第09話:妄想の世界への架け橋を今、渡り切った。そう、だから俺はテストなんて知らない見てないやりたくない!…仕方がないので勉強会…って、何で一緒にこんな事に!?これは流石にアウト…じゃないの!?
中間期末テスト。
我らが朝都学園にもその名を持つ恐ろしい怪物は生存しているようです。
「サンサロール様、掲示板の連絡、見ました?」
「ん?いや、見てないけど」
「ふふっ、そうだと思って、写真撮って来ました」
言いながら瀬栾はスマホの写真保存アプリを起動して俺に一枚の写真を見せてくれた。
「こ…、これは!?」
「はいっ♪」
俺がこの学園に潜む怪物の存在を思い出したのは、この時だった。
金色週間の数学の宿題も怪物だったじゃないかって?
あんなものよく考えてみればただ出せば良いだけの紙じゃないか、ハッハッハッハ…。
ちゃんと出したからいいだろう別に!?
何!?
何で瀬栾こっち見てニヤニヤしてんの!?
いや本当だよ!?
ちゃんと出したよ!?
「これ、サンサロール様の大得意な数学のテスト範囲の連絡ですよーっ」
「うぇっ!?」
思わず変な声が出てしまった。
瀬栾を見ると、やはりニヤニヤしている。
…だが、少し冷静になると、瀬栾が嬉しさのあまりに頬を上げずにはいられなくなっている、という事の理由を理解するのは簡単な事だった。
「あ…。えと、まぁ、なんだ。今度こそ、数学を教えてくれません?瀬栾さん」
「喜んでっ♪」
どうやらこちらの察しは当たったようです。
かくして俺と瀬栾は、学校帰りに図書館へ寄って勉強会を開く事にした。
「本当にあいつら抜きでやって大丈夫かな…?」
「心配、なの?あの子達の事」
「まぁな。そりゃあ俺だってたまにはこうやって瀬栾と二人きりで、ってのも悪くはないと思うし、寧ろ毎日そうだったらなぁ、なんて考えた事だってあるけどさ」
「ね、猫のくせに、なな生意気ね!別にいいじゃない!二人きりでもッ!」
「おおお落ち着け、落ち着けって。いくら学習用の個室があるとはいえ、ここ一応図書館だし」
そうです。
その通りです。
瀬栾ちゃんの口調からも理解出来るように、ここは意外にも完全なる個室のある図書館なのです。そして二人きりなのです。
まぁでも学園の附属図書館だから、学習用スペースが用意されている事に疑問を抱いた事はないですね。
っていうかさっきっから目の前のツンツン瀬栾ちゃんが顔真っ赤にしてるのが可愛くて可愛くて仕方ないんだよなー…。
え、何ですか?
瀬栾さんどうされました?
え、ちょっと待って。
ちょちょちょ、待てっておおい!
何で急に近付いて来るの!?
そんなに近付いて来たら、その…、く、唇が…!!
ななな何コレどういうシチュなの!?
そういうフラグだったりするのこれは!?
いーやいやいやいや、ダメだろそんな事考えるな俺何も考えるんじゃない落ち着け落ち着くべきは本当は俺の方ではないのではなかろうか。ん?それじゃあ落ち着くべきじゃなくなるんじゃないだろうか?待て取りあえず落ち着けいいか俺は今勉強をしているんだ他の事はシャットアウトだいいか?いいな分かったな!?
…少し長めの自問自答を何とかクリアした俺は瀬栾との勉強会という名の現実世界へ改めて向き直る。
「…そこ、違う」
「ほぇっ?」
今、自分でも信じられないほどに間抜けな声が発せられてちょっと冷静を欠きまくっています。
「そこよ、そこ。あーもう!ここよ、ここ!」
「えっ…と、あ、あぁ!」
瀬栾のすらりとした人差し指によって指差されている俺のプリントの解答部分を見ると、確かに瀬栾のそれとは異なる数値が俺の筆跡により書き込まれていた。
因みに、この個室は最大で四人が中央の学習用テーブルを挟んで二人ずつ向かい合って座れるようになっていて、俺と瀬栾は向き合って座っている。
二人きりの状況で隣に座るのもどうかと思うしね…。
嫌というわけではないんだけどさ、ほら、何ていうか、ね?
「そこは、こうするの」
「なるほど、こういう方法があったのか…」
例の二人がいない、俺と瀬栾だけの空間。
もっとこうしていられたら、どれだけ幸せだろうか。
しかし、そう思ったところで俺は気付く。
目の前に瀬栾だけがいて、今のこの状況は少し前の俺が望んでいたものそのものだ。
それなのに、どうして俺はあの二人の事まで気にしているのだろうか?
本当に瀬栾だけと過ごす事で幸せになれるのなら、何故この状況に罪悪感のようなモノを感じているのだろうか?
…答えは簡単な事だ。
でも、俺はそれを自ら進んで肯定しようとも思えない。
なるほど、これが悩みというものなのか。
「瀬栾、突然だけど、いいか?」
「何よ?」
相変わらずツンツンしている瀬栾に話を切り出す。
「瀬栾は、今こうやって二人きりで過ごしてる時間、どう思う?」
返答は、すぐには返って来なかった。
「…み、三毛猫はどうなのよ…?」
どうやら猫なら何でもいいみたいです。
「そうだな…、もちろん嬉しいんだけど」
「だけど?」
「ちょっとだけ罪悪感が…な」
「…ふふっ」
俺が答えると、瀬栾は急に笑み始めた。
「やっぱり、サンサロール様はサンサロール様ですねっ」
「えっ?」
「…あたしだけ、何てどう考えたってフェアじゃないですよ。それに、もしこれが逆の立場だったら…と思うと、絶対に嫌です」
「え、それって…?」
俺は個室のドアの方を見た。
「二人きりの時間は、また今度、ですね♪」
瀬栾のその一言の数秒後、例の二人が息を切らしながら勢い良くドアを開けて入って来た。
「はぁ、はぁ…うっ、…はぁ、さ、さぁまぁきぃ〜…、はぁ、ちょ、ちょっと、手、貸して…」
「だ、ダーリンは、はぁ、ありすの、こと、はぁ、はぁ、わすれ、ないよね…はぁ、ない、よね?」
一体どこから全力疾走して来たのだろうか。
学園からは結構近い所にあるハズなのに…って、まさか楠町家から!?
それだったらマジでお疲れ様!!
あそこからここまでは軽く1キロちょいあるからなぁ!
瀬栾とここに来てからまだ少ししか経ってない事を考えると、物凄い勢いで来た事になるな!
「せ、瀬栾?お前、いつの間に二人を?」
「ふぇっ!?…あ、え、えーっと…。サンサロール様が露葉さんとアリスさんの事を心配してるって分かってからです…」
そう告白する瀬栾は、ちょっとだけ寂しそうに見えた。
「えぇっ!?じゃあさっきじゃないか!凄いな二人とも!!」
「…ま、まあ、ね…はぁ、このくらい、ふぅ…、普通、よ」
「そ、そうよ…?このくらい、ありす、はぁー、よ、よゆう」
暫くすると二人とも息が整ったようで、静かになった。
それから、俺達は四人での勉強会を開始した。
科目は各々だが、互いに教え合い、良い勉強が出来てる…と思う。
「参巻も間違えるのねー、その問題は、つゆの答えの方が正解よ」
「それ、こたえじゃないわ。ふたつのかいの、マイナスのほうはふてき。だから、こたえはこれよ。わかる?」
「あ、アリスに言われなくたって、そそそのくらい!つゆ分かるもん?」
「それと、さっきやってたえいごのプリントのたんご、ぜんぶスペルちがう」
「ッ!?う、うるさいわねっ!」
「こらこら二人とも、ケンカするなって。楽しくやろーぜ、な?瀬栾」
「そうですよ露葉さん」
「アリスにも言いなさいよ!?」
「ありす、わるい?」
「きぃーっ!」
「露葉、ここ一応図書館だからな?」
「参巻のいじわる…」
「な、泣くなって!」
「ダーリン、しーっ」
「サンサロール様、露葉さん、もう少し静かにしましょうか」
「お、おう」
「…図書館いーやーだーっ」
ま、まぁ、なんだかんだで楽しく出来たって事でいいだろう。
「さて、そろそろ帰るか」
勉強会開始から二時間程度が過ぎた頃、俺は腕時計を確認してから、三人に帰宅を提案した。
「そうですね。今日はちょっと寄りたいお店もありますし、この辺で終わりにしましょうか」
「何々?お買い物でもするの?つゆも行くっ!」
「はい。今日の夕飯の材料で足りないものがあるらしくて。頼まれているんです」
「な、なんか悪いなぁ…」
その買い物の内容は、居候させて貰っているという現状を如実に表現していた。
月に一度、定期的に食費ならぬ下宿費を手渡しているとは言え、これがいつまで続くのだろうかと思うと、瀬栾ママ・ひよこさんや瀬栾パパに負担を掛けている事にやはり罪悪感に似たものを感じる。
因みに、最初にお金を渡そうとしたらまず断られたが、それじゃ悪いと俺が押し切った経緯があったりする。ひよこさんなんて良い人…ッ!
