⑮
これは確かに真実だった。
紛れもない、事実だ。
「あはっ、ははは……」
渇いた声が響く。引き攣ったような、壊れた笑い声だ。
もう哂うしかない。嗤うしか、この気持ちを表すことはできない。
忘れていたとはいえ、ユニは大切だった者を殺した人間を養父と養母として慕っていたのだ。これがどうして赦すことができようか。
破裂するような大きな音が響き渡り、肩から全身に衝撃が走る。
肩の肉が爆ぜ、血が飛び散る。
紅玉みたいな滴が伝い落ち、真っ赤な水溜りを広げてく。
獣が低く這う唸り声を上げた。
「見つかってしまったようだね」
眼鏡が似合うシャープな顔立ちに、白衣。神経質そうな雰囲気が全身から醸し出されているのは紛れもなく養父だ。手には拳銃を持ち、逆の方の指では眼鏡を上げている。
「書斎に入ってみれば、鍵がないようで焦ったよ。いけない子だ。勝手に金庫のもの持ち出すなんて」
「本当に困った子」
そう言って現れたのは養母。こちらも白衣を羽織い、眼鏡をかけている。髪をお団子状に纏めているのは、いかにも頭の良さそうな女性像そのままだ。
「反抗期もない良い子だと思ったのに、この歳で漸くなのかしら? お願いだから、お母さん達を困らせないで頂戴」
こちらをねめつける瞳は威圧的だ。
痛みを堪え、打ち抜かれた肩を押さえて二人を睨みつける。堪えるように強く噛んだ唇からゆっくりと息を吐き出す。
「何で私がここに居ると? 今日は二人共帰らない筈でしょ」
そう、こんな時間とはいえここに来ようと思ったのはこの二人が帰らない筈だったからだ。それなのに、二人は拳銃を手にするという銃刀法違反まで犯してここに居る。
「恵が知らせてくれたのさ」
なぁ、恵……と親友の名を呼ぶ声が蛇の鳴き声のように湿り気を帯びてべたついている。吐き気がするくらい、気色が悪い。
その声に促され、奥の方から恵が現れた。
顔色が悪い。蒼褪め、震えている。
「御免なさい、ユニ。けど、最近の貴女の様子が明らかにおかしかったんだもの。だから、つい」
「だから、つい、いよいよ怪しい行動を起こしたわたしのことを二人に報告したの?」
恵は小さく顎を引いた。
肯定だ。
「どうして? どうしてこんなことをしたの?」
それは心の底からの疑問だった。周囲にはあまり関心のない恵の行動とはどうしても思えなかったのだ。
意を決したように、恵は顔を上げる。
「あたし、貴女に出ていってほしくないの」
その一言でユニは知った。
「恵は、知っていたの? 何もかも」
そう、出て行くという件が出てくるということはユニすら知らなかったユニのことを知っていたということ。そうじゃなきゃ、身寄りのないユニがいきなり出て行くなどという発想はほとんどあり得ない。
「何もかもというわけではないけれど、それでも大体のことは」
「それじゃあ、恵は二人に協力していたということ?」
「ううん、あたしはそこまで力があるわけじゃないから協力なんてとても」
その物言いにキレた。
何時ものはっきりとした不敵な恵の性格と話し方は好きだが、こんな風に言い訳がましい卑屈な言い方は嫌いだ。だからはっきりとユニは言葉を口にする。
「ねぇ、知っている? 苛めの現場とかでさぁ、それを遠くで見ているだけっていうのは苛めに加担しているのと同じことなんだよ。自分は実際に手を出していないから、ただ見ていただけだから、そういうのは言い訳にしか過ぎないんだよ。恵、正義感が強かったでしょ。いつも一番にそういうのを見たら駆けつけ、苛めっ子たちを倒していた。それなのに今、それと同じことをするの?」
問うと、恵は眼を伏せた。
今日の恵はおかしい。隠していた失敗がばれた子供のように、心が浮ついている。心、此処に在らずだ。
「お祖父ちゃんが死んで凄く哀しかった。だから、ユニはいなくならないでほしかった。ユニだけはあたしだけのものだもの」
「もしかして、あの時の子供……」
ぴんときた。
確かにその面影が目の前の少女にはある。どうして気が付かなかったのか、と自分の迂闊さを呪いたくなるくらいだ。
「最初はあたし、いつも構ってくれないお父さんとお母さんがいよいよあたしのことをいらなくなったと思った。だから、お祖父ちゃんの所に連れていったんだって。だけど、そこでユニに出会えた。お爺ちゃんとユニと一緒に過ごすのが好きだった。だから……」
