? 魔法の一つぐらい誰だって持っているだろう。現にあても『黒魔刻魔法』以外に、元から持っていた赤熱魔法を使えるぞ」
「・・・・・・使えないんだ。一つも・・・・・・」
「え?」
「——生まれた時から、私は魔法が使えないんだ」
「魔法が使えない・・・・・・? ありうるのか? そのような事が」
「魔法を使う感覚なぞ分からない。今の世界において、私は異端児以外の何者でもない・・・・・・」
気付けば、目の前の少女に感情の吐露を出していた。
これではこちらが懺悔するような形だ。立場が逆転しているではないか。
だが、止まらない。
「使えるなら使いたい。ずっと思っていたっ。顔をそむける振りして自分を誤魔化していた!! 皆のように使いたい・・・・・・!!! 魔法を——!!」
「・・・・・・そうか。なれは、苦しんでいたのだな。誕生した時から今まで、ずっと・・・・・・。よし、ユレスよ。頭を下げて近う寄れ」
「?」
「いいから、何も考えずにあての言う通りにしろ」
「わ、わかった」
スッと腰を曲げて頭を軽く下げる。儀式とやらをするつもりなのか。
まだ肯定は返していないのだが、と思案するユレスは気付いていない。
先程まで少女の言に懐疑的だったというのに、もう信じている事に。
そして、ハルマレアの腹しか見えない視界の中、ユレスの頭にポン、と何かが置かれる感触が生まれた。次いでにその感触は左右に繰り返し動き始める。
その感触の正体にユレスは驚きつつ、なぜ? と疑問を心中で上げる。
なぜ、この少女は自分の頭を撫でているのだ、と。
「おう、なれの髪は中々サラサラだな。撫でやすいぞ」
「・・・・・・・・・・」
小さい少女に頭を撫でられるという行為。
普通なら恥ずかしいと感じるはずだが——ユレスが感じていたのは。
安心するような、ずっと撫でられていたいような・・・・・・形容出来ない曖昧な感覚だった。
「(なぜだ・・・・・・なぜこんなに安心する・・・・・・?)」
ユレスが分からないのも無理はない。なにせ物心がつく前にいないのだから。
そう、彼が感じている感覚、それは本来なら生まれた時から享受するモノ——母性である。
ユレスには、縁がないモノだ。
「ユレスよ。どうだ? あての頼み・・・・・・〝位〟を受け継いではくれぬか・・・・・・?」
「・・・・・・そうだな」
もう彼の脳裏に、『魔王』になるという事実は消えていた。否、どうでもよかった。
この少女の頼みを聞いてやりたい。それに、何よりも。
魔法が、使いたい。
——ゆっくりと、ユレスの頭が持ち上がっていく。必然、ハルマレアの撫でる時間は終わりを迎える。
決断の時は来た。肯定か否定か。もはや答えは決まっている。
「レア」
「うむ」
無論。
「————私に、〝位〟とやらをくれ・・・・・・!!!」
——肯定である。
白髪の彼が出した答えに、ハルマレアは破顔し、厳かにこう言った。
「では、儀式を始めようか」
⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨⇨
〝位〟を受け継ぐ儀式。
ユレスは持っていた燭台を長椅子の座面に置き、膝立ちになりつつ両手を両膝の上に乗せる。その彼の目の前には、己の右手の人差し指を噛んでいるハルマレアが立っている。
そして、
ぶづり! とハルマレアは噛んでいる人差し指に八重歯を立て、出血する人差し指をユレスの口に持っていく。
赤い血が滴る人差し指。
躊躇なく、ユレスは舌を伸ばし垂れ落ちる血を飲み込んでいく。興奮で味覚がおかしくなっているのか、血なのに甘ったるい味が味覚を刺激してくる。
「よし。次は血文字だ。自分で前髪を上げてくれるか?」
右手を上げ、白い前髪をかき上げつつ額を彼女にさらけ出す。
彼女は、そのまま人差し指でユレスの額に触れ、横に動かし——止まった時だった。
ドクン!! とユレスの心臓が、大きく鼓動を打った。
「——これで、受け継ぎは完了だ。なれは〝位〟を手に入れ、『黒魔刻魔法』も手に入れた。・・・・・・ふふふ。だーはっはっは!!! 短い魔王の座であったわ!! 清々したぞっ。ざまみろ父上~! だーはっはっはっはっはっは!!!!!」
