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第1話:世間の論争に目を向けていられるほど、俺は暇ではないらしい。風向きが変わる前の世界に、嘆く姿を隠す影を見る。

「瀬栾、起きなさい。朝よ」


早朝。

名を呼ばれた少女は瞼を開くことなく答える。


「今日はもうちょっとだけ寝ていたいの…」


夢の中での生活が楽し過ぎるのか、少女は頑なに覚醒を拒む。


「学校はどうするの?遅刻するわよ?」


少女の母、ひよこは娘の身を案じつつ心の状態も伺っていた。

それは、昨日に少女の口から流れ出すように、溢れ出すように止めどなく紡がれた同じフレーズが気になってのことだ。


「彼氏くんにフラれちゃったのは、もう仕方のないことなんでしょう?」


余程のショックだったにも関わらず、元カレの新たな恋愛に対して『仕方ない』の一言で区切りを付けた瀬栾。

いや、寧ろそうでもしないと今頃どうなっていたか分からない。

最悪の場合、元カレに思いっきり嫌われてしまっていたかもしれない。

そう、石川 参巻の元カノとなった楠町 瀬栾がすんなりと身を引いた理由。

それは、


「…やっぱり、好きだよ…」


嫌われたくなかったからだった。



「おはよう参巻っ♪今日もお日様がにこにこだね!」

「おう、おはよう露葉。一応確認だが、今日は曇りだ。お日様どころか、雷様の出番かもしれないぞ」

「いーの!つゆは参巻と一緒ならいつだって日本晴れなの!」


科学的論理に基づく理屈の通じない俺の彼女、雪星 露葉は学校の校門で彼氏を待ち伏せ、例の如くテンプレートな会話を楽しんでいた。


「そろそろ降りそうな気がするなぁ。露葉、さっさと教室入ろうか」

「あ、うん。そうね」


どことなく嬉しそうにそわそわしている露葉。

俺の告白から一日が経った訳だが、どうやら露葉にとってこの状況は舞い上がるに容易なもののようだ。


「あっ…」

「ん?どうした?」

「せ、瀬栾ちゃん?」


露葉に言われて振り向くと、制服を『きっちり』着込んだ瀬栾の姿があった。


「あー、えーっと…」

「さ、サンサロール様!おおおはようございます!」

「お、おう。おはよう」


若干気圧され気味になってしまったが、仕方ないと思われる。


「瀬栾ちゃん、ちょっと」


露葉が瀬栾へと駆け寄っていく。

俺も状況が状況なだけに元カノに彼女が接するという、あまり好ましくはないであろうシチュエーションを止めることが出来なかった。


「露葉、すまんが、あとは頼めるか?」

「うーん、そうだね。分かった」

「え?露葉さん、どうしたの?」

「瀬栾ちゃん、なるべく早歩きでお願いね」

「え、え?」


露葉は瀬栾の背中を押すようにして校舎へと入っていった。

俺は保健室へと二人が入室したのを確認して、一応例の先生もいるので見張り役として部屋の外で待つ事にした。


「やっぱり引きずってるのかもしれないな…」


合服から夏服に変わろうとしているこの時期に、完璧な冬服を身に纏った瀬栾に心配の念を抱く。

家を出る前に気付く人はいなかったのかと考えたが、あのひよこさんのことだし瀬栾を忖度したに違いない。学校に行く気になっているだけまだまし、とそういうことだろう。

耳を澄ますと、壁越しに室内から聞こえてくる声があった。


「きゃあ!何するの露葉さん!?」

「瀬栾ちゃん、これ冬服!何でこれ着て来ちゃったの?」

「え、え?冬…服?わわっ!本当だ!何で!?あたし、え!?どうしちゃったんだろう!?」


瀬栾にしては考えられないようなミスだが…、やはり相当の衝撃を受けたということなのだろう。

謝る…のは何か違う気がするが、このまま気付かぬふりなんて俺には到底出来そうにない。

仮にも俺に起因することに無視が出来る程、俺は楽観的ではない。


「ダーリンだぁ。おはよー」


考え事をしていた俺に不意な挨拶が降り注いだ。

皆さんお待ちかね!いつもふわふわ可愛いアリスさん登場!


