第4話:レム睡眠というやつは夢を魅せるためにあるのかもしれない。
瀬栾が謎の頑張りを決意したあと、洋一さんの促しもあり、俺たちはそれぞれの寝床がある部屋へとリビングルームを後にした。
その少し後。飲み物を頂こうかと、リビングルームに入ろうとしてドアノブに手をかけたとき。
「子供たちは、もう寝ちゃった〜?」
「あぁ。たった今な」
微かに聞こえて来たのは、この家の主人としての洋一さんと、この家の母たるひよこさんの声。
「洋一さん、つゆちゃんみたいなのが好きなのね〜」
「なっ、お、お前、それは」
「嘘よ〜」
「…まったく」
「でも、そうねぇ〜。ふふっ」
「な、なんだよ、急に」
「いいえ〜。なんだかんだ、あなたも瀬栾のこと好きよね〜って」
「……」
俺はとりあえず何も聞かなかったことにして、自分用にカスタマイズされてしまっている部屋へと踵を返した。
「ちょ!?」
部屋へと足を踏み入れた途端、俺は目を疑った。
「あ、あの、サンサロール様、今日は…どうですか?」
え、なに、どうって、え!?
いつも寝床にしている俺の布団の隣に、数ヶ月前に見たのと同じ光景、つまり瀬栾の布団が。そして何よりパジャマの瀬栾が。
「いいいいや、待て待て、今はまだ何というか、そのー…」
俺は周囲を見渡す。
監視カメラはないか。鶸ちゃんが隠れて待機していて、寝る隙を狙ってはいないだろうか。
「あの!」
「うぉ!?」
「その、き、今日から、交代なので!」
「……え?」
正直、意味が分からなかった。
理解は難しくないのだが、受け入れることが難しすぎた。
「瀬栾ちゃん!」
「今度は露葉か!?」
露葉が勢いよくドアを開けて入ってくる。
開いたドアの向こうにはアリスさんもいるようだ。
アリスさん愛用のうさぎの抱き枕の耳が見える。
「やっぱりダメよこんなの!おかしいわ!」
な!
なんてことだ!
露葉が真っ当なことを…!
「参巻の彼女はつゆなの!だからこれは浮気になっちゃうわ!」
「で、でもさっきは良いって」
「やっぱりダメなの!」
「そんな…」
確かに、露葉の言い分は納得できる。
…が、どうやら一度は承諾しているらしい。
それに加え、今、俺の目の前にはがっかり感漂う瀬栾がいる。
一男性として、ここまで想ってもらえることはこの上なく嬉しいし、その女性を傷つけるようなことはしたくない。
「あー…、ま、まぁ、露葉、今日のところは」
「参巻はいいの!?」
「えぇーと…、どう、なんだろう、な?」
カッコよく瀬栾を守ろうかと意気込んだまではよかったが、流石は我が元カノにして現彼女、あっさりと返討ちにされてしまった。
「あっ…、はっはーん、なるほどー。瀬栾ちゃんの方がいーんだー」
「ダーリン、せら、いちばんなの?」
なんだこの面倒なシチュエーションは。
「って!ダメに決まってるじゃない!」
「だめなの」
「お、おう…」
露葉とアリスさんの可愛すぎる漫才に、思わず感嘆詞が溢れる。
下手すぎるノリツッコミなのに、いつまでも聞いていたい。
「というわけで、今日はつゆと一緒なの!」
「なの」
「アリスもダメよ?」
「…zzz」
「ちょ、ちょっとアリス聞いてる!?」
なんだこの可愛いコンビは。
「ちょ、待て、一旦落ち着こう」
「サンサロール様!あたしですよね!」
「え」
「参巻?」
「えぇ」
「……ダーリン…ありす…ねむ…zzz」
「アリスさんそれ俺の布団…」
「あっ!アリスずるい!」
「アリスさん、それはダメですーっ」
…と、いうわけで。
「今日は、仕方ないのでこうします」
「ま、まぁ?これならつゆも許してあげなくもないっていうか?」
「zzz…」
俺は意見すらすることができず、3人と一緒に寝ることになった。なってしまった。
男子高校生としては幻想郷とも呼べるこの状況に浸れることに至極の心地を抱くばかり。しかしながら、流市がこのことに気付きませんように…とひたすらに願うばかりの夜は、普段のものよりずっと長い時間をかけてゆっくりと更けていった。
朝というのは誰にも呼ばれずにいつの間にかやって来ている。
俺にだってやって来る。
誰にだってやって来る。
鶸ちゃんだってやって来る。
「…お、おはよう…?」
「……」
無言の鶸ちゃんと対峙する早朝。
例によって何時に着替えているのか、既に中学校の制服を着込んだ鶸ちゃんは、俺を見るよりもまず状況を整理するのに頭の処理をフル活用しているようだ。
「…え」
やっと第一声が放たれた。
うん、気持ちは分かるよ。そりゃ驚くよね。
俺だって今困惑してるんだ。天井以外目視出来ない。
「えぇと…、これは、違」
「変ッ態ッッッ!!!」
ですよねぇ!!
