第3話:目に見えないから、光は輝く。目に見えないから、影は羨む。
露葉のいい考えほど嫌な予感のするものはないが、今はそれに身を委ねるほか、俺に取れる行動はなかった。
取ったところで、結果は変わらないとも思っている。
ぱちッ☆
「……」
露葉が俺に向けてウインクを飛ばす。
俺は上手くかわす。
「っ!なんでよ!?」
「あぁいやすまん、なんか受け止めちゃいけない気がして」
「まったく、参巻は照れ屋さんなんだからぁ」
一応、今日は流市もいるわけだし、気を引き締めなければ。
でないと、学校で何を言いふらされるか分かったもんじゃない。
と、そういう建前を持ちつつ、やはり瀬栾の前だから、というのが本当のところだ。
「雪星さん、ボクにも!ボクにもください!」
一人称を可愛くしてまで欲しいのか流市よ。
露葉は…って満更でもなさそう。
「そ、そーんなに魅力的だったかなぁ!ふふ、つゆ可愛い?可愛い?」
「いや俺に聞くなよ」
「ボクに聞いて!ボクに!」
「流市もそのキャラやめろおぞましい」
鶸ちゃんの登場時の空気が嘘のように晴れていた。
ああいう雰囲気では、露葉みたいな明るさがあると助かる。
…とはいうものの、未だその露葉の考えとやらは明かされていない。
「なぁ露葉、お前一体何をしようと」
「はいはーい!こっちこっち、鶸ちゃん!」
俺の言葉を半分無視しながら俺のすぐそばへと鶸ちゃんを寄せる露葉。
ウインクの流れを呆れたように見ていた鶸ちゃんだが、露葉の呼びかけには何故か従っている。
「な、何…ですか?」
「あのね、つゆとしても、二人には仲良くして欲しいのです」
「え?」
「は?」
珍しく俺と鶸ちゃんの声が重なった。
「だーかーらー!仲直りして欲しいの!」
……。
露葉の屈託のない笑顔が、鶸ちゃんを苦しめる。
「…あ、あの……。シャワー浴びてきます」
ふむ、どうもやはり露葉やアリスさんには弱いようだ。
…瀬栾に対しては弱いとかいうレベルではないが。
「鶸、あたしも、サンサロール様とは仲良くしてほしいな」
「ッ…!」
驚いたように姉を見る妹。
当然だろう。
大好きな人をフッた男性に、いい感情など普通はそう簡単に持てはしない。
「……。か、考えとく…」
「あ、ちょ、ちょっと鶸」
「シャワー!早く浴びたいの!」
「そう、ね、い、行ってらっしゃい…」
本当の意味で初めてすれ違う二人。
露葉の思惑は失敗に終わってしまった。
まぁ大体分かってたけどね!
そんな簡単に上手くいくならとっくにどうにかなってますよね!
「はーい、みんな、シチューが冷めちゃうわ」
両手を合わせて仕切り直しの頂きますをするひよこさん。
今後のことを考えるのも重要だけど。
今の環境をまだ素直に受け入れられない自分もいるけど。
「あっ、瀬栾ちゃん、あとでお話聞いてー」
「アリスも、おはなし」
「え?えぇ、いいけど…?」
「俺も混ざっていいすか楠町さん!」
「片縁くんはダメー、これは女子会なの」
「なぬっ!あの伝説の会議が…!?」
この空気感は嫌いじゃないし、なにより、この光景は望んだからといって叶うものでもない。
だから、俺が取るべき行動は一つしかない。
「あのさ」
「どしたの参巻?」
「サンサロール様?」
「ダーリン?」
「お?どした参巻」
「俺、鶸ちゃんと、ちゃんと話せるように頑張ってみる」
年下相手に情けない、と思うかもしれない。
けれど、これは俺の心の糸の絡み。
ほぐすも切るも、全ては自分次第なのだから。
「参巻」
「ん?」
決意の後というものはどこか恥ずかしいものがある。
単なる露葉の呼びかけが心臓へ響く。
「…頑張れっ」
「……あぁ。頑張る」
今この時ばかりは、露葉が心強く思えた。
瀬栾の表情は、とても優しいものだった。
「あーあ!せっっっかくのシャワーだったのに、気分は全ッ然晴れない!」
「ひ、鶸っ、そんなに悪く言わなくても」
俺の決心はさておき、やはり鶸ちゃんのトゲは凄まじい。
シャワーから戻ってきた途端に張り上げられた声は、さっきの露葉のそれとは違う意味で心臓へと響く。
わざと俺に聞こえるように声を張っていたが、その声は瀬栾にも同じように聞こえるわけで、発言に若干の後悔を見せる鶸ちゃん。
その後悔をかき消すように、鶸ちゃんは続けた。
「お、お姉ちゃん!こんなののどこがいいの!?」
ビッと俺を指でロックオンしつつ、張った声で問いかける。
「どッ!どこって、そんな!良くないところ、ある…?」
……。
うぉぉ…。
マジか…。
瀬栾のこういう天然なところは嫌いじゃない。いや、むしろ大好きなところだ。
うぅむ、でも照れるなこれは…。
……!
