法廷は踊る 後篇
「まず、動機の点ですが、私共は一つの情報を掴んでおります。……それは、現時点でアルイケ侯ジェームズ閣下が、第1位王位継承者ではないか、つまり、王太子ではないかということです。これは、真実ですか?」
フォンビレートの思いがけない言葉に下級貴族達は揺れ、ジェームズの言葉を固唾をのんで見守る。
諮問機関の委員達も核心を突くフォンビレートの質問に息をひそめた。
「……そうだ」
逡巡したのち、ジェームズは素直に答えた。
既に鍵は回収されていることは確実であり、誤魔化しても無駄であることが分かったのだろう。
その答えにフォンビレートは満足げな顔を浮かべ、それからジェームズの後ろ側に見える6公侯爵を見据えた。
「同じ質問をベラキア公爵、ランド公爵、トルクメニア公爵、ルーン侯爵、ガボン侯爵、サルダニト侯爵にお聞きします。アルイケ侯爵がおっしゃったことは事実ですか?」
突然、振られた公侯爵達は自らにも矛先が向けられていることを敏感に感じ取り、顔を相互に見合わせ合う。何が会話されたのかは本人たちのみぞ知るが、大方、自分たちに飛んでくるかもしれない火の粉への対応を考慮したのだろう。
彼らもまた素直に答えた。
「そうだ、御前会議にて決定したことを証しよう」
筆頭公爵・ベラキア公グライスが述べると、その他の公侯爵も右手を挙げて同意を表わした。
それを確認して、フォンビレートはグライスの方へ向き直り、さらに問いを重ねた。
「それは、いつ頃のことか覚えておいでですか?」
「……一昨年の冬……だが?」
「正確にお願いします」
間髪いれずに打たれる相槌に、グライスの顔に嫌悪が浮かぶ。
筆頭公爵として敬われる彼への、フォンビレートの不作法な振る舞いは、苛立ちを与えるのに十分だった。
「……覚えておらん」
何とかあからさまな発言は避けたものの、見る者が見ればわかる不機嫌さのままグライスは答えた。
と言ってもその怒気に怖気づくほど、フォンビレートは殊勝な性格をしていない。
にやりと底意地の悪い笑みを浮かべ、手を大仰に振りかざす。
「そうですか……では、確かめてみましょう」
言葉とともにフォンビレートはポケットからあるものを取り出し、掲げて見せた。
あるもの、の正体を一瞬にして察知した、グライスが動揺を露わにするが、フォンビレートはもう彼の方を見てはいなかった。
広間の中央で全貴族を渦中に巻き込むべく演説を振るう。
「この裁判に先立ち、現諮問委員の皆さまからお借りした鍵と陛下にお借りした鍵で金庫を開けました。……ここに王国法の原本がございます。陛下にお渡ししますので、お確かめいただきましょう」
その言葉を聞きフォンビレートが何をしようとしているか確信を得た公侯爵たちは声を荒げる。
「待て!!それは、国防上の観点から秘匿されているものだ。衆目の面前でというのは……」
もっともらしい理由をつけて、やめさせようとした。
「そうだ!!そもそも、その鍵が一使用人の手にあるというのがおかしい!……私たちは、陛下が集めたいとおっしゃっているというので、貸したのだ。決して、一使用人に勝手をさせるためではない!!」
「陛下も陛下です。いかに王家筆頭執事といえど、原本を見る権限を与えるなど……」
フォンビレートが平民出身だということも相まって、広間は再び逆風が吹く。
だが、その風が広間を飲み込むことはあり得ない、ということをすぐに公侯爵達は悟った。
罵声と言っても差し支えのない野次の中、その表情には余裕すら見てとれる。
「日付を読み上げていただくだけです。……それに、筆頭執事が行ってはいけないなどという記載がどこにあるのでしょうか? 否、平民が触ることなどできないとどこに記載がありますか? 王国法第2条は『7本の鍵と国王の鍵がいる』と定めているだけであり、皆さんが預けられた鍵を陛下の命を受けて私がお借りし、金庫を開けることを妨げてはいません」
本来王国法は見ることができる人間そのものが非常に少ないため、全てを把握している人間など滅多に存在しない。原本を見る権利を持つ公侯爵は、その他の法律に関し法務大臣の知識には及ばぬし、現法務大臣は伯爵家の人間だ。原本を見ることは叶わない。
