⑨
ドアに付けられた鈴が小さくなった。
前に立つ、大きな背中に続いてドアを潜る。
一歩踏み出し、その瞬間にユニは息を呑んだ。
空気が違う。
静謐であり、古紙独特の臭いが広がっている。
そう、ここは侵されることのない神聖な場なのである。
喧騒とも俗世ともまるで無縁で、時間の流れさえからも隔離されたような空間だ。
「どうぞ、こちらです」
声質こそ変わらないが、目の前に居る人物がまるで違う存在のように思えた。
柔和ではあるが表情が違う。
穏やかではあるが、強かさが見え隠れしている。
そして何より、下手な真似をすれば今すぐにでもユニをどうにでもできると言わんばかりの張りつめた態度が違う。
無限回廊、そういう言葉がピタリと当て嵌まる本棚に囲まれた通路を抜けると、そこにはある空間が広がっている。
ぽっと開けた空間の中、山積みになった本に囲まれて豪奢な椅子に座る人物が居る。
その人物は鴉の仮面を付けている。
鴉の濡れ羽色とでも言うのか、闇色の長い髪だ。着ている服はこれまた漆黒の着物。袴までが同色の黒で、足元では底の高い黒色の下駄を弄んでいる。帯には黒い扇子を差して居て、微かに覗く胸元には鎖帷子が覗いている。修験者という言葉がユニの頭に浮かんだ。それを着崩した格好にしたらこんな姿になるのだろうと、そう思わせる格好だ。
「お客様をお連れ致しました。鴉戯さん」
鬼緒が緊張した面持ちでそう口にする。
鴉戯と呼ばれた人物は、にっと歯を剥いた。
「おや、珍しいことだ。鬼緒が客人を連れてくるなど、一体いつ以来のことだろう」
中性的な声だった。
細い輪郭と相まって、性別が判断できない。
顔の半分は仮面で覆われているというのに、それでも尚、目を見張る秀麗さがそこにはある。全身黒色のものを身に纏っている為、陶器のように白い肌との対比が妙に艶めかしかい。
「それで、君は?」
目の前の人物に見惚れていたために、急に声をかけられ声が上ずる。
「えっと、初めましてアギさん? わたしは神立ユニです」
それでも何とか口にすれば、鴉戯は女性のように細く長い指でするりと扇子を帯から抜き取って手にした。
精錬された動作に、ユニはドキリとする。
傍らにある本の山に肘を落ちつけて頬杖をつくと、それとは逆の手で扇子を広げては閉じた。ぱちんと品の良い音が響く。
「私は君に名前を呼ぶことを許したつもりはないのだが」
不機嫌な声だった。
この上ないほど不機嫌であり、全身がそれを拒否しているようでさえある。
初対面な為にこの人物の名をユニは正確には知らない。だが、名前と言うのならそれがそうなのだろう。そして、鬼緒は別として、ユニがそう呼ぶのを全身で嫌悪している。
「では、何と?」
ふむと鴉戯は息を漏らす。
「そうだな。では、私のことは鴉とでも呼ぶがいい」
「カラスさん?」
「そう、鴉だ」
解りましたと頷くと、良い子だと鴉戯は満足そうに頷く。
隣で鬼緒がほっと息を吐いたのが感じられた。それと同時に、青年の空気が弛緩していることも。
ところで、と鴉戯は言う。
「君は知っているかい? ここにやって来るのがどういう人間なのか」
「ここ?」
「あぁ、私が道楽で経営している図書館のことさ。そして、実際に私の前に立つことができる者がどういう存在なのかということを」
考えたこともない質問だ。だが、その口ぶりからして何かを確実に知っているようでさえもある。本を読みに来た、という単純な理由ではなさそうだった。
「何か法則性でもあるのですか?」
当たり前だろう。法則というのはこの世界の何処であり、何であり持っているものさ、と頷く。
「ここに来るのは、皆、知識を求めている者さ。何となくという意識階層のレベルで、気にかかる案件があったとするだろう? それを解決するのにはどうすれば良い?」
ユニは答えない。否、応えられない。
