33.降魔
エメラルド色の結晶が、大きく孤を描きながら空を飛ぶ。意思を持つように飛来する巨拳が、勢いよく真悟達目掛けて飛んできた。
「おい、本当に大丈夫だよな? 俺達に直撃とか勘弁してくれよ?」
啓一が心配そうに、真悟に声をかけた。
「大丈夫だって。見てろよ」
真悟は笑って返した。いくら真悟がガーデウスを扱えるようになったと説明しても、あまりにも突拍子のない話に不安が払拭できないらしい。
巨拳は軌道を細かく修正しつつ、高度を下げ、減速していく。その手の甲、中指と人差し指の付け根の辺りに、銀色の影があった。
「ガーディ! こっちだ!」
真悟の指示に、ガーディは頷いたように見えた。
巨拳は真悟達の頭上数メートルを高速で通り過ぎる軌道を取る。そして巨拳が真悟の真上に来る直前に、ガーディは拳から跳躍した。
ガーディは宙を高速で何度か回転した後に着地し、新体操選手のように全身を使って飛び跳ねながらスピードを落とし、真悟達の目の前一メートル程の位置に鮮やかに着地した。
通りすぎた巨拳はそのまま角度を変えて急上昇し、塔に穴を開けた拳と同じく、塵となって消えた。
「まったく、無茶な助け方をする奴だな、君は」
ガーディが軽く笑った。その口調には非難の色はなく、どこかからかうようなものがあった。真悟も釣られて笑う。
「お前がファントム・ハンドで塔の壁に穴を開けろって言ったんだろ」
「あそこまで派手にやるとは思わなかった。まあ、そのおかげで助かったのだから礼を言うよ」
大掛かりな脱出を果たしたというのに、ガーディの口調はいつもと変わりがなかった。
ガーデウスとのリンクが完成した時、真悟はガーディとのリンクが通じているのにもすぐ気がついた。頭に通信機を仕込んでいるかのように、ガーデウスを通じてガーディと脳内で会話が出来たのだ。
それによって真悟はガーディの居場所と状況を知り、脱出の為にガーデウスの両腕からファントム・ハンドを放ち、片方で塔の壁に穴を開けた。そしてもう一方で、ガーディが脱出する為の乗り物として使用したのだ。
どのようにガーデウスの力を使えばいいか、どの程度力を使えばどの程度の効果が出るか、何千回と繰り返してきたように真悟は理解できた。
ガーディの言う、知識だけがある気分とはこういう事なのかもしれない。ふと真悟は思った。何をすればどうなるかは分かっているが、それをどうやって覚えたのかが分からないというのは、ある種の不安を感じさせた。
「それで、これからどうするんだよ?」
啓一に声をかけられて、真悟は我に返った。自分の頭の中の事など、今考える事ではない。
「とりあえず、町の外に逃げよう。ガーデウスに乗ってくれ」
真悟は意識を集中させて、ガーデウスに命令した。真悟の後方に立っていたガーデウスが、ヒザをまげて腰を下ろし、左手の掌を上にして地面につける。
これから何をやるのかを理解して、啓一が難色を示した。
「おい、まさかこれに乗れって事か?」
「そうだよ。もう自分の足で走るのは嫌だろ?」
「そりゃそうだけどよぉ……。落ちたりしねーか?これ」
「臆病者だね、ケイは。じゃあ一人で走ったら?」
リテルが真っ先に掌に乗りながら、からかう口調で啓一に声をかけた。
葵に真悟、ガーディもリテルの後に続き、掌に乗っていく。慌てて啓一も後に続いた。
「分かった、分かったって!置いていかないでくれよ!」
全員が乗った後、ガーデウスは真悟達を手で包むように指を曲げ、立ち上がった。左手を胸の前に置いて走り出す。ガーデウスは勢いよく町の外に向かって走るが、真悟達のいる手はまるで物理法則がそこだけ違うかのように、ほとんど振動を感じない。