「おー、アリスさん。おはよう」

「なに、してるの?」

「えーっと、そうだな、なんて言えばいいのか…」


瀬栾の今日の姿をまだ見ていないであろう第三者に、彼女の状態を伝えるのは如何なものか。

アリスさんなら…、いやいや、瀬栾はわざとではなく間違えて冬服を着て来てしまったんだから、あまり言うべきではないだろう。


「ダーリン?」

「あー、うん。ちょっとここに用があってな」

「ほけんしつのせんせい、おはよー」

「ちょっ!アリスさん!?」


アリスさんは保健室へと特攻されていた。

入るな、とは言わなかったがまさか突撃されるとは思わなかった。


「アリスさん、待って、中には」

「ダーリン?」

「あら、誰かと思えば『サンサロール様』くんじゃない」


この先生は…。

中へ突入したアリスさんを止めようと身体を乗り出してしまったせいで、養護教諭の先生に正体を暴かれてしまった。

どうもばつが悪いので、適当に質問でも投げかけてやり過ごそう。


「えーと、あ、先生、あのー、二人は…」

「あぁ、さっきの二人はねぇ」


先生はカーテンの閉められたベッドの一つを指差した。

中には二人がいるらしく、時たまに人為的な動きでカーテンがゆらゆらと靡いていた。


「せんせい、はいっ。どうぞー」

「はーい。お疲れー」


アリスさんは何やら書類を先生へと提出していた。

そう言えば教室とは正反対の方向にある保健室に用のない生徒がここへ来る理由がない。渡していた書類には『けんこうしんだんしょ』と可愛らしい平仮名が書いてあるのが見えた。

これはまさかとは思うがアリスさんの健康診断書…?

しかし健康診断なら新学期に入ってすぐに終わったハズじゃ…?

いくら転校生とはいえ、流石に7月に入ろうとするこの時期まで掛かることはないだろう。


「アリスさん、それは?」


マジか俺!

デリカシーというものをだな!!

もっと勉強したまえ俺よ!!

どーして気になったことをすぐ口にするかなー!!


「む、これは、ありすの、ゆめ?」

「おおう?」


俺の自責を打ち破りつつ、斜め上の角度からブランケットを叩きつけてくるアリスさん。


「夢…ねぇ。まぁ確かに、間違ってはいないわね」


例の先生が書類に目を通しながら会話に加わる。


「せんせい、しーっ!」


アリスさんが人差し指を立てて背伸びをしつつ先生の口元へ秘密だというサインをしようとするが、それを察知し、すかさず立ち上がる先生。

170センチを少し超す程度の長身の先生ということもあるが、それにしても指の届かないアリスさんは可愛らしくて仕方がない。

140センチギリギリといったところだろうか。

というより、アリスさんのこの姿が見たくてわざと立ち上がったあたりを考えると、やっぱりこの先生は『分かってる』系のダメ先生なのかもしれない。


「はーいはい、そうだったわね」

「ダーリン、そういうことなの」

「え、あ…はい…」


と、俺がアリスさんへと気を取られそうになったところで、


「サンサロール石川くん、先生はハーレム王の君を見てみたいなぁ」


不意を突かれて言葉を詰まらせる俺に、隙を与えまいと話し続けて来る先生。


「私もね、考えた事があるのよ。好きな男に他に女がいたらどうするか」

「……?」


あまりにも含みが多すぎてアリスさんには意味の全く通らない文になってしまっていた。


「あら、アリスちゃんはこの手の話に興味はないの?」

「ありす、ダーリンのこと、すきよ?」

「あらあら。サンサロールくん、こんなに可愛いこと言ってくれる娘がいたのねぇ」

「アリスさんは純粋なんです!先生の基準で捉えないで下さい!」

「言うわね〜。でもまぁ、確かにアリスちゃんは純粋がすぎるかもしれないわね」


言いながら先生はアリスさんの頭を撫でようとしたが、アリスさんはまるで熟れた技のようにヒラリとその手を交わして俺の背中へと身を隠す。


「ダーリンだけが、なでなで、いいの」

「あら、また失敗。アリスちゃん〜いいじゃないの〜」

「いやなの」


いつもやってるのか先生…。

この人はいつか訴えられるに違いない。


「ところで、あのカーテンの向こう側の二人に用事があるんじゃないの?」

「あ、そ、そうでした!お、おーい、瀬栾、露葉、えー…と、そ、そうだな…、何か困った事とか、ないか?」


いやいやいやいや。

俺は何を言ってるんだ。

俺は着替えが済むまで保健室の前で待機している予定だったんだが。

なんだかんだで室内に入ってしまったが、別に用があるわけでは…。

それに、このタイミングだと瀬栾の着替えに対して何かするつもりのように聞こえるじゃないか!