い、いいえなんでもありませんよ露葉さんだから黙ったまま光を失った目で俺を凝視するのやめてくれるかないい子だから、ね、ね!?
「お姉ちゃん…、私思うの。やっぱり病院行こう?」
「な、なんでよ!」
「いやいやいや、だって…、お母さんからも言って…って、お母さんはダメなんだった」
どうやら母親は自分と違う考えの持ち主だと思っているらしい発言。
既に楠町家では議論されているのかもしれない。
「もう!どうしてよ!なんでこんなやつと一つ屋根の下で生活しなきゃいけないの!?」
正論に磨きがかかりすぎて俺をオーバーキルすることくらい余裕にできてしまう。
確かに。
ごめんなさい…。
鶸ちゃんのことを考えると、もうこの一言しか出てこない。
「…ごめんね、鶸」
「謝って欲しいわけじゃないの…!…はぁ〜あ!なんかもういいわ」
「鶸、あのね、あたしの勝手だって、分かってはいるんだけどね」
「お姉ちゃん!」
「は、はひ!」
妹に気圧されるお姉ちゃん。
だけどこればっかりは仕方ない。
鶸ちゃんのド正論の前には、何人たりとも反論できまい。
「ほんっっっっとうに、これでいいのね!?」
「……」
「本当の本当の本当に、これでいいのね!?」
「…ダメだよ」
「っ!お、お姉ちゃん…やっぱり、本当は」
一瞬表情を明るくする鶸ちゃん。
しかし。
「ダメに決まってるでしょ!…あ、あたし!あたしは!」
一瞬、瀬栾は露葉の方を見やって、
「あたし、絶対に!サンサロール様と!結婚するんだからッ!!」
「えっ」
流石に俺も驚いたが、それ以上に鶸ちゃんが驚きすぎて石像になってしまっている。
「あら〜」
いつも以上に高めの声でやんわりと驚きにしたのはひよこさん。
「…はっ!つゆは一体何を!?」
咄嗟に両手で耳を塞ぎ、局所的な記憶を欠落してしまったのは露葉。
瀬栾の決意の中で、自分が妨げになっていることを感じ取った露葉は、両手を食事へと戻した後も信じられないというような表情のまま、シチューを食べるという、なんだかよく分からない状態に。
「…ダーリン、あーん」
よかった、アリスさんは普段通…ってスプーンに何も乗ってないんですがそれは何を食べろと…?
……。
あっ瞳に光が見えない。これ怖いやつや。
「……」
やはりというか案の定というか、亜空間を彷徨う流市。
「参巻くん!よろしく頼むよ!」
俺の背後から左肩に手を置き、『ハッハッハ』と笑いながらも鋭く俺の魂を貫くのはお義父様、洋一さん。
娘の大胆すぎる告白にも動じないのは、俺が認められているから…なのだろうか、それともひよこさん同様、洋一さんもそういった類の大胆な性格なのだろうか。
しかし、ここで一番困るのは…、
あの、瀬栾さん、そんな『言えたっ!言えましたサンサロール様っ!褒めて褒めてっ』という表情でこっち見ないで!
可愛くて思わず微笑んでしまう!
でも今ここで微笑んだら色々まずいから勘弁してください!お願いします!
「お、お姉ちゃん。私はね、お姉ちゃんが好き。だからお姉ちゃんには、ちゃんと、恋愛して欲しいの」
!!
あのシスコンである鶸ちゃんの口から飛び出したのは、この場の誰もが予想だにしなかったものだった。
…見方を変えれば、現実逃避の為に裏腹なことを口走っているようにも思えるが。
「鶸…」
「じゃないと、私が我慢してるのが馬鹿みたいじゃない!」
発言と同時に鶸ちゃんは俺を睨みつける。
…お、おぉう?