「うわ……俺、本当にロボの腕に乗ってる……」
啓一が何とも言えない表情で、ガーデウスの指に掴まりながら外を見ていた。真悟も同じく外を見る。先ほどまで必死に走り回っていた町並みをはるか上から見下ろすのは、何とも不思議な気分だ。
「とりあえずガーデウスに乗って逃げる事はできるけど、これからどうする?」
真悟の質問に、葵が真っ先に答えた。
「もちろん、神谷市に帰る。ボガロがこのまま黙っているはずないから、みんなに状況を伝えて、反撃の準備を整えないと」
「つってもよ、ボガロの連中も今度は本気で攻めてくるぜ。ちょっと見た感じでも、連中が持ってた装備は神谷市とは段違いだった。これまでは小競り合いだから何とかできてたけど、奴等が総出で来たら、皆に武器持たせたくらいじゃ対抗できないんじゃねえか?」
啓一が口を挟んだところで、真悟達の話に参加していなかったガーディが、軽く耳を揺らして周囲に目を配った。
「どうやら、奴等は我々が帰るまで待つつもりはないようだぞ」
ガーディが首をしゃくる方向に、真悟達も顔を向けた。塔のあちこちから先ほど真悟達の前に現れたドローンが十機近く、塔から出てきてガーデウス目掛けて飛んできていた。
たどり着いたドローン達は鳥のように鮮やかに軌道を買えてガーデウスを取り囲み、先端部が開口し、そこから覗いた銃口が真悟達に向けられた。
「やばっ!」
真悟はガーデウスに、指の隙間を閉じるように命令した。閉じた一瞬後、ドローンの放った銃弾がガーデウスの指に当たり、軽快な金属音を立てる。
「危ねぇなおい!」
「くそ!」
真悟の命令に、ガーデウスは空いている右腕を振り回した。蝿を追い払うようにドローンに平手打ちを食らわせて、二機が壁にぶつかったバイクのような音を立てて落下していく。だが他の機体は上手くかわし、真悟達目掛けて銃弾を放った。
「ああもう、邪魔臭い!」
真悟が軽く念じると、ガーデウスの指先にエメラルドの光が集まっていく。結晶化した小型のファントム・ハンドが作り出され、数瞬後に放たれた。
輝く緑の弾丸はミサイルのような速度で縦横無尽に空を駆け巡り、瞬く間にドローン達を粉砕していく。十秒と経たずに全てのドローンは爆発四散し、残骸となって地へと墜ちていった。
小さくガッツポーズを取る真悟の横で、ガーディが渋い顔をした。
「真悟、今は非常時だから置いておくが、ガーデウスは私の体だからな。後でちゃんと返してくれよ?」
「分かってるって」
そうこうしている内に、ガーデウスは町の端へとたどり着いた。すり鉢状になった町の縁は、地肌を晒した急斜面の大地が、町を守る巨大な壁となってそそり立っている。だがガーデウスの前では、海水浴で作る砂の城も同然だ。
右手に量子転送させた金棒を握り、唐竹割りにたたきつけると、金棒の内部から発せられたカーニエン粒子の爆発的なエネルギーが壁を粉砕した。接触した先から壁は塵となって砕け散り、後にはガーデウスも通る事のできる巨大な亀裂が残った。亀裂の向こう側には左手に森、右手には起伏にとんだ岩山が広がり、真悟達の前でグラデーションをなしている。隠れる場所はいくらでもありそうだ。
よし、と真悟は会心の笑みを浮かべた。これで町から出た後はガーデウスを戻し、外に広がる森にでも隠れれば、向こうからは見つけるのは困難になる。その前に廃墟の町を破壊して瓦礫の山を作っておけば、ボガロの部下達は追跡にも手間をかける事になるだろう。
「一旦ガーデウスから降りて、町の外に出よう」
町を破壊する際に自分達に被害が出ないように、真悟は地上に降りる事にした。ガーデウスを屈ませて左手を地面につけさせ、全員が地面に降りる。