顔を合わせて数分。それだけでこの場は完全に支配されている。鴉戯の独壇場だ。誰にも目の前の人物の言葉を遮る権利が与えていなければ、それを邪魔する行為ができる筈もない。そう、それだけ鴉戯の存在は絶対的だった。絶対的であり、普遍的。そこに存在するのは、王者だった。
笑みを浮かべたまま、「それは単純なことさ」と鴉戯は続ける。
「知識を持てば良いのさ。どんな大きな悩みであろうと、どんな困難であろうと、それに直面した現状でそれを乗り越えらえるだけの知識さえ持っていれば簡単に現状を打破することができる。故に、どんな些細なことでも、普通では解決することのできないものを抱えている者だけがここにはやって来るのさ」
横暴だ。
完璧なまでの暴君ぶりだ。
パンがなければケーキを食べれば良いという某女性を彷彿させるうたい文句ではあるが、それでもこの人物の言葉には妙な説得力がある。誰も文句は勿論なこと、反感を抱くことさえ無駄だといわんばかりの。
ちらりと横を見ると、恍惚とした表情で鬼緒は鴉戯のことを見つめている。成程、この人物が鬼緒のいう「主人」なのだろう。それならあの時同様、彼が好戦的な眼差しをユニに向けたのが理解できる。そして、何があったのかユニは鴉戯に認められた。だからこそ、この青年が警戒を解いたのだ。
改めて目の前の王者を見つめると、溢れんばかりのカリスマ性と美貌がよくわかる。だがそれは道化なのではなく、紛れもなく本物だ。
こくりと喉が鳴った。
酷く喉が渇く。
こんなに存在感のある生き物は初めてだ。
ねぇ、君は……と良く耳を通る声が音を紡ぐ。
「聞いたことはないかい? 図書館には賢者が居る、と」
「有名な都市伝説でしょ?」
そう、有名な都市伝説だ。それこそ、小学生だろうと誰でも知っている程昔からある有名なものである。
内容としてはそんなにたいしたものでもない。
図書館には賢者が居て、その賢者が望むままに英知を授けてくれるとかいうそんな他愛のないものだ。だが、それはあくまで推測の域を出ない。何故なら、これは他の都市伝説とは本質が違う。
この都市伝説の凄いところは、その賢者の知恵によって世の中の発展に貢献した者が居るということだ。
だから、実際に英知を授けられた者がちらほらと居るのはまず間違いがない。だが、その賢者がどういう者なのか覚えているものはいない。それどころか、その図書館が何時から存在しているのかどうかすら不明だ。聞いた話によると、一番古い伝承では平安の時代から記録が残っているなど、途方もないものがある。
だから、この都市伝説は異質だ。
昨日今日できた最近のものではなく、昔から存在しているのだ。故に、重みが違う。
「あぁ、良かった。無知そうな君であろうとそれは知っているようで」
「それは、まぁ」
「それでは、その図書館こそがここだと言ったらどうかい?」
その言葉にドクンと心臓が跳ねた。
「まさか……」
やっと出てきたのは何とも情けない言葉だった。
そんなユニの心情を知ってか知らずか、鴉戯はにやりと笑んだ。
「そう、そのまさかだ。歓迎しよう、私がその賢者だ。君が望むというのであれば、どんな知恵であろうと君に授けよう」
もはや、苦笑いしか浮かばない。
完璧にユニの理解出来る範囲の限界量を超えてしまっている。これが白昼夢だと言ったところで、誰も否定はしないだろう。寧ろ、それはそうだと誰もが頷く筈である。そんな光景が今現実として繰り広げられている。
「嘘とか冗談じゃないですか?」
「何故? 君にはそれを肯定できるだけの理由があるとでも言うのかい? それ以前に、私を偽物だと思う根拠は?」
「いえ、そんなものはありません」
「だろう」
満足気に頷く人物を前に「ありませんけれど、信じられません」と口にすると、意外なことに「それもそうだ。なかなかどうして、君は用心深いじゃないか。勉学ができるのとは別で賢い奴というのは、私は嫌いではない」と言うではないか。そのやりとりは、数日前のユニと恵の会話を彷彿させた。だが、今の言葉は言外でユニのことを勉強ができないと確信していて口にしているようだから複雑だ。
