続きを読んで欲しい。だから私は書くのを楽しみたいと思う
以前、「続きを読んでほしいのならお前らは努力をするべきだという話」という表題のエッセイを発表したところ、このエッセイを書いている時点で累計PVが2,610、ユニークアクセスが1,968人、書かれた感想が24件、総合評価401Ptとそれなりの反響がありました。
その節は色々と反応していただきありがとうございました。
さて、今回は私自身が書いた件のエッセイに対する、セルフアンサーエッセイを書きたいと思います。
テーマはズバリ、「小説書くのって楽しいよね!」という話です。
前回の話と比べてあんまり過激ではないので安心して読んでください。
ではいきますよー。
なろうに投稿して続きを読んでほしいならするべき努力があるだろうと、前回の私は言っていました。
なるほど、たしかにその通りです。いつの間にか私達は自分本意な文章ばかり書いていて、すっかり読者のことを忘れていたのかもしれません。
確かに私自身は自分で書いているのだから意図を知っていますし、言い回しも自分が考えたものなので読み直せばしっかり読むことが出来ます。
しかし読者はそうじゃない。
読者がまっさらな状態で読むんだから推敲するときは自分もまっさらな状態で読まなきゃ意味がない。
推敲においては誤字脱字を減らしていくのは当たり前として、本当にその表現で伝わるのか、深く追求する必要があるのだと。
うんうん、すごく正論です。
折角書くならいい文章を書いて、読者の心を動かしたい。
なら努力をしたほうがいい。
いやあ、本当に胸に刺さりますね。
でも、でもですよ?
私ってなんで小説を書き始めたんでしたっけ?
読者に伝えたいメッセージがある。
面白い話が出来たから読んで欲しい。
いつか賞をとって職業:作家になりたい。
いろんな思いがあった気がしますが……根底にあったのはたった一つのことだった気がするんです。
『何かを書くのがとにかく楽しい』
全ての思いはそこに集結している、そんな気がします。
実際、私はこうして駄文を綴っているだけでも楽しいです。
そう、楽しいんです!!
書くのが楽しい。
思っていることや考えていることを書くのが楽しい。
文章を組み立てていくその過程が楽しい。
文章が出来上がって読み直した時、最高傑作だと思えるその瞬間なんてもう爽快の一言です。
書いたものを読んでもらって、評価やブックマーク、感想なんてもらえた日には歓喜しすぎてテンテコの舞を踊りだしてしまうでしょう。
そしてもう一度そんなリアクションをもらうために、もっと頑張ろう。
もっと読者さんと世界を共有するために、もっと私が書きたいものをきちんと伝えるために、もっと文章力を磨いていこうと思うでしょう。
努力をすべきだという意見は正しいです。
でもじゃあなんのための努力をするのか?
もちろん作家として成功したいという気持ちもあるでしょう。
でも、何よりも私自身がもっと楽しみ続けるために、読者のみんなと世界を共にし続けるために努力をしたい。
私はそう思うんです。
努力のための努力じゃない。
楽しむための努力をしたい。
うまい文章をかけるようになった時に見える世界は、きっとものすごく輝いて見えると信じていますから。
エッセイを書くのも楽しいし、感想を書いたり感想が返しするのも楽しい。
私はただの文字の虫なだけなのかもしれません。