3.悪鬼と少女と指輪
伯爵家の末娘は、余り丈夫で無かったため俗世と切り離されたところで静かに暮らしていました。
その無聊を慰めるために、周囲の者達はいつも心を砕きます。
美しいもの、楽しいもの、華やかなもの、手の込んだもの、美味しいもの。
きれいなものだけに囲まれた優しい優しい空間でゆっくり育っていった末娘は、年頃のご令嬢方と少しばかり違った少女となりました。
この世に存在するものは、全て美しく善良なものであると信じ切ったのです。
成人を間近にしてもやはり体調を崩しがちな少女に、華やかな夜会を贈ろうと一族が動き出しました。身体が弱いことに遠慮して指輪を交わすことができない少女の後押しをしようと思ったのです。
自分から言い出せない少女のために、必ず男性側から声を掛けるようにとの一文を添えて招待状が配られました。もちろん、宛先は厳選されてました。
爵位、財政、為人。調べ上げて、当代一流の男性諸氏に送られたのです。
どこかで悪意が混ざったのでしょうか。
招待状を手にする資格などない男の手元にも招待状が届きます。
少女のために開かれたきらびやかな夜会。恥ずかしげにうつむく今宵の主人公に、招待客は愛の言葉をささやきます。
日頃の静かな生活と違った賑やかな様子も相まって、戸惑いをかくせないその様子を誰もが愛おしく見ていました。
少女が一番初めに選ぶ男性は誰になるのだろうと、微笑ましく見守っていた時にそれは起こりました。
手に入れた招待状をかざして夜会に乱入してきた悪鬼が、追い出される前にと目的地へ急ぎ向かいます。
そして、夜会を楽しんでいた少女の眼前にその醜い風貌をさらし脅しつけました。
差し出されてきた醜い掌だけで、怖じ気ついてしまった少女は言われるがままに『貞節の指輪』を差し出してしまいました。少女の恐れを如実に現すほどに、その指輪はか細いものでありました。
その反対に、悪鬼は少女の右手にそれはそれは醜悪な指輪をはめ込み、そうして有無も言わさずに連れ去ってしまったのです。
屈強な男達が伯爵家の門前を支配してました。悪鬼は茫然自失の少女を馬車に押し込み立ち去ったのでした。
取り残された家族の悲しみが、無惨に終わってしまった夜会に漂い続けました。
少女を救い出そうと両親だけでなく一族総出で、悪鬼の元に何度も訪問を続けます。
しかし、ようやく少女と再会を果たした時には、何もかもが遅かったのです。悪鬼の毒牙に少女はかかってました。
救い出そうとする両親達に、少女は悪鬼の素晴らしさを語ります。醜悪な指輪を愛おしそうに頬にあて、この世で一番幸せだと言うのです。
そうして、側には幼妻を手に入れた悪鬼が満足そうに睥睨しているのでした。
母から届けられたのは、豪華な絵本であった。王都で秘めやかに流行っていると添えられた手紙に書かれてあった。
主寝室で、ゆったりと抱えてもらいながら読み終えたのだけれども……。
母は一体、何をしたいのかしら?と首を傾げてしまう。私がもたれたぐらいでは揺らぎもしない旦那様をちらりと見上げた。
「悪鬼から姫を救い出そうと、男達がこの地を目指すでしょう」
「……母のこと、本当に申しわけありません」
「義父君から先に連絡を受けてます。男達は領内に入れても、この屋敷まではたどりつけませんから安心して」
「はい」
二人でもう一度、絵本を眺めた。
「格好いいですよね」と、描かれている悪鬼を撫でる。威風堂々と、少女の前にそびえ立つその姿に記憶が重なった。差し出されたその掌にどれだけ必死に縋ったか。
描かれている指輪も素敵だった。うっとりと絵本を眺めていたら、ぱたんと閉じられ取り上げられた。
ああ、またやってしまった。
幸せで、こみあげてくる笑いをかみ殺しながらふりむき、軽く唇を交わしあう。深いものへと移っていく前に、思いを込めて伝える。
「本物の方がもっと素敵です」
お読みいただきありがとうございました。
少しでも楽しんでいただけたのでしたら、幸いです。