31.何も考えずに走れ!
従神の叫びを背に、真悟達は必死に走った。
全身に熱が回る。足を動かすたびに、体中に火が回るようだ。
だが足を止めれば死ぬ、ただそれだけを思い、真悟は足を動かしていた。
先導する葵は家屋の中を突っ切っていく。従神の巨体では屋内に入る事はできないので、いきなり食われる事はないという判断だが、それもどこまで通用するかはわからなかった。
真悟達が家から出たところで、従神が荒々しく吼えながら、先ほどまで真悟たちがいた家に向かって頭から突っ込んだ。ほとんど抵抗も見せず、石の家は砂糖細工のようにたやすく砕け散った。
突っ込んだ先に誰もいないのを見て、従神は怒りの声を上げた。
「あんま、あいつは頭が良くないみてーだな!」
必死に走りながらも、啓一が軽口を叩く。従神は真悟達に向かって一直線にまた一つ、また一つと家を破壊しながら近寄ってくる。そのおかげで追いつかれずにいるが、距離は次第に詰まっていた。これは果たして従神の知恵のなさなのか、真悟達を精神的に追い詰めようとする残虐性の現われなのか。真悟には分からなかった
「やばいよ、アーウィどうしよう!」
リテルの声に言われるまでもなく、それは皆が考えている事だった。だが誰も打開策を編み出せず、返答する事ができなかった。
石造りの一軒家程度ならば、頭から突っ込んで破壊しても何も感じていないらしかった。あれ以上の一撃を与える方法など、今の真悟達にはない。
(ガーデウスが呼べたら……)
朝にしていた啓一達との雑談が思い出される。ほとんど根拠のない理屈だが、今はそれにもすがりたい気分だった。
元々は豪邸だったらしい広い平屋を通り抜け、枯れた木と池のある庭を突っ切り、外に出る。従神の咆哮が更に近くなってきているのを、真悟は背中で感じた。
胃の奥がうねり、吐き気がしてきた。正直追いつかれる前に、真悟の体力と気力に限界がきそうだった。太陽の光が眩しく、目に突き刺さる。
顔をしかめた時に見えたものに、真悟は目を奪われた。真悟の先を走り、左の角を曲がろうとした葵の背中に、気力を振り絞って声をかける。
「葵ちゃん! 右だ!」
「え?」
「右に行くんだよ! 塔があるだろ!」
言いながら、真悟は葵達を置いて右に曲がった。そこから一直線、物見台の塔に向かって走り出す。後ろから青いの戸惑いの声が聞こえたが、真悟は足を止めず、閃きに体を任せた。
従神は真悟の動きに気付き、狙いを真悟に定めた。格子状の住宅地を斜めに乗り越え、砕き、真悟へと迫る。
手足がちぎれるかと思う程振り回し、真悟は走った。気を張り詰めていないとすぐにも体が萎えそうだ。
百メートルほど通りを抜けると直方体の家の並びが消え、開けた通りに出た。円形の広場の中央に建てられた目的地の物見台は、巻き上がる土ぼこりを何年も受けながら、悠然と佇んでいた。四角柱の形状をした物見台の一階部分には四方に通り抜けができるように出入り口が作られている。
やりたい事を思うと好都合だった。
真悟が物見台に駆け寄ろうとしたところで、右手前の家が突然爆ぜた。
「うわ!}
飛び散る瓦礫の粒が、真悟のところまで飛び散ってくる。思わず両手で顔を塞ぎ、足が止まる。
両腕の隙間から、従神が物見台への道を塞ぐように立ちはだかるのが見えた。もう終わりだ、と言いたげに両腕を広げて威嚇する。
(やばい)
真悟の周囲に、隠れる建物はない。後戻りしようとしたところで食い殺されるだろう。従神が巨大な顎を広げ、真悟に向けて吼える。
刹那、真悟の背後から何かが風を裂いて飛来した。真悟の頭の真横を通り抜け、従神の左目に直撃する。
突然の衝撃に、従神が思わず怯んだ。
「真くん! 走ってーッ!」
真悟は振り向かずに走った。一度だけ、後ろにいるであろう葵に向けて右手を上げる。葵が廃墟となった家から見つけたナタを、従神に向けて投げてくれたのは見なくても分かった。
従神の股の間を通り抜け、一気に走る。食われる事を覚悟した恐怖のせいか、頭痛も熱も感じない。
従神も真悟の動きに気付き、振り向いて追いかけてくる。手足が地を駆ける度に地面が揺れた。
物見台に入り口に到達し、中に入った。そのまま向かいの出入り口に突っ切る。従神が真悟の背中目掛けて、頭から突っ込んだ。
出入り口にたどり着き、間髪入れずに真悟は右に跳んだ。従神の顎が、一瞬前まで真悟がいた空を噛み潰す。
受身など考えず、ヘッドスライディングで地面に体をこすり付けて転がるる。その頭のすぐ上を、従神の太い腕が高速で通り過ぎた。
痛みに耐え、真悟は転がって仰向けになりつつ、背後を振り返った。従神が物見台の通路に無理やり頭から突っ込んだ事で、台の一階は貫かれ、半壊している。
従神が真悟に首を向けた。腰が抜けそうになるのを必死にこらえて、真悟はまた立ち上がり、走り出した。