も、もちろん、そんなつもりはないぞ!

決して、そんな邪な考えなんて…、ごめんなさい少しはあります。

でも!そこはこれまで培って来たメンタルでどうにかしてみせるってもんだ!

うぉおおおお…。

…本当に俺は一体何をしようとしてるんだろう。


「サンサロール様!こっち来ちゃダメですよ!?」

「そーよ参巻!今こっちに来たらダメなんだからね!」


お、おう…。

何もしないって。

安心して下さいよ。

やっぱり男子ってだけで警戒には値するのかねぇ。

ちょっとだけだが心が痛むぜ…。


「あーっと、手が滑りそうだー(棒読み)」


突然、仮にも養護教諭という肩書きを持つ先生がそんなことを発言した。

直後。

何か(見てはいないが確実に間違いなく絶対に100%先生の手)が俺の背中を捉え、そのままカーテンの方向へと押し出した。俺の背後にいたハズのアリスさんはまたいつものようにヒラリと先生の手を交わしたようだった。


「うぉあ!?」


シャーッ!

俺は何が起きたかを理解出来なかった。

否、理解したくなかった。

いやそれ以上に、見てはいけなかった。


「ダーリンの、えっち」

「ちょっ!?」


何故、瀬栾と露葉は二人して全身下着姿のままお互いに胸を強調し合っていたのだろうか…。この疑問だけを残し、俺は絶叫に包まれる。


「「きゃぁぁぁあああ!!!」」


この後、ほぼ条件反射にも近い程のスピードでカーテンの端を手に取った俺は目に映る光景を(男としては少々いやだいぶ惜しみつつ)全身全霊をもって勢いよく閉幕させた。


「〜♪なかなかのものをご馳走になったわねぇ」


慣れた口笛を煽りに使いながら、こちらをにやりと笑う先生。

か、勘弁してつかぁさい!

俺は一刻も早く状況を打破しようと、まずは俺の真後ろでこのシチュエーションを見学していたアリスさんに色々弁解しようとしたが、アリスさんは先生の机の上を指差して、


「せんせい。はやく」


と宣われた。

えぇ…、ドライすぎやしません?アリスさん。


「はいはい、今書きますよっと」

「あと、ダーリン」


ここでアリスさんが言葉のベクトルをこちらへ向けて来た。


「ありすのは、みてない」

「え?」


何を言っているのか、さっぱり理解出来なかった。


「みたく、ないの?」

「え、待ってアリスさん。何を?」

「んしょ、よ…っと」


突如としてアリスさんは上半身の制服をたくし上げ始めた。


「ああああアリスさん!?な、何して!?」

「ありすも、みせてあげる」

「待ってアリスさん!あれはね、事故!何かの間違いなんだ!この人のイタズラなんだ!」


もう俺はとうとう本人の前でも先生のことを『この人』と呼ぶようになってしまっていた。


「わかるよ、ダーリン。ありす、ぜんぶ、みてたから」

「だよね!ですよね!じゃあ一体どうして」

「ダーリン、ちょっと、うれしそうだった」

「!?!?」


マジか。

顔に出てたのか。

なんて事だ…!


「え、えーと、…お、お取り込み中?に申し訳ないんですけど…」


このタイミングで瀬栾がカーテン越しに話しかけてくる。

先の悲鳴とは裏腹に、今度は声が強張っている。


「は、はい!」


色々と頭が追いつかずに思わずそう返すと、


「露葉さんが…」

「つ、露葉が…?」

「とってもいい笑顔であたしに制服を着せてくれるんです…」

「……」


マズい!

それは怒ってる!

多分、カーテンを開けてしまった事は先生のせいだということもあって配慮してくれたんだろうけど、アリスさんの言葉を聞いて怒ってしまったのだろう!


「ダーリン、みないの?」


こっちはこっちでマイペースだし!


「サンサロール様ぁ!つ、露葉さんが笑顔のまま『誰がまな板ですって…!?』って何度も呟いているんですけど!」


何だそれは怖すぎるだろ!

誰も言ってねぇよ!

っていうかアリスさんの言葉じゃねえのかよ!