ま、まぁ、一応、成長してる…のだろう(?)。
しかしながら、仲直りの前に、なんとか話だけでも聞いてもらえるような状況作りが必要だと痛感した。
「鶸の気持ち、分かったわ」
瀬栾は言う。
何だろう、すっかり俺は話から置いて行かれてしまっているようにも感じる。
「あたし、いつまでもサンサロール様と幸せになるね!」
「待ってお姉ちゃん!それは私の考えとは違っ…」
「ありがとう鶸っ!お姉ちゃん頑張るね!」
「ち、違、違うってば…」
これほどまでに話がこじれることも珍しい。
瀬栾の意志はもはや誰にも変えることは出来ないようだ。
鶸ちゃんがパンドラの箱を開けてしまったせいで暴走しているだけのような気もするが…。
しかし、こうなってしまうと当然、
「参巻!どーするのよ!やっぱり瀬栾ちゃんだっていうの!?」
「俺は何も言って」
「ダーリン、あーん」
「いやあのアリスさんスプーンにはせめて何か乗せて」
「うちの瀬栾をよろしくなァ!」
「えっ、…いやぁ、えぇっと…」
地獄。
自ら蒔いた種が成長しすぎたなぁと、今になって思う。
鶸ちゃんも頭抱えてるし、これは流石にひよこさんも心配になっ…
「あら〜、瀬栾、サンサロールくんはお婿さんにもらう?それとも瀬栾がお嫁に行っちゃう?私はどちらでも大賛成〜」
どうしよう。
なんかもう後戻りしにくいところまで進んでしまっている気がする…。
「サンサロール様!あたし、鶸に気付かされました!」
「…えぇっと?」
「諦めちゃ、ダメですよねっ!」
「え、あ、まぁ…そ、そうだな?」
鶸ちゃんからの今までに感じたこともないような鋭く恐ろしいEYEビームを受けつつ、ふにゃふにゃになった言葉を出してしまう俺。
確かに、諦めたらそこで何とやらと先人たちも名言を残しているが…、この場合にも当てはめて良いのか?
いやでも好きになることなんて本人以外に否定できるものでもないし…。
うぉぉ…、答えのない問題ってこういうもののことをいうのか…。
「せ、瀬栾ちゃん?ちょっと、やっぱり後でしっかり話そう?」
露葉が表情筋を引攣らせながら言う。
「……あーん」
アリスさんだからせめて…!?それはフォークだよアリスさん流石にちょっと危ないよ!?某神話の美少女擬人化形態が幾度となくその武器で負傷してるからやめよう!?
瞳から光を失っているアリスさんが怖すぎる。
「ダーリン?ありす、いいよね?」
何ガイインデスカ!?
やめて!頼むお願いします許して!
フォークは食べ物を刺すものでお口を刺すものではありません!
あぁぁ…!
アリスさんは目を瞠り口元で微笑むという完全にヤンデレのヤン状態で迫ってくる。
そんな属性付けんなやおい!
もっと可愛いのにして作者!!
よりによってアリスさんはまずいって!
うぉ!?
危ねぇ、フォークの先端が的確に人参に包まれて分からなくなってたぞおい…。
え、誰か止め…、鶸ちゃんメモらないで!今後実践することはないから!
というか実践しないで!お願いします!
「サンサロール様!」
「せ、せあ(アリスさんにフォークを無理やり口に入れられながら)、たふへて!」
「あ、アリスさん?サンサロール様が痛がってるからやめましょう?」
「……?」
アリスさんの無言の首傾げが炸裂。
え…、怖すぎるんですが…。
「ダーリン、いたいの?」
「いはいへす」
「それは、ありすのと、どっちがいたい?」
言いながら胸を抑えるアリスさん。
……。
…そうか。
アリスさんも、やっぱり傷つけてしまっていた。
俺はまた、自分のしでかしてしまった罪の重さを感じた。
そうだよな。
どんなに強情張ったって、どんなにポーカーフェイス気取ったって、好きな人が目の前で違う人のことをみていたら辛いよな。
アリスさんはこれまでも、何度か2番目を強調していた。
1番にはなれない。
そう思っているからこその言葉だ。
争って勝ち取ったものに意味はあっても、争いで失う方が嫌…。
この中でほぼ唯一、全員と仲の良いアリスさんらしい言葉だと思う。
アリスさん…。
俺がアリスさんの攻撃に耐えつつ、そんなことを考えていた矢先。
「アリス、やめなさいな。参巻にはそんなんじゃ甘いわ」
!?
背後から煽りのセリフが耳に届いてしまった。
露葉お前一体何を!?
「はーい参巻くーん、よしよししてあげましゅよー」
…!?
露葉はそのセリフと共に俺の頭を自らの胸へと抱き寄せた。
おいいくらなんでもこんな子供扱いは流石に…、さすがに…、なんだろう、とても落ち着…いや待てぇい!これはマズイって!このままだとアリスさんに冗談じゃなく絶対殺され…!!
