ひなちゃんとチカちゃん
ひなちゃんこと雛村朝日。ヘアサロンのマスコットなアシスタント(男)です。
某日某所、いや某ヘアサロン。
具体的に言うと、常連客鹿野いちるが従姉の結婚式とやらのためにヘアメイクをしに来た日。
スタッフ約一名が一人衝撃に打たれていた。
* * *
雛村朝日、21歳。スタッフもといアシスタント。ちなみに男である。
彼は美容師としてはひよっこもいいところだが、アシスタントとしては気が回り行動も早く皆に重宝されている中々に有能なアシスタントだ。成人しているにも関わらずどう見ても高校生、下手したら中学生にしか見えない童顔と子犬のような頼りなげな可愛さをもって、いつのまにかこのヘアサロンのマスコット的存在になっていた。スタッフ一同、アンド常連客からは「ひなちゃん」の愛称で親しまれている。
朝日は美容師の一人、直木賢に憧れている。このヘアサロンに初めて来た時の教育係が彼だったのである。そのままなついた。賢も子犬のような朝日を気に入り子犬のように可愛がっている。
そこそこ忙しくも平和なヘアサロン。まあ、普通のヘアサロンである。
そんな普通のヘアサロンが華やぐ時がある。賢のきょうだい、直木智加がたまに遊びに来るのだ。
「ひなちゃん、おはよう!きょうもわんこだね、お手!」
「わん!チカちゃん!おはよう、ひさしぶりだね」
とまあこういった感じで月に一回程度の割合で遊びに来るチカは、朝日と同年代でもありこのヘアサロンの中でも特に仲良しなのだ。チカがやってきたときは朝日が主にチカの対応をするのが恒例である。
そして今日は常連客の鹿野いちるがヘアメイクを予約している日。
今日も朝日は朝早くからアシスタントの準備万端である。
「ひなちゃん、今日もよろしく。もうすぐいちるちゃん来ると思うから準備しといてね」
「はい!準備はばっちりですよ、賢さん」
準備万端だと拳を握ってみせた朝日に賢が、あ、そうだ、と付け加える。
「今日チカも来るよ。といってもヘアメイクしにじゃないんだけどな」
チカが来ると聞いて朝日はうきうきしだす。
「チカちゃん来るんですか?こないだ来たばっかりなのに珍しいですね」
チカはいつも決まって月一くらいでやってくる。今月は先週来たばっかりだった。
「ああ、いちるちゃんを迎えに来るんだよ」
「いちるちゃんとチカちゃんって知り合いだったんですか?」
いちるは常連客で朝日もよく知っているし結構仲良しだが、チカと知り合いだとは知らなかった。チカが遊びに来る日といちるが来店する日がかぶったことはない。
「うん。中々いいコンビだと思うよ」
賢はそう言うとなんだか楽しそうに微笑んだ。
そうこうしている間にいちるが来店し、あっという間に賢によってヘアメイクがなされていく。普段はナチュラルメイクないちるだが、賢にパーティー仕様のメイクを施され華やかになっていく。二人で何を話しているのか、百面相しているいちるが面白い。
ヘアメイクがほぼ完成し、二人の話も一段落したところで朝日もいちるに話しかけた。朝日はいちるとも仲良しなのだ。
「いちるちゃん華やかな格好も似合うね。いつもと違った雰囲気でちょっとどきっとしちゃうよ」
「ひなちゃん!ほんと?似合ってる?」
「うんうん可愛いよ」
仲良く喋っていると、最後の仕上げが終わったようだ。
賢がいちるちゃんに完成だと告げたあと、彼はにっこり笑うとこう言った。
「王子様のお迎えだ」
なんだなんだと賢の目線の先を追った朝日の目はドアの前に立つ青年を捉えた。
お洒落なスーツに身を包んだその青年は驚く程綺麗な顔をしていて。朝日はその青年の顔に既視感を覚えた。知らない人のはずなのに、なぜかすごく知っているような気がするのだ。
朝日が不思議に感覚に囚われている間に、その青年はいちるの前までやってきていた。
「いちる、似合ってる。可愛いよ」
優しく微笑む彼をぼんやりと見ている朝日だったが、
「チカ…」
続くいちるの言葉に、ん?と引っかかった。
チカ?え?ん?