いやそうなるよなぁ!
分かってる、分かってるさぁ!
鶸ちゃんがそこに居なければすぐにでもこの部屋を出ているさァ!
…少し、いえ五分くらい、…十分ほど…な、何でもないさァ!!
露葉のモーニングキルコールのせい、もとい、おかげで朝には比較的起きられるようになっている俺だが、今日ばかりは寝坊していたかった。
眠気を振り切ろうと欠伸を一つしながら腹筋トレーニングの要領で起床したらこれだよ。
部屋のドア前に立つ鶸ちゃんと視線が合い、寝る前の記憶が光速で蘇り、ふと周囲の布団へと視線を落としたら。
何で全員下着姿なんですかね!?
しかも瀬栾に限ってはご丁寧にパジャマが畳んで置いてありますねぇ!
なんで?(生誕以来初めての複雑な幸福感と絶望感の入り混じった感情)
「信じらんない!」
「ま、待って、これは本当に」
「あぁぁぁお姉ちゃん!……お、お姉…ちゃん…!こ、ここここれはそういうことなの!?そ、そうよね、なのよね!」
「いや、だから待っ」
「はぁ…!ダメ、も、もうこれ以上は…」
「ひっ!?ちょっ、悪かった、何か分からんが俺が悪かっt」
「我慢できないわ!」
そして鶸ちゃんは姉の元へとダイブした。
「……えっ」
「お姉ちゃぁぁぁん!」
「えっ……えぇっ?」
ひたすら困惑する俺をよそに、姉への歪んだ愛情をぶつけんとする鶸ちゃん。
えぇと…、い、今のうちに!
鶸ちゃんによる部屋の出入口通行止めが解除されたからには、合法的にこの場にいることは出来ない。
雀の涙…いや大鷲の爪…孔雀の羽根全開フォルムくらいの気持ちを振り切り、俺はなんとか修羅場(桃源郷)を脱した。
…とは言え、鶸ちゃん以外の三人からしてみれば目覚めとともにバーサーカー鶸ちゃんとご対面することになる。
ターゲットの瀬栾は…実の姉だし、何度か妹がそういう類の性格であることを知っている節をみせていたので、もしかしたら慣れているかもしれない。露葉は…ま、まぁ大丈夫だろう。だがアリスさんには…見せてはいけない気がする。
純粋な心を持つアリスさんにはいつまでもそうであって欲しい。
たとえ怒るとちょっとだけ怖くなるとしても、ふわふわなアリスさんにはこれ以上の属性を増やさないでもらいたい。
俺の中で二重の意味を持つアリスさんへの危機感が渦巻く。
しかし、だ。
「あぁぁお姉ちゃん!お姉ちゃん!!」
目覚ましにしては恐ろしいアラームが鳴り響く部屋。そうそう戻れる気はしない。
「ん…、むぅ…?」
三人のうち、誰かが目を覚ましたようだ。
俺は廊下からだから誰なのかは見えないが、視えているんだろう読者よ。
鶸ちゃんは今どうなってるんですか…。誰でもいいから治めてくれ…。
「んー?サンサロール…さ…ま……ッ!?な、えっ、え、ちょちょちょ待って!鶸、お、落ち着いて!」
起きたのは瀬栾か。
不幸中の幸いとでも言えばいいのだろうか。
「お姉ちゃぁん!私、私ずっとすりすりするーっ!」
「ちょっとやめて鶸っ!そ、そんなところすりすり…しちゃ、んっ、だ、ダメ…。さ、サンサロール、様ぁ…助けて…」
一体何が起きているのだろうか!?
入ったらまずいが助けを求められている以上、黙っているわけにはいかない。
そう、どんな状況なのかが気になるからではない。決してそんな邪な気持ちはないが…、いやいや、助けを求められているのだ。つまり人助けなのだよ諸君。
「だ、大丈夫か瀬栾!?」
とりあえず目は瞑ったまま、部屋へと戻る。
こういう時こそ勢いが必要だと思い、朝にしては少し大きめの声で瀬栾の助けに応じる。
男なら目を開けろだと!?
