10.鋼の烏天狗
両膝を曲げ、伸縮したバネを一気に解放する。下半身の筋肉と、全身を包む機械仕掛けの外骨格がフルに駆動し、自身の肉体に加えて四百キロ近い肉体を五メートル以上高く跳躍させる。
宙を舞いながら、アーウィは敵に狙いを定め、引き金を引いた。手に持った小銃の、四角い金属の筒を思わせる形をした銃身から高速で連射された弾丸はタスカー達の肉を引き裂いた。外れた弾丸がアスファルトに当たって火花を散らす。
重力が体を捕え、落下していく。その先にいたタスカーのうろたえた顔に、アーウィの足の裏がめり込む。そのまま落下の勢いを利用して踏み潰し、敵の息の根を止めた。
血肉が装甲を汚すが、それについて今更特別な感情を抱く気にはなれなかった。目の前の敵に対して、慈悲をかけるつもりはない。
首を振り、カメラ越しの目視と画面に浮かぶ生体センサーの両方を使って、アーウィは周囲の状況を確認した。
かつて住宅地だったこの辺りにはそこまで高い建物はないが、敵が隠れる場所はいくらでもある。東西を繋ぐ広い二車線の通りを挟み、アパートや個人商店、右手には広い駐車場を抱えた大型書店が見えた。かつては人々が暮らし、営んできた生活の色はもう既にない。ここはもう誰が支配するでもない、ただの廃墟だ。いるのは人間ではなく、獣や迷い込んだ客人。そして敵。
「アーウィ!」
だみ声で名前を呼ばれ、アーウィはそちらに顔と小銃を向けた。通りを挟んだかつてコンビニだった瓦礫の上に禿頭の男が立ち、にやにや笑いを向けていた。周囲でタスカーの群れがとは違い鱗に覆われていない褐色の肌に、全身を同じように装甲が覆っている。
「マガトか」
名前を呼ばれ、男がにやけた笑みを浮かべた。
「お前も頑固だな、アーウィ。ボガロの下につくのがそんなに気に入らないか?」
「私は誰かの兵隊になる気はない、そう言っているんだ。お前達もいい加減しつこい奴だな。こんな事をしていて楽しいのか」
「楽しいね。暴れる小動物を狩るようなもんさ。お前を捕まえたらその鎧を引っぺがして、裸でボガロの前に引き回してやるよ、アーウィ」
マガトの下品な言葉遣いにいらついて、アーウィは思わず舌打ちした。
自分がアーウィと呼ばれるようになって何年経つだろう。その名で呼ばれるのも慣れたが、この男にはその名で呼ばれるのも、吐き気がするほどおぞましい。
「いい加減に諦めな。ボガロもいつまでもお前達と遊ぶ気はないとよ。どうするんだ?」
「くたばれ、マガト」
「そうかい、じゃあ一人でどこまでできるかやってみな!アーウィ!」
マガトが手を上げると、タスカー達が攻撃を再開した。アーウィは向かって右に走り出した。タスカーの群れを真正面から相手にするのは骨が折れる。
地を走るものと跳躍するもの、二手に分かれて攻めるタスカーを見て、アーウィは走りながら空に向けて小銃を連射した。弾丸が当たった二匹はバランスを崩し、地面に転がって動けなくなる。横向きに飛ぶように走りながら相手の動きを把握しつつ、腰に据えられた弾倉と小銃の弾倉を交換した。
小銃の弾はこれが最後だ。武器はほかにもあるし、アーウィの着ている強化服の装甲と倍力機構ならば、一対一なら殴り合いでも十分勝ち目がある。だが多勢を相手にするには少々心もとないところだ。
左手で腿にマウントしていたサブアームの拳銃を取りながら、アーウィは二人の姉弟を思った。あまり彼等を危険に晒したくないと思ってはいるが、二人の協力があればもう少し楽ができたかもしれない。
体をひねりつつ地面を蹴って進行方向を変え、両手を広げて爪で突き刺そうと突進してくる巨体をかわしながら拳銃の引き金を引く。小銃とは違いエネルギー兵器のこちらには反動はほとんどなく、放たれた光の弾丸がタスカーの腹に直撃すると装甲もろとも肉を分解して腹に穴を開けた。絶命し倒れ伏すが、他のタスカーが屍を踏み越えて襲い掛かる。
死体を見て、敵の反応が若干変わりだしたのに、アーウィは気付いた。敵の半数がアーウィを狙い、半分が周囲を囲もうと動き出していた。敵の数はまだ一ダースはくだらない。
