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小説家自体が現実におけるブラホク的な特異点的な存在である



 俺は想うのだが、こんなクソ難易度の現実を生きている癖に、商業出版レベルの小説を書けるとか神様以上だろ?

 絶対的な上位存在以上、つまりはブラックホール的な事象の特異点なのだろうがよ、馬鹿!


 ハッキリ言って、現実における神以上媒体、アニメに漫画に映画にキャラソン、音楽に配信にラジオにエロゲー、その他いろいろ。

 人間の感情を臨界点まで溢れさせて、100%以上を超過すれば、情報処理能力って奴は、理論的にどこまでも超過するのだ。


 だが、現実は無限大に詰まらない、下らない、しょうもない、理不尽・不条理・不合理・非効率などが溢れかえっているのだ。

 無限大に破綻・破滅・崩壊しているのが、現実世界であり人生なのだ。

 全ての人間の運命が、強制的に奈落の底を突きぬけて、無限大の不幸に落ちるように、絶対的に設計されているのだ。


 それなのに、なぜか人間は無限大に、最初から、創世から設定された人間存在のパラメーター、世界に対する存在比率、

 それを、ただただ自我という概念のような何か、良く分からない未知なる無限大のダークマター的なエネルギーである、

 で無限大に超過し、言葉のままに、そのままに、この現実のありとあらゆる障害を、運命を、物理現象すら全部超越してしまえるのだ。

 