「いえ、とんでもありませんサンサロール様!あたしが今とても幸せに毎日を過ごせるのは、サンサロール様のおかげなんですよ?」
「…お、おう」
突然の告白に驚きながらも、俺は嬉しさのあまり胸の辺りが熱くなって行くのを自覚していた。
「せらは、ありす、きらい?」
「そんな事ないですよー」
「よかった」
「つ、つゆの事はどうなのよ?…ま、まぁ、色々邪魔だと思っているとは思うけど、一応、一応ね!参考までに聞かせてよねっ」
案外この娘達も似たような事を心配していたようです。
「アリスさんも露葉さんも、二人とも好きですよ、あたしは」
瞬間、二人の表情が若干だがパァっと明るくなったように思えた。
「そそ、そんな、しゃ、しゃしゃしゃ社交辞令なんて、そんなの、その…うわぁぁ」
落ち着け露葉。
何故そこまで動揺する必要がある?
しかしまぁ、結局帰りがけに買い物に行く事になりました。
「せら、ここじゃないの?」
「うん。まだよ。もうちょっと先の方にあるスーパーに寄るの」
「アリスさん、そのお店はちょっと入りにくいよ」
「どうして?かんばん、りっぱ、なのに」
「だからだよ…」
どうもアリスさんの金銭感覚は一般人より高めに設定されてあるようです。
お姉さん・シアがお嬢様だし、妹であるアリスさんも本来ならお姫様級の生活が出来るほどのお方なので仕方がないのかもしれないが。
…あ、そう言えば前に海に行った時も、超高級料理店に入ろうっていかにもそれっぽいお店の看板を指差してたっけ。
「ここです」
「…ここ?」
「へぇ、結構近くにあるのね」
やって来たのは瀬栾の言う通り、スーパーマーケットだ。楠町家から約500mほどに位置している。またこの夕方の時間は、タイムサービスという主にひよこさんくらいの歳のお方々からの…、いえすみませんひよこさんは若いですねはい間違えました何故かここから約500m離れた辺りから鋭い殺気を感じたので謝っておきますごめんなさい。
まぁ、そんな熱狂的な人気を誇るイベントのせいで、大勢のお客さんで賑わっているとか。
実際、現在も大盛況のようで、そろそろタイムサービスの開始時間だそうです。
「い、行くわよみんな!」
瀬栾が臨戦態勢に入った。
「え、まさかとは思うけど、あ、あの中に…?」
「もちろんですっ!」
えぇーーーッ!?
ひよこさんあなた凄いお使い頼んだんスね!
こんなの普通の高校生にはクリア不可能だって!
だってほら見てあのおばちゃん!
目が明らかにおかしくなってる!
周りが見えてないじゃすまされないレベルで舞い踊ってるよ!?
それにこっちのエプロン姿のいかにもな主婦さんは手にチェーン付き財布のチェーン部分持ってブンブン言わせながら振り回してるし!!
何ここ戦場!?
「さぁ、みなさんも覚悟はいいですかッ!?」
瀬栾がちょっとだけ、いや結構たくましい子だったって事が判明しました。
そして、帰り道。
「……」
「……」
「……」
「……」
誰か何か言えよ!?
疲れたのは分かるけどさぁ!!
