彼の正義
文書をしまい、椅子に座っている皇女の方へ顔を向ける。
「それとエステニア・ハルメ殿。貴女にはジュンク総統より直々に呼び出しがかかっております」
そう告げるとエステニアの端整な顔立ちが一瞬、引き攣るのがウォーカーには見えた。
それもそのはずだ。ジュンク総統の性的嗜好は少し常軌を逸脱しており、度々上から諫められると聞く。
そんな人の所へ行くのだから、こんな状況下では何をされるかたまったもんじゃないだろう。
それにバルギニスの皇帝もその容姿について尋ねたと言われている程の美女であるエステニアだ。
あとは、知れたことである。と、ウォーカーはかなり気の毒に思っていた。
「……わかりました。伺いましょう」
顔に悲壮感を漂わせて、エステニアは立ち上がり、ラインの方へと歩いていく。
その足元は整然とはしていたものの、どこか頼りなさげな気がしてならないようにラインには見えた。
「待ってくれ、どうか――それだけは、それだけは止めてくれないだろうか」
丁度、扉を開けたところで上着の袖を引かれたウォーカーが振り向くと懇願を超えて哀願するバムハイドがそこにいた。
「どうか、この通りだ。私はどうなってもいい、しかしあの娘だけは見逃してくれないだろうか」
今でこそ違うが元は皇帝であったバムハイド。そのプライドをかなぐり捨てて地に頭をつけ、涙を流していた。
「……残念ながら、それは出来ないでしょう」
少し時間を空け、申し訳なさそうな声で困ったような表情をするウォーカーをラインは見た。
「お父様、私のことは気になさらないでください。これでもハルメ皇国の皇女、こうなる覚悟はしてまいりました」
「エステニア……」
「私はお父様の娘で幸せでした。願わくば、次もそうである様に願います」
護送隊を待たせていることにラインは気づいていたが、あえてそれを口にすることは無かった。
間違いなく今生の別れになるであろう二人の間に入る気は無かったのである。
――しばらく時が流れ、ウォーカーは気まずそうに声をかけた。
「そろそろ行きましょうか」
「わかりました。最後に一つよろしいですか?」
エステニアは振り返り、ウォーカーの目をじっと見て言った。
「なんでしょう?」
「私たちの国では各種族とも共存できるよう願い、国を動かしてきました。種族に貴賤は無い。それが私たちハルメ皇国の国是です」
じっと見つめるエステニアに少し身じろきながらも見つめ返すウォーカー。
「ええ、素晴らしい事だと思っていました」
「ですが、今回。私たちの国は最終的に貴方の手によって滅ぼされる事となりました。貴方はお見受けしたところ、人間種の血が流れているように感じます。人間種を守ってきた国を、正義を、人間種である自分の手で滅ぼす。どの様なお気持ちかうかがってもよろしいでしょうか?」
エステニアの言葉は真っ直ぐにウォーカーの胸へと届いた。
彼女からしてみれば、人間種である様に見えるウォーカーの気持ちを心底知りたいと思っていたのである。
これは私には何も言えない質問だと、ラインは思う。
ただ、この皮肉みたいな言い回しにウォーカーは気づくことは無いだろうと少し場違いにおかしく感じていた。
少し逡巡した様子で窓の外を眺めたウォーカーはゆっくりと口を開いた。
「――任務ですから」
微笑を湛えたウォーカーは続けた。
「ハルメ皇国の国是にはとても共感しますし、良いことだと感じてはいます。もし、私が皇国に生まれていたなら、間違い無く貴女様の下に馳せ参じて皇国の兵として戦っていたことでしょう」
一息置いたウォーカーは続ける。
「個人としてはこの身でこの国に引導を渡さなけばならないのはこの上なく残念です。ですが私は帝国にある身。帝国軍人としては通常のことを行ったまでです」
「そうですか……」
エストニアは目の前の青年士官に何かを言おうとして口を開いたが、結局何も言わずに閉じた。黒い瞳を持つ者が、白い五芒星の刺繍がされている赤のベレー帽を被っていることがどれほど尋常ならざることなのか。ふと感じたからである。
「そして、貴女がおっしゃった正義ですが――力ある者こそが正義だと私は思っています」
ウォーカーはエストニアの目をじっと見つめて、はっきりとそう言い切った。
「わかりました、ありがとうございます」
納得しないまでも、答えを得たエストニア。
ただ、この人は瞳を通り越してどこか遠くの誰かを、私ではない誰かを見ているのだろうと感じていた。
軽い会釈を残してハルメ皇国を導いてきた二人は別れ別れに連行されていく。
その背中を二人の帝国士官が窓から差し込む陽だまりの中、見送っていた。
塵が光の柱を創る廊下で背の高い士官が尋ねる。
「……隊長」
「ん、なんだい?」
「……隊長の正義は力ある者なんですか?」
「ああ、そうだよ。間違いなく、ね」
先程よりも力強いその声は念を入れて質問を肯定した。
「そう、力こそが全てなんだよ――」
その呟きは本人の耳にすら入ることも無く虚空へ溶けていく。
窓の外ではまだ、あの音楽が流れていた。