それらの事情がある以上、この国で最も法に精通しているのはフォンビレートであり、彼の述べた論理的で痛烈な批判は、膨大な王国法を全てを記憶している彼の能力によるところである。
「……それからベラキア公爵」
押し黙った公侯爵に対し、フォンビレートはさらに追い打ちをかける。
「先ほどの、『衆目の前では』というのは、ここにいる皆さんが裏切る可能性があるとおっしゃっている、と解釈してもよろしいですか?」
正論に押されるように、広間の視線がグライスへ集まる。
「ここにいらっしゃる皆様は、建国以来忠実に王国の発展を担ってこられた方々です。国防の観点とは、他国に対してだと理解しておりましたが、公爵の中では国内にも敵がおられるということでしょうか?」
本音を言えば、フォンビレートも国内の方にこそ敵が多いと思っているが、表だって敵扱いするような愚かしい真似をする気にはなれなかった。伯爵家以下、忠実に職務を全うしてきた者の方が多いのだ。公然と秘密を守る対象として言われたのでは、彼らの立つ瀬がない。そこを逆手に取った。
「どうですか?」
「……申し訳ない。……少し言葉が過ぎたようだ」
「お座りください。いまだ、話は終わっておりません」
筆頭公爵がやり込められたことで、広間は再び、フォンビレートの手中に入った。
「話を戻します。陛下、王国法の原本を確認いただけますでしょうか?」
シシリアに寄っていき、恭しく差しだす。
それを受け取ったシシリアは澄んだ声で読み上げた。
「王国法第1条、細則4。決議が行われた日付、コルベール暦1543年1月3日」
「ありがとうございます」
フォンビレートはシシリアへ頭を下げ、再び法廷に向き直った。
「お聞きのように、この細則が御前会議にて話し合われ、決議に至ったのは昨年の1月3日のことです。……当時の筆頭書記官はブルンジ伯でした。リシュメ閣下、これを書き加えられたのは閣下ですか?」
リシュメはブルンジ伯爵位を継ぐ前、筆頭書記官をしていた。今年より伯爵位を継いでおり、このような法廷への出席は初めてのことである。急に振られたことに動揺して小さくうなづくのが精一杯であった。
それを確認してから、フォンビレートは懐から1枚の紙を取り出した。
「ここにありますのは、ヘンリル前陛下の主治医であったクーラ様の診断書です。1枚目の日付は、1543年4月20日。書状の内容はこうです。『ヘンリル陛下は、本日お眠り深く、起き上がる御様子はない。意思の疎通は困難である』この日より、同じ記述が続きます。そして2枚目の日付は、1543年6月28日のものです。ここにも、同じような記述があります。『陛下は、瞳を開けられることも少なくなり、意思の疎通は途絶えたように見て取れる』とありますから、さらに容体が悪くなっていることが分かります。この日以降も、お亡くなりった12月4日まで回復したという記述は見当たりません」
貴族たちは、春ごろから日に日に悪くなっていた時の様子を思い出したのか、沈痛な面持ちで席に座っていた。
「……明らかにおかしいとは思われませんか?」
フォンビレートは広間の中央からぐるりと睥睨した。
「採決されたのは1月3日。……王国法は採決後半年経ってからの施行となることとなっています。となれば、書き加えられることができる日は最短で、その年の7月3日ということになります。原本を書き換えるためには王の鍵も必要です」
広間を睥睨していた瞳をジェームズにひたと定めて続ける。
「お分かりですか? 閣下。ヘンリル前陛下はその日より2ヶ月以上も前から『意思の疎通は困難』なほどに体調を崩しておられたのです。……どうやって、鍵をそろえることができたのですか?」
広間は驚愕で満たされた。
丁寧に時系列を追って説明するフォンビレートの話に逃げ道はない。
もしこれが本当ならばジェームズはひいては諮問委員はもちろんのこと、筆頭書記官であったブルンジ伯にも罪があることになる。
「会議に出席しておられた方でもかