第1話 『やって来たのは・・・・・・』
当たり前の事が出来ないもどかしさを、感じた事はあるだろうか?
「それっ、火の玉~!」
のどかな昼での外。目の先にいる少年二人が戯れており、片方は片方に右手の人差し指を向け、その指先からポゥ・・・・・・と小さい、丸い火の固まりが浮かんだと思いきや、瞬時に丸い火——火球はもう片方の少年に発射された。
「わっ!? 氷! 氷!」
小さいが火は火だ。当たったら危ない。無論それは子供でも理解出来る。
故に向かってくる火球に対抗すべく、もう片方の少年は両手の手のひらを前にかざし、念じるように目つきを険しくした直後、
ピキンッ! と空気が凍り付くような音が鳴り、盾のような形の氷が彼の両手の前に出現した。
やがて小さい火球は、氷の盾に当たり、溶けた氷が水と化しつつ火球も消し去り、どちらも霧散した。
「むう、やるなぁキレット」
「いきなり火を撃たないでよぉ~ララン」
氷の盾を出した少年——キレットと呼ばれた少年は頬を膨らましつつ、火球を出した少年——ラランに不満をぶつける。だがラランは意に返さず、楽しそうに笑うだけだ。
——そう。
二人の少年が使った超常的現象の正体、それは無論——魔法である。
呼吸して生きるのと同じ、この世界では誰もが生まれた時から身近に存在するモノ、常識、それが魔法だ。
「・・・・・・・・・・・」
ここは領主、リンストン・テルスタが治める領地、テルスタ村。
その村内にある教会の入り口の傍で、一人の青年が無言でジッと・・・・・・年相応らしく、はしゃぐキレットとラランを見つめていた。
背が高い青年だ。顔も体も若々しい。
しかし、相反するように、彼の頭髪は老人のように——真っ白であった。
「・・・・・・はぁ」
白髪の青年は、目を伏せながら重いため息をつく。
人に寄り添う魔法。魔法によって統治されている世界。
そんな世界で青年——ユレス・バレハラード——。
生まれた時から今でも魔法が一切使えないユレス・バレハラードは、ずっと孤独感を内に孕ませていた。
自分以外、魔法が使えない者を見た事がないから尚更な話。
当たり前の事が出来ないもどかしさ。ユレスにとってそれは勿論、魔法の事である。
魔法が使えないもどかしさを、ユレスは常に——感じているのだ・・・・・・。
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——はるか昔、それこそ世界の始まり、神話の類。
かつてこの世界には、フグマハットという男がいた。彼の者は普通ではなく、指先一つで火、氷、風を生み出し、全てを癒し、照らす聖光も放てる神のような男だった。
全ての種族がフグマハットを恐れつつも崇拝し始め、事実上まさにフグマハットは神と同じ存在と化し、全種族を牽引していった。
賢神フグマハットの誕生である。
そうして、気まぐれか、それとも自分の死後を憂いてか、とある日からフグマハットは自己の持つ神ならざるチカラを〝魔法〟と称し、自分を崇める者達に魔法を教授し始めたのだ。
やがて全種族に魔法が浸透していき、年数が経ちフグマハットの死後もさらに浸透の波は広がっていき——いつしか。
現在、フグマハット歴1219年。
魔法は神ならざるチカラから、身近にあるのが当然のモノと変化を遂げた。
「・・・・・・・・・・・」
目先で遊んでいたキレット少年とララン少年がこの場から去り、幾ばくかの時間が過ぎても、ユレスは動かずに立ち尽くしたままだった。
羨ましい、妬ましい。そういう感情は無論あるが、なにせ生まれた時から使えないのだ。ユレスの年は19。もはやその感情の火はくすぶっている。
そうして、そろそろ教会の中に戻ろうかとユレスが思案した直後。
ギィ、と教会の古めかしい扉が、外側へと開いた。次いでに人が誰かを探すように、首を周囲に巡らしつつ外へと出て来た。
そして、その人物の首が、ユレスがいる方向で止まるや表情を柔和な形にし、口を開き始めた。
「ここにいたかユレス。すまんが、礼拝堂の掃除を手伝ってくれんか? 一人でやるのは、この年老いた身では骨が大分折れるからなぁ」
「どの口が言うのですか・・・・・・あなたはまだ37歳の若者でしょう。ソムロス様」
ソムロス・バレハラード。
ユレスの育て親であり、この村唯一の神父だ。恰好は首から足首まで覆い隠す青い神父服であり、まだ若々しさを保つ顔に短めの黒髪。
ユレスよりよっぽど若い容姿だ。なにせこちらは老人のように真っ白な頭髪なのだし。
——育て親。そう、その言葉が指すどおり、ソムロスはユレスの実父ではない。養父である。
物心ついた時から、ソムロスは自分の傍にいた。彼がなぜ自分の養父になったのか、彼が言うには、自分達では育てきれないから、とこの教会に祈りに来た夫婦から預けられたらしい。否、実際は押し付けた、という表現が正しいだろう。
育てきれない、その理由は色々と浮かぶ。
例えば、生まれた時から髪色が真っ白で不気味がったとか。
例えば、この世界ではありえない——魔法の素質が無いからか。
かぶりを振り、ユレスは負の思案を振り払う。考えれば考える程、嫌気が差すだけだ。それに正直、顔も知らない実の両親など今更どうでもいい。
ユレスにとっての親は、ソムロス一人のみだ。
ザザー・・・・・・と、緩やかな自然の風が、ユレスの白い髪と近くに生えている木の葉を揺れ動かす。
平和な昼下がりだ、とユレスは口元を綻ばせ、
「分かりました。新たにお祈りする方が来る前に、さっさと済ませてしまいましょうか」
「うむ。常に礼拝堂は綺麗にしておかなくては、我らが神のご機嫌が斜めになってしまうからなぁ」
「それぐらいで不機嫌になる程、御心が狭量だとは思えませんがね」
「さて、それはどうかな? 優しいだけの存在ではないからなぁ神様というお方は。・・・・・・しっかし、お前はいつも私の仕事を嫌な顔せずに手伝ってくれるな? どれ、久々に頭を撫でてやろうか」
「ッ・・・・・・や、やめて下さいよ。もう子供ではないんですからっ」
「そりゃ残念。なっはっは!」
軽口を言い合いながらユレスは、ソムロスの隣に並び立ちつつ、礼拝堂へと入っていく。
これまで繰り返してきた日々。ソムロスの神父としての仕事を手伝い、神に祈りを捧げ、感謝の意を伝えて終わる一日。
孤独感。それを感じているのは嘘ではないが、しかし自分には友のように親しい父親がいてくれる。
魔法が使えないのは悲しいが、それでも生きていける。
——自分は、幸福に生きているのだ。これ以上を望むのは、冒涜に等しい。
そう納得して過ごす平和な日々は、今日も今日とて続いていく。
きっと死ぬまで続くのだろう。
——とある者が来て、この村にとって厄災と言ってもいい大惨事が起こるまで、ユレスは呑気にそう思っていたのであった。
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——フグマハット歴1219年、アムヘル真月。
「——ふぅ」
湯浴みを済ませ、自らの部屋である礼拝堂の一室にユレスは戻ってきた。
昼下がりからソムロスと礼拝堂の清掃を始め、終わる頃にはもう、外は夜を迎えていた。
部屋の唯一の光源であるローソクの火を眺めつつ、ユレスはベッドに腰を下ろす。先に湯浴みを済ませたソムロスは、すでにこの隣の部屋である自室のベッドで床についている事だろう。
疲労もあるだろうが、神父としての仕事は早朝から始まるため、それも理由の一つといえる。
「私も寝るとするか・・・・・・その前に、お祈りを」
両手の五指を絡み合わせ、目を伏して毎日の習慣、日課である祈りを神に捧げる。今日も平和に過ごせました、ありがとうございます、と心中でお礼を告げる。
しばし時間が過ぎ、そろそろいいか、と祈りを終了し、ローソクの火を消して床に着こうとユレスはベッドから腰を上げる。
その時だった。
礼拝を行う方から、ギィ・・・・・・と扉の開く音が聞こえてきた。
「・・・・・・? こんな夜更けに?」
建つけが古いからか、自室にいても出入口である教会の扉の開閉音が、よく響くのだ。
立ち上がったままのユレスは思案する。入ってきた人物の正体を。
今までの経験上、こんな夜更けに祈りをしに来た人はいない。泥棒の可能性は低いだろう。金目の物など教会にはほぼ皆無だからだ。
「とりあえず、行ってみるべきか」
結局理解出来ないまま、ユレスは燭台を持って礼拝する場所へと向かう事に決めた。そして部屋の出入り口に近づきつつ、ユレスは左側の壁、隣接しているソムロスの部屋を見やる。
隣の部屋で物音が無いという事は、ソムロスは眠っているままなのだろう。であれば自分が対応するしかない。
ガチャリ、と扉を開き、ユレスは室外に出て礼拝する場所へと一直線に突き進んでいく。
そうして、目的の場所へと着いたユレスの視線の先、出入り口である両扉近くの長椅子に、何か——うずくまる影を発見した。
「(人・・・・・・だと思うが)」
このテルスタ村には人間しかいないが、世には人間以外の種族も多数存在し、中には危険な生物——怪魔という外敵以外の何物でもない生物がいる。
もし怪魔だとしたら、魔法が使えない上に戦闘の心得がないユレスでは手に負えない。確認して怪魔であったなら、心苦しいが衛兵所にいる衛兵を叩き起こすしかない。
そろり、そろり、と足音を極力立てずに、謎の影の元までユレスは進んでいく。
静謐の夜の礼拝堂。緊張でゴクリ、と唾を嚥下する音がやけに響く気がする。
そして、ついに辿り着く——辿り着いてしまった、一番後ろの列の長椅子。
左手に持つ、燭台にあるローソクの火が、長椅子をぼんやりと照らし、その長椅子に横になっている影も照らす。