……。
…そ、その手には乗らないからな!
…す、少しだけなら…いやいやいや!危ねぇ、尊厳を失うわけにはいかないのだよ!
「さっ、サンサロール様!」
「大丈夫だぞ、瀬栾。もう、大丈夫だ!」
何が大丈夫なのか、『大丈夫』の文字だけでなく意味までもがゲシュタルト崩壊していく。
「と、とりあえず服!服を着るんだ!」
「服…?あっ!」
どうやら気が付いたようだ。
きっと今鶸ちゃんを振り切って後ろを向いたに違いない。
布団が大きくズレる音が聞こえ、鶸ちゃんが残念そうな咆哮を小さく発する。
「お姉ちゃん…」
…よし、落ち着いたな。
俺は目を開けた。
「サンサロール様なら…、いいんですよ?」
!?
あろうことか、瀬栾は下着姿のままだった。
さらに、俺の前で体育座りをしたまま、グラビア雑誌の表紙を演出している。
鶸ちゃんには毛布が被せられている。…なるほど、瀬栾の毛布だ。姉成分を豊富に含む鶸ちゃんにとっては至高のアイテムというわけか。やはり瀬栾は妹に対しては慣れているようだ。
…と、そうではなく!
「せ、瀬栾さん…?」
早朝という脳がまだ起動したての状態、かつ短時間に起こったことが多すぎて、この瞬間がどれほどの破壊力を持っているのかを理解できない。
ただ、一つだけ。
美しさと可愛らしさは、装飾に頼らない物なのかもしれないと思った。
朝食を摂るのは毎朝の日課だ。
これを食さないという学生や社会人もいると聞くが…、俺のように美少女に囲まれながらの朝食ならば是が非でも摂取するのだろう。
そう言いたくなるほどにこのテーブルは幸せに満ちていた。
女性は美少女ではなくイケメンに囲まれたい…と?
瀬栾、露葉、アリスさん…、なるほど。ある意味ではイケメンなのかもしれない(錯乱)。
「つゆちゃん、なんでおようふく、ぬいでたの?」
普段もそうだが、アリスさんは単刀直入に凄いことをおっしゃる。
「ッ!ゴホッ、ケホッ!な、何突然言い出すのよアリス!?」
流石の露葉もむせてしまったようだ。
ひよこさんがそっと露葉の牛乳を追加する。
「…?……あついの?」
なんと無垢な攻撃。
だからこその超火力。
「あ、あつい!あついのよー!まったく、そ、そうよ、あつかったの!」
「あら〜、エアコン、つけても良かったのよ〜?」
「……。…あ、あつく…なかった…です…」
ひよこさんの乱入に戸惑いながら、酷く顔を赤くして牛乳の入ったコップを持つ露葉。
「暑くなかったわ!」
そう言いながら一気飲み。
アリスさんは既にこの話に興味を示さず、レタスのサラダをフォークで突っついている。
「ま、まぁ、あれだよな!そ、そりゃあ四人もあの部屋だと流石にな!あはは…」
俺は、この言葉を露葉のフォローのつもりで発した。
だが。
「な、なんだって!?」
「ほぅ…」
「あら〜」
面倒な親友、気付かれると色々まずい父上、…何故かご満悦そうなひよこさんがほぼ三人同時に反応した。
「アリスこそ、あんなの寝相じゃないわ!参巻にぴったりくっついて、しかもパジャマを脱ぐなんて」
「…つ、つまり石川殿は、そのようなお姿のお二人と…!?」
露葉がさらなる追撃を加えたせいで、流市との距離が大きく開いてしまっ…
「せら、いちばん、たのしそうにおようふく、たたんでた」
「アリスさん!?も、もしかして起きて!?」
「……。…ありす、ねてた」
「お、お洋服、畳むとは…つ、つまり…」
チェックメイトだ。
流市GO TO 亜空間。
「ふむ…、サンサロールくん、うちの娘は、尽くすぞ」
「え、あ、いやぁ…、その…」
亜空間退避できる流市を羨んだのは言うまでもない。
それにしても、ひよこさんの笑顔がこんな状況でも変わらないのは、常にこういったことを考慮済みだからなのだろうか。
「そうだわ〜。瀬栾、つゆちゃん、アリスちゃん。今週末、一緒にお買い物に行きましょう?」
ひよこさんが「名案〜」と言わんばかり両手を合わせて提案する。
「お買い物?お母さん、何か買うの?」
「いいえ〜、私のじゃなくて、あなた達に〜」
「つゆ達に?で、でも、お金が…」
「大丈夫よ〜。つゆちゃんのお母さんから、いつもの生活費って渡されているお金があるの〜」
「生活費?」
え、何それは。
娘の生活を、恋敵の家に下宿させることを親が承認しているということか?
