17.夜は過ぎて-2-
「リテラとリテルが暮らしてた、エルトパルってどんなところ?」
「そうですね。一番の違いは、建物のデザインですね。私達の町ではここみたいに小さい建物がたくさん建てられてなくて、大きいドームでぐるっと囲んだ形になってるんです。その内側にいろんな建物が作られてて。昔の戦争してた頃の名残だって、先生から教わりました」
「こんな所に飛ばされて、二人きりで暮らすようになってからは大変だったんじゃない?」
「はい。リテルなんてママとパパに会いたいってずっと泣いてたんです。でもアーウィに会ってからやっと落ち着いて。今じゃ私よりアーウィにべったりになっちゃって」
彰子とリテラは二人で皿洗いを行いながら、身の上話の雑談に花を咲かせていた。
リテラは幼い外見よりも、言動や思考はずっと大人びていた。エルトパルは元々成人とみなされる歳が日本人より遥かに低いようだが、加えて弟の手本にならなくてはという気持ちがそうさせているのかもしれない。
真悟達は外に出て色々とやっているようだったが、彰子はこちらでリテラの家事を手伝う事にした。彰子としても今置かれている状況や、異星人であるリテラやリテルとの遭遇に、心を揺さぶられないわけではない。
だがカーマ・ガタラに飛ばされてからずっと、ジェットコースターに安全器具なしで乗せられた気分だった。探究心や好奇心を積極的に働かせるには、もう少し気持ちを落ち着け、心に余裕を持ってからでないとできそうになかった。
タオルで手を拭き、二人はリビングに戻った。近くを流れる川や定期的に降る雨のおかげで、カーマ・ガタラの生活で水にだけは悩まされたことがないらしい。
彰子が昔見た、サバイバルを題材にしたドキュメンタリー番組では、サバイバルでは水の確保がもっとも重要だと語っていた。番組内では死んだ動物の腸を裂き、内容物を絞って水を飲む姿すらあったほどだ。そういう意味では、カーマ・ガタラで生活する人々はかなり恵まれたほうだと言える。
進歩した機械に囲まれ、廃墟に暮らし、狩猟を主として食料を得る。そんないびつな生活を強いる首謀者とは、果たして何者なのだろうか。
なんとなく、彰子は友人の家で見たアクアリウムを思い出していた。ここも同じなのかもしれない。カーマ・ガタラという巨大な容器に宇宙中の都市というアクアリウムを作り、知的生命体という小魚を泳がせる。たとえ話としては簡単だが、あらゆる方面において、優れた科学力を持たない限り不可能な話だ。
リテラと雑談しながらリビングのソファに座った。リテラの過去の生活を聞くのは楽しい。リテラの柔らかで鮮やかな唇が動き、見た事も聞いたこともない文化や歴史を語るたびに、彰子の心は躍った。
視界の端に目をやると、ガーディはリビングの隅で伏せて、楽な姿勢を取ったまま身じろぎしなかった。生物のように呼吸を必要としないからだろう、腹や喉もまったく微動だにしない。このまま見ているとまるで名工の作った芸術品か、珍しい獣の剥製のようだ。その佇まいには妙に心惹かれる美しさがあった。
「ねえ、ガーディ。起きてる?」
何の気なしに、彰子は声をかけた。眠っていて気づかれないのならそれでいいと思ったが、ガーディはすぐに反応して目を開けた。
「起きている。何だ?」
「うん、たいしたことじゃないんだけどね。ガーディが全然動かないから、寝ちゃったのかと思って」
「機能を低下させてエネルギーの消費を抑えるという意味では、眠っていたと言える。周囲の索敵は常に行っているがね」
ガーディはさらりと言った。言葉の内容から、人間とは違う機能を持った存在なのだと再認識させられる。
ふと彰子が隣を見ると、リテラが何か重大な決心をつけようとするように、うずうずと両手の指を組み合わせていた。
(どうしたんだろう)
彰子の頭に不安がよぎった。葵の言葉によると、カーマ・ガタラに住む者には大なり小なり、亜神の被害を受けているという。リテラも何か思うところがあるのかもしれない。
緊張を声に出さないように気をつけながら、彰子はリテラに声をかけた。
「リテラちゃん、どうかした?」
「あ! いや、その、あたし……」
リテラはあたふたしながら指の動きをさらに激しくさせていき、ついに限界に達した。
「あの! ガーディさん!」
「さん、なんて、かしこまった呼び方はしなくていい」
「はい! あの、ガーちゃん」
「……ガーディにしてくれ」
リテラの慌て度合いがさらに悪化した。舌をもつれさせながらも、何とか自分の気持ちを伝えようと声を出していく。
「はい、いえ、あの、ごめんなさい私、あんまり空気が読めない奴だって前から言われてて、でもリテルやアーウィは気にしないからそのつい。えっとその……体、触ってみてもいいですか?」
想定していなかった台詞だったらしく、ガーディが目を瞬かせた。だがリテラは真面目に言っているらしく、頬は染まり、目は輝いている。鼻息が荒かった。
ガーディは諦め気味にため息をついた。
「……好きにすればいい。変な所は触らないでくれ」
「はい!」
「あ、じゃあ私も」
興奮気味に手を伸ばすリテラに続いて、彰子も近付き手を伸ばす。指先に触れる銀の毛並みは柔らかく、暖かい。さらさらと指の間を流れる感触は血統書つきの猫の毛皮のようだ。毛の海に指先を深くもぐらせると硬い弾力のある皮膚の感触があり、その奥には硬い板のような感触があった。恐らく、機械の体を覆っている金属板の類なのだろう。