「では、私が本物であるという証でも立てれば、君は単純なまでに納得するのかい? そして逆に問おう。そんな言葉や証拠一つで、己の価値観を覆すだけの信頼を私は得ることができるのかい?」
「それは一体、どういう……」
「どうもこうもない。そのままのことさ。この世界には説得力がいやにある言葉や、どうしても無条件に信じてしまう言葉というものが存在している。だが、それは個々によってまるで違う。それはそうだろう。心や記憶、そして感情というのは共通のものではなく、各々が一つずつ所持しているものだ。共通じゃないからこそそこから色々な発想だって生まれるし、個性というものがある。だから敢えて口にするのなら、それを正確に綴られた文字というのはその者によって酷く魅力的だ。他の者にとっては文字を重ねられただけの羅列であっても、だ」
解るかい?という言葉に、ユニは首を振った。
「私は幾らでも君の心の隙間に入り込むだけの言葉を持っているということだよ。そしてそれを駆使してしまえば、いとも簡単に君に信じ込ませることができるだろう。だから、私は君に聞いたのさ。そんな証拠を見せつけられ、平然とした顔をされただけでその全てを信じえるに足るのだろうか、と。それでどうなんだい? 君は私の言葉を信じることはできそうかい?」
ユニは何も応えることができなかった。
そんなユニに鴉戯は右端の唇を釣り上げる。
「そうだな、結論から言おう。私は君を納得させられるだけの言葉は持ち合わせているが、その証拠は持ち合わせていない。故に、私のことを本物だと肯定するも、偽物だと否定するも君の心ひとつだ。信じるも信じないも君の自由さ。君は君の思うように行動すれば良い。多分、それが君にとっての正解だろうから」
禅問答のような考え方だった。
その言葉の意味をどう捉えるのか、そのもどかしいまでの問いかけが聞く者に普段はまるで考えることのない、真理階層の最下位部のことを意識させる。たいした話術なのだろう。今すぐにでもカウンセラーや心理研究家にでもなれそうだ。
こんな風に今まで誰かに接されたことなんてない。全てが何となくという程度で済ませられるような上辺だけの付き合いだったのだろう、ということを無意識の内に認めさせてしまう。そして、ふと、自身のこれまでを振り返る。
ユニ、とそう自身の名を呼んで親身になってくれた人が確かに居た。
だが、それが誰だか思い出せない。
大切だった誰かが居た筈なのに、それが記憶にはない。それでも、思い出そうと脳が騒ぐ。
「ふっ」
思わず口から息が漏れた。
頭が酷く痛む。
視線を少し上げると、足を組んで堂々と座った仮面の人物が目に入る。あぁ……と、ユニは思った。
もしも……と、切り出した声が妙に震えてみっともないけれど、それに構っている暇なんてない。
「もしも、わたしが望んだら、わたしにも知恵を授けてはくれますか?」
音にすれば三十文字かそこらの言葉なのに、それを音にするのに酷く緊張した。
鴉戯が言葉を発するまで、およそどれくらいだっただろうか。
とてつもなく長く感じられる短い時間の後、「当然だろう」と不敵なまでの笑みを鴉戯は浮かべる。
「君は私の客人だ。君が望むのであれば、君がその現状を打開できるだけのものを授けよう。何せ、私は賢者だ。言語を知りつくし、ありとあらゆる知恵を身に付けた言葉の魔法使いなのだから」
「そう、ですよね」
「あぁ、そうだとも」
それで、と鴉戯は言う。
「君は何を知りたいんだい? 一つだけ、君の要件を聞いてあげよう」
一つだけ、という言葉がとても重い。
かといって責めたり、一つだけなのかと文句を言うのはお門違いだろう。この気 紛れな人は、絶対に何も応えてくれないということは目に見えている。常に浮かべている笑みを口元に張り付けたまま「君は何様のつもりだい? それが人にものを聞く態度とは勘違いも甚だしい。無知を振りかざし、とんだ正義漢だことだ。そんな可哀相なちっぽけでお粗末な脳みそしか持ち合わせていないというのなら、生まれ直し、今度は常識というものを身につけてから出直してくるが良い」と言うのは解りきっていることだ。
