第5話:夕焼け夜空も星の舞台。輝く姿に恋をした。
「なんでしてくれなかったのよ!」
「無理だろあんなの!」
放課後、例によって俺たちは全員で帰路についていた。
午後の地理で自爆した露葉が不機嫌そうな顔で文句を言う。
袖くいなる行為、男子からはハードルが高めな気がするのだが、どうだろうか。
「無理じゃないもん!つゆ出来るもん!」
「いやお前が出来てもなぁ…」
「なんで瀬栾はよくてつゆはダメなの!?」
「何度も言うが瀬栾でも無理だって」
埒のあかない問答が続く。
流市はすっかりひよこさんに心酔しているようで、今日は特に踏み込んで来ない。
うーむ…、俺が調子狂うってのも変だが、果たして彼はこのままでいいのか…?
「参巻!あのね、その…じゃあ、は、はい!」
「ん?」
おっといけない。
他人様の心配をするよりもまずは我が身をどうにかするべきか。
見ると露葉が両手を差し出して来ている。
これは袖くいして欲しいってことなのか?
夏服でもいい時期に、敢えて合服をチョイスしているのも、まさかこのため…?
確か露葉は夏服が好きだったハズ。
なんでも、うちの学校の制服の中では最高に可愛いらしい。
俺は正直何着ても可愛いと思うのだが。これが女心を分かってないってことなのかもしれない。
それでもなお合服ということは、彼女なりに考えてくれた結果なのだろう。
「…えぇと…」
「し、してくれるまで、ずっとこのままなんだから!」
「えぇ…」
俺の前を歩く瀬栾とアリスさん。
二人は特にこちらを気にした様子はなく、談笑している。
「……まったく、困った彼女だなぁ」
俺は露葉にだけ聞こえるように小さくそう呟いて、手を伸ばす。
くいっ、くいっ。
するとどうだろう、不思議と体温が上がっていくのを感じる。
「……」
「……!」
何だこれは…、袖くいってこんなに恥ずかしいのか…!?
いや違う、露葉が照れるからこっちもそうなってしまうだけなんだよな!?
「さ、参巻、伸びちゃう」
気付けば俺は、露葉の袖を強めに引いていた。
「お、おう、ごめん」
「ううん、いいよ。…ふふっ」
「なんだよ」
「いやぁ?べっつにー?参巻も嬉しそうだなーって」
「は、はぁ!?そんな、う、嬉しいわけじゃ」
久しぶりの感覚が胸のあたりを散歩する。
そういえばここしばらくは俺をからかう人がいなかった。
しかし露葉には、何故だろう、からかわれると安心できる。
「あっ、サンサロール様!ちょっとスーパー寄ってもいいですか?」
「ん、いいぞ。買い出し?」
「はい。お母さんから今頼まれちゃって」
そう言いながら瀬栾がスマホのSNSアプリ画面を見せてくる。
「卵、ハム、パン…、明日の朝飯かな?」
「そうですね」
「たまご…、ありす、さんどいっちがいい!」
たまごに反応してキラキラした目で俺と瀬栾を見るアリスさん。
可愛すぎる。
露葉も卵と耳にしたからか、口元がどうしても緩んでしまっていた。
「ひよこさんの料理であれば例えどんなものであっても幸せでしかない!そうだろ!?」
「そ、そう、か?」
あまりにも食せないような激辛激甘料理だったら流石にきつい気がするが…、味ではなく「幸せ」で捉えるのなら、間違っていない…のかもしれない。
「明日も早起きしなくちゃ!」
「…子供だなぁ、まったく」
「べーっだ、子供は子供って言わないのよー」
「うん??なら俺は子供じゃないよな?」
「?え、あっ!」
「つゆちゃん、どんまい、なの」
「アリスさん…」
何故か自爆した露葉だったが、この帰路では、どこか嬉しそうな袖が揺らめいていた。
楠町家御用達のスーパーへと到着した一行。
ここから、壮絶な戦いが幕を開ける。
「ダーリン、これ」
「お、おう。いつも言うが、ダメだよアリスさん」
「アリスはお子ちゃまなのよねー?JKはこれよ」
「戻せ」
「なんでよ!?」
お菓子コーナーで繰り広げられるこのやり取りに、何度遭遇したか。もう数えることすら忘れていた。
アリスさんは毎度のように新商品と書かれたアメ・ラムネ・チョコレートをいつのまにか手に握っている。
「あんまり騒ぐなって。お店に迷惑だろ?」
「アリスには優しいくせに…」
「いや、そ、それは…」
まるで娘のような感覚になってしまうアリスさんのねだり方と、一応JK…多分、ちっちゃ何でもないです、はい。何でもないですよ?露葉さんは立派な中学せいえ高校生です!間違っても小がk待って俺まだ何も言ってないから!どこのコーナーにあったんだよその腐りかけのパンはよォ!?食わないよ!?店員さんもにこやかに「どうぞー」って明らかな廃棄商品をプレゼントして手を振ってないで助けて!