 普通に可笑しい、頭がイカレテ、狂って、ラリっている、それが常態化し、リスク無しの麻薬中毒患者のような有様であるのだ。


 俺は掛け値なしに、人間の可能性や確立みたいなモノ、その変動が、異常に無限大に見出せるのではないかと、錯覚しそうだ。

 所詮は物理的な制約に縛られている癖に、人間の脳味噌みたいな機構が、どうやら奇跡的な事象を、現実化させるのだろうがよ。

 つまりはそういうこと、人間の脳味噌が、チート臭い能力を発現させられる事は、どうやら明瞭に確定的に明らかっぽいんだよなあぁ~~。


 これは俺が、この現実世界の人生において、唯一無二に確信して悟った、救いのようなモノだ。

 もしコレがありえないのなら、ハッキリ言って今スグに自殺して、首を吊るか、呼吸を止めて即座に即死した方が、普通に無限マシな状況が眼前なのだ。


 もちろん、高度に高知能な、奇跡的な脳の働きなのだ、社会的に超一流レベルの人生を送っていないと駄目だろうがよ。

 つまりは底辺で生きている様な俺ゴミに、このような脳の奇跡的な機能が発現される可能性は、ほぼほぼでゼロパーセントだ。


 自虐じゃない、現実だ、俺は昔から、この点においては誰よりも悟りが深い、自覚症状がある。

 当たり前だろうがよ、馬鹿野郎、それが現実であり人生であり、世界のありのままの姿なのだ、自覚しろよ? ってな常に明瞭。


 底辺の仕事をし、底辺の生活環境で、底辺レベルの無限に退屈な人間関係で、底辺の要素をかき集めたような人生において、

 奇跡的な能力が発現するなんて、それこそが奇跡だろうがよ。


 全ては必然で構成されているのだ。

 超一流の仕事をし、超一流の生活環境で、超一流の無限に知的好奇心を刺激し、そそり、駆り立てられて、

 無上に突き上げられるような、感情の感動の奔流の中で、灼熱の無限熱量を知りまくり、

 且つ一日中、遊んで暮らせるような、特権階級の人生の超絶勝ち組連中、そのレベルで、やっと発現確率が最小単位だ。


 つまり、普通に生きていれば、絶対的に小説家レベル、商業出版レベルの小説は書けないのだ。


 書けるのならば、ルールを違反せねばならない、それ以外の全部の手法は、確立として論外、例外の例外として除外レベル。

 有望な若者の芽を叩き潰す、子供を非情な目にあわせる、

 掛け値なしに、どうしようもない、ろくでなしのクソ野郎に、リーマンショックレベルの世界に対する背徳と罪悪である。


 だから普通の人間には、絶対に書けないのだ、俺は化け物になるつもりは無い、外道で鬼畜で極悪人にも。

 真っ当な方法で書くには、あまりにも、途方も無い、ただただ遥かなる千里の道の未知の、先の先の果ての果ての領域、世界にそれはある。


 俺は確信がある、

 足を引っ張るだけの、できる奴の、重荷、責任や負担を押し付けるだけの、クソ野郎に、成るつもりは、絶対に無い。


 だから俺は小説家になるつもりはない、

 この腐った、ろくでもない現実で、無限大に不幸になる、歯車になり、無限大に殺されるように死ぬ、そういう絶対的な悟りがある、

 諦観がある、

 現実がある、

 人生がある、

 世界が有る、ただそれだけだ。


 それでも暴走しない、犯罪に走らない、ただ無限大に不幸になって、発狂して、精神が死ぬまで、耐え続けるという意思があるだけだ。


 世界ってのは、根本的に根源的に、そういう風になっているのだ、犠牲の上にあるのだ。

 もし、このように発想しないなら、とっくの昔に、社会はぶっ壊れているはずだ。

 

 もちろん、日本はできない奴、不幸な奴、八割以上の馬鹿、哀れな孤児みたいな低スペックなゴミ屑にも、

 金をばらまいて、不満を抑えてきた、

 だが若者の低所得にあるように、それも不可能だ、日本がまんま落ち目で、クソみたいな感じになってきたからだ、少子高齢化、それも超超。


 結論として、無限大に不幸になって、ありとあらゆる拷問と凌辱の限りを尽くされる事を、確信しろ。

 そして諦めて、自分は我慢できると盲信して、無限の終わりのトキまで、精神を秩序的に保つのが、大人ってモンだ。

 それも真っ当な、たった一つの冴えたやり方だろうがよ。


 俺は小説家は、ブラックホールだと思っている。

 全てを呑み込み、全てを台無しにして、

 幸福も不幸も、全てをどうでも良いモノと片づける、ノアの方舟のような、救世と破滅を同時に招くモノだ。


 俺はただの矮小で、世界にたった一人で存在する、哀れで虫けらのような人間だ。

 

 無限に神を望むだろう、無限に救いを求めるだろう、だが、そんなモノは絶無にありえない、存在しないのだ。


 この世界には、真っ当に幸せになれる、真に肉体的に精神的に知的に恵まれた、

 特権階級的な超一流の領域、聖域、世界があるだけだ。


 それ以外は、全部が全部、終わりの終わりを始めるだけに、煉獄・カサルティリオ、全てを犠牲の下に浄化する、地獄絵図があるだけだ。


 こんな世界に救いは無い、滅んでしまえと思うだろうがよ。

 それでも、この世界には、無限大の幸福が、人間が主観的に認める、無限大の意味と価値があるのだ。


 それは超一流の人間以外は、真に知覚も認識も、認知もできない。

 それは神そのものだ、自体だ、真なる救いの、現実的な事象だ、救世を無限大に成すモノだ。


 そういうモノは確かに存在する。

 そういう幻想を持って、超一流以下の人間は、幻想に無限に縋って、理想を夢見て、

 無限大に不幸になる事を自覚しても、人間らしく、人道と倫理、人として守るべきモノに殉じて、殉死する以外に何も無いのだ。


 無限大の不幸には耐えられない、無限大に人道と倫理を外れるだろう。

 それでも人間には守るべき、法律がある、制約がある。

 

 救いは有る、どんなに人間として無限大に救いようが無いほど腐っても、

 人間は道を踏み外さないのだ、なぜなら、矮小過ぎるから、箱庭に囚われているのだ。


 上手く何もかも処理してくれる、社会はその為にあると言っても過言じゃない。

 哀れな人間を、人間のままに、無限大に不幸にした挙句に、ただただ殺してくれる、無に返してくれるのだろうがよ。


 永劫の回帰、円環の理、その果てに、

 ここじゃない未来において、将来の世界において、人間を無限に救ってくれるような、何かが生まれる事を絶対値で信じるのだ。


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