…そういえば俺もそうだった。他人のことをとやかく言えないじゃないか。
なるほど、それでこの家は何とかなっているのか。
じゃあ、もしかしてアリスさんも…、と思ったが、よく考えればアリスさんはお嬢様(?)のシアの妹。ノーブルを感じた。
「そうなの〜、『そんな、うちなんかでよければいくらでも泊まっていいですから、お金は困ります』っていつも言うのだけれど…、押し切られちゃうのよ〜」
そりゃそうだろう。
…と、いうよりこの駆け引きは日本古来の伝統的な風土を思わせる。
ひよこさんも、本気でそう思っているわけではないだろう。
実際、自分の子供以外の面倒まで見ることのできる親なんて、そうそういるものではない。ましてや衣食住すべての生活を提供するなど普通は出来ない。
「ありがとうございます、ひよこさん」
俺は思わず感謝の言葉を述べていた。
ひよこさんは、少しだけ驚いていたが、すぐにいつもの笑顔に戻って。
「いいのよ〜、参巻くん。私も、こんなに楽しい毎日が送れるのが夢みたいだもの〜」
社交辞令、という言葉がある。
しかし面と向かって見ると、そうなのかどうかは意外と分かるものなんだなと、俺は思った。
「つゆ達の、何を買いに行くんですか?」
「うふふ〜、あのねぇ〜」
そしてひよこさんは露葉に耳打ちする。
直後、露葉は頬を赤らめながら、
「な、なる、ほど?…え、あ…そ、そうね、必要よね!」
ひよこさん相手だというのにタメ口になってしまうほどあたふたしていた。
いや、これは自分に言い聞かせているだけか。
「何を買いに行くんだ?露葉」
「さ、参巻はダメ!絶対一緒に来ないでね!」
「お、おぉう!?」
思い切り拒否されると、何だろう、悲しさ以上に清々しい。
「おいゴルァ参巻ィ!昨日はお楽しみだったというわけか!?アァ!?」
さて。
そろそろ時間もいい頃だ。平日の高校生には、朝の余暇などない。
まぁ、そうは言っても今から登校すれば余裕だろう。
面倒な奴も亜空間から帰還したみたいなので、ひよこさんお手製の卵焼きをひょいひょいと頬張って飲み込み、席を立つ。
「ごちそうさまでした!」
「あ、あたしも!ごちそうさまお母さん」
「待ってつゆも行く!」
「…?」
「何やってるのアリス、早くしないと遅れるわ!」
「みんな待つんだ、僕まだ半分くらい残って」
「片縁くん、まだ時間は大丈夫よ〜、ゆっくり、喉に詰まらせないようにね〜」
「あぁ…、は、はい…」
ひよこさんはやはりすごい人だと、実感した朝だった。
平然を装う洋一さんの読んでいた新聞が上下逆だったのには、触れられなかった。
「おはよう!…あれ、なんかあったか、流市」
「…お、おはよう倉仲ァ!聞いてくれ!聞いてくれるよな!?聞くんだ親友!いいから聞け!」
「お、おいおい、こりゃひでーな。参巻、お前なんか知ってる?」
「あ…いやぁ…」
登校自体はスムーズに済んだのだが、流市は歩きながら亜空間を彷徨うという高度な技術を披露していた。
例の四人で寝ていた件がそれほどショックだったのか。
…ま、まぁ、男なら少なからず流市のようなそういった感情を持ちたくなるのも分からないわけではないが…。
「俺な…、気付いてしまったんだ…」
「どうしたどうした、聞いてやるから、な?落ち着け」
倉仲はいい奴だ。
流市を上手く落ち着かせている。
「我は…、母性を求めていたんだ!」
「は?」
途端に流市に対してクールになる倉仲くん。
「僕はひよこさんに会うために生きているんだ!」
「あのさぁ…、一人称くらいちゃんと統一しろよ」
いや倉仲気持ちは分かるが突っ込むところはそこじゃないだろ!
もっと凄いこと言ってるぞ流市は!