とにかく、アリスさんと露葉とではやはり対応が変わってしまう。
露葉はいつも同じクッキーを手渡してくるが…、悔しいことにこれ美味いんだよなぁ…。実は俺も結構好きだったりする。
「今日もお菓子はなし、分かるな?二人とも」
「えー…」
「…わかった……」
不満そうに毒付く露葉と静かに悲しむアリスさん。
「サンサロール様〜、お待たせしました!買い物カゴ、ありがとうございますっ!」
「これくらい普通だって」
瀬栾の行動の淑やかなこと。
二人にも見習ってもらいたい。
「楠町さん、あったよ!持ってきました!」
「ありがとう片縁くん」
「…瀬栾、これは?」
ホットケーキミックスが投入された。
「あ…えーっと、その、露葉さんと、アリスさんにも、どーかなーって…」
わお。
なんと優しい。
「ダメ…でしょうか…?」
「いや、特には…」
「やった♪」
「……。ホットケーキ……!」
小さく喜ぶ瀬栾。
露葉も喜んでいるようではあったが、どこか浮かない様子。
と、急に態度をわざとらしく大きくして、
「さまき、瀬栾には甘いのねー」
「ダーリン、うわき?」
「何でそうなるんだよ。聞いてただろ?二人のために作ってくれるんだとさ」
「そーかもだけど…なんか納得いかない」
「参巻はそういうところあるよな」
「確かに。メモメモっと」
突然変わった態度も気になるが、瀬栾は二人のためにと用意してくれているんだし、どうして不貞腐れるのだろうか。
そして何故流市がそちら側にいるのだろうか。
あと露葉はメモ取らなくていいから。
「いい?アリス。あれが『浮気者』よ」
「うん、わかる。…つゆちゃん、ありす、うわきする」
「な、何言ってるのよアリスったら」
「ダーリン、はい」
「ちょっと聞いてる!?」
謎の浮気者講座が強制的に閉講し困惑する露葉を他所に、アリスさんは牛乳を手渡してきた。
楠町家でよく口にするブランドのもので、細かいところをよく見てるもんだと感心を抱く。
「お、ありがとう。瀬栾、牛乳って頼まれてたっけ?」
「えぇと…、頼まれてはいませんね」
「…だめ?」
「いえいえ、ホットケーキにも使いますし、何よりうちの牛乳、お父さんがよく飲むので」
「そ、そうなのか」
突然のお父上様の話題に、一瞬慌ててしまった。
今朝のこともあるしなぁ。
「…?どうかされました?」
「い、いやぁ、なんでもないなんでもない」
買い物カゴを持ち、レジへ進む。
アルバイトだろうか。小鳥さんがにこやかに「いらっしゃいませー」と挨拶し、商品をレジへと登録して行く。
「…露葉」
「な、なによ!何も入れようなんてしてないわ!」
「何も入れようとしてないならそのカゴに向かっている手はなんだよ」
「ち、ちち違うし?これは、あの、えと、こうすればギリギリいけるかもとか思ったわけじゃないし?どうしてもダメ?」
最後に本音が漏れていることに気が付いていないようだが、どうやらそこまでして欲しいものらしい。
…はぁ。まったく、子供だなぁ…と露葉の手元を見る。
「ん?それ、何だ?」
露葉の手で覆われているせいで、商品の上部、キャップだけが辛うじて見えていた。
「これはね…ふふ♪内緒」
何故か機嫌が良くなる露葉。
「うーん…?」
お菓子ではなかった。
…となると、ここまでの流れで露葉が欲しがりそうなものは…
「…メープルシロップ?」
「正解っ!よく分かったわね参巻」
「いや、そりゃ分かるだろ」
「ホットケーキって聞いたからどーしても欲しくて」
…やっぱりなぁ。
パフェやパンケーキも好きだし、なにより過去のデートではシロップやはちみつで頬をベタベタにしたこともあったくらいだからな。
「よかったな、瀬栾」
「はいっ」
「アリスも…ほしい…」
「ちゃぁんと分けてあげるわよ、子供じゃあるまいし」
「…♪」
ホットケーキにメープルシロップで喜ぶとかそれは…いや、何でもない。
たまにはこういうのも悪くないかもしれないな。
シロップ代は俺が出す羽目になったけど。
その後、精算を済ませてスーパーを出た。
……。
何故に小鳥さんが!?
