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1.発掘調査

 世間では今日からゴールデンウィークが始まろうとしていた。数日前まで各所で被害を与えていた季節外れの大雨はなんとか連休前に東の彼方へと去り、初夏を楽しもうとしていた老若男女様々な人達は一安心していた。

 空は雲一つない晴天となっていた。寒々とした日々が一転、太陽も鮮やかに輝いている。暖かな空気に気分を良くしたか、燕が天高く羽ばたいていた。


 そんな日のちょうど昼時、H県神谷市西部を通る道路を、シルバーのミニバンが一台、流れるように走っていた。北の住宅地と南の山地に挟まれた道路を走る車は数える程度で、動きもどこかのんびりとしたものだ。だがそのミニバンからの広い車内には、BGMとして海外のロックバンドの曲で一杯になっていた。


「この先真っ直ぐいって、次の交差点で橋を渡ればすぐです」


 助手席に座る馬上真悟は、運転手に声をかけた。大学生になって成長した長身に、Tシャツにデニムのジーンズを身にまとった、ラフだが清潔感のある格好が似合っている。

 真悟の声に、はいはい、と運転席から明るく声が返ってきた。


「ほんとありがとね、二人とも。色々やるからにはやっぱり人手が欲しくてさ」


 運転席で気分良くハンドルを握りながら、遠野彰子が後ろの座席に声をかけた。細身で長身の体に動きやすそうなシャツとチノパンをまとい、さっぱりとした黒のセミショートの髪型に整えた細面の顔には、レンズの分厚いメタルフレームの眼鏡が載っている。動きやすさを重視したらしい格好の素っ気無さに、一見身だしなみにはあまりこだわりがなさそうに見える。だが全体的に見ると体の端々やしぐさからは妙に女性的な魅力がかもし出されていた。服や装飾に関係ない、均整の取れた肉体的な魅力が彼女にはあった。


「気にしないでくださいよ。俺達もやりたくてここまで来たんだから」


 後部座席に座る高原啓一が笑顔で返した。中学高校と陸上部で鍛えた引き締まった体に、ブロンドのメッシュが入ったショートヘア、グレーのサマージャケットは、真悟はよく知らないが有名なボーカルグループのメンバーの格好を真似しているらしい。だが、本人がどれだけ気合の入った装いで固めても、四角い顔と座っていても分かる低身長が、本人の目指すものとはかけ離れ印象を周囲の人間に与えていた。真悟からすれば、調子に乗って大学デビューした恥ずかしい学生の典型に見える。啓一は身長が低いスターなどいくらでもいると言って気にはしていないそうだが。


 啓一に合わせて、真悟も応えた。

「ありがとうございます、彰子先輩。今回の調査に参加させてもらって」

「気にしないでいいって。バイトの人手は欲しかったんだから。だけどこっちの言うことにはちゃんと従ってね」

「任せて下さいよ!」

 啓一がテンション高く応答した。彰子も啓一も、早朝に隣県からここまでずっと車で移動してきたはずだが、特に疲れてもいないらしい。啓一が時々、手足を動かして体をほぐしている程度だ。真悟も動ける範囲で軽く背を伸ばしてストレッチをした。今日の調査を今までずっと待ち望んでいた事もあって、緊張しているのが自分でも分かった。


 土手の芝生は雨露で栄養を蓄えたか、太陽の光を浴びて青々と茂っている。その先を流れる天童川は雨による水位の上昇も収まり、川の流れも穏やかになりつつある。

 日頃の行いが良かったのだろう。ミニバンに乗る真悟達の本日の活動は、悪天候に邪魔されずに済みそうだった。


 川の向こうは市内の中心という事もあってこちら側よりも発展している。土手にまず木々が立ち並び、その間から大小様々な建物が並んでいるのが見えた。だが川を下る方向に視線を移すと、大きな橋の向こうから先のあるところから建物の影が見えないのが、遠目にも分かった。大学に入学して一ヶ月、その程度ではあの辺りの光景はまだまだ変わっていないらしい。