「はーいアリスちゃん。これ」


先生は書類に何かを書いていたようだったが、それを終えてアリスさんへと返却する。


「ふむふむ、アリスちゃんの今日のブラは水色のストライプかぁ…。そそるわね」

「あ、せんせい。せんせいは、ダメ。みせない」


咄嗟に制服を元に戻すアリスさん。

羞恥心あっての行動だと信じたい。

先生だからダメ、じゃなくて普通に場所・時間的にもダメ、だと理解していて欲しい。

いや、でもそれにもかかわらず俺に対してのみ限定解除されても困る訳だが…。

違うぞ!?

見たくないから困るんじゃないぞ!?

少なくとも見たいよ!?

俺も男子だから見たいよ!?

でもほら、場所がね!

人目も…

???「無いわよ☆」

俺の心にまで侵食してくるんじゃねぇ!

とにかく、ここではダメ!


「残念ねぇ」


早くこの人をこの学園から追放しなきゃ…。


「…ふぅ。ま、まぁ、こんなもんね」

「ごめんね、露葉さん」

「いいのいいの、今日は雨降りそうで制服の替え丁度持ってたし」


そんなことを言いつつ、露葉がカーテン開け、夏服を身に纏った二人が現れる。露葉よ、ついさっきお日様がどうこう言ってた割には天気予報を確認しているようで俺は安心しました。

瀬栾が、少し恥ずかしそうに視線を逸らしながら俺に声を掛けてきた。


「ど、どう、かな…」

「どうって、制服だし…。まぁでも、その…、似合ってる、よ」

「そ、そう…」


何故か瀬栾とそんな会話をしてしまった。

露葉の表情がこちらを冷たく射抜くのが分かる。


「参巻!つゆはどうよ!どうなの!?」

「いやだから、制服だろ!?」

「瀬栾だけずるい!」

「ずるいったってなぁ…」


ここで俺は痛恨のミスをしでかす。

露葉への回答をどうにか捻出しようとして視線を泳がせた瞬間、偶然にもその先に瀬栾の胸が。しかもよく見ると制服がパンパンに膨れ上がっているではないか!ギリギリではあるが、なんとか着れている、という感じだ。

なるほど、さっきのはサイズの確認をしていたのか。


「やっぱり、まな板だってことなの!?」

「待て待て待て俺はまだ何も言ってない」

「『まだ』!?言うつもりなの!?」

「違うって!つ、露葉だって、まな板じゃないだろ…」


何を言ってるんだ俺ェエエエ!

どんなセリフよこれ。

なんてセリフだ!


「君たちー、用が済んだなら早く教室に戻りなさーい。私は早くアリスちゃんの下着姿で妄想に耽りたいの」


ダメだここには今正常な人は殆どいない!


「なんて朝だ…」


そう声に出してみて、やっと時刻に気が回る。

一限目の本鈴に間に合わなかったのは、言うまでもない。



遅刻遅刻、と急ぎながら入った教室では、一限目の準備を進める雰囲気が漂っていた。

どうやら数学が始まるようだ。

曖昧さの残る表現にしたのには理由がある。


「あれ、今日の最初って国語じゃなかったっけ?」

「そうだと思ってたけど…。うーん、先生が間違えるとは思えないしなぁ」


その視線の先、教壇の人物は紛れもなく俺たちの知る数学の先生だった。


「さーて、みんな。今日は一限目に数学が入ったと思ってるみたいだがー…」

「先生、もしかして国語の山吹先生が体調を崩されたとかそういうことでしょうか?」


委員長でありクラスのムードメーカーでもある男子生徒、滋賀しが 千枚せんまが挙手をして意見する。


「あぁ、いや、そういうわけじゃあないんだが」

「では、この状況は一体…?」

「なかなか言いにくいんだが、山吹先生はしばらくお休みする事になった」


教室内が騒つく。

あの先生に一体何が…?

もしや事件や事故に…?