あの後、瀬栾の号令により突撃した俺達は、タイムサービス開始のベルの音が鳴った瞬間、店内から投げ飛ばされるかの如く追い出された。周りを見てみると、次々とお客さんが俺達のように追い出されていた。
原因が店内に渦巻く戦乱であるという事は言うまでもない。
だがそこで瀬栾が一人だけ追い出されていない事に気が付いた俺達は、瀬栾を探すべく再び戦いの嵐の中へ。
しかし結局、突撃、追放、突撃、追放、突撃、追放、…を繰り返している間にタイムサービスは終了。
その直後、驚く事にお目当ての商品をしっかり半額で購入済みの瀬栾さんが俺達の前に現れる。だがやはり疲れているのか、フラフラした足取りで店を出て来たので、露葉と俺と荷物を分けて持つことにしたのだった。
「…こ、こわかった」
「ね、ねぇ、つゆ達、スーパーに行ったんだよね?何でこんなに制服が汚れてるのか全く分からないけど、スーパー…に行ったんだよね!?」
「あ、あぁ、多分な。多分スーパーマーケットだ。そうに違いない、ハズだ」
「何でここのスーパーだけこんなに安くで販売出来るんでしょうねぇ?」
一人たくましく商品の購入を果たした少女のセリフは、やはり何処か方向性の違うモノだった。
「ただいまー」
「あらあら、お帰りみんな」
もうこの「みんな」ってなってる事が自然に聞こえるようになってしまった。
ひよこさんも既に条件反射的なセリフになっているのではないだろうか?
「まぁ!みんなとっても疲れてるみたいね。何かあったの?体育?」
スーパーマーケットでの買い物と体育での活動がほぼ同じ結果を導いていたとは。あぁ恐ろしやタイムサービス。
「とにかく疲れているなら、先にお風呂入っちゃいなさいな♪」
そう言われて俺は我に返った。
待って別に変な想像とか妄想とかしてないからねッ!?
ほ、本当だぞ!?
本当に本当だ!
何?
命を掛けて妄想していないと誓えるかって?
ハッハー!
もちろん無理だ!!
「…あ、サンサロール君が一番最初ね。女の子達の後じゃ、男の子としての立場がないでしょう?うふふっ」
「えぁ…、あ、は、はい!お気遣い、ありがとうございます…」
き、期待とか、その、別にまぁしてはいなかったけど、ですよね…。普通こうなりますよね…。
「じゃあ参巻の後につゆ達三人って事ね」
ひよこさんのお気遣いを受けた直後、行動を開始しようとして露葉がそう締めくくろうとした時、思い出したようにひよこさんはこう言った。
「あっ、でもうちのお風呂、最大限に活用しても二人がギリギリね…」
えっ?
俺は三人の少女を見た。ってか見てしまった。
そう言えば、いつもは瀬栾&鶸ちゃん、露葉&アリスさんでそのイベントはクリアしてたんだっけ。
「困ったわねー…」
少しも困っていないような表情でそんな事を仰るひよこさん。
因みに鶸ちゃんはというと、部活でまだ帰って来ていない。
「お、お母さん!」
発言したのは瀬栾だった。
「あ、あたし、いいよ!…その、えーっと、あぅ…だ、だから、えと…」
口ごもり過ぎていたが、その言いたい事は伝わって来た。
自分でいいながら緊張が高まっているようだ。
「あら、助かるわ。…でもママそういうのはあんまり感心しないわ」
「そ、そーよ!つゆも感心しないもん」
「ダーリン、ありすは、どう?」
どんな時もアリスさんは恐ろしいほどにブレないらしい。
「だ、大丈夫!俺は、一人でも別に…」
「そそそそれはダメですっ!」
「ダメよ参巻っ!」
「ダーリン、ありす、きらい?」
何でッ!?
「お母さん、お願い!変な事はされないから!大丈夫だから!」
この天然娘は一体何を母親に進言しているのだろうか。
「本当に良いの?後悔はしない?ちゃんと洗う?」
この母親は一体何を娘に念押ししているのだろうか。
「後悔なんて、し、しないもん!あたし、サンサロール様となら、大丈夫だもん!」
「えっ!?ちょ、ちょっと待てって!それはやっぱりまずいって!」
「参巻!つゆなら遠慮はいらないよね!?つゆ、見られても、その、変な気持ちになるような成長、してないし…。してない、し…、ぐすっ、ば、バカぁ!!」
瀬栾は謎の決意をし、露葉は謎の自爆を遂げた。
「い、いや、だから、別にほら、俺が一人で入って、鶸ちゃんが帰ってきてから瀬栾は一緒に入れば…な?」
「そ、それじゃあ、ダメ、だもん…。こ、こんなチャンス、もう、ないかもしれないし…!」
何を言っているんだこの娘は親の前で。
「つつつまり、つゆが入ればいいって事よね!?」
結論の付け方が明らかに不自然だろーが。
「分かったわ。とりあえず、今日は瀬栾とサンサロール君、つゆちゃんとアリスちゃんで入っちゃいなさい」
!?