高笑いを続けるハルマレア。それに対し、ユレスは沈黙だ。
左手で心臓がある部分の服を掴み、込み上げる何かに耐えていた。
迸りそうな何かが、自分の中で荒れ狂っている。
「(何だこれ・・・・・・何だこれぇ・・・・・・!!)」
「・・・・・・どうした? ユレス」
そんな彼の様子がおかしいと感じたのか、高笑いを止め、眉をひそめたハルマレアが心配気に訊いてくる。
まともに口を開く事も出来ず、ユレスは途切れ途切れに言葉を吐き出していく。
「か、から・・・・・・だ・・・・・・が・・・・・・!!」
「からだ? 体か。ふむ・・・・・・どれ」
何かを理解したようなハルマレアの左手がぴと、とユレスの首に触れる。そうして少しだけ間を置いた後、少女は「これは・・・・・・」と呟きつつ頷き、
「明らかに人間の体温ではない。恐らく、魔力——『魔王』としての強大な魔力が暴れ回っているのだろう。無理もないな。なれは魔法が使えなかったのであろ? つまり誰もが本来持っているはずの魔力も無かったワケだ。そんな空っぽだったなれという体に、有り余る程の魔力を注いだ形・・・・・・なれがそうなるのも当然な話だな」
「ハッ・・・・・・ハッ・・・・・・ハッ・・・・・・」
「なに、案ずることは無い。時間・・・・・・そうさな。今から就寝して起きる頃には落ち着くだろうよ。今宵を乗り越えれば、なれは念願の魔法が使えるようになるぞ」
「・・・・・・ッ・・・・・・」
煮えたぎるようなこの発熱を乗り切れば、魔法が。
喉から手が出る程欲しかった魔法が、手に入る・・・・・・!
ふらつきながらも、ユレスは立ち上がった。
そんな彼を見上げるハルマレアは、白髪の彼が置いた燭台を右手で持ち、
「なれの部屋に案内せい。なれが乗り切るまで、あてが傍にいてやるでな」
「・・・・・・・・・・・」
——ありがたい申し出だ。
自分一人だったら耐えきれず、叫び声を上げてしまい隣の部屋で寝ている父を起こしてしまう可能性が高い。
しかし、他人が傍にいるならば。
このハルマレアが傍にいてくれるならば、今宵を乗り切る程度、造作も無いだろう。
彼女の申し出を拒否する理由など、どこを探しても無い。
「こ・・・・・・っち・・・・・・だ・・・・・・!」
「うむ」
普段に比べて相当遅い歩みで、ユレスはハルマレアを連れ己の部屋に向かって行く。
そうして、いつもより数倍時間をかけてユレスは己の部屋に辿り着き、震える片手・・・・・・だけでは開けられず、両手を使い開き、室内に足を踏み入れる。彼の後ろに追随するハルマレアも室内に入り、バタン、と出入口の扉を閉めた。
荒い呼吸を繰り返すユレスは、飛び込むように自分のベッドに仰向けで倒れ込む。暗闇の天井が白髪の青年を出迎えた。
コトリ、と何かを置くような音がユレスの耳朶を打つ。怠い首を傾けると、机の上に燭台を置くハルマレアが見えた。
少女は、揺らめくローソクの火を少し眺めた後、ユレスが横になっているベッドに近づき、
「ほら、しっかりとベッドに入れ。腹を下すぞ?」
優しく、ユレスの体を動かしつつ真っ白なかけ布団を体の上にかけてくれた。
「あ、あり・・・・・・、」
「礼などいらぬ。もう口を開くな・・・・・・眠る事だけ考えていればよい」
そう言った彼女は忙しなくベッドから離れ、机に向かうための椅子をせっせと両手を使って持ち上げ、彼が眠るベッドに戻りつつユレスの頭の横側に静かに置き、
「よっこいせと・・・・・・こうして、あてが見ててやる。安心せい・・・・・・」
「ぁ・・・・・・ぁぁ・・・・・・」
まるで老婆のような声で座った少女。微笑むハルマレアの顔を見上げるユレスは体中発熱に襲われながらも、どこか安らぐような感覚を脳裏に覚えていた。
——これなら、戦える。
「ぬ、ぐぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅうううううううう!!!!!」
夜の闇が深くなる頃合いにて。
魔法を懸けたユレスの戦いが、始まった。