「ゴホン。えー、静かに!静かに。みんな落ち着いて」

「落ち着いてって言われても…ねぇ?」


露葉が俺に聞いてくる。

同意を求めるような雰囲気が漂っている。

俺も「なぁ?」と相槌を打ち返すしかなかったが、その直後だった。


「木嶋先生!な、何してるんですかぁ!」

「みずき!?君こそどうしてここに」


噂と化し始めていた先生、山吹 みずき先生が突如として教室に入ってきた。勢いよく開けられたドアが大きな音を立てたせいもあり、露葉も瀬栾もアリスさんも驚いていた。

さらに、呼び方が「みずき」。気になることが急増した。


「せ、先生…?」

「え、えーゴホンゴホン。みんな、静かに、静粛に」

「ちょ、ちょっと待ってください木嶋先生!発表はまだ早いって今朝も!」

「いや、でも…」


木嶋先生こと数学教師は山吹先生とやいのやいの言い合いながらも生徒達を見回す。


「あぅ…、ど、どうしましょう」

「言うしか、ないよ」

「ううう…。…しょうがないですね…」


やっとこちらに向き直った先生二人。


「あの…?」


委員長・滋賀の声がフェードアウトするとほぼ同時に、山吹先生が切り出した。


「みなさんに、ご報告、が…」


刹那、教室内の騒めきが一瞬にしてクラスの女子生徒による甲高い歓声に変化した。


「さまき!さまき!ちょっとちょっと!これそうよね!?そうよね!」


露葉が右隣から俺の二の腕あたりにある合服の袖を引っ張って興奮している。

…そういえばいつの間に隣に来たんだ露葉よ。お前の席は俺の席より左側、窓際の一番前だろうが。

ふと露葉の居るべき一番前の席を見やると、そこにはクラスメイトの倉仲の姿が。

俺の視線に気が付いたのか、振り向く事なく親指を立てた左手を突き上げていた。

何て気障なやつだ。

いやありがたいといえばありがたいけどね!

嬉しいけどね!

何か憎めないんだよなぁ!

…と、左隣の元カノが、何故か露葉を羨ましそうにしている。


「そ、袖が伸びるから…な?」

「そそそ、そう、よね!あはは、あたし、何考えてるんだか!」


俺が事前に言葉で制すると、瀬栾は左側の袖に触れようとしていたであろう手を咄嗟に引っ込めた。

悪いことしちゃった…かな…?

いや、でもこういう時にガードをしなかったから、これまで優柔不断だと言われてきてしまったに違いない。ここはひとつ、心を鬼にしなければ。


「そうよ瀬栾、袖が伸びると参巻のお母様が苦労するかもしれないのよ」


コラコラコラコラ余計なことを言うでない露葉。


「し、しませんよ!大体、そ、袖が伸びちゃったとしてもあたしが責任持って引き取るから、だだだ大丈夫だし?」


何を宣っていらっしゃるのかな瀬栾様。

何が大丈夫なんですかね瀬栾様。

制服は渡しませんよ!?


「ダメっ!ダメよそんなの!つゆがもらうもん!」

「あたしですっ!」

「つゆの!」

「あたしの!」


先生二人の話を搔き消すレベルの声量で俺の制服についての談議を始めた露葉と瀬栾に、とうとう注意が入る。


「あのー…」


ほら、山吹先生に注意を受けちゃっt…


「今は、今は私達の報告を聞いて欲しいの!」


……。

あ、はい…。

そう、ですよね〜…。

分からんでもないが、えぇ…。


「はっ!す、すみませんでした…」

「ごめんなさい…」


こういう素直なところは二人のいいところだ。

しかし先生も先生だと思うが…。


「えー、ゴホン。というわけで…、いや、というわけだからどうというわけでもないんだが、とりあえずそういうことだ」


木嶋先生も心の準備が完全でなかったようだ。

じゃあ何で切り出したんだよと言いたいところだが、恋に乗っ取られた言動に制御が利かなくなるのは俺も身をもって体験しているので何も言えない。


「先生、あの、それで授業は…?」

「あっ」


教師が授業開始をせがまれるというシチュエーションはなかなかシュールなものだ。


「そ、そうだな。みずき、授業を」

「で、でででで出来ませんこんな状況で!」

「……」


結局、授業は始まらなかった。

代わりに始まったのは二人の教師の馴れ初めやら悩める女子達の恋愛相談会。

耳のやり場に困った俺を含め男子勢は寝たふりをするか耳を塞ぐか自習をするかして気を紛らわせた。


「先生!あたしからも質問いいですか?」

「答えられることなら…」

「つゆもつゆもー!」

「ま、待ってね、順番にね」

「ありすも、ききたい」

「みんなちょっとずつにしてね…」


山吹先生の声音が段々と自信のないものへと変わりつつある中、女子達の声音は反比例するかの様に黄色さを増して行った。


「結婚って、どんな感じですか!?」


露葉が勢いよく質問する。

その瞳にキラキラと宿る希望が山吹先生の自信をどんどん奪って行くようにも見えるが、誰にもフォローは出来ない。


「そう、ね…。し、幸せ?かな…」

「きゃぁぁあ!幸せだって参巻!つゆもそう思う!」

「お、おう、な、なるほど」


やはり巻き込まれたか。

しかし何と答えるべきかなんて分かるハズもなく、とりあえずその場を切り抜ける言葉を並べるしかない。


「あのっ!先生、あたしからも、いいですか?」

「は、はい、どうぞ」

「も、もしですよ?もし、木嶋先生を好きな女性が他にもいたとしたら、ど、どう、しますか?」


うぉぉおい!

