2.二度目の光
消失地点は周囲の街から地面が三メートル程抉れ、滑らかなその中には太陽の光を浴びて煌く、ガラス片のように透明に輝く砂利が散りばめられている。踏みしめると、サクサクと砕ける音がした。高熱によって溶けた土が冷えてガラス状に固まり、それが砕けて砂利のようになったらしい。足の裏から伝わる音や踏み心地は、ここでしか味わえない奇妙な感覚だった。
「おい真悟、ちょっと見てみろよ、これ」
興奮した啓一の声に、真悟は顔を向けた。近くに寄ってみると、啓一が足元から突き出ているコンクリートの柱を踵で叩いていた。
「これ、ここにあったビルの階段だぜ。この下にビルの地下があるんだよ」
「だな。消失した時、建物の地上部分だけが抉り取られたんだ」
啓一の言うとおり、溶けたコンクリートの切断面が顔を覗かせ、正方形を描いていた。よく見るとそれに連なり、鉄筋コンクリートによる建物の基礎部分が、所々から様々な形で頭を出している。きっとここに建っていたビルはよっぽど大きかったに違いない。
(父さんがいた会社もこの辺りだったな)
ふと思い出し、真悟は周囲を見渡した。幼い頃の記憶を辿ろうにも、目印の欠片もないこの状況では父の通っていた会社の場所など分かるはずもない。
「すっげえな。ここ掘ったら何か出てこねえかな?金庫とかあったりしてな!」
彰子目当てで参加した啓一だったが、自分が現代地球で起きた最大の怪奇現象の場にいる事を実感し始めたのだろう。足で地面を掘って何かないかと探したり、テンションが高くなっているようだった。
「彰子先輩、俺ここに来て本当に良かったっすよ。なんか凄いっすね、ここ」
「でしょ?ここで一体何が起きたのか、考えるだけでもわくわくするでしょ!」
彰子も近くに寄ってきて騒ぎ出す。完全に観光気分と化している二人を横に周囲を見渡して、真悟はふと妙な物を目に留めた。虹色に輝く地面の中に、一つだけ黒色で存在を主張している物体がある。
近寄ってみると、地面から黒い艶やかな表面をした丸いものが顔を出していた。靴のつま先で周囲の砂利をどかしてみると、物体はバスケットボールほどの大きさの球体で、表面には幾何学的な線が無数に彫られている。見慣れないデザインと輝きに、見ていると妙に心を刺激するものがあった。
球体は静電気を帯びているらしく、かがんで手をかざすと見えないうねりが掌をねぶってくる。
「彰子先輩!ちょっと来てもらえますか?」
「なになに?」
彰子はすぐにやってきて、真悟の隣に屈みこんだ。啓一もあわせてついてくる。
真悟は球体を指差した。
「ここに埋もれてたんですけど、これ、なんだと思います?」
「そのへんで売ってた玩具、ってわけでもなさそうだけど。なんだろこれ」
真悟達がざわついているのに研究室のメンバーもそれぞれ気が付いたらしく、続々と集まりだした。合計十人、真悟が見た事のある顔もいれば見た事のない顔も大勢いる。
「何だ? 妙なものを見つけたんか?」
時任助教授が面白そうに声をかけた。歳は四十前後、運動などまともにしていない中年特有の洋ナシ体型に、年齢の割に後退した生え際と裏腹に濃い髭が特徴の男だ。彰子は顔を上げて肯定した。
「一体何なのか分からなくって」
「子供の玩具とかじゃないのか。誰かがいたずらで前もって埋めたとかよ。これまで色々調査されてるんだ。こんな浅いところに大したものが埋もれてるはずねえよ」
佐久間がぶっきらぼうに答えた。彰子は少し困った顔を見せながら反論する。
「そのくらい分かってるって。でもほら、昨日まで大雨だったから埋もれてたのが出てきたとか?何かあるかもしれないし。気になるものは気になるじゃない?」
「俺はどうでもいい。そんなに気になるなら遠野が持っていけよ」
佐久間が迷惑そうに鼻を鳴らした。観光騒ぎはうんざり、さっさと調査を始めたいという本心が、付き合いのない真悟からでもありありと見てとれた。確かに佐久間の言うとおり、消失から七年もの間政府機関や大企業による調査がされた場所で、いきなり大発見があるとは思えない。
どちらにしてもこの件で騒ぎを起こして時間を無駄にする事もないだろう。だったら、使い走りはバイトである自分の仕事だ。
「じゃあこれは俺が運んでいきますから。彰子先輩は調査の方お願いします」
真悟は球体に手を伸ばした。掌に金属の質感とピリピリとした電気の刺激を感じながら、両手でしっかりと掴んで持ち上げた瞬間、球体に異変が起きた。
球体に掘られた線が青白い光を放った。ちょうど持っていた状態の頂上部にある円の線が光を放ち、次第に円の内側の面も白く変わっていく。他の線も同じく輝き、囲んだ範囲を白く染めていく。黒一色だった球体に白の幾何学的な記号が幾層にも重なり、奇妙な紋様を作り出していく。
「おい……何なんだこれ」
研究生の一人が不安そうに声を上げた。こっちが聞きたいよ、と真悟は思わず言いそうになった。これが誰かが用意したいたずらだとしたら、いくらなんでも手が込みすぎている。
