皇国の落日
二人は皇宮内に入ると血まみれの歩兵隊員の案内の下、確保対象がいる王座の間へと歩いて行った。
行く道には血のむせ返る臭いや壁の激しい傷が数多く残っていた。
踏みしめる足元にはガラスの破片が散らばっている。
壁に掛けられた絵画や見事な装飾品の数々は今や見る影も無くなっているほどだ。
最後まで皇国側は抵抗をつづけたようだとラインは思った。
こちらになります。と、案内してくれた隊員にお礼を言うと隊員は持ち場へと帰って行く。
ウォーカーは壮麗だった扉を実直に三回ノックし、押し開けた。
ウォーカーが押し開けていく扉の奥からこの場には似つかわしくない香りが流れ、ラインの鼻腔をくすぐる。
其処は帝の謁見の間になっていて、玉座には依然と何の変りも無く帝が座っていた。
そして二人の視線の先ではその玉座の近くで一人の若い女性が紅茶だろうか、何やら飲み物を椅子に座って飲んでいる。
カツカツと律動的な歩きで部屋に入っていくウォーカーに従って部屋に入ったラインは思わずぼそりと呟いた。
「一体何が起こっているんです?」
「……俺もちょっとわかんないや」
ウォーカーの低い背中がそれに答えた。
隊長、お疲れ様です。と、敬礼したのは歩兵隊の隊長ことオクタ・ザニエスだ。
彼のがっちりした体と片目にバッサリと入っている刀傷は歴戦の猛者を思わせる。
面白いことに、このオクタ・ザニエス率いる歩兵隊の隊員たちの中にはウォーカーの事を表立って悪く言う人物は居なかった。
彼らは常に最前線であり続け、その勇猛な攻撃によって勲章が最も多い部隊であった。また死傷者が最も多い部隊でもあった。
そんな彼らが生き延びる上で必要なのは優秀な血統では無く、優秀な友軍だったのである。
そして優秀な矛にも盾にもなり、時には血路を開いていく戦車隊やその隊長であるウォーカーに対し、個々人の心の中はどうであれ、一隊員としては頼もしさしか持ち合わせていなかったのである。
帝の近くで二人の動きを監視している彼以外に隊員は誰も居らず、皇国側の兵達も居なかった。
「ザニエス、ご苦労様です。」
敬礼を返したウォーカーは辺りを見渡し、ザニエスに尋ねる。
「他の降伏した者たちは?」
「既に一か所に集め、護送の用意を始めています。後はここの二名のみです」
「わかった、ありがとう」
これが終わり次第、総督府近くの監獄に降伏した者は護送されることになっていた。
どうやら、ザニエスはこれから行われる通告に大人数はいらないと判断したのだろう。
なら、さっさと始めるか。と、ウォーカーは懐から一枚の書類を取り出す。
ガサガサと書類を広げ、一息ついたウォーカーは文書の内容を読み上げた。
「バムハイド・ハルメ殿。貴殿にバルギニス帝国・在ハルメ皇国総督府より出頭命令が出ています。同行をお願いします」
何の感情のこもっていないウォーカーの声にバムハイドは一瞬目を閉じ、力無くうなずいた。
「尚、本日をもってハルメ皇国は主要庁舎と共に解体。バルギニス帝国のハルメ県となりますことをお伝えしておきます」
ウォーカーのその言葉にバムハイドは何も言うことなく、黙然として立ち上がる。
その立ち姿が何処か空虚めいて見えたのはウォーカーだけでは無かっただろう。
かつて突出していた魔法技術で周辺国家をまとめ上げ、地域の平和と魔法の発展に貢献して来たハルメ皇国。
過去の友好国であったバルギニス帝国に併呑されて40幾年経ったこの日、たった一枚の書面で数百年にも渡るその長い歴史に幕を下ろす事となった。