(どうする……)
次の一手を考え始めた時、背後で閃光が瞬き、炸裂音がした。
アーウィは驚いて振り向いた。周囲のタスカーも一瞬動きを止め、閃光の発生源を探す。背後に建てられた大きな箱型のホームセンターの陰に、それはいた。
アーウィもよく知る二人の姉弟の隣で見慣れない三人の男女が杖を構え、その横に寄り添うように、銀に輝く金属の虎がいた。
―――・―――
水田から数百メートルを全力疾走し、真悟達は爆発の現場に辿り着いた。真悟達がいる通りから一つ向こうの通りで、立ち並んだ住宅の向こうで誰かが戦っているのが音で分かる。
かつては周辺の住民を相手に繁盛していたであろうホームセンターの荒れた壁に沿って、裏から表の駐車場へと出ようとしたところで、駐車場の先にある道路に、機敏に動く緑色の影が見えた。
「タスカーだ!」
「アーウィは?」
姉弟が真悟達の前に出て、周囲を見渡す。タスカーを追いかけるようにして、陰から金属の鎧に身を包んだ戦士が現れた。タスカーが襲い掛かろうとしたところで、手に持った奇妙な形をした銃から放たれた光弾がタスカーの腹を貫いた。
戦士は独特な姿をしていた。肉体の曲線に合わせたような紺色の金属板を全身に貼り付けるようにして纏い、板や関節の隙間から板同士を連動させる、金属の骨のようなものが見える。頭部全体を覆う兜は前面に鳥の嘴のようにバイザーが突き出て、頭頂部が飛び出たような形をしている。全体的なデザインに加えて、宙を軽やかに飛び回るその戦う姿に、真悟はおとぎ話の烏天狗を連想した。
「おい真悟、あれ軍用の筋電装甲じゃないか? 自衛隊が使ってたやつだ」
啓一が上ずった声を出した。着用する事で人間の動作を強化・拡張する目的で作られた強化服が実用化されてかなりの年月が経つ。戦士が身に纏っているのは軍用に装甲、火器が追加され、性能も強化されたものだ。
「神谷市と一緒に飛ばされたのが、残ってるとかか?」
「かもな。改造してあるのか微妙にデザインは違うけどな。でも昔本で見たのと似てる」
アーウィの動きは機敏だった。タスカーが巨大な爪を乱暴に振り回すがアーウィはそれをいなして懐に入り込み、左手に握る拳銃の引き金を引いた。流線型の筒を重ねたような奇妙な砲身から光弾が放たれ、タスカーの腹を引き裂く。はじけた肉片が周囲に飛び散った。
「うぇ……」
彰子が口元を手で押さえた。昨日の記憶がフラッシュバックしたのか、顔色も悪く青ざめている。啓一が彰子の背を軽くさすった。
「彰子先輩、落ち着いて。そこに座って休んでてください」
「お前達、何してるんだ。そこで見てるだけなんて許さないぞ」
少年が弓を引き絞り、真悟に矢尻を向けた。彰子が喉奥でおびえた声を出した。目の前で繰り広げられている筋電装甲とタスカーの戦いから比べるとあまりに原始的な武器だが、矢尻は間近で見ると酷く禍々しい形をしている。少なくとも真悟達の命を奪うには申し分ない事だろう。
「お前が僕達を手伝うって言ったからここまで連れて来たんだ。今更手を貸さないなんて言うなら、お前の首を切り取って鳥避けに使ってやるぞ!」
「分かってる、分かってるって。アーウィってのが、あのタスカー達と戦ってる奴の事なんだな?」
少年と少女が同時に頷いた。
「アーウィは私達を守ってくれています」
「僕達はアーウィに助けられたんだ。アーウィがいなかったら僕達はずっと前に奴らに襲われて死んでた」
真悟も頷き返し応えた。少なくともアーウィは他人を助ける心の持ち主ということだ。それなら話が通じる可能性もある。
「分かった。啓一、ガーディ、行こう」
「おう」
「仕方ない」
真悟は杖を握り締めた。日本製の装備を使い、タスカーと戦う姿を見て、真悟はさらに強く興味が湧いてきていた。目の前で動くアーウィが本当に神谷市に飛ばされた市民の生き残りだとしたら、ここで何があったかを知る大きな手がかりだ。