なんとなくというよりは普通に溶け込みすぎてスルーしそうになったがギリギリで思い出した。
「アリスさん、さっきのって小鳥さん、だよね?」
「……?ことり?」
「いやぁほら、シアのメイドの」
「…あ」
「あ」ということは、これ気付いてなかったパターンですね。
日常をさりげなく監視されている…?
気になったので瀬栾たちには「ちょっと待ってて」とだけ伝えて店内に戻ってみた。
「……いないな」
レジを見回したが見当たらない。
「はぁい!お呼びでしょうか?」
「!!ビッッックリしたァ!」
突然背後に立つのは心臓に悪すぎる。
「や、やっぱり小鳥さんですよね!?」
「はい。小鳥です♪」
「…シアから、何か?」
これまでもシアは絶妙なタイミングで登場を決めている。
これはどこかで見ているor監視役がいることが必要だ。
今回も何か考えがあるのかもしれない。
「お嬢様からは、『常に安全確認を!』と承っております♪」
…なんてこった。
四六時中だったのか。
「あ、でもご安心ください!お外にいる間のみの護衛ですので!」
「ご、護衛、ですか」
「はいっ♪」
これ以上は踏み入ってもこちらにメリットはなさそうだし、シアのことを信頼している面もあるので、とりあえず「外出時の護衛」という大義名分を信じることにした。
「…って、もういないし!」
考えを頭に巡らせている間に小鳥さんは姿を消していた。
ハイスペックメイド…恐るべし。
小鳥さんとの若干ホラーなやりとりを済ませた俺がスーパーの駐車場奥にある自販機前で待つ瀬栾たちと合流すると、それを待っていたと言わんばかりに野良猫が飛び出して来た。
「あ!ねこ!」
「お、可愛い猫だな」
「…ねこさん?」
「この辺りではあんまり見ない柄だなぁ」
「ヒャッ!」
一人だけ反応が違った。
「あれ、瀬栾って猫ダメなのか?」
あれだけ俺のことを猫にしていたが…。
「いいいえ、だだ、大丈夫です!」
「無理するなよ?アレルギーとかもあるし」
「えっ、瀬栾、猫アレルギーなの!?」
「そ、そうじゃないの」
「…えいっ」
にゃっ!
「あっ…」
アリスさんの謎可愛い弱々猫パンチに驚き、野良猫は走り去ってしまった。
…何故猫パンチをしたのか。
それは俺にも分からない。
多分アリスさん自身にも分からないのだろう。
「さ、さぁ早く帰りましょう!」
「…そう、だな?」
猫のことは気になるが、ここで話を広げても仕方がないので、ひとまず口を噤んだ。
一行が帰宅したのは夕方の五時を優に過ぎた頃だった。
待っていたのは鼻腔をくすぐるひよこさんの手料理の匂いと、室内の反響効果によって一層賑やかさを増した少女たちの話し声だった。
「あら、おかえりみんな」
「お母さん、頼まれてたのはこれでいい?」
「ありがとうね、大丈夫よ〜」
買い物袋をキッチンへと持っていく瀬栾を横目に、洗面所から聞こえて来る露葉とアリスさんの他愛のない話に耳を傾ける。
「アリス、ダメよ手は洗わなきゃ。うがいもね!」
「つゆちゃん、泡だらけ」
「この泡がいいのよ。ふわふわー」
「ふわ…」
どうやら手を洗っているようだ。
最近は風邪が流行っているのか、マスクをした人を見かけるようになった。
俺も少し気をつけなければいけないかもしれない。
「参巻、いいか?これが泡だ。言わばウイルスの敵だ」
「ん?」
流市が隣で何か言っていた。
「泡だ」
「そ、そうだな?」
「俺は手をしっかり洗える。家庭的なイケメンを演出…」
「お、おぅ」
…な、なるほど。
わざわざキッチンの流しで手を洗っていたのはひよこさんへのアピールか。
「あら、片縁くん偉いわね〜」
「はっ!はいっ!このくらい、と、とと当然です!」
「ただ〜」
「はひっ!何でしょう!?」
「洗面所の方が、ちゃんとした石鹸があるわよ〜?」
「す、すみません!俺、足洗ってきます!!」
「行ってらっしゃ〜い」
洗うのは手だけで良いはずなんだが。
それかお前は何かやらかし…、まぁ、一応やらかしてはいるのか。