「ところで『ひよこさん』って誰?」
「あ、あぁ」
そうだった。
俺や流市にとってはもう知っていて当然な存在だが、他の人からすれば『楠町 瀬栾の母』であって『ひよこさん』ではない。
倉仲が知らないのは当たり前だ。
「何!?おいおい倉仲くんよォ、ひよこさんだよ、まさか知らないとは言わせねーぜ?」
「いや知らないだろ」
流市は迷走している。
倉仲も困惑して…
「……。あー、あのひよこさんか」
えぇ!?
知ってるのかよ!?
「可愛いよなぁ、分かるぞ」
「おまっ、倉仲、知ってるのか!?」
「いや?知らない」
「だよなぁ!?」
焦った。
今のはただの冗談らしい。
世の中には、言っていいものと悪いもの、二つの冗談があると言うが…、今回のはどちらに相当するのだろうか。
「で、そのひよこさんとやらは可愛いのか?参巻」
「え…、それ、俺に聞くか?」
「お前しか聞ける人いなくね?」
「あぁ…」
論破されてしまった。
「えぇと、瀬栾の」
ここで俺は思った。
…流市はとんでもない人に好意を持ってしまったのだと。
「せら…、あぁ、楠町さんか。その?」
「……」
「おーい参巻ー?」
なるほど、これが亜空間か。
「あ、あぁ、せ、瀬栾の…母上様だ」
「ふぅん、そうか」
そ、「そうか」って、えぇ…。
もっと驚けよ。
「こら参巻、ホームルームが始まるわよ」
露葉の一言で、とりあえずこの話は保留ということになった。
ホームルームを含めその後の授業を一通り終えた、昼休み。
「だから!至高なんだって!」
「だとしても、だ!」
「分からず屋だな参巻は!」
「まぁ落ち着け流市、俺もさっきは言いすぎた」
俺は、流市、倉仲の男子三人グループで昼食を摂りながら議論していた。
いつものメンバー、女子組がいないのは、敢えて席を外してもらったためだ。
ただ、「男同士の対話が必要なんだ」って説明した後の女子組の様子は、明らかに何か勘違いをしていたように思えるのだが気のせいだろうか。
瀬栾は「そ、そう、いう、ことですね!な、なるほどー!わ、わわわ分かります、その、あたしも、そういう、なんていうか、あるので!」と早口&赤面していたし、
露葉は「えっ…、あ、あぁ…。えぇっ!?……そっちも、なの…?」と勘違いでなければおそらく全てを破壊するくらいの威力を持ったシナリオを想像していたっぽいし、
アリスさんに関しては「…ありすは、みえないの。…だから、だいじょうぶ」と何故か一緒にいる気満々だったところを、意味は違うが何かを察した瀬栾と露葉によって退席させられたし…。
…あとでちゃんと説明がいるな、これは。
いやしかし、ともかく。
「だいたい流市、そもそもお前いつからそんなにひよこさんを?」
一番の疑問を投げてみる。
こいつは確か露葉のFCだったような。
「今朝だ」
「はァッ!?」
飛び出した単語はまさかの今朝。
「俺は、俺はあのような優しい眼差しに包まれたかったのだと…気付いたんだよ!」
「わ、分かったから落ち着け」
倉仲がカームダウンを要請する。
マジか。
今朝…何があったんだ…。
「参巻も見ていただろう!?お前達が先に登校しようと急ぎ始めたあの時!ひよこさんは俺を、俺だけを優しく見守りながら癒しを与えてくれたんだ…!」
「…そ、そうか…」
あの時か。
確かにひよこさんは流市に向けて急がず慌てず、と説いていた気がする。
うーむ…。
だがあれはひよこさんにとって平常運転だしなぁ…。
流市の好みは実は露葉みたいな感じではなく母性溢れる感じなのかもしれない。
「つゆにも母性あるもん!」
「うぉっ!?」
突然教室の中に露葉の声が響いた。
色々被ってて思わず驚いてしまった。
「つ、露葉さん、そんなに意地にならないで、ね?大丈夫、母性ありますから」
瀬栾のフォローも聞こえる。
アリスさんも何か言っているようだがよく聞こえない。
が、直後に露葉が「そんなことないもん!」と言っているところを見ると、いつも通りの展開になっているようだ。
「おい聞いてるのか参巻くんよぉ!」
「お、おう。聞いてる聞いてる」
カオスな、しかしそれでいて何だかんだ楽しい雰囲気の昼休みも悪くなかった。
昼過ぎの授業というのは催眠効果抜群だ。
