好きなのに、前へ進めぬもどかしさ
万希葉と並んで歩く勇。万希葉の住むマンションへ行くには来た道を戻り、神威の住むマンションの前を通過する必要がある。神威は相変わらず気絶したまま昇降口の壁に寄り掛かっていたが、万希葉も事情を察して見て見ぬフリをした。
「おじゃま、します」
上幌家の白い靴箱には薔薇の香りの芳香剤が置いてあり、万希葉に対して恋心や下心のない勇だが、少々緊張している。
「ちょっと散らかってるけどごめんねー」
とはいうものの、通されたリビングには二人用のグラステーブルにファッション雑誌が二冊重ねてある程度で、少なくとも長万部家の100倍は片付いた部屋である。
自室に入った万希葉は鞄を置き、すぐに洗面所で手洗いとうがいを済ませ、手狭なキッチンでディナーの支度に取り掛かる。勇もそれに続き手伝おうとするが、万希葉に遠慮された。ならばせめてと、芋や野菜を洗浄する。
「万希葉はいい奥さんになりそうだな」
勇はニンジンを洗いながら、右隣でジャガイモをカットしている万希葉に話し掛けた。勇は透けて見える黒い下着に唾を呑む。
「ふふっ、どうしたの急に。そりゃ、私と結婚する人は幸せだろうけど」
「自分でそういうこと言うか?」
「そのくらい自信がなきゃ見えない何かに押し潰されちゃうのっ」
「そういうもんかなー」
「そう。勇は野菜洗ったらテレビでも見てて」
「なんか悪いな」
「いいのっ。その代わり、少しくらいは元気出しなさいよ?」
「はぃ…」
「あっ、ついでにお米研いでくれると嬉しいかも」
「はい」
1時間後、北海道の農産物がごろごろした海軍カレーの完成。海軍カレーとはつまり、ジャガイモやニンジン、タマネギや牛肉などが入った日本ではごく一般的なカレーである。
気まずさなく黙々とカレーを食べ終えた二人。食事で少しリラックスした勇が口を開く。
「俺さ、中2から中学卒業するまで付き合ってた人が居てさ…」
「えっ、なにそれずっと同じクラスなのに初耳」
「誰にも言ってないからな。んで、そいつ、かなり明るい性格で、ぼっち決め込んでた俺にねっぷと一緒に絡んできたわけよ」
その言葉で万希葉は勇の元カノの顔が鮮明に浮かんだが、口には出さなかった。
「でも俺、両親が殴り合って罵倒し合った翌日にそれ話して励ましてもらったのに、逆にアイツがバスケ部の試合で準決勝敗退して落ち込んだときは、言葉が胸に詰まって何も言ってやれなくて、それでも何かしなきゃと思って、俺なりに精一杯の勇気を出して、黙って抱くくらいしかできなかった。きっといま、誰かと付き合っても同じことを繰り返すんだと思う」
言った瞬間、勇は後悔して青褪めた。自分を理解してほしいがために元カノの経歴を打ち明けてしまった己の未熟さに。
「うわ、私的には勇に惚れそうなんだけど…」
冗談交じりに苦笑する万希葉。勇はそんな万希葉から思わず目を逸らす。
「待て待て、それのどこに惚れる要素があるんだ。俺は混乱して野生動物みたいな衝動を起こしただけだぞ」
「ふふ、惚れるかどうかは人それぞれだけど、勇の気持ちは伝わったんじゃない?」
「そうか? 弱みに付け込んでやられた感満載だろ」
「それでも嬉しいときはあるの。たぶん」
万希葉の反応にイマイチ納得のいかない勇。それは万希葉の嗜好によるものなのか、自分が未熟なためなのか、判断できず混乱。
「で、勇は今回も自信がなくて戸惑ってるんだ」
「まぁ、結論を言えばそうなるんだと思う。今回の相手は俺と似たような悩みを抱えてるみたいだから、気持ちは理解できてもそれに上手く応える自信がなくて、結局模範解答みたいな意見を押し付けて傷付けちゃうんじゃないかと…」
「思ってることを素直に言葉にするのって、難しいよね。ゴールは見えてるのに、目の前は霧が濃くてなかなか前に進めない気持ち。私はそれでずっと迷って、やっとゴールに辿り付いたと思ったら、霧を吹き飛ばして追い掛けてきた肉食ウサギさんに負けちゃった」
「ごめん、イヤなこと思い出させちまったな」
「ううん、いいの。勇には私の轍を辿ってほしくなくて敢えて言ったことだから」
「ありがとな。けど万希葉ならきっと、幸せになれる」
「ふふっ、私はいまでも幸せよ? 仲間に恵まれてるし。でも勇が言いたいことはそうじゃなくて、ああいうことでしょ?」
「そうそう。万希葉は理解力いいな」
理解力がいい、というよりは、相手の気持ちを慮る能力に長けている。といったほうが適切であろう。勇はここでも自分の言語能力を憂いた。
「ふふっ、そのくらいなら誰でも解るわよ。なんか私たち、互いの傷を舐め合ってるみたいになっちゃったわね」
そのくらい‘なら’という万希葉の言葉に、勇は彼女の内に秘めたる自信を感じ取った。
失恋を経験しても前に進もうとする万希葉と、過去を引き摺り前へ進めず、新たな相手にさえ逃げられようとしている自分を比べて、劣等感と閉塞感、それを突き破る勇気を絞り出せればと、取り巻く環境の走馬灯とともに想いを逡巡させる。
やっぱ俺、弱いのか…?
勇が俯いて深みに嵌まっていると、万希葉はスカートの中からスマートフォンを取り出し、誰かと通話を始めた。
ご覧いただき本当にありがとうございます!
ぼっち性質故か勇のお話は書きやすいですw 他のキャラクターを巻き込んで展開しやすいのが勇のように不器用なキャラクター。過去では『いちにちひとつぶ』の優成。今後展開予定では『うろな駅係員の先の見えない日常』の理一など、ちょっとムフフな感じにできたらいいなと考えております。そちらもご覧いただいている方はお楽しみに!