「橋ってあれ?車はどこに止めればいいのかな」

「近くの土手に止めましょう。あのあたりは人も近づかないから邪魔になりませんよ」


 そのまま橋を渡って、右折して土手をまっすぐ走る。ある程度行ったところから急に斜面に植えられていた木々が途切れて障害物がなくなり、目的地が姿を現した。

 車がスピードを落とし、やがて止まった。真悟の家がある右手、川向こうとは反対側の左手に広がる光景に、啓一と彰子は感嘆の声を上げた。


 そこには何もなかった。土手を境にして立ち並んでいるであろう建物も植物もなく、すり鉢状の地面はまるでやすりで磨きをかけたかのように滑らかで、太陽の光を虹色に反射していた。そして大小様々な建物が、その地の呪いを避けるかのようにして立ち並んでいた。


「ここが、俺達の目的地です」

「はあ……すっごいね、これ」

 彰子が間の抜けた声を出した。この光景を見るのは、真悟も久しぶりだった。




 真悟達の目の前に広がるガラス状の地面は、現在では『神谷市消失地点』と呼ばれている。神谷市内の中心部が広がっていた場所が、あの花火大会の日、真悟の前の前で起きた謎の光によって消失してから七年近く経っていた。


 原因は一切不明、中心部から半径約三キロの正六角形の範囲にある人間、建築物、動物から植物に至るまで、一切が地球から姿を消し、後には表面がガラス化した地面が残るばかりだった。今日に至るまで政府や民間企業によって様々な調査が行われたが、目ぼしい調査結果は上がっていない。


 この消失により、神谷市は様々な影響を受けた。県内でも有数の規模を誇る五十万人都市の一部が消失した事により、数千人に及ぶ行方不明者が生まれた。大小合わせて様々な企業が消失し、市の財政面に大きな影響を与えた。数年前に調査の規模が縮小されたのに合わせて消失地点の開発の禁止は解除されたが、行方不明者の持つ土地の権利問題、消失から来るマイナスイメージや時々現れる怪奇現象、様々な悪評により、消失地点の再開発は遅々として進んでいない。ここ二~三年程で、やっと周辺からじわじわといくつか建物が建てられてきてはいるが、元通りの姿を取り戻すまで何年かかるか、誰にも目処は立っていない状況だ。


 そんな中、真悟達が通っている新城大学の研究室は消失地点について、複数の大学による合同調査を行う為、神谷市まで来ていた。真悟と啓一はまだ研究室に配属されてはいないが、大学院生である彰子に連れられて、手伝いとして来たのだ。

 車を降りて、周囲を見渡す。研究室の他のメンバーはまだ集まっていないようだった。彰子はさっきまで車で流していた曲を鼻歌で奏でながら、消失地点の写真を撮影していた。物理学を専攻する彰子にとって、消失の原因についての実地研究は長年やりたかった事だと以前に聞いている。浮かれているのも分かるが、今はわざわざ隣県まで来て見たかったものを目にしたのもあって、完全に観光旅行気分のようだ。


 真悟達の準備が終わる頃には、研究室の他のメンバーも車やタクシーに乗り、続々と現れていた。その中のうち、大型のオンロードバイクに乗ってきた一人が他のメンバーと挨拶をかわしながら、機材を並べる真悟達の下に歩いてきた。


「おう、遠野」

「あ、佐久間君。おはよう」

 同じ研究室のメンバーなのだろう。佐久間と呼ばれた男は彰子と二度三度と挨拶をかわし、真悟達に不審げな視線を向けた。


「ん? お前ら、誰?」

「この二人は私が呼んだの。手伝いの馬上くんと高原くん」

「遠野が?」


 見覚えのない真悟達を彰子に紹介されて、佐久間はふうん、と適当に相槌を打った。


「馬上です。よろしくお願いします」

「高原です。よろしくっす」


 佐久間は二人におう、と声だけはかけたが、じろじろと二人を値踏みするように睨んだ。身長は啓一より低く160センチ程度、だが体は格闘技でもやっているのだろうか、服の上からでも分かる程筋肉が主張して、腕や胸周りは真悟達より二周りは太い。四角い顔に細い釣り目をさらに細くして、佐久間は彰子に顔を向けた。