従神が追いかけようと体を動かす。それが始まりだった。
「!?」
従神が驚きに首を上に向け、そこに塊がぶつかり、従神の首は地面に叩きつけられた。従神の突撃によって四方の柱が崩れてなお、奇跡的なバランスで保たれていた物見台が、従神の動きによって崩れていく。
五十メートルはある物見台は巨大な断頭台となって、従神の首筋に落下した。
従神に直撃した石が砕け、後を追って上階の石が落下し、更に砕ける。従神が声にならない叫びを上げたが、それも落ちてきた瓦礫に頭を痛打し、かき消される。
辺りに飛び散る瓦礫に巻き込まれないように、真悟はわき目も振らずに走った。
十メートルもいかずに、足がもつれた。脳内麻薬によって騙してきた体の疲労が、ついに不満を爆発させる。真悟は前のめりに倒れた。体を丸めて、瓦礫が落ちてこない事を必死に念じた。
崩壊の音が止んで、真悟はやっと顔を上げた。先ほどまであった物見台は完全に姿を消し、山のように積み重ねられた、瓦礫の塊になっていた。
従神は瓦礫の塊の中に埋もれて、身動きしなかった。あれで殺せるとは真悟も思っていないが、上手くいけば一時的に行動不能にできると考えての賭けだった。
体中が震えていた。一歩間違えば死んでいた恐怖からの解放に、体がいう事を聞かなくなっていた。
従神の強靭さと、知能の低さは、真悟達を追う為にわざわざ家屋に突っ込むところからも分かっていた。家屋より大きく重量があるものを武器として利用する為に物見台に突っ込ませたわけだが、いくらでも失敗する要因はあった。成功したのはひとえに、幸運のおかげと言えた。
「真くん!」
葵の声がした方を向くと、葵達が慌て気味に駆け寄って来るのが見えた。
「無茶しやがって、ったく!」
啓一が荒々しく真悟の肩を叩いた後、腕を伸ばした。弱弱しく笑いながら、真悟も啓一の手を掴んで何とか立ち上がる。体は重たかったが、熱や疲れが大分収まったのを真悟は感じていた。
「こいつ、まだ死んでないよね?」
リテルが従神の方を見ながら、不安そうに言った。真悟は頷いた。
「あいつの体を覆ってるのはカービニス合金だ。さっきの衝撃でも、致命傷を与えるにはちょっと厳しい」
「それもあの、ガーデウスからきてる知識か?」
「ああ。だからさっさと逃げた方が良さそうだ」
それに反対する者は誰もいなかった。走りっぱなしで重い足を動かし、瓦礫の散乱した広場から離れようとする。
路地に入ろうとしたところで、背後から音がした。
全員が弾かれたように背後を向く。山になっていた瓦礫の塊が震え、盛り上がる。何事か、と思うより早く、山が爆ぜた。
飛び散る砂利に、思わず目を覆う。その向こうで、瓦礫を押しのけながら目を覚ました従神が二本足で立ち、怒りを発散するように咆哮した。
皆蛇ににらまれたように、動く事ができなかった。これから十秒も目を閉じていれば、何も分からないままに食われ、死を迎える事ができるだろう。葵すら死を覚悟して動けなかった。
ただ一人、真悟だけは違った。歯を食いしばり、足が萎えないように大地を強く踏みしめる。
(食われてたまるか)
目の前の怪物に対する反骨心が燃料となって、全身を熱くする。必ず生き延びて、ここから元の世界に戻ってやる。
そう思った瞬間、全身が震えた。体中をを襲っていた熱は一気に引いていき、代わりに力が漲っていく。自信が血流と共に全身を駆け巡る。
従神が真悟達に向かって襲い掛かる。それに向けて、真悟は右手を突き出した。
何故か、今度はできるという確信があった。
恐怖はなかった。従神に命を狙われた事がきっかけなのか、精神が生き延びる為に進化しようとしたのか。少なくとも、これからどうすればいいかは分かる。
「来い! ガーデウス!」
叫びと同時に、真悟の掌を中心として、赤い光の魔方陣が展開される。
飛び掛ってきた従神が驚くよりも早く、従神の顔面に赤と黒で構成された鋼の拳が叩き込まれた。
石の家を破壊して傷一つつかなかった従神の額にヒビが入る。顔面が歪む。上下の顎と共に牙が砕けて散り散りに飛ぶ。
拳の勢いのまま、魔方陣から巨大な機械の体が飛び出た。それは従神を破壊しながら十メートル以上跳び上がった。そのまま重力に従って落下し、鉄の巨人は従神の上になりつつ従神の胸に膝を当てて、自身の体と大地とで挟む形のまま、下にあった住宅に叩き付けた。
破壊音が耳を劈く。衝撃に土埃が舞う。家々と共に、地球上に存在しない合金で作られた従神の肉体が破壊される。頭と胸、急所の二箇所を同時に破壊された従神は、数度痙攣した後、手足を放り出して動かなくなった。
従神の動きが完全に収まった後、ガーデウスは従神から体を離し、ゆっくりと立ち上がった。その赤い体が、太陽の光を浴びて煌いていた。
次回:6日予定




