メイズ・ウォーカー
今日はほんとうに楽しかった。
日々の悩みや欲求不満を解消するには時折こうして遊園地に来て息抜きをするという事も必要なのかもしれない、と気づかされた一日だった。
哀愁を含んだ音楽に促され、子ども連れのファミリーが次々と帰路に就き始める。それと入れ替わるように、心なしかカップルの存在が目立ち始めた気がする。これから暗くなるにつれ、独り身には幾分過ごしにくい世界が形成されつつあるようだ。
最後に“同伴者がいない”というのはまったくもって不本意だが、観覧車にでも乗って充足感のうちに一日を締め括るとするか。
それから10分後のことだった。
「あのう、すみません。観覧車への行き方がわからないんです」
「いつからですか?」
「えっと、まさか一年前から、とでもいうと思いますか?確かにすぐ目の前に見えているのに変な質問だとは承知していますよ。すいません、白状します。道に迷いました」
目的地への道筋が分からない。37歳にもなって普段は迷子の対応をしているであろう園内スタッフに声を掛けようなど思ってもみなかった。むろん僕には子どもなどいない。
心なしか周りの視線と嘲笑を感じる。統合失調症になどなったことがないという事実が尚更自分を惨めにさせる。そんな僕の微妙な心境を察したのだろうか、園内スタッフはおそらくいつもそうしているように社交的な笑みを浮かべ、
「安心してください、誰にでもあることですから。何せほんとうに複雑な道のりなので」
嘘だ。
明らかに自分よりも年下の相手にそう言われると慰めにしか聞こえない。事実、お客を楽しませるように教育された優秀なスタッフだ。せっかく来てくれたお客を不快にさせてはいけないという責務は並大抵ではないだろう。
しかし今の目的は、彼の化けの皮を剥がすことではなかった。
「あのう、ついてきてもらえますか?」
他愛ないとはこういうことをいう。
それを聞いた彼は、恰もこの成り行きが必然であるかのごとく、僕の発言をさらりと受けとめ、
「もちろんです。私で良ければつき合いますよ。あっ、よければこの風船どうぞ」
流石の対応である。
もし自分が彼の立場なら御払い箱などお構い無く、露骨に顔をひきつらせてしまっていたに違いない、素直に脱帽である。と同時に、残り二つの風船のうち一つを僕に差し出したことで軽いペアルック状態が生まれ、彼への信頼度も右肩上がりに上昇し、結果すっかり気を許してしまった。
「さぁ行きましょうか」
彼の言葉に、きびだんごによって手なずけられたしもべの如く服従の会釈を見せる。
「私についてきてください」
その言葉を皮切りに僕たちは歩きだす。目指すは他でもなく観覧車である。そうか、道がわからないのだから“ついてゆく”のは寧ろ自分の方なのかとぼんやり考えながら、僕は素直に指示に従っていた。
それから20分後のことだった。
少なくとも最初は観覧車に向かって歩いていた筈だった。何故こんなことになってしまったのか。
今僕たちは、ジェットコースター乗り場の裏手にあるフードコートに来ていた。
思う存分絶叫してカロリーを消費した後ならともかく、食事をしたあとの客さえも直ちにジェットコースターに誘導するような場所にフードコートを配置するとは、設計した人はどうゆう精神状態だったのだろうかと詮索してしまう。
まぁ確かに腹は減っていたし、観覧車に乗るのは腹拵えしてからでも遅くはないだろう。
「で、なんにします?」
「ほらあそこにいるのが仲間だよ」
僕の正論を差し置いて、スタッフはあらかじめ脚本でも読み込んだかのような不自然な言動を始める。
見るとそこには年齢も性別もバラバラな囚人たちが七、八人くらいたむろしていた。なぜ彼らを囚人と表現したのか──服装だって至って普通の私服にも関わらず──自分でもよくわからなかったが、とにかく僕はそのとき直感的にそう感じたのだった。
「ようこそ、あなたが最後のパーティーメンバーです。」
灰色のタンクトップを着た筋肉質の男が僅かに歩み出る。
これは新しいパレードか何かだろうか……。
そういえば通行人を装って突然始まるフラッシュモブなるパフォーマンスが流行ってたっけ。めんどくさいな。
「あなたは想念の世界に囚われていたんですよ、私たちは早くここから脱け出さなくちゃいけません。安心してください、ここにいる人たちは皆私たちと同じ目的を持った仲間たちです」
ああそうですか。
もはやスタッフは“あちら側”の人間になってしまっていた。
パーティーに招待された。そういえば招待状が届いていたような気がしないことも……。
「いやいやいや、想念ってなんですか。僕は今まで夢を見ていたとでも言うんですか?」
なかば語気を荒げ、僕は誰にともなく抗議する。
「じゃあお聞きしますが、あなたは産まれてから今までの記憶を覚えておいでですか」
筋肉質に似合わぬ明朗な口調で尋ねられ僕は困惑する。
何をバカな……と反論しようとして愕然とした。
宇宙の果てなど測り知れないように、僕の過去は、始まりと呼べるような確実性のある境界を捉えることができず、漠然とした幼少期の記憶があるだけだった。
そもそも僕は本当に37歳なのだろうか。確信を持って答えられなかった。
「あのう、スタッフのお兄さん。もう観覧車は良いので帰らしてください。出口はどっちでしょう……」
「スタッフ? 私はスタッフじゃありませんよ」
「は?」
ああそうだ、
「本当に複雑な道のりですから」と丸め込まれ、三回目に観覧車とは反対の方向に進む回遊ボートに乗せられた時点で、これが正規のルートなのだな、と納得せずに何もかもを疑うべきだったのだ。
彼は園内スタッフではなかった。
あの二つの風船のうち一つは、本当は彼女に渡すはずだったのだという。しかし彼女はトイレに行ったっきり戻ってこなかった。途方に暮れていたところを僕に声を掛けられた、そうゆうことだった。
もしや僕にとってのきびだんごとは、彼自信なのかもしれない。
荒唐無稽な説明を受けた僕は、快くパーティーに迎え入れられて──それはほぼ問答無用と言ってよかったが、他人に自分の存在を受け入れられるのはまんざら悪くない──、ビールで祝杯を上げた。もっともパーティーメンバーの中には未成年者も二人いたので、彼らはコーラを餞にした。
思考のうちの半分では、このパフォーマンスはいつ終わるのだろうと理性を保ちつつ、もう半分では、このまま見捨てられたら、と思うと得もいわれぬ不安でいっぱいだった。
祝杯が終ると僕らはフードコートの外へ出た。見上げると観覧車はもうそこにはなかった。代わりにバベルのように巨大な蔓草が出現し、目障りなカップルは頭が二つの馬鹿でかい蜥蜴に変身していた。
灰色筋肉男を先頭に、八人で隊列を組む。
「エエイヤァーーー!!!!!!!!」
全員で掛け声をあげ士気を高める。
まずはここから脱出しなくてはならない。
これから僕らの冒険が始まる。。。
了
最近、恒川光太郎の滅びの園を読みました。面白いですよねあれ。
メイズ・ランナー?ごめんなさい、見たことありません。