頭がぐるぐる状態の朝日がとりあえず尋ねてみようと、どこを見るでもなくぼーっとしていた視線を前に向けいちるたちに焦点を合わせようとしたときには既に彼らはヘアサロンを出ていた。
はっとした朝日があたふたしていると賢に頭に手を乗せられた。
「ひなちゃんどうした、大丈夫?」
あ、賢さんと朝日はとりあえず疑問を口にした。
「今の人、どなたですか?なんか知ってるような気がするんですけど、知らないような…」
不思議そうな朝日の様子に賢はああ、と笑う。
「ひなちゃん知ってるよ、今の」
「やっぱりですか?……うーん、前に来たことあるお客さんですか?」
記憶を手繰り寄せようと頑張る朝日に賢はいやいやと首を振る。
「さっきの、チカだよ」
「え?」
「いちるちゃん言ってただろ、チカって」
確かに言っていた、ような気がする。だがしかしさっきの彼は男ではなかったか。朝日の頭が混乱していく。
「だから、チカなんだって今の。あいつ男だよ」
「へ?」
「妹じゃなくて弟だからな、チカ」
朝日はあほみたいに口を開けて固まった。
そして冒頭へと戻る。
べ、別にチカちゃんのこと好きだったとか、そんなことないもん。ただの仲良しだし…。
しばらくしてやや復活した朝日はヘアサロンの床を睨みつけた。ちょっと涙目で。
* * *
「あいつここ来るときはいつも女の子バージョンなんだよなあ」
「ほんと可愛いよなあチカくん。あれが男だとか信じられないないつ見ても」
「チカくん、私より肌キレイだし色白いしまつげ長いし……男の子なのに」
午前中は予約も入っておらず、賢と朝日、副店長の吉木、美容師の皆瀬は休憩時間となったヘアサロンで、語り合っていた。
「賢さん、僕はまだ信じられないです。チカちゃんが男だったなんて!」
今は復活したがさっきまであまりの衝撃にしばらく固まっていた朝日である。
「まあねえ。私も最初信じられなかったわよ。どっからどうみても完璧な美少女だものね」
美容師の皆瀬あい子がうんうんと頷く。
「ていうか、普通に男の子してるチカくん初めて見たし」
「そういえば俺もそうだな。いつも美少女だもんな」
吉木とあい子の様子に、朝日は尋ねた。
「なんでチカちゃん…いや、チカくんは女装してるんですか?」
あの美少女ぶりは堂に入っていた。
「趣味みたいなもんらしいけど」
「趣味……?心は乙女、的な?」
首をかしげる賢は笑う。
「いや、あいつは普通に男だ。心も。なんでもなんか女装する機会があったらしくてさ、前に。それが思いのほか美少女に仕上がって。周りの人を驚かせたり悪戯したら楽しくなっちゃったとか言ってたよ」
「……なんていうか」
「性格悪いな、お前の弟」
朝日の言葉を副店長が継いだ。
「ははは」
「はははって、賢さん…」
「でもまあ、可愛いは正義よね。いちるちゃんと並んでくれたら良かったのに今日に限って男の子してるなんてもったいない…」
あい子の言葉にそういえば、と朝日が口に出す。
「いちるちゃんとチカくんってどういう関係なんですか?知り合いみたいですけど」
「さあ、どういう関係だろうね。本人たちに聞いてみたらどうかな」
賢は朝日の言葉に楽しそうに笑った。
「えええ、なんですか、気になるじゃないですかあ」
「ははは」
「賢さんー!」
こうして今日も平和なヘアサロンの休憩時間は過ぎていく……