第三話
だったらさ、いちる。
「兄さんやめて、俺に恋しなよ」
チ、カ……?
何が起こったのか、わからなくて瞬きを繰り返すとチカがにっこり微笑んだ。
その笑顔は、今日一日で見慣れた天使のような笑顔ではなく、小悪魔のような、悪戯っぽい笑顔。
「ごめんね、いちる、黙ってて。私、直木賢の妹じゃないんだ」
可憐な声でそう言うと、またがらりと声色を変えて、
「直木賢の、『弟』なんだ」
にっこりと笑った。
「おとうと…?」
「そ。弟。どっからどう見ても美少女だろ?我ながら完璧だと思うんだよね」
そう言ってくるりと回ってみせるチカ。スカートがふわりと広がった。
「うそだ……美少女…」
「嘘じゃないよ」
チカは呆然とする私にそう言うと、ふいに顔を近づけて、魅惑的に微笑むと、
「!?」
キスをした。
「な、ななな!?」
え、え、今、キ、キス…!?チカ?
「だから男なんだって。今は美少女にしか見えないけどさ」
顔真っ赤、とくすくす笑って私を見つめるチカ。うそだあ…。
心臓が、破裂する。
呆気にとられるというか人形のように固まった私の様子にチカは瞬きした。
「もしかして、ファーストキス?」
「…………」
「え、ほんとに?」
「…っな、なんで女の子の格好してるのよ」
苦し紛れの私の言葉にチカは苦笑した。
「別にこの格好は趣味ってわけじゃ……いや、まあ趣味といえば趣味かもしれないけど」
趣味って、何?え?趣味なの?
「いや、一度罰ゲームで女装させられたことがあって。それがすごい美少女に仕上がったものだから色々悪戯してみたらみんな引っかかるわなんやってもう。正体バラした時の反応が、それはそれはね。
楽しくて楽しくて。それ以来」
「………………」
ドSだ……ドSがここにいる…。可愛い顔してとんだサドだよ。
「今日は普通に女の子として、直木賢の妹として最後まで付き合うつもりだったんだけど…」
そう言って私を見つめる。
「ごめんねいちる、俺いちるのこと気に入っちゃった。最初はそんなつもりはなかったんだけどな…」
チカはちょっと困ったような顔をして。でもすぐにまた悪戯っぽい表情で、
「いちるが可愛いから悪い」
そんなことを言う。可愛いのは、女の子の格好をしたチカなのに。
もう何がなんなのかわけがわからないのに、私どきどきしてる。
「チカ……」
「わかってる。いちるは兄さんが好き、なんだろ?」
チカに言葉を遮られた。
「でもさ、その『好き』って、恋というより憧れに近いと思うんだけど」
「!」
そう、私は恋というものがよく分かっていなくて。サトルさんに対する気持ちが恋なのかなんなのかよく理解できていない。チカの言葉が刺さった。
「そうだろ?」
「私、よくわからない…」
思わず俯いてしまった私の頭にチカの手が乗せられた。
「だからさ、俺が、恋を教えてあげる」
「チカ…?」
チカはふいにぐいっと私を引き寄せると、腕の中に閉じ込めた。
「逃がさないよ、いちる」
甘く、囁いた。
ふわりと香るチカの香りに、息が止まった。
私は……、
私は、この美少女な男の子に、囚われてしまったかもしれない。
腕の中から熱い顔を上げると、彼の挑戦的な、魅惑的な眼差しに射抜かれた。
美少女なきみから、もう逃げられない。