ちょ、ひよこさん!?
あなたご自身の発言の意味分かってます!?
だ、大事な娘さんですよね!?
良いんですかこんな俺にそんないえこれは不満があるとかいうわけではなくてですね寧ろ実際にはこうなって天にも昇る気持ちで嬉しかったりもするんですけれどもええやはり俺にも自制心やら理性やら世界の真理やら常識やらがありましてですね!?
…お、落ち着こう。
落ち着いて考えるんだ、俺よ。
「ひ、ひよこさん!」
「はぁい?何か問題でもあったかしら?」
え…、これを問題化せずして他に何を…。
「あの、何か条件とか、あった方がいいなと思いまして」
俺は何を言っているんだ。
「あら、例えばどんなの?」
「そうですね、例えば、脱衣所以降は決して向かい合わないとか、双方水着を着てから、とか…」
おおお俺はなな何を進言しているんだァァ!?
「あらあら、うふふ。純情ね、サンサロール君」
不意にもその時の微笑みに、瀬栾のそれとそっくりなモノを感じた俺は、思わず息を飲んだ。
「その辺りの事なら大丈夫よ、気にしないで。…でも、その代・わ・り・に」
「は、はい!なな、何でしょう!?」
「ちょっとこっちへ来てくれるかしら?」
「えっ、は、はい…」
ひよこさんは俺を一人だけ少女達三人から離して自らの方へ寄せ、耳元で囁いた。
「この事は洋一さんには内緒っ。気づかれそうな時はあたしの方からフォローするわ。…それと」
少し間を開けて、彼女はこう言った。
「後で感想、聞かせてねっ♪」
その後、「あら、お顔が真っ赤よ、サンサロール君♪」などとひよこさんにからかわれてから、俺達のドキドキタイムが始まった。
…あー、やべ、どうしよう…。
ど、どうしようどうしようどうしよう!?
うっわー、超緊張して来た!
今俺は最近漸く使い慣れて来た楠町家の浴室にいる。普段なら全裸だが、今日は色々あって隠さなきゃなのでタオルを巻いている。
そして…、俺の背後。
今この瞬間、折り戸となっている浴室と脱衣所とを隔てる磨りガラスをプラスチック系の枠組みで囲んで作られたドアの向こうから、聞こえるかどうかという程度の衣擦れの音がしている。
そう、その音を立てているのは間違いなく、瀬栾。
その音を聞いているだけで、世の男子高校生の中には耐えられない者が出てくるというそんな魅惑的なSEに、クラス一位の美少女が、という事実が加われば、そりゃもう半端ない破壊力である。
俺、サンサロール・石川こと石川 参巻とて例外ではない。
「せ、瀬栾、ほ、本当に、良いのか…?」
我ながら流石に往生際が悪いと思う。
しかし、俺のその質問に対する返事が返って来ない。
「瀬栾?も、もしかしてお前も緊張して…!?」
返事がない事を少し不思議に思って振り向いた俺は言葉を失った。
え、何これどういう事?
ちょちょちょ、待って。マジでちょっと待って。
よし落ち着け俺。
冷静になるんだ。
よーし良い子だァ。
もう一度、目をしっかり洗ってから見てみよう。
俺は洗面器に水を溜め、顔面に思いっきりバッシャァァァアアッ!と叩きつけるようにかけてから、両手で水を拭った。
…振り向いてみた。
くるり。
じー…。
くるり。
バッシャァァァアア!!
何故だ!?
何でシルエットがひよこさんにしか見えないんだぁぁァァアアア!?
まだ脱衣所からこちらへは入って来ていないが、磨りガラスの向こう側に映るシルエットはまさしくそうだった。
これはそう言うことか!?
やっぱり一緒に入りにくくなった瀬栾が頼んで、こうなっ…いや!そんな事で簡単におk出すような母親が一体何処にッ…いるし!この家にいるし!娘の同棲もどきやら混浴やらを堂々と認めちゃうような型破りなお方がッッ!
待って!
本当、ちょっと、え、俺は何をすればいいんd
キィィ…
戸が開きました。
「……」
「……」
「…え」
目の前に現れたのは紛れもなく瀬栾でした。
タオルを一枚だけ身に纏った瀬栾ちゃんでした。
「…あ、えぇーっと…」
説明求む。
誰か、説明をして欲しい。
「瀬栾、だよな?」
「そ、そう、だけど…?」
そう、何度も確認するが、目の前にいるのは確かに瀬栾。
どう見てもそうなのだが、違和感が半端じゃない。
その俺の目が受けている違和感は、主に瀬栾の胸の辺りに存在していた。
断言しよう。
大きい。
何故だ…。
普段は全くもって目立っていないというのに、どうやってこうまでも存在感を発揮させる大きさのモノを所持出来ているのだろうか。
服を着ると小さくなったり消えたりするんだろうか?