「————」
影の正体——それは怪魔ではなく、体を丸めて寝息を立てている人であった。
そう、人だ。ひとまずは安心出来た。
しかし・・・・・・。
「知らない顔だ・・・・・・。少なくとも、この村の者ではないな」
村外の者。ユレスはさらに正体を確かめるべく、寝ている村外の人物の容姿を確認していく。
簡潔に言うなら、小さい少女だ。
長椅子に散らばるやたら長い紫髪。可憐な顔の下は、袖口がぶかぶかな真っ赤な上衣、下衣は煌びやかな銀色のドレススカートだ。
まさに派手な服装。ユレスには判断出来かねるが、この少女が着ている服装は高級品ではないだろうか。
「なんなんだ? どこぞの令嬢がまさかの家出か?」
そう考えられる思案をユレスが口に出した直後。
眠っていたはずの少女の寝息が止まり、閉じられていた瞼が、ゆっくりと開き始めた。
「!?」
意識が浮上した。
無意識にユレスの体が後退する。しかし上半身だけ起き上がった少女は、狼狽するユレスが目に入らないのか、口元に左手を寄せつつ呑気に欠伸をかましていた。
——とにもかくにも、少女は目覚めたのだ。ならばやる事は一つ、会話を交わすのが定石というものだろう。
そう決めたユレスは、下がってしまった距離を詰め直し、口を開いた。
「もしお嬢さん。少しいいかな?」
「・・・・・・ん?」
ユレスの声につられ、こちらに顔を振り向かせる少女。キョトンとした表情で黄色い瞳をパチクリとまばたきするのを見ると、本当にユレスの存在に気付かなかったのか。
白髪の彼は、ため息を出すのを我慢しながら、
「あまり説教臭い事は言いたくないが、こんな夜更けに出かけるのは感心しないよ。親御さんと喧嘩でもしてしまったのかい?」
「親御・・・・・・うむ、そうさな。父親と仲違いして、あては人生初の家出を試みた次第だ」
「・・・・・・?」
少女らしくない口調に首を捻るユレスだが、口に出す程ではない。こういう口調の子だって世にはたくさんいるだろう。故に気にせぬままユレスは会話を繰り広げていく。
「そうか。それで行く当てがなくてこの教会に来たのかな」
「教会? 重厚そうな建物であるから入ってみたが、ここは教会、なのか・・・・・・う~む・・・・・・あてが入っていい場所とは思えぬが、まあ暗くてよく分からなかったという理由でよかろうか。うむうむ」
「???」
入っていい場所とは思えない、という言葉に引っ掛かりを覚える。
教会はよほど酷い者でなければどんな人物でも受け入れる場所だ。祈りを捧げる者に差別はないし、困っている者に手を差し伸べるのが神父の本懐である。
・・・・・・自分は正確には神父の手伝いだが、とユレスは心中で独り言ちつつ、
「と、ともかく、君は家出少女というワケなんだな?」
「それで相違ない。して、なれは何者か? この教会の神父か?」
「神父は私の父だ。私は手伝い——補佐のような男さ」
「ほう。名は何と言うのだ?」
今度は名前を尋ねてくる家出少女。
隠す程のモノではない。礼を失さないように家名も答える事にする。
「ユレス・バレハラード。・・・・・・君の名を訊いても?」
「そうさな。しかし今は家出をしている身。家名は捨てている身分な故、名前だけでよろしいか?」
「ああ・・・・・・」
「感謝する。あては——」
口を開きつつ、家出少女は長椅子から立ち上がり、長い紫髪を左手でかきあげ、その左手を腰に当てる。
その姿は堂々としていて、何か——高貴さ、それ以上に王格さえも感じる雰囲気にユレスはたじろいでしまっていた。
令嬢然とした容姿だからそう感じるのだろうか。
そして、家出少女は右手を自分の慎ましい胸に置き、こう名乗った。
「元、魔王であるヴァルノートの娘にして現魔王である女——ハルマレアである。よろしく頼むぞ、ユレスとやらよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・んん?」
何かとんでもない自己紹介をされたような。
上手く聞き取れなかったか、と心持ち家出少女——ハルマレアとの距離を詰め、
「すまないんだが、名前しか聞き取れなかったので、もう一度名前の前に言ったヤツを繰り返してもらってもいいか?」
「なんだ、若いのになれの耳は難聴か? 仕方ないな・・・・・・三度目はないぞ」
「ああ。では、どうぞ」
「あては、元魔王であるヴァルノートの娘にして、現魔王である女、だ。と言っても・・・・・・〝位〟を受け継いで『魔王』になったのは今日の早朝であるがな」
「・・・・・・・・・・・・・・・なるほど」
重く頷いたユレスは、
「————まったく、ついていけん事が分かった」
——繰り返されても、全然理解不能だったユレスは、そう言いつつお手上げだとばかりに、月の光が射さず、暗闇を写す天窓を見上げるのだった。