やわらかい言葉ではあったが、間接的に正確な誘導が出来るあたり、流石はひよこさんだ。
「あ、そうそう。瀬栾?ちょっといいかしら〜?」
「はーい」
どの家庭でも耳にするような母娘の会話すら新鮮みを帯びる楠町家。
呼ばれた瀬栾が洗面所の方から歩いて来る。
「なーに?」
「こーんないいもの、見つけちゃったわ」
「あー、ホットケーキミックスね」
「作ってもいいかしら〜?」
「ダメよお母さん。これは明日、あたしが作るの」
「あら、じゃあその時、お手伝いするわね〜」
これではどっちが娘なのか分からない。
しかしその光景を目の当たりにした何故か足を綺麗にした約一名が合掌しながら倒れているので、悪くはない状況なのだろう。
「あら、そう言えばまだご飯出来上がってないわ〜」
「そうなの?なら、手伝おうか?」
「助かるわ〜」
もうここに住むのも慣れたものだと思っていたが、こうして瀬栾とひよこさんが親子しているところを見るのはもしかしたら初めてかもしれない。
とまぁ、そんなことを考えながら瀬栾を見つめていると、横腹をつつれてしまった。
「浮気、ダメなんだから」
「ち、違う違う、これは、ただ…」
珍しくテンションの低い露葉。
その視線の先は俺ではなく、瀬栾とひよこさんに固定されていた。
ついさっきまであわあわーとかなんとか言いながら楽しげだったハズなのだが。
「…分かってる。参巻のことだもん」
「そ、そうか」
あれ!?
なんだコレ!?
調子狂うなぁ…。
「ダーリン、こっち」
アリスさんに呼ばれ、リビングルームを出る。
廊下で耳打ちをされた。
「あのね、つゆちゃん、さびしい」
「?」
「…かぞく?あってる?」
「……、あぁ。なるほど」
しばらくここに住み続けていて、最近は感じなくなっていたが。
「そろそろ一回露葉も帰省った方がいいのかもしれないな」
「…?」
アリスさんは不思議そうな顔で首を傾げていた。
「出来たわ〜、今日はオムライスなの〜」
「オムっ…!は、早く食べたいだけだもん!子供じゃあるまいし!」
「そうか」
「そうよ!そうなの!」
意味もなく露葉の頭をポンポンと撫でる。
いつもなら歯向かってくるハズなのだが、今日はどうやら気分が乗らないらしい。
「一度、帰るか?」
「……。か、考えてあげないことも、ない、わね」
「そうか」
その日の夕食も、美味しかった。
食事、そして各々の風呂・シャワーが終わると、それから先は自由時間。
最近はもう時間がある程度割り振られており、シャワーも最初の頃のようなブッキングは発生しなくなっている。
今日も今日とていつもと変わらずダラける時間だ。
…まぁ、実家ではないのである程度の節度というゲーム要素を秘めてはいるが。
「参巻、アレやろうぜ」
「お、やるか。お前弱いからな…。ちゃんと考えてるか?」
「いやお前の引きが強すぎるだけだろーが…」
流市とは高校入学すぐくらいから共に始めたソーシャルゲームがある。
放課後、寝る前の数分程度しか遊んでいないが、なかなかにハマる。
流市が言うには、どうやら俺の『引き』とやらは良いらしい。「初回無料」と書かれたボタンでは必ずレアアイテムが出るようになっているとばかり思っていた。
「あ、参巻」
「ん?どうした露葉」
「ううん、特にはなんでもないわ。…それは?」
「あぁ、流市とよくやってるゲームだな」
「雪星さんもやりませんか!?」
半ば無理やりゲームに誘おうとする流市。
一つでも共通の話題が欲しいのだr
「今なら良いものをプレゼントしますんで!」
「誘い文句が某SNSの無料広告並みにあやしいぞ」
「そしてフレンドを増やすことで強くなることを教えて、ひいてはひよこさんとパーティを…!!!」
「心の声は秘めておけ」
「あー…」
流石に露葉も呆れた顔をしている。
だが、
「…参巻はちょっと見習って欲しいけどな……」
呟かれたのは露葉の口からだった。
えぇ…、今の流市から何を学べと…?