だから、重い。想いがずしりと圧し掛かる。
聞きたいことは沢山あった。一つだけに絞るというのはとても難しい。
何を聞こうか瞬時はするものの、これだと心に決める。
「わたしが何を忘れているのかを教えてください」
「それは何についてだい?」
ある意味予想通りの切り返しだった。それだからこそ、ユニは吐き出した息とともに告げる。
「全部です」
と。
「わたしが忘れてしまった、大切なことを全部教えてください」
図々しいと怒られるのを覚悟したが、土下座でもする勢いで頭を下げるが、何時まで経っても怒声や罵声は聞こえてこない。恐る恐る顔を上げると、「成程」と鴉戯は呟いた。
そして、次の瞬間には響き渡る笑い声。
あはははははははは
楽しそう、否、愉しそうに鴉戯は明るい声を上げる。
意外な反応だった。
驚いて固まっていると、「成程、成程」と鴉戯はまた口にする。
「良い返答だ。これなら確かに尋ねていることは一つだろう」
あー、哂った、嗤った、と愉悦たっぷりで満足そうに足を組み換えた。
「単刀直入に言おう。君の今の両親は君に隠し事をしている」
「隠し事、ですか?」
そう、隠し事さと鴉戯も繰り返す。
「それもただの隠し事じゃない。人には絶対言うことのできない、おぞましいことさ。特に、君に知られちゃあ駄目だろうね」
「おぞましいこと?」
「実験さ。それも、国とかそういうものに一切許可を取らず、しかも何の罪もない動物を使った、ね。それどころか、人間なんてやばいものにも手を出しているとか、出していないとか。そんなキナ臭いレベルさ」
「嘘っ」
通常、新薬の実験で動物なんかを使うときには申請が必要だ。それで漸く許可が下りてきて、鼠はもちろんのこと犬とか猫とかそういった小さな生き物が対象にされる。それなのに、二人は人間をその対象に入れているとまで鴉戯はいとも簡単に、それも、近所のコンビニに使いを頼むくらいの気軽さでそう口にした。
医者である二人がユニには想像もつかない実験をしていることくらい、引き取られた当初から知っていた。一緒に暮らし始めた当初に恵だって、あの二人は研究が何よりも大切なのだと拗ねて口にしていたことを覚えている。だが、どうしてもあの真面目そうな二人が人間にまで、鴉戯が言うその魔の手を伸ばしているとは思えない。
嘘だと思うかい?と、静かな声が響く。
「嘘かどうか、それは自身の目で確かめてみるが良い。百聞は一見に如かず。己の目で見た方が、折り合いも付けやすいというものさ。もっとも、人間を手に入れるなんてチョロイものさ。案外簡単なんだよ。寧ろ、絶滅危惧種の動物なんかよりもずっと安く手に入るし、その上結局は人間に使うものの研究なのだから効率はずっと良い。その筋の場所じゃあ、二束三文で買える。人間なんて、その程度の価値なのさ」
「違う、違います。あの人たちはそんなこと……」
まぁ良い、と鴉戯は肩を竦める。「信じる、信じないは君に任せると言ったのは私だからな」と。
「取り敢えず、書斎にある写真を調べてみるが良い」
「写真?」
「あぁ、なるべく古いものが良い。あの家は先代からのものなのだろう?」
「何故、それを?」
「それは、私が賢者だからさ」
何だかはぐらかされたような感じのする返答だった。
「話を戻すぞ。その先代の写真を探せ。特に上から三段目の本棚にある、黒い背表紙のアルバムのものが良い。面白いものが見つかろう。あとは家系図か。これもなかなかに興味深いな」
「家系図? なんでまた、そんなものを?」
「さぁ、どうしてだろうな」
先程の当てつけなのか、完全に答えはくれない。
「それと、あの二人が今研究している材料についてだ。鍵は書斎の金庫の中にある。番号は『三七五六四』だ。みなごろしとは微妙な番号だから、覚えられるだろう。そして、それを手に入れたら、先代の部屋だった場所の掛け軸を捲ると良い。きっと、これからの道が開けるだろう」