「だから?」
「お父さんとお母さんにそのことを言ったの。ユニのことを」
「そう、恵が君のことを教えてくれたのさ」
恵の言葉を遮るようにして、養父が言葉を被せる。
にやにやと下卑た笑みが気持ち悪い。
「やっと幸運が回ってきたと思ったね。金を持っているから引き取られたものの、あの爺さんは正直好きじゃなかったんだ。何せあの爺さん、説教ばかりでうざったく、何時殺してやろうかとそればかり考えていたね」
「貴様!」
「おっと、養父に対してその言い方はないだろう? ここまで育ててやった恩義を忘れないでほしい」
「何が、恩義だ。その恩がある者を殺した張本人がそれを口にするな」
睨みつけると、「おぉ、怖い」と養父は手を広げる。その様はまさに滑稽。怖いと口にしておきながら手には拳銃を持っているのだから、その警戒心の強さはさながら蛇のようだ。執念深く、そして自身家で、その立場が何時逆転するかをまるで解っていない。
「もう、そのくらいにしておきなさい。ユニの機嫌を損ねてしまうわ」
にこりと笑み、養母が足を進める。
「ほら、ユニ。いいからそれを渡しなさい。それは大切なものなのよ」
「これをどうする気?」
親が幼子の手から物を取り返そうとするかの仕草に、ユニは反射的に角を庇うように懐に強く抱き込む。養母が近づく度にユニは一歩下がり、一定の距離が二人の間には生まれる。
「人の役に立つ実験に使うつもりよ。知っているでしょう? 私達は医者なの。医者が人の為になるように研究をするのは世の中の常というやつじゃない?」
それは正論だ。真っ当なまでに正しい言葉だ。
だが、この二人はもう信用ができない。何も感じさせない顔であの人の心臓を一突きにしたことを思い出したのだ。その上、ユニの額の角を切り取ったのも目の前のこの男なのだ。
「その証拠は?」
「証拠? 証拠を見せるのだとしたら、それを渡してくれないと。そうしなきゃ、私達の研究の成果を見せてあげられないわ」
さぁ、頂戴と手が伸ばされる。
『渡すな!』
他の者には聞こえない、同種のユニだからこそ解る声域で獣が言う。どういうことかと目線で問えばすぐに応えがあった。
『それをこいつらは兵器として使うつもりだ。常に帯電しているから、それを使えば何れ無尽蔵でレーザーなんかを撃つことができる兵器を作ろうとしている。そして、その電気を利用して人間の回路を弄った実験なんかも始めようと計画しているんだ』
「人間を?」
『そう、人間だ。人間の身体は電気回路のように神経が行き来して動いている。だったら簡単だ。そのリミッターを外してしまえばいい。外してしまえば簡単に人間は限界を超えてしまうようになるだろう。だが、限界を超えたら最後だ。限界を超えた人間は廃人になるぞ』
そんな研究が成功してみろ、世界は崩壊するぞと咆える。
ユニはぞっとした。
その言葉は大げさではないのだろう。人間の身体能力を自在に操るということは、感情とかそういうものも一切なくなってしまうのだろう。痛みも疲れも感じない、ただの殺人人形。そんなものが世界中に出回ってしまえば、間違いなく今の均衡は崩れてしまう。
「これは、渡せられない」
「どうして?」
「貴方達はこれで世界を混乱に陥らせるのでしょう。だったら、これを渡すわけにいかないのは当たり前じゃない」
「そう、餓鬼が」
吐き捨てるように言うと、道端に落ちているゴミでも見るかのように熱の籠らない視線で見降ろしてくる。
「あなたを人間にして育て、化け物達を上手く操るつもりだったけど、もう用無しのようね。全く、残念だわ。あなたのお陰で今まで材料には困らなかったというのに」
「まさか……」
『本当のことだ。主を助けようとし、今まで幾人もの仲間がこやつらに殺されている。それも実験と称した嬲り殺しで』
無念だというのがひしひしと伝わってくる。
伝わってきて、ユニの手の中の角がバチリと強い音を立てて電気を放ち始めた。その勢いは今や凄まじいほどで、ユニの全身から放たれている。
不思議と痛くもなければ、痺れもない。
ただ、虚しかっただけ。否、空しかったのだ。