掌を襲う刺激はどんどん強くなり、我慢の限界を超えた。
「痛ッ!」
刺激が肉がちぎれそうな痛みへと変化して、真悟は思わず手を放した。球体は重力に引かれて落ちる事なく、真悟が持ち上げていた位置から動く事なく浮遊した。光は依然変わらず、むしろ強くなっていく。
球体の黒白も判別できない程に光が強くなったところで、真悟はさらなる異常に気付いた。重い振動音を鳴らしながら、球体の周囲を半透明な膜のようなものが覆い始め、煙草の煙のようにゆらゆらと揺れながら、少しずつ広がっていく。
見覚えのある光だった。忘れもしない七年前、街が消失した時に見たものと同じ光だ。
「逃げろ!」
思わず口をついて出た真悟の叫びに、周囲にいる全員が反応した。四方八方ばらばらに逃げ出す。真悟も走った。だが必死に走る真悟の背後から、地割れかと思うような重低音と太陽が出現したような眩い閃光が追いかけてくる。
その光に完全に包まれた時、真悟の意識は失われた。
―――・―――
頭の奥で重低音が鳴っていた。目を焼くような眩い光は消えて、ただ暗黒だけが広がっていた。
音が煩かった。耳を押さえても消えない。自分がどこにいるのかも分からない。
ひょっとしたら、自分は死んでしまったのだろうか。ふとそう思った。
音が煩かった。死んだ人間は皆こうなるのか。いやだ。耐えられない。音が煩い。暗黒の中、意識だけが残る。音が煩い。誰かこの音を止めてくれ、誰か……
はっと目が覚めた。数秒自分がどこにいるのか分からず、真悟は周囲を見回した。左右には無機質なコンクリートの壁が見える。頭痛が酷かった。さっき夢で聞こえていた重低音が、どこか建物の外から鳴っていた。真悟は立ち上がろうと上半身を起こした。全身の筋肉が痛みにきしみ、うめき声と共に思わずに涙目になった。
それでもなんとか、真悟は立ち上がった。どこかの建物の、薄暗い通路の真ん中にいるらしかった。硬い床の上に仰向けになって倒れていたらしい。床に貼られたタイルは所々が欠けて剥げ落ちている。壁も塗装がボロボロと落ちて地肌が覗いていた。窓がどこにもなく、今自分が何階にいるのかもよく分からなかったが、目の前の通路の突き当たりが丁字路になっており、右に曲がった通路から光が漏れているのが見えた。
状況を確認しようと、真悟はジーンズのポケットに入れていたスマートフォンを取り出した。画面を表示させると時刻は意識を失ってから十分も経っていない。受信状態はゼロ、連絡を取るのは期待できない。
暗い建物の中にはどこにも人の気配はなかった。一体何が起きているのかさっぱり分からず、真悟はとりあえず明かりに向かって歩き出した。
「啓一!彰子先輩!」
友人達を呼ぶが、どこからも声は聞こえない。真悟は何が起きたのか、ぼんやりと考えていた。
ここで目覚める前、自分は神谷市の消失地点にいたはずだ。そこで見つけた謎の球体が突然光り始め、その光に包まれてから、何がどうなったのか全く記憶がない。
不安だった。建物の中には人の気配が全くしない。
突き当たりを右に曲がると、上りの階段があり、突き当たりに非常口の扉があった。上部の非常口のライトは破損し、扉は蝶番が壊れて半開きになっていた。
誰かにどこかの廃墟に連れ込まれたのだろうか。そう思いだすと苛立ってきた。もしこれが誰か、例えば研究室のメンバーによるたちの悪いいたずらだとしたら、絶対に主犯を蹴り飛ばしてやると心に決めて、真悟は扉を押して外に出た。
真悟は見た。だが自分の見たものが信じられなかった。想像していなかった、いやわずかに想像して、ありえないと思っていたことが現実となって、目の前に広がっていた。
「真悟ー!」
「馬上くーん!」
隣から啓一と彰子の声がして、真悟はそちらに振り向いた。別の扉から出てきた二人が真悟の下へと駆け寄ってきて、真悟の表情を見て心配そうな顔をした。おそらく茫然としていたのだろう、と真悟は頭の冷静な部分で考えた。
「どうなってるんだ、これ」
「これって、あれだよね。やっぱり」
二人が不安げに話すのを見て、真悟は力なく頷いた。
「そうです。七年前に消えた、神谷市です」
目の前には真悟が幼い頃に見た、市内の街並みが広がっていた。升目状に整備された道路、その間に立ち並ぶビル群、市内で有名だった高級ホテルや、遠くには新しく建てられたばかりの高層マンションも見える。だが道路は巨大な鎚で叩きつけたようにいくつも穴が開き、ところどころに破壊された車が放置されていた。
かつて鏡のように太陽の光を跳ね返し、きらめいていたビルは窓が割れ、塗装が剥げている。その内の一つなどは中腹にぞっとするような破壊痕があり、瓦礫となって周囲に散らばっている。その奥にある、当時新築だった高層マンションには、見た事もない巨大な蔦のようなものが網に絡む朝顔の蔓のように巻きつき、枝葉が壁や窓を突き破っていた。
かつて見慣れて、いまや完全に廃墟となった懐かしき町に、真悟達は立っていた。
次回:17時予定