瀬栾よあなたという人は!

なんとなくひよこさんの面影を感じる。


「え、木嶋先生に…?」

「いえ!もしもの話です!もしも!万が一!」

「考えたこともない…ですけれど、多分、私が好きでいる限り、何も変わらないと…そう思います」


……。

瀬栾の勢いが失速した。

何故か俺は手に汗を握っていた。


「す、素敵、ですね」

「そうでもないですよ」


俺はゆっくりと瀬栾の顔色を伺おうと隣の席へと視線を寄せた。

そこには、俺を見ることなく、うつむきながらも優しい、それでいて少し寂しげな表情の瀬栾がいた。


「おい、参巻くんよ」


背中を突くのは流市だ。

どうやら何か意見があるらしい。

この状況から察するにおそらくは…


「木嶋先生の姿が見えないんだが」

「おぉう!?」

「うぉ!?なんだいきなりびっくりしたぞおい!」

「い、いや、お前のことだし状況に合うセリフをだな」

「何言ってんだ?それより先生どこ行ったんだろうな?」


メタな発言は何か大きな力によって制御されているのだろうか。作者の意図としてあまり歓迎されないのかもしれない。

しかしながら、確かに言われてみれば木嶋先生の姿はなかった。

教室から出て行く素振りもなかった。


「何処に行ったんだろう…?」


呟いた直後、背後に気配。


「よ、よぉ、石川くん」

「おわっ!せ、先生!?」


俺の背中越しに木嶋先生の声がした。


「一つ聞きたいんだが、その、み、みずきは、いや違うな、女性はどんなシチュエーションが一番グッと来るものなんだ?」

「え…?」

「変な意味じゃないんだ、ただ、今日のこういう状況ってのがサプライズ感もあっていいんじゃないかなと思っていたんだ…が、実際のところやってみるとこの有様だろ?ちょいと周りの意見が欲しくなってだな」

「あ、あのー、先生。つまり今、後悔なさっていると?」

「そそ、そんなわけ…、と思ってたが、そうです…」


つまりはそういうことだった。

木嶋先生は山吹先生へのハッピーサプライズとしてこの大胆な報告を実行したものの、現実に発生したこの女子達からの質問責めの中心に置かれてしまった婚約者が、今になって可哀想に見えて仕方がないのだ。


「それを何故俺…、いえ、僕に?」

「石川はほら、その方面では校内で有名じゃないか。だからそのー、つまり、何か分かるんじゃないか…ってな」


この信頼を別の学問に関わる機会にとっておきたかった気もするが、それよりも校内という枠が生徒にとどまらないことを理解し、正直『マジか』と首の上まで出かかっていた。


「確かに、参巻はこういう黄色い声は聞き慣れてるしな」


流市の煽りに先生の期待が高まる。


「いや、流石にここまでは…」

「いーや!普通の生活してる男子から見ればここまであるね!」

「やはり石川に聞くのが正しかったか、いや、石川先生と呼ぶべきだな!」

「先生!?や、やめて下さいよ!お、俺は特に何もしてませんって!」

「特に何もしていないのにモテるのは反則だと思いまーす」

「お、俺もそう思うぞ、石川先生!」


何故か男子側でも俺を包囲するように視線が集中し始める。


「分かりました!分かりましたから!とりあえず先生、俺のことを『先生』って呼ぶのだけは勘弁して下さい」


これ以上このまま否定を続けていても埒が明かないので、仕方なく自分の立場を認める…ことにした。

いや、俺は至って普通に過ごしてるつもりなんだけどね!