極道のような風貌の地理の先生ですら、眠気のせいで怖く感じない。
どうしてオールバックにサングラス刺してるんですかね…。
一部の女子生徒からは熱狂的な支持を得ているという噂も聞く。
舎弟になった男子生徒は卒業後に一人残らず世界各地を巡る旅へ出発するとも聞いたことがある。
「さて、じゃあ寝そうなやつから当てていくぞー」
…眠気に関係なく怖かったです、すみませんでした。
「今日は七月二日だから…。よし、引いて五番の木原が休みなのでその二つ後ろの石川、この地形のことを何という?」
寝そうとか関係なく結局当てられてしまった。
この先生に限ったことではないが、当て方がトリッキーではないだろうか。
映画などでよくあるデスゲーム設定を演じる俳優の方々は、もしかしたら学生時代のこれを思い出して緊迫感を出しているのでは…と思うほどの恐怖がある。
先生が俺に質問しながら黒板に張り出したのは、地理の授業で使っているラミネート加工済みの風景画像。資料とは言え現実にある綺麗な三角形の地形が写っている。
「さ、三角州…です?」
「おいおい、もっとシャキッと答えろシャキッと!」
「え、ええと…」
と、こんな時にくいくいっと袖を引く何か。
このクラスの席替えはあまり意味をなさないらしく、もはや当然のように左隣の席に来た瀬栾が俺に気付かれていないと思っているのか、いかにも楽しそうに袖くいしていた。
その力加減は絶妙で、緊張で周囲への注意を敏感にしていなければ気付くことはなかっただろう。
少しくいっと引っ張っては、何もなかったかのようにそっぽを向きつつ周囲を確認、そしてまた若干はにかみながら人差し指と親指で袖の端をほんの少しだけ摘んでくいっ。
…露葉もそうだったが、袖くいは流行ってるのだろうか。
「どうした石川、しっかり答えてみろ、合ってるんだから」
答えを教えてくれる先生。
案外優しい…、待て、このなんとも可愛い瀬栾を見ることが出来たのはこの先生のおかげと言っても過言ではないのでは…?
相当優しい。すごく優しい。
「三角州です!」
「そうだ、正解。ところで楠町、石川の手に何か付いてるのか?」
「はぅっ!?」
突然ターゲットが変わったせいで変な声を出してしまった瀬栾。
「な、何も…ないですっ」
「……?そうか、まぁいい。とりあえず集中しろよー、午後は眠くなるからなぁ」
先生からの注意を受け、恥ずかしさのあまり赤面する瀬栾。
ひとつだけ普段のそれと違うのは、表情が嬉しそうにしか見えないことだった。
「よーし、これで一通りは…」
授業は続く。
しかし俺の緊張の時間は過ぎたわけだ。
もう怖いものはない。
「はい先生!」
なんと。
まさかの挙手生徒がいたとは。
いやはや、このクラスにも勤勉な自主性溢れる人がいるのだなぁと感心と驚きを込めて右隣を見る。
露葉ァ!?
お前どうしちゃったんだやる気があるのは分かるが無理はしない方がいい世界にはするべき苦労とそうでないものがあるんだし今ここでそんなに頑張らなくたって(ry
「ん?おお雪星か、どうした?」
「当てて下さい!」
なんか悪いものでも食ったのだろうか。
それとも何か別の人格だったり…?
俺の様々な思惑をすり抜け、露葉はドヤ顔で俺を見る。
いや、そんな顔されても。
あれ、なんか誘導してる?
手?何だ?
露葉は俺にドヤりながら自身の左手をぱたぱたと動かしてヘイトを手に集中させる。
…あっ、なるほど。
「…やらないからな?」
「!?」
小声で袖くいを拒否すると、露葉はひどく驚き青ざめる。
どうやら図星だったらしい。
俺が袖くいをすると思っていたようだ。
…出来るわけないだろ!
こんな、周りが見て…というより、瀬栾とアリスさんのいる空間でそれは無理なんだって!許して!
「やる気があるな。いい心がけだ。だがあいにく石川の問題が持ってきた最後のやつでな」
ほっと息をつく露葉。
「だから、雪星のやる気を称えてちょっと難しめの問題だ!」
こうして露葉は見事に散った。
アリスさんがノートに正解を書いていたことを知って驚愕したというのは、その後の談。
考えて…まぁ、露葉は考えた上でもう少し慎重に行動するべきだと学べた授業となった。