…いや、冷静になれ。
偽のモノという可能性もある。
タオルの内側にパッド等を入れているのかもしれない。
俺とこのような場に二人きりという事で、瀬栾なりに女の子のプライドというものを見せ付けようと頑張っているのかもしれない。
だが、そんな偽物では俺の目は誤魔化せないぞ瀬栾ちゃんよ!
「ち、ちょっと…、み、見過ぎ…」
言われるまで気付く事もなく見つめてしまっていたらしい。
「うぇあぁ、ご、ごめんごめんごめん!あ、あまりにも、その…、大き、かったからさ…」
俺は何を口走っている!?
ついさっき、自分で予想を立てたばかりではないか!
偽物を褒められても、そこまで嬉しくはないに決まっているというのに!
あい?
じゃあどうしてそんな細工をするのかって?
そんなこたぁ俺に聞かれても…。
と、とにかくあまり触れずにスルーすべきだったって事だと思うんだよねー…。
「ッ!?」
ほらー、瀬栾ちゃん顔真っ赤にして胸を両手でタオルの上からさらに隠しちゃったし…。
「そ、その…、お、大きい子は、好き?」
「え、えぇぇっ!?どど、どうかなぁ〜…あ、あははは…」
「き、嫌いだったり…するの?」
どうしてそんなに愛くるしいうる目でこちらを見つめて来るのだ瀬栾よ。
「そ、そんなわけ、ない、じゃないか!お、俺は瀬栾の、その、む、胸が大きかろうが小さかろうが関係なく瀬栾、お前が大好きだ!」
おぉ!
何か久々にラブコメの主人公っぽいセリフを…何?
これはまるでエロゲの主人公の発言ではないかって?
ソソ、ソンナコトハ、ナイヨ?ホ、ホントニ、ホントダゾー…。
「さ、参巻っ…!」
パアッとと明るくなる瀬栾の表情。
そしてそれと同時にパアッと露わになる瀬栾の裸体。
嬉しさのあまりに両手を口元に合わせた際、身体を隠すべくタオルを軽く巻いた後にそれを固定していた手を離してしまったが故の出来事だった。
パサ…。
「…ッ!?」
「#@?(&☆$%>〆¥○=〒:!?」
ガッ!!
言葉になっていない謎の言語を発したのは瀬栾様でした。
そして本当に残念な事に、何故か普段なら座ることでしか利用していないリビングルームに在るソファで意識を取り戻しまして、俺は結局あれ以降の記憶を覚えていないのです。
後半何か物凄い嫌ーな鈍いSEと共に意識が暗転したような…。
って、待って!
初めてツンな瀬栾から名前で呼ばれたような!?
うわー、何これ超嬉しい!
もう洗面器で殴られたことなんてどうでもいいわ(笑)
それで、俺達のドキドキタイムは強烈なイベント(って何だよ)一つのみで幕を降ろしたのだった。
あ、そう言えば露葉とアリスさんですが、二人は、まぁ体型的にちょっとアレなので18禁であってもキケンなので事情によりお見せ出来ませんが…、聞こえて来た(聞こえてしまった)セリフを抜粋すると、
「アリスってば、お子様な身体よね、相変わらず」
「つゆちゃん、ぜっぺき」
「あ、アリスなんて、髪の毛くるっくるじゃないの!」
「つゆちゃん、ぴょんぴょんはねてる」
「…あ、あ、アリス、なんて…、ぐすっ、うわぁぁあんっ」
……露葉を後でちょっとだけ、慰めてあげようと思います。
まぁこんな感じで今日の入浴を済ませた俺達は、リビングルームでくつろぐ事に。
そこに帰って来た鶸ちゃんが絶望の眼差しで脱衣所に向かって行った事を除けば、本日もいつも通りと言えばいつも通りなのであった。
もちろん、鶸ちゃんには瀬栾と一緒に、なんて言えませんでした。
案外、洋一さんより怖い反応を示すのではないのだろうか…。
あぁ恐ろしや。