「ゴホン、で、では、石川。この状況をどうにかして回避してあげたいんだが」


木嶋先生はクラス中の女子に口撃されている山吹先生を見やりながら言った。


「先生、これは安心していいと思います」

「な、何故だ!?あれだけ踏み込んだ話を聞かれ、みずきも困っているじゃないか!」

「違うんです、あれは困っているわけではなくて、恥ずかしがっているだけのように見えます」

「!?」


我ながら冴えていると思った。

ここで「なんとかしましょう」なんて発言したら、きっと女子からの集中攻撃がこっちにくると思ったのだ。


「そう…なのか?」

「はい」


多分ね!


「確かに、山吹先生の表情、嫌がっているようには見えないな」


流市の的確なパス回しが有効だったのか、木嶋先生の面持ちも幾分か和らぎ始めた。


「それにしても、女子の勢いは凄い気がするが…」

「ま、まぁ、恋愛系の話になると、そうですねぇ」

「流石は参巻だな。常に周りがそういう状況だし」


パス回しが終わるや否や途端にファール行為を繰り出す我が親友。

言い返せないのが辛いぜ…。

しかしながら、確かに女子の恋愛トークは凄まじい。

渦中の山吹先生も、嫌がってこそいないが、助けを求めていることに違いはないような気もする。

だからといって助けに入ろうとすれば、標的が助けたやつに変わるだけだ。

何か恋愛よりも強固な話題提供が出来れば、山吹先生の包囲網も崩せるのだが…。

例えば露葉が俺を強制的にでも話題に台頭させれば、俺としては不本意ではあるが山吹先生は助けられる可能性が見えてくる。


「ねぇねぇ参巻!参巻ったら!」


こちらの思考を読んだ上の行動ならば露葉は将来メンタリストにでもなれるかもしれない。


「どうした?」

「参巻も何か質問ないの?」

「え、質問…?」


唐突な提案に戸惑う。

恋愛トークに俺も入れと?

いや、待て。何故だろうか、女子の視線がいつの間にか俺に集中している気がする。


えぇー…。

いや確かにね?

山吹先生の犠牲としてこうなることは想定していたけれども!


「えぇーと、それじゃあ…」


うぉおおお!

俺は何故質問する体制を整えてしまった!?

いやでももう既に退路は断たれているじゃないか!


「な、何かな、石川くん」

「好きな人って…、変わることは、ないんですか?」


……。

……。

……。

不意に訪れた教室内の沈黙が、俺の失言を浮き彫りにする。

ここにいる誰しもが、誰かに聞きたいようで聞いてはならないと胸の内に秘めていたものを、俺は発言してしまった。


ヤバい。

冷や汗が止まらない。

脈拍のボスである心臓が、俺の発言を咎めるように唸りを上げる。


「…そう、ね。好きな人…。変わるかも、知れないわね」


山吹先生が、静かに、かつ語りかけるように言葉を紡ぎ始める。


「え、それって」

「ううん、違うの。私が言いたいのはね」


この後の言葉は、俺が今まで誰かにずっと求めていた答えだったようにも思えた。


「今、好きな人がそばにいれば、それでいいかな、って」



午前中には色々あったが、なんとかその後の授業は通常通りの終了を迎え、昼休みになった。

久々に、実家の母の弁当を広げようと机に出したところで、


「さて、昼休みになった訳だが。さ・ま・き・くん!」


やけにテンションの高い流市。

おそらく、いやこれは確実に先生の件に関しているのだろう。


「なんだなんだー?楽しそうな話が始まりそうだな、俺も混ぜろよ」


倉仲も半ば強引に輪に入ってきやがった。


「楽しくはないと思うけど…」

「はぁーっ!出たよ、聞いたか?これがモテる男の辛さってか」

「俺らにとっては楽しそうな話題なんだよ早くしろよ」

「えぇ…」


瀬栾と露葉という美少女を元カノと彼女に持つこの現状が、男子のヘイトも集めていた。


「実際のところ、今どうなんだ?」


おそらく昨日と今日で瀬栾と俺があまり話していないことと、さっきの「好きな人は変わらないのか」という旨の質問からして、察しの良い二人はもう俺の現状を把握しているのだろう。


「そう、だな」

「まぁそう辛気臭い顔すんなよ、楠町さんの元カレくんや」

「男には色々あるさ」


…アレ?


「そうだな、気晴らしに今日は放課後にカラオケでも行くか!」

「いいな!丁度明日は週末だし、オールするか!曲も色々あるさ!」


おや?