「信用できるんだろうな。今回の調査は重要なんだぜ。こんな機会二度とないんだ。こいつらのせいで失敗なんてしたくないんだけど」

「はいはい、その辺は私が指示するから、安心してよ」

「遠野がそう言うならいいけどよ。とにかく、大事なところには手を出さないでくれよ」


 鼻を鳴らして自分の担当分の準備を始めた佐久間を、真悟と啓一は顔をしかめて見送った。真悟としても、初対面の相手にそこまで言われる筋合いはない、と言いたいところだ。とはいえ、いきなり見知らぬ人間が現れて手伝いをするとなれば、信用がないのも仕方ない。


「何だあいつ。感じ悪いよなぁ」

 しかし、どうやら啓一の感想は真悟とは違ったようだった。

「仕方ないだろ。俺達専門すら決めてないし、今のところ知識なんてないも同然だ。大体お前は機械系だろ」

「同じ工学部なんだからたいして問題ねーだろ」

「それは無理があるぞ」


「ごめんね、佐久間君ってなんか人付き合い苦手みたいでさ。いつもあんな感じなの」

 彰子が顔の前で両手を合わせ、二人に謝る。体の動きやウインクするしぐさが大人っぽい見た目に似合わず、妙にかわいらしい。

 啓一は一気に調子をよくして、大げさに手を振った。

「いや、別に彰子先輩が謝る事じゃないっすよ。俺らも邪魔しないようにしますから、ガンガン命令してください!」

「ありがと。でも佐久間君も言ってる通り、今回の調査って滅多にない機会だからさ。色々気をつけてね」


 完全に気を良くした啓一が彰子と騒ぐのを横目に見つつ、真悟は機器の輸送に使った大型車のバックドアを開けた。彰子が車で運んできた観測機器が並んでいる。傷をつけないように、運びやすそうなものから手をつけていく。


 彰子が研究生と話しに行ったところで、真悟の背後から啓一が、妙に不安そうな声をかけた。

「なあ、真悟」

「なんだよ」

「彰子先輩の事なんだけどさ。あの人、まだ彼女いないよな?」


 真悟はああ、とあいまいに声を出した。真悟と彰子は同じ物理学科だが、啓一は機械工学専攻だ。同じサークルに入った事で三人は顔なじみとなったが、門外漢の啓一が今回の手伝いを買って出た理由は何故かと真悟も思っていたところだ。何の事はない、単なる下心からだったらしい。


「いないんじゃないの。俺も彰子先輩とはほとんどサークルでしか会ってないから、よく知らないけど」

「そうか!」

 分かりやすいほど啓一の顔が晴れやかになった。実際のところ、彰子が啓一をそういう目で見る日が来るとは真悟には正直思えなかったが、わざわざ夢を台無しにする事もないと思い、口にはしない。


「ねえねえ、調査の前に穴の中に入ってみない?」

 消失地点の縁で大袈裟に手を振りながらに誘われて、真悟達と研究員達も立てかけた機材を手放して彰子に近づいていった。


 真悟が名前を知らない研究員の一人が、縁を覗き込みながら不安そうな顔を見せる。

「調査に影響出ないスかね?」

「これができてから何年経ってると思ってるのよ。今更歩いたからって影響があるわけないって」


 縁から梯子を下ろし、うきうきしながら消失地点に降りていく彰子に引っ張られるようにして、研究員も真悟達も入っていった。皆ここに惹かれてこの研究室に入ったのだ。彰子程大袈裟に騒がないにしても、皆大なり小なり彰子と同じ気持ちを抱いている。それは真悟も同じだった。


 七年前にあの日、父は町と共に消えた。花火大会を見に来ていた友達の多くも消えた。里村葵も消えた。あの日何が起きたのか、消失の謎を知りたくて勉強に熱を入れ出し、その結果、物理工学で有名な新城大学に入学できた。今の大学に通っているのも、消失事件の結果からだ。ここは真悟にとって、今の自分の原点なのだ。


 高鳴る胸を押さえつつ、真悟も消失地点に足を踏み入れた。調査の為に長年立ち入り禁止になっていた場所に、ついに足を踏み入れたと思うと感慨深かった。


次回投稿:15時予定

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