以上だと締めくくられれば、何だか少し拍子抜けしたような気分だ。
「それだけ、ですか?」
「それだけ?」
思わず口をついた言葉を、鴉戯は意地は悪く口元を歪めて言う。
「わたしが忘れているものを教えてくれるのではないのですか?」
そう問えば、「君には何も見えていない。否、全く見えていないようだ」と鴉戯は溜息を吐く。
「目先の答えばかりを求めるな。この単純細胞が。そんなことをしていると、足元を掬われるぞ」
「けど、それは貴方が……」
「教えてはいるさ、そのヒントだがね」
発言を遮るような形で言葉は紡がれる。
仮面で隠れている筈の目で一睨みもされれば、ユニは言葉に詰まった。何も言い返すことができない。
「記憶というのは非常に複雑だ。忘れていると思い込んでいるものであっても、実際は忘れることなく記憶の小部屋の中にしまいこまれている。つまり、忘却は消去ではないのだよ。だからこそ、それはほんの少しの切っ掛けさえあれば案外簡単に思い出せるものさ。それなら、私が君に答えを教えるだけではつまらないだろう? 君は君の力でそれを手に入れるからこそ、意味があるんだ」
ぱちんと扇子が閉じられる音がする。
優雅な手つきだ。
白い指先が扇子を弄ぶようにして宙を舞う姿は官能的ですらある。その手をひけらかしながら、教師が覚えの悪い生徒を諭すかのような声音が響く。
「私は君に全てを教えはしないさ。私が君に授けるのは知恵のみ。それ以外は管轄外だ。だってそうだろう? 私が全てを教えてしまえばそれは簡単なことだ。だが、それでどうなる。それから何の進歩があり、誰が羽化するというのだ。単純な話、それでは詰まらなすぎはしないかい? だから、私は私に定義を付け、そして、その絶対的な規約を守ることを私自身に義務付けた。故に、私が与えられるのはこれが限界だ」
美しい唇が、ゆるりと弧を描く。三日月のように口元が歪められる。
「私が識っているのは、過去、そして現在の事。それより先は占い師や預言者の領分だ。賢者とは知恵を授けるもの。だろう?」
「……はい」
その言葉を肯定すれば、鴉戯は満足そうに「解れば宜しい」と頷いた。
ところで、と芸術的な唇が再び開かれる。
「君は『神立』というのがどういう意味だか知っているかい?」
急な話題の展開にユニはきょとんと眼を瞬かせる。
神立、それはユニの苗字と同じ言葉だ。しかし、これまで生きていてその意味なんてまるで気にしたことなどない。
何だ、君はやはり無知なのだなと嘆息される。
「神立、それはつまり雷に通じている」
「雷に?」
昔から異様なまでに好んでいた雷がこんなところで出てくるのは意外のことだった。冗談を言われているというわけではないのだから、これは本当のことなのだろう。自分の苗字を指す漢字の由来とはいえ、それは奇妙な感じがした。
「そう、雷という言葉は『かんだち』とも言われている。そして、そのかんだちが漢字に直された時に神立へと変化した。つまりは、解るかい? 君の名前は雷という意味を持っているのだよ」
「神立は、雷」
そうだ、と目の前で顎が引かれる。
「雷を恐れる必要はない。寧ろそれは本能だ。雷は君を裏切らない、それだけを言っておこう」
話はこれで終わったのだろう。ユニはそう直感した。
空気が終わりを告げていることを肌で感じ取る。
「有難う御座いました」
頭を下げると、鴉戯はひらひらと手を振った。横を向くと、鬼緒はぺこりと小さく会釈をした。
直接答えをもらったわけではない。だが、それでもやるべきことは、進むべき道標はもらうことができた。
これから先のことを考えると不安がないといえば嘘になるが、それでも頑張ろうという気にはなった。
「よしっ、いっちょやってみますか」
そう呟き、扉の向こう側へと戻ることを決意する。
ドアに付けられた鈴が小さく音を立てた。