「!!!」
「つゆちゃん、だいたん…」
「あ、あれっ?」
瀬栾とアリスさんでそのリアクションは大きく違った。
アリスさんの瞳には光が戻っていた。
今度は瀬栾の瞳から光が消えようとしていた。が、どうもアリスさんのような感じではなく、今にも泣きそうな表情をしている。
俺はというと、露葉の高めの体温に包まれてちょっとだけ幸せな気分になってしまった正直な自分もいるが、それを軽く上回る寒気がしていた。
カシャカシャカシャカシャ
「いやぁサンサロール石川殿!なんたる行為!こーれはスクープだー!」
いつの間にか復帰を遂げた親友(と思ってるのはもしかすると俺だけなのかもしれないと思ってしまうほど連写激写が止まらない)、流市による恐怖の撮影会。
「明日が楽しみだなぁ、参巻くん!」
男の闇落ちはあまり見れたものではないが、冷や汗でこの上なく手足が冷たくなったのは言うまでもない。
…いや、もっと怖い存在を、この時の俺はまだ自覚していなかった…。
シャワーを浴びて、リビングへ向かい、ソファーへ座ってテレビを眺める。
これだけなら今までと何も変わらない。
だが今日は、おそらく今日からは、流市もいる。
先ほどの画像に色々な脚色を加えているのか、スマホを様々な角度から凝視しつつ忙しなく指を動かしている。
…そして、今日はもう一つ、普段と違うものがあった。
「さて、石川くん」
「は、はいッ!」
「さっきのことだがー…」
お義父さん、洋一さんの今にも飲み込まれてしまいそうな暗黒のオーラが、俺の前に立ちはだかる。
「あの、いえっ、えーと、あれは!」
しどろもどろになりながらも何か上手い返しはないかと持てる限りのIQを全て費やすが、現実は非情。…ただ無情なだけなのかもしれないが。
時間という概念が、何人にも平等であるが故に哀しい結末を迎えてしまう。
「いや、いい。言わなくとも」
「えぇと、あれは違う…いえ…、すみません!」
人間、どうにもできないことを悟った時、咄嗟に出てしまうのは謝罪なのかもしれない。
今後のことを考慮するよりもずっと早く、何に謝るべきなのか対象もうやむやなうちに返事をしてしまう。
「…そうか。ならば、示してもらおう」
だからこそ、このように自らをより苦しめてしまうのだろう。
謝らない方がタチが悪い?
確かにそうかもしれない。
だが世の中、謝罪の意があやふやな謝罪をすることを罪とする人だって少なくない。
「し、示す…とは!?」
「うむ…」
俺の質問に深呼吸をひとつして軽く返事をした洋一さんは、こう言った。
「露葉ちゃん、だったか。可愛いよなぁ?」
…は?
素でそう思った。
え、え…ちょっと待って。
洋一さん、もしかしてそういう方…?
「どうなんだ?」
「うぉ!?…え、そ、それは、まぁ…なんと言いますか…」
「ふむ…」
何を言うべきか、今はさっきとは全くベクトルの違う言葉を詮索することに専念している自分がいる。
「か、可愛いですね!可愛いと思います!」
結局、初めから用意されていた唯一の選択肢をただただ選択しただけにすぎない回答になってしまった。
「ほぅ…、なるほど」
「あの、やっぱりこう、なんでしょう、小柄なのがいいとかいうわけではないのですが、露葉は群を抜いていると言いますか…その…いや、まぁ…はい…」
「小柄な女性がタイプ、と?」
「いえ決してそんな!そんなことは!」
言えない。
言えるわけがない。
「ならば…、瀬栾、そういうことだそうだ。頑張れよ」
うぉッ!?
洋一さんが瀬栾を呼ぶ声を上げると同時に、瀬栾がリビングルームへ入ってきていた。
女子会を抜けてきたにしてはタイミングが良すぎるし、何より今日の女子会の中心的存在の瀬栾が何故ここに…!?
「サンサロール様ッ!分かりました!あたし頑張るので、見ていて下さいね…っ!」
ふんす、と気合を入れて希望に満ちた表情をする瀬栾。
達成したい目標が分かった人に共通する、いい顔をした瀬栾。
何をどう頑張るのか俺には全く分からないが、瀬栾の元気が戻ったのなら、それでいいのだと、そう言い聞かせることにした。
「あ、つゆちゃん、せら、ここにいた」
「ダメじゃない瀬栾ちゃん!今日はこれ以上参巻に近付いちゃダメなんだから!」
なるほど、そういう理由だったのか。
「露葉さん!」
「へっ!?つ、つゆ!?」
!
瀬栾のピシャリとした珍しい声色に、名を呼ばれた露葉はもちろん、俺も驚いてしまった。
「これからはよろしくね!」
「え?え、あ、え?えぇと、わ、分かったわ?」
混乱の果てに疑問を残したまま俺に表情で何かを訴える露葉。
いやそんなここで俺を見られても。
俺の思い込みが巻き起こした、ちょっとおかしな日常生活。
今日この日、楠町家に新しい風が吹き込んだ。