リテラは気にせず、うっとりとした表情で毛皮の感触を楽しんでいた。
「素敵。あなたがロボットだなんて信じられません」
「ロボット、というのは正確には違う。私は体のつくりが君達有機生命体と違うだけで、自律した自我と個性を持つ生命体だ。与えられた命令しかこなせない、その辺の鉄人形と同じにしてもらいたくないね」
「はい、ごめんなさい」
ガーディの鋭い口調にリテラが首をすくめるが、手の動きは止まらない。自身の肉体と心に対するガーディのプライドは高いものがある。だがリテラの胆力も中々のものだ。さすが伊達にカーマ・ガタラで長年暮らしていない、と彰子は内心密かに感心した。
容赦のないリテラの触り方に、ガーディが少し呆れ気味に嘆息した。
「君は私の事を気にしないらしいな。昔の私は亜神としてこの辺りを荒らしまわったそうじゃないか。怖くはないのか?」
「私はその頃はここにいませんでしたから。それに今のガーディは、アーウィや私たちを助けてくれたし、私とショーコさんに撫でられても気にしない優しい虎さんです」
リテラが屈託のない笑顔を見せる。毒気を抜かれたか、ガーディも次第に体の緊張を解き、楽な姿勢でされるがままに任せるようになっていった。
「そういえばさ、ガーディ」
先ほどのリテラとガーディの会話で思い出して、彰子は毛皮の撫で心地を楽しみながら問いかけた。
「ガーディって、私達と会う前に記憶って残ってないって言ってたでしょ。でも里村さんはガーデウスが昔暴れてるって言ってた。小さいことでもいいから、何か覚えてる事がないのかなって」
「ないと言ったはずだが」
「私は記憶をなくした事なんてないから、思い出が何もないっていったいどんなものなのか分からないし。私がイメージしてる記憶のない状態と、ガーディの言う記憶のない状態って言うのに違いがあるかもしれないでしょ。何かないの?匂いとか音とか、気になるものとかない?」
「ふむ……」
ガーディが軽く悩むような顔を見せた。人とは違う虎に似た姿を持ち、しかも機械の体で構築されているというのに、彼が話す時はいつも人間のように細かい表情を見せる。
数秒考えて、ガーディは口にした。
「そういえば、一つある。目で見ていたのか耳で聞いていたのか、そもそもいつの事なのか、それもよく分からないようなぼんやりしたイメージだが。私は箱の中にいた」
「箱?段ボールか何か?」
「違う。ガラスのような透明な箱だ。その外から、誰かが私を見つめていた」
ガーディの視線は何か遠くを見つめていた。語りながら自分の心の中にいる影のような思い出を、なんとか形にしようと集中し、とりとめもなく言葉を続けていた。
リテラと彰子も撫でる手を止め、ガーディの追憶を邪魔しないように耳を傾ける。
「顔も分からない。どんな格好だったかも思い出せない。だがそこに確かに、誰かがいた。多分人型の、男だったと思う。おそらくそうだろう、という程度だが。彼が何か言った。そう、何か言ったんだ……。確か、『忘れないでくれ』と」
「忘れないで?」
興味を惹かれて、彰子の片眉が上がった。
「そうだ。忘れないでくれ、そう言っていた。他は何も思い出せない」
「忘れないで、か。忘れてしまった記憶の中で一つだけ思い出せるのがそれって、何だか意味深だね」
ガーディの語る記憶に出てくる何者かが――果たして人なのか、機械なのか、どういった存在なのかも分からないが――言った言葉の真意は何なのか。ガーディにとっては重要な事だろう。
「このカーマ・ガタラの背に生息している原生生物の事ならいくらでも思い出せる。ガーデウスの武装の原理や体の構造も説明できるし、科学知識に関しては理論物理学から君達の生理機能まで説明できる。だが自分自身の経歴について説明できない。酷くもどかしいよ」
リテラがガーディから手を離し、胸の前で手を合わせた。
「きっとその人、ガーディのお父さんなんですね」
リテラの言葉に、ガーディは驚いたように顔を上げた。
「父親?私の?」
「この世に生きる者は皆、自分を生んでくれた親がいるものでしょう?私はガーディがどういう風に生まれたのか知りませんけど、ガーディがロボットじゃなくて生命を持って生きてるっていうなら、親がどこかにいるはずです。その男の人がきっと、ガーディを生み出したお父さんなんですよ」
「父親か……。そうだな。ひょっとしたらそんな事もあるかもしれない」
ガーディの口調が柔らかくなる。リテラの言葉はせいぜいガーディの話から連想しての事で、別に根拠があってそんな事を言ったのではないのだろう。だがガーディがリテラの話を気に入ったのは分かった。
ガーディが言うように、彼には人との会話を行える知性と、他者の言葉から気持ちを感じ取る感性、そして自身の存在について悩む個性的な自我が存在する。彼は単純な機械とは一線を画した存在であり、地球の科学力ではいまだ到達しえない存在だ。そんな彼らと、今自分は小さなリビングに住み、会話を楽しんでいる。
(出会えてよかった)
リテラとガーディのやり取りを見ながら、彰子はこのカーマ・ガタラに飛ばされて以来感じた、数少ない喜びを感じていた。
次回:12日予定