「つゆはいいや、おやすみ」
「露葉?もう寝るのか」
「え、えぇと…うん、まぁね」
「そうか…」
「うん」
どことなく寂しそうに自室へ戻る露葉。
アリスさんとの相部屋とはなっているが、アリスさんは瀬栾の部屋から出てくるところしか見ていないので、おそらくは実質露葉の一人部屋なのだろう。
「瀬栾ー?」
階段の下からひよこさんが瀬栾を呼んでいる。
手伝いの要請だろうか。
「電話なのだけれど、出てもらえるかしらー?」
どうやら電話がかかってきているらしい。
「あのー、今瀬栾シャワー浴びてるんで、俺でよければ代わりに出ますよ」
とりあえず俺で繋いでおくか、と軽い手伝いの気持ちで名乗り出た。
「あら〜助かるわ〜。それじゃあお願いしましょうかしら」
「はい」
受話器を受け取り耳に当てる。
「あっ、お、お姉さまですか!?」
「はいっ?」
「え、あれっ?あ、あの、瀬栾お姉さまは…?」
「お姉さま…?」
というより、この声には聞き覚えがあった。
「お姉さまじゃないんならつゆ姉出しぃな」
「おま、姫音か!」
「さまにい!?」
「おぉ、どうした急に電話なんて。いつもなら直接来るのに」
「……!」
「もしもーし?」
「…つ、つゆ姉は?」
「露葉ならもう寝たぞ」
露葉の行動も変だったが、そのタイミングで姫音から連絡があるあたりを考えると、この異変は偶然的なものではないかもしれない。
「…そ、そう」
「何か、あるのか?」
「……。つゆ姉、何も言ってないん?」
「これといって特別なことは聞いてないな」
「…あぁっ、もう」
「ちょ、どうしたんだ本当に」
「行くから待っとき!」
「お、おう」
このまま話していても埒ががあかないと判断したのだろう。
程なくして玄関のチャイムが鳴る。
「はーい」
ひよこさんが無防備に出ようとするが、それを洋一さんではなく流市が阻止する。
「ま、待ってください!ここは僕にお任せください。こんな夜の時間です。危険な輩かもしれません」
「あら〜」
流市が恐る恐るドアに近寄り、問い出す。
「こんな夜中に、だ、誰ですか!?」
「…?初めて聞く声ね…。そっちこそ誰なん?」
「あー、流市、露葉の妹だ。なんかついさっき電話があってな」
「なッ!?雪星さんの!これは失敬」
素直に引き下がる流市。
ひよこさんも少しだけ安心したような表情をしたが、しかしすぐまた困り顔になり、
「こんな時間に女の子一人だと危ないわ〜」
「……それお前が言うのか」
「あら〜、洋一さんだって言ってたじゃない〜」
「……」
今日も夫婦は仲良しのようだ。
「つゆ姉はどこ?部屋?」
「あぁ。多分な」
不審者の疑いが晴れ、楠町家に無事入ってすぐに慣れた動きで露葉の部屋まで移動する姫音。
「つゆ姉、つゆ姉?」
部屋のドアを何度かノックするが、返事はない。
「何か、心当たりでもあるのか?」
「…さま兄ならいいか……」
どうやら事情があるらしい。
昨日まで普通だった、いや今日の夕方までは普通だった露葉が、急に態度を変えてしおらしくなったのだ。
事情がないというには難しい。
他の人に聞かれたらまずいのか、姫音は俺に耳打ちで告げた。
「つゆ姉、この間言ってたんよ。『たまには帰ろうかなー』って。『ふわふわホットケーキ食べたいなー』って」
「……は?」
「だから、ふわふわホットケーキ!」
「…?」
「まさか、知らんの!?彼氏なのに!?」
なんてことだ。
露葉は実家のホットケーキが恋しくて元気がなかったのか。
……。
いや、いやいやいや。
「姫音、他に本当の理由…」
「本当も何も、多分そうなんやから仕方ないやん?」
「えぇっと…?」
「サンサロール様、それに姫音さん。露葉さんは大丈夫でしょうか?」
「あ、あぁ…、多分大丈夫、だろ?」
「せ、瀬栾お姉さまのご心配にはお、おおおよびませんので!」
瀬栾に対しての敬語が堅すぎるが、この事実は瀬栾にも知って欲しくないことらしい。
雪星家にとって大事なことなのかもしれない。
ホームシックは何がトリガーになるか分からないこともあるし。
