可愛いあの娘は看板娘
人通りの多い方に向かって暫く歩くと、香ばしい良い匂いが漂った。この匂いは知っている。『鶏のから揚げ』だ!
空腹をもろに刺激された俺は、その香りに引っ張られるように、ふらふらとその店に近づいた。
「行って来まーす」
目の前のその店の自動ドアが開き、店の中から茶色い大きな箱を抱えた、緑の帽子に緑のエプロン姿の女の子が飛び出してきた。その子は俺の方に向かって来たので、何気なく避けようと、右へ体を寄せたら…
「きゃあ!」
なんとその子も俺と同じ方向に体を回転させた。そして、ぶつかったはずみで大きくバランスを崩して、箱ごと倒れそうになる。
「おっと…」
俺は咄嗟にその箱の下を掴んだ。ってか、これ滅茶苦茶重い…
「あ、れ?あー、す、すいません。前をよく見て無くて…本当にありがとうございました」
その子が慌てて俺に頭を下げる。
「い、いや…大丈夫だから…そ、それにしても随分これ重いね」
「あ、は、はい…これ中身全部『お弁当』なんです。ちょっと注文が多すぎて、間に合わなくて…本当にありがとうございました」
彼女はそう言って、また歩きだそうとしてるけど、流石に一人でこの重さはきついだろう…俺の未来の家なら、自動運搬機があるから手で持つ必要なんかはないけどね。
「手伝うよ。これ一人じゃやっぱり重いだろうし。そんなに遠く無いんでしょ?」
「え、で、でも…」
その子はちょっと困った顔をしたけど、俺が無理やり片側を持ち上げたもんだから、なんとなく任された形になって、そのまま二人で運んだ。彼女の顔は、箱の陰でよく見えなかったけど、ちょっとうつむき加減でこっちを見てはくれなかった。
暫く行った先の団地の2階まで登り、その弁当を届けた。
「ありがとうございました。またご利用ください」
その子がお客さんからお金を受け取って、元気よくお礼を言い、そして俺に向き直ると、
「あの…本当にありがとうございました。なにか、お礼をさせてください」
手を後ろにまわして、少しモジモジした感じのその子は、帽子越しに上目遣いで俺を見る。さっきまで箱があったから顔が良く見えなかったけど、笑顔の可愛らしい子だ…
そう言えば、あの店お弁当屋さんって言ってたな。
「もし…出来たら、食事させてもらえるかな。『鶏のから揚げ』とか食べたいんだけど」
「は、はい!でしたら、是非うちに来てください。うちのお店のから揚げは絶品ですよ」
そう言われて、俺はその子について店まで戻った。
店は弁当屋だけど、店内にはテーブル席がいくつかあって、何人かがそこで食事をしていた。店の奥では、さっきから鍋を振る音が絶え間なく聞こえてきている。
「ただいま!鶏から弁当一人前…あ、明太マヨトッピングでお願いします」
その子がそうカウンター越しに声をかけると、中から威勢の良い返事が返ってきた。
「ふふ…楽しみにしてて下さいね。ちょっと辛いかもですけど、うちの『明太マヨから揚げ弁当』すごく美味しいですよ。あ、私仕事があるので、中にはいりますね」
可愛らしくウインクして、厨房に入っていく彼女に、一瞬ドキリとしてしまった。
まったく俺ときたら…すぐに勘違いしてしまう。俺みたいな根暗で陰気な男に気があるわけないのに…ホント、俺はショーも無い。
店の中には、さっきからお客さんの出入りが多い。かなり繁盛してるみたいだ。
テーブル席に座って暫くしたら、彼女がトレイに乗せた、から揚げ弁当を持ってきてくれた。見ると、ご飯の脇に、山盛りのから揚げが乗っていて、上からピンク色の『明太マヨソース』が掛かっている。彼女は俺を見つめたまま、俺が食べるのを今か今かと待ち構えていた。正直食べ辛い。でも…本当に美味そうだな。
俺は、彼女の視線を気にしないようにしながら、そのソース付きのから揚げをパクリと食べた。
「う、美味い…滅茶苦茶うまい」
「でしょー!」
俺の旨いという反応を待っていたかの如く、彼女は満面の笑顔でそう答えた。というか、本当に美味い。昨日のニムのから揚げも上手かったけど、これはこれで明太マヨソースのちょっと辛い味と絡んで、もう箸が止まらなかった。とにかく旨い。
「エへへ…」
俺の反応を見た彼女は、満足そうな顔をして、また厨房に戻って行った。
◇
結局、その昼飯はごちそうになってしまった。お代を払おうとした時に、その女の子が必死に受け取りを拒んで、しかもそれを見ていた店主も同様に受け取らなかった。まあ、あれだけお礼を言われたら流石に小心の俺は強くは言えない。また来るね…と言って、店を後にした。
食事を取った俺は、先程の学校の正門に戻った。そこではニムが生徒と話をしていた。よく見ると、女子学生だけではなく、男子学生にも話しかけられている。ニムを中心にして、ちょっとした人だかりが出来ていた。
むむ…なんだかムカつくな…俺が丹精込めて作ったロボットだぞ…お前ら気安く寄るな…とは、言えないけどね…
少しイラッとしてその場から動けないでいた俺だったけど、逆にニムの方が俺に気づいて一直線に駆け寄って抱き付いて来た。
「ちょ、ちょっと、ニム?みんな見てるからね…は、離れなさいって…」
両肩を掴んで無理やりひき剥がすと、ニムはペロリと舌をだして、
「だって、一人で寂しかったんですよ、マスター…頑張ったんですから、ちゃんとご褒美下さい」
「ま、待て…とりあえず、お前は俺の助手なんだぞ。人前で俺の評判を落とすような事はするな」
俺がそう言うとニムは、しぶしぶと言った感じで先ほどの生徒たちの所へ行って、みんなにお礼を言って頭を下げて周った。そして俺の側に戻ってくると、
「すいませんでした、マスター。我を失っていました」
我を失うロボットって、いったいなんだよ。聞いたことも無いぞ。
「でも、ちゃんと聞き込みはしましたよ。それで、益子弘美さんの事についてですが…」
ニムはきちんと仕事をしてくれていた。益子弘美はここ3日程休んでいるらしい。理由は生徒達は良く知らないようだが、彼女について色々情報も集まった。
彼女は、自分の父親の仕事の手伝いをしているようだ。弘美の父親はどうも最近転職した様で、元々は高級車に乗って、高級そうなスーツ姿のまま弘美を迎えに来ることもあったそうだが、最近は見かけなくなったとの事。ニムは、その父親の転職後の仕事先も友人たちから聞いていた。
「ここからそんなに遠くないそうですよ。二人で行ってみましょう、マスター」
ニムはやっぱりご機嫌だ。二人で並んで商店街の方へ向かって歩く。
そんなニムに手を引かれて着いた先は…
「ほ、本当に、ここなのか?」
「はい、そうですよ『こもれび弁当』って言ってましたから…」
そう、ここは俺がさっき昼飯をごちそうになった、あの弁当屋だ。と、いうことは…
「あれ?あれあれ?お、お客さん、わ、忘れものですか?」
店の中から、あの女の子が出てきて、赤い顔をして俺に話しかける。そして、慌てた感じでもう一度、帽子を取って頭を下げた。
「あ、さ、さっきは本当にありがとうございました」
「あ…」
緑の帽子を取って、長い茶髪のポニーテールがはらりと現れたその顔は、まさに今朝オッサンから渡された写真の、『益子弘美』その人だった。
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