「今度乗る時はもうちょい乗り心地をよくして欲しいな」
落ちないように体中に力を入れてしがみついていたのか、啓一が肩をほぐしながら言った。
ガーデウスは背後を振り向き、町の中央に視線を向けた。塔の基盤部分から伸びている格納庫らしき長方形の建物の扉が開き、そこからバイクやサイドカー、装甲車が列を成して現れようとしていた。様々な乗り物に乗ったタスカーやボガロの兵士達が、砂煙を上げながらガーデウスに向かおうとしているのが、ガーデウスの股の間から真悟達にも見えた。
面倒くさそうに、啓一が舌打ちした。
「やべえな、ボガロを本気で怒らせちまったみたいだ」
「今の内に武器も持っておこう。ちょっと待っててくれ」
真悟はやるべき事をイメージして、集中し、両手を胸の前で合わせた。勢いよく広げると、ガーディが作っていた杖と寸分たがわず同じものが、まるで手品を見ているかのように宙に生まれた。
ガーディが感心したように眉を上げた。
「既にそこまでできるようになったのか」
「なんとなくやり方がわかるんだ」
要するにカーニエン粒子と量子データの転送技術のあわせ技だ。ガーデウスの中にある武器についての量子データを、カーニエン粒子を使用して手元で再構築する。このシステムの理論について、真悟の脳内にあるものを形にできれば日本でも有数の大富豪になれる事だろう。
杖を全員に渡し、ガーデウスの攻撃の被害を受けないよう、壁の縁に建てられた家の陰に隠れようとした時だった。
突如として、花火を思わせる炸裂音が空を裂き、耳をつんざいた。
全員が音の方向に顔を向けた。石塔の中央、ちょうど先程ガーデウスのファントム・ハンドが穴を開けた場所を中心として雷が放たれ、周囲の町に落ちて衝撃音と共に空気がうねる。空は雲ひとつない青空だというのに、まるで極小の雷雲があそこにあるようだ。
晴天の霹靂をまといながら、空が裂けた。白いきらめきを帯びた緑色の光が、奇妙で複雑な紋様を組み合わせた、直径五メートルはある魔方陣を展開していた。
「なんだ、ありゃ……?」
啓一が恐怖をにじませて呟いた。葵とリテルも隣で怪訝な表情を浮かべる。ここであれが何か分かっているのは、二人だけだった。
真悟がガーディに、確認するように声をかけた。
「ガーディ、あれって……」
「ああ、私が使うものと同じ形式の転送用結界回路だ。間違いない」
雷鳴が会話を打ち切った。
魔方陣の中央に緑の光が集まっていく。極限まで光が高まった次の瞬間、巨大な腕が姿を現した。現れた手に握られた黄金の鉾は、三叉の先端から細かく放電を繰り返す。
腕に続いて、顔と胸が姿を現した。顔の上半分は六本の長く鋭い角のついた兜を思わせる装甲に覆われて、顔の下半分でむき出しになった鋭い牙が、陽光を受けてきらめく。
勢いのままそれは宙を舞い、ついに下半身が姿を現した。胴体を支える四本足は西洋の重装騎士のように華美かつ重厚な装甲に覆われて、肉食恐竜を思わせる鋭く凶悪な足の爪が、大地を噛み締める。
龍の肉体によって構成された人馬。この巨大な機械の魔獣の偉容を、一言で例えるならばそんなところだろうか。その場にいた誰もが、空気さえもその姿を畏れ、動きを止めたようにすら思えた。
葵が硬い表情で、魔獣の名を呼んだ。
「ボーガ・ゴーマ……」
「三年前に、ガーデウスを殺した亜神の一体……」
リテルも後に続くように呟いた。あの亜神のもたらした破壊の記憶が脳裏に蘇り、体を硬くさせているようだった。
先ほどまで真悟達の希望に満ちた、浮き立った気持ちは雲散霧消していた。
次回:20日予定