「そうですか…。明日はお休みなので、朝にホットケーキを焼こうかと思ってますけど、露葉さん食べてくれますかね…?お粥の方がいいでしょうか?」
「!あ、明日、ホットケーキを!?」
「…?は、はい、そのつもりですけど…?」
何というタイミングか。
今思うと瀬栾は何か知っていたのかもしれない。
「はぁぁぁ〜…、なんて慈悲深いお方…。うちだけでなくつゆ姉にも優しくしてくださるなんて…」
「姫音、心酔してるとこ悪いが後ろに気を付けろよ」
「さま兄に何が分かるって言うん?」
姫音の背後に鶸ちゃんの姿が。
瀬栾に対してなかなかの忠誠心というか重好意を向ける姫音をライバル視しているのか、ワナワナと震えている。
「大体、つゆ姉のこともよく知らんのに、瀬栾お姉さまを分かろうなんて、百年は早…」
「姫音ちゃん♪ちょっとあっちでお話ししましょう?(暗黒微笑)」
あっ…(察し)。
これ『同じ気持ちを抱くもの同士仲良く(デスマッチ)しましょう』お誘いだ。
「ヒッ!?」
「大丈夫よね姫音ちゃん。ご両親にはお泊まりの連絡、入れてきてるんでしょ?」
鶸ちゃんに首根っこを掴まれ、そのまま部屋へと誘拐されてしまった。
姫音…、お前はいいやつだった…。
「ところで、明日はどうしましょうか…?」
鶸ちゃんの行動を止めることなく眺めているしかなかった俺と瀬栾。
姫音のことはさておき、瀬栾はホットケーキについて聞いてくる。
「俺もよくは分からないんだけど…、明日の朝は、ホットケーキでいいと思うぞ。お粥は無しで大丈夫」
「そ、そうですか?」
「露葉だってメープルシロップ買ってホットケーキ無しは嫌だろうしな」
「…それもそうですね。では、そうしますね」
「おう。朝、手伝えることあったら言ってくれ」
「ありがとうございますっ。でも、起きてからでいいですからね」
露葉の影響で朝起きるのが苦でないのは確かだが、早起きというわけでもない。
俺のそういった日常の習慣を覚えていてくれている瀬栾に、惹かれる理由を再度認識した。
「…知ってたりする?露葉のこと」
帰りに急にホットケーキの話題を出したのは瀬栾。
さっきの姫音の話もあったし、何か知っていても不思議ではないように思える。
「……。実は、昨日の女子会のときに」
「…あぁ、あの時か」
俺が洋一さんの「露葉は可愛いよなぁ?」という謎の精神攻撃を受けていたときだ。
「露葉さんの家では、毎年この時期にふわふわのホットケーキを焼くそうで」
「そうみたいだな、俺もさっき聞いたよ」
「なんでも、露葉さんのご両親の結婚記念日だとかで」
「なるほどな」
実家を思い出していたのだろう。
女子会に参加したことはないが、ここまで色々話しているのは信頼の証だと思った。
「俺、露葉から直接は何も聞いてないんだけど、これ知ってちゃまずいかな?」
信頼されてない…ことはないと思いたいが、彼氏とはいえ全てを知っていいというわけでもないと思う。
「いえ、むしろ知っていてもらいたいんじゃないかなって思いますよ。露葉さん、サンサロール様との記念日にも食べたいってお話ししてましたから」
「そうだったのか。いやでもそれサプライズ企んでたらアウトだな」
「あっ…」
瀬栾もそこまでは気付かなかったようだ。
「ま、その時はその時か。頑張って知らなかったフリでもするよ」
「そ、そうですね!ひとまず、今日は寝ますね。おやすみなさい」
「あぁ、おやすみ」
軽く挨拶してから、瀬栾は自室へ入っていく。
「俺も休むかな」
一人で呟きつつ、すっかり俺の部屋として板についてきた古部屋に向かった。
「お、まだやるか?」
「あったりめーよ!休み前の夜だぞ?そんな簡単に寝るのはもったいないさ」
「それもそうだな」
俺の部屋に遊びに来ていた流市がスマホ画面を見せてくる。
「やっと騎士が45レベになったぜ」
「騎士、ねぇ」
「まぁ俺はひよこさんのナイトになる運命だけどな」
「洋一さんも大変だな…」
「なんか言ったか?」
「…いや?何も。さて、ほらクエストでも行くか?」
「そうこなくっちゃ」
久しく触れた男子らしい会話。
流市にも少しだけ感謝すべきかもしれないなと思いつつ、月明かりを浴びながら寝落ちするまで遊びつくした。