後日談
僕は今、王都で一番大きな教会にいた。黒色のタキシードを着て、年を召した男性神官の前に立っている。
そう。何を隠そう今日は僕自身の結婚式なのである。
例の婚約破棄事件からは三年が経過し、僕は十九歳になった。通っていたエリオット王立魔法学院は去年卒業している。十五歳から四年間通った学院だったけれど、日数的にはあまり通うことはできなかった。でも、それなりに楽しい学生生活を送ることができたと思う。……メリッサ嬢以外の友達はできなかったけれど。
それでも学生生活というのは新鮮で楽しかった。家では学べないような高度なことを知れたし、魔法だって大分上達した。僕は学院に入る前は、体質のことがあって、ほとんど家に籠りきりで、大勢の人と過ごすことは滅多になかった。学院での生活は、普段味わえない集団生活というものを経験できて嬉しかった。
僕がそんな風に学生生活を思い出していると、やがて僕の妻となる人物が白いドレスを着て、教会の入り口正面に現れた。
僕の結婚相手。それは僕がよく知る人物だ。自分以外では一番理解している人物と言えるだろうか。
今から一年前。学院を卒業したその日に、婚約者の名前が教えられたわけなのだけれど、その時は非常に驚いた。思わず、大きな声を上げてしまったほどだ。その時の僕の思いと言ったら、それはまさに“瓢箪から駒”だったと言える。
その女性は僕の方に向かって真っ直ぐに歩いてきた。白いベールの隙間から淡い金の髪が見え隠れしている。背は僕よりも少し高く、可愛らしくも美しい容貌をしていた。
そんな彼女の名前はシスティーナ。今まで僕が実の妹だと思っていた人物である。
そう。システィーナは僕の実の妹ではなかったのだ。
事の始まりは僕が生まれてから二年が経過した時まで遡る。
僕の本当の生まれ故郷である隣国――シュタイン王国は、十七年前、内乱の真っ只中にあったそうだ。そして、本当の両親であるペリゴール侯爵夫妻は、その内乱の過程で死亡。当時二歳だった僕だけが残された。
そんな時に事情を知って快く引き取ってくれたのがウォークレイ公爵夫妻――今の父上と母上だったというわけだ。引き取ってくれた理由は、ペリゴール侯爵夫妻と家族ぐるみで親しくしていたかららしい。そういう経緯で僕はウォークレイ公爵家の養子となったそうだ。
勿論、それをするだけの理由もあった。ウォークレイ公爵夫人はシスティーナを産んで以降、子を望めない身体になってしまったらしく、養子を取るか、新しい妻を娶る必要があったのだ。しかし、親戚筋には年齢的に養子に適した者がいなかった上、ウォークレイ公爵は新しい妻を娶ることを拒んだ。
システィーナが継げれば良かったのだろうけれど、エリオット王国では、女性の継承権が認められていなかった。
そこで、僕を引き取りシスティーナと結婚させることで跡を継がせようと思ったそうだ。そこで、なぜシスティーナとの結婚が出てくるのかと言えば、貴族家の当主になるには、その家の血を継いでいる、もしくは直系の者と結婚する必要があるのだ。これは王国法によって定められている事柄で例外は一切認められていない。
無論、ウォークレイ公爵は、そういう思惑はあったにせよ、僕とシスティーナの気持ちを優先してくれるとまで言ってくれていたが。
でも、僕はシスティーナに対して好感情を抱いているし、システィーナも乗り気だったので快く了承した。僕の気持ちが恋愛的な意味でシスティーナを好いているのかは分からないけれど、彼女となら一緒になっても良い家庭が築くことができると思う。……いや、絶対に築けるだろう。
余談だが、システィーナは実は、前々から事情を知っていたらしい。というのも、以前偶然にも父上と母上が話しているのを聞いてしまい、知ってしまったとのこと。
システィーナ自身は、それ以前から僕に対して好意を抱いていたらしく、そのことを思い悩んでいたそうだ。実の兄を好きになるなんて、と。
だが、そんなある日。自分と僕が実の兄妹ではないと知った上、僕が婚約者の筆頭候補となっていることを偶然にも知った。その時は涙を流すほどに喜んでいたそうだ。母上が昨日、こっそりと教えてくれた。そこまで僕のことを思ってくれていたということは、純粋に嬉しいし、何より愛おしいと思う。
システィーナはバージンロードを歩き、やがて僕の前まで来た。遠目で見ても綺麗だったが、目の前で見ると、また一段と綺麗だと思った。
「どうですか?」
システィーナが僕に聞いてきた。
「き、綺麗だ……」
「ふふふ。嬉しいです。ありがとうございます」
……ありきたりなことしか言えなかった。僕は、自分の語彙力が恨めしい。
「準備は宜しいですかな?」
神官が尋ねてきた。
「はい。お願いします」
「神官様、よろしくお願いいたします」
「うむ」
僕とシスティーナがそう言うと、神官は鷹揚に頷き、言葉を紡ぎだした。
「汝、アルフォンス・フォン・ウォークレイは、この者、システィーナ・フォン・ウォークレイを妻とし、良き時も悪き時も、富める時も貧しき時も、病める時も健やかなる時も、共に歩み、他の者に依らず、死が二人を分かつまで、愛を誓い、妻を想い、妻のみに添うことを、神聖なる婚姻の契約のもとに、誓いますか?」
「誓います!」
「汝、システィーナ・フォン・ウォークレイは、この者、アルフォンス・フォン・ウォークレイを夫とし、良き時も悪き時も、富める時も貧しき時も、病める時も健やかなる時も、共に歩み、他の者に依らず、死が二人を分かつまで、愛を誓い、夫を想い、夫のみに添うことを、神聖なる婚姻の契約のもとに、誓いますか?」
「誓います!」
「皆さん、お二人の上に神の祝福を願い、結婚の絆によって結ばれた このお二人を神が慈しみ深く守り、助けてくださるよう祈りましょう。皆さん、目を閉じ、視線を落としてくだされ」
神官がそう言うと、式に出席している誰もが瞑目し、視線を落とした。僕とシスティーナもまた、同じように瞑目し視線を落とす。
「万物の創り主である神よ、あなたはご自分にかたどって人を創り、夫婦の愛を祝福してくださいました。今日結婚の誓いをかわした二人の上に、満ちあふれる祝福を注いでください。二人が愛に生き、健全な家庭を造りますように。喜びにつけ悲しみにつけ信頼と感謝を忘れず、あなたに支えられて仕事に励み、困難にあっては慰めを見いだすことができますように。また多くの友に恵まれ、結婚がもたらす恵みによって成長し、実り豊かな生活を送ることができますように。我らが主――創造神様によって」
その場を静寂が支配する。
「それでは目を開けてくだされ」
そして一拍置くと、神官は続けた。
「それでは誓いの口付けを」
僕はシスティーナが被る白いベールを上げ、彼女の顔を見る。
美しかった。
そんな陳腐な言葉しか出てこないけれど、それしか思い付かない。そして思う。僕はシスティーナのことが恋愛的な意味で好きなんだ、と。その途端、急に気恥ずかしくなり、顔を思わず逸らしてしまった。顔が真っ赤になっているのが、鏡を見ずとも分かる。
「お兄様……いえ。アルフォンス様、顔が赤いですよ? ふふふ」
「べ、別に赤くないし!」
「ふふ。そうですか? それはそうと、口付けをしてくださいまし」
「わ、分かってるし!」
僕はシスティーナに顔を近付けていき、そして啄むような口付けをした。
生まれて初めてした口付けは……なんだか甘かった。
“愛”というものの味は甘いのかもしれない。何となく、そう思った。