自分の選択に後悔はないが、それでも仲間を護る義務を捨てて人間と一緒になった。そしてそのことでまた仲間が死んでいこうとしている。それを放っておくなど、どうしても出来る筈がない。自分だけが人間としてのうのうと生きるつもりはもう、ユニにはなかったのだ。
眩しい程の光が出、肉体は奇妙なまでに軽い。まるで、このまま何処にでも行けそうな感じだった。
おぉ、と獣が歓喜の声を上げた。
おぉ、と人間が歓喜の声を上げた。
『これぞ、我々の光』
「これだ、これこそが長年求めていた実験体だ」
二つの種族を一瞥すると、どちらに愛執があるのなど言うまでもない。ユニが執念なまでに求めていたのは、ただの個人だけだったのだ。
『さぁ、お逃げ下さい。遠くの方まで』
「さぁ、おいで。お父さんとお母さんの所まで」
角を持った手を見せつけるようにして掲げると、そのままそれを額に押し付けた。
すると、待ち望んでいたみたいにぴたりと適合する。
ドクンと心臓が強く脈打った。
手を離しても角は落ちない。完全にユニの額から伸びている。
これまでにないくらい力が溢れている。否、戻っているのだ。まだ完全とはいえなくとも、0だったこれまでに比べると格段に力はある。
前振りもなしに力を解放すると、音を立てて周囲が焼き切れた。
雷は高温なのだ。当たったりしたら一たまりもなく、燃やすことだってできる。
電圧を最大まで上げる。
人差し指を向ければ、某漫画の主人公のようにそこから雷が放たれた。
目の前にいる獣が放ったものとは比べ物にならない。それほどまで高密度で高温のエネルギー源である。
大きな音を立て、檻の上の方が崩れ落ちる。
電気鋸を振り下ろしたかのように、達人の居合い斬りが決まったかのように、鮮やかな切り口を残して檻の蓋は開かれたのだ。
これは決別の証であり、自分自身を取り戻した証。
「このまま行かせるわけがないだろう」
養父によって向けられた銃を、ユニは大きく手を薙ぎ払って制した。その際に電撃が流れ、手に当たっては小さな火傷を作る。
反射的に手から落ちた銃に雷を放てば、床に落ちる前にその威力でもっと爆発を起こした。
茫然とした視線がユニに集中する中、ユニは、否、ユニと呼ばれていた存在は悠然と踵を返す。行くよ、とそう獣に呼びかけた。
声に応えるようにし、獣は檻から飛び出し傍らへと付き従う。その姿はまさに王者。絶対なる忠誠を抱く獣を従えた、鴉戯とはまた違った意味での王の姿そのものだった。
「ユニ、何で、ユニ……」
過ぎ去ろうとする背中に、恵は必死に手を伸ばして抱きつく。
これまでだったら恵にそうされていたら、無条件でこちらが悪いような、何でも許そうという気になっていただろう。だが、今は違う。
「御免ね。これが本当のわたしの姿なの。だから、恵とはもう居られない。今まで一緒に居てくれて有難う。貴女と一緒で楽しかったんだよ。けど、もう無理みたい」
「いや、行かないで」
ユニと名前を呼び、見捨てられないようにと何時も必死に後に付き、縋って来る幼子の姿が脳裏を過った。その幼子が今、目の前に居る。しかし、その幼子も成長して今では並ぶとユニよりも大きくなった。もう、自分の足で立って歩けるだけのものを備え持っている。
だから恵を一瞥すると首を振った。
想いに踏ん切りをつけるように、ぎゅっと目を瞑る。そして開く、という僅かな間で覚悟は固まった。
「行かない? ううん、違う。わたしは帰るんだよ。自分の仲間の元へ。もう、わたしは惑わされたりしない」
後ろを振り返り、言葉もなく立ち尽くす面々を見渡す。
「貴方達がわたしにしてきたことは全て水に流しましょう。でも、仲間にしてきたことを赦すわけにはいかない。これから先、このようなことがあるとしたら、わたしは貴方達を全力で排除します。わたしはわたしの仲間を守る為、もう、躊躇なんてしません。あの方を殺した貴方達をわたしは嫌悪します」
言い切ると、恵の手を振り払った。それっきり、二度と後ろを振り返ることはない。
暗い通路を抜け、外に出るとふっと息を止めた。
身体が覚えていたようで、自然と姿が変わる。
片方の肩に傷こそ負っていたが、それでも夢に出ていた獣そのものだ。
その姿のまま、空を駆け上った。
二匹の獣は舞いあがり、雷を呼び寄せ風となって宙を掛けて行った。
もう、耳鳴りも頭痛もしなかった。