「なぁ参巻!いいだろ?これまではデートだのなんだのって羨ましい時間がお前にはあっただろうが、これからは逆に考えるんだ!自由になれた、とな!」

「そうそう、男には色々あるのさ」


倉仲はさっきから「色々ある」しか言ってない気がするが、これは結構ヤバいのでは?


「えぇーと、すまん」

「謝んなって、俺達親友だろ!」

「うむ!男には色々あるんだって」


流市の厚意と色々ある.倉仲bot。

どうしよう。


「あの、実は」


言いかけたところで、気付く。

俺の視線上、流市達の背後にシアの姿。


「そこのお二人さん、何か勘違いしてないかしら?」

「ん?お、これはこれは生徒会副会長さん!えぇっと、こんにちは?」

「はい、こんにちは」


突然の副会長の登場に少々戸惑いを見せる流市。

しかし、この場で一番戸惑っていたのは多分俺。


「それで、勘違い、と言いますと?」

「さまくんにはね、彼女さんがいるのよ、今も」

「え、マジ?」


狼狽える流市を見るのは久しぶりだ。


「で、でも昨日、楠町さんとは別れて、んで雪星さんにも愛想を尽かされ…!」


ここで気付いたらしい。


「おい参巻、言ってくれよー。とりあえずさぁ、俺達親友だろ?」

「あ、あぁ、すまん」


てっきり知っているかと思っていたんだが…。


「なんだよー、んじゃあ景気付けに、とりあえず離れろ」

「ファッ!?」


突然流市が目の色を失った。

読んだことはないがヤンデレってこういう感じなのかもしれない。


「どうして、何故お前はいつもいつもモテちまうんだよォ!」

「す、すまん…」


流市の独身スイッチが入ってしまった。

みるみるうちに表情が悲しみに包まれていく。


「ぐず…、泣いてない、泣いてなんかないぞ!覚えてやがれーい!」

「おい、り、流市、どこへ」


どうやら積もりに積もった感情が崩壊したらしい。奴にしては珍しく取り乱しながら、校庭へと走り去って行ってしまった。亜空間でこそないが、処理能力のオーバーフロー時のやつだ。


「つゆ、何か悪いことしちゃったのかな…?」


俺の背後で、いつの間にか近くへ寄ってきていた露葉がそう言った。


「どういうこと?」


俺は後ろを振り向きながら問う。


「あのね、つゆ、まさか参巻が振り向いてくれるなんて思ってもなかったから、片縁くんに『ちょっと参巻に話がある』って言ったの」


なるほど、少しずつではあるが状況が見えてきた。

続きが予想通りなら、


「それでね、片縁くんがなんか目の色を変えて迫って来て、『雪星さんそれは本当かい!?』って言ったから、つゆも『ここまでされたら黙ってられないよ』って参巻にもっともっと振り向いてもらおうと思って決心したの」


お、おう…。

まさかとは思いつつ、予想より結構な角度を変えたボールだったためか、完全に受け止めるには至らなかった。


「それで流市は勘違いをしていた、と」

「雪星さん!それならそうと、早く言って欲しかったですよぉ!」


走り去って行ったばかりの流市がこれまたもや全力疾走して戻って来た。

何故こいつはいつも自分の処理能力オーバーで想像をオーバーすることをしでかすのだろう。こればかりは彼にとっても謎なんじゃないだろうか。


「え、と…、なんか、ごめんなさい」

「露葉が謝らなくてもいいと思うが…」


流市の完全な勘違いな訳だし。

しかしまぁ、実際露葉の発言を抜粋すると、確かに間違われても仕方のないように思える。


「っかー!なんて奴だお前はよぉ、参巻くんよぉ」

「り、流市も、その、なんだ、頑張れよ」

「…はぁ。ま、そうだな」


後悔と諦めを込めた溜息を一つ、流市は俺に背を向けた。


「…よしっ!決めた!」

「ん?」


背中越しの俺に聞こえるよう、流市は決心の声を上げる。

丁度、昼休み終了のチャイムが鳴り響く中、彼は俺と露葉、そして近くに来ていた瀬栾の前で、高らかに宣言した。


「俺も楠町さん、いや!瀬栾さんの家に住む!」

「えっ」


流市の発言は、俺の想像より遥かにぶっ飛んでいて。

思わず声を上げてしまった瀬栾は俺よりも更に驚いているハズで。

露葉にとっても予想外の展開だったようで。


「「「ええぇぇぇぇーーーッ!?」」」


5限目の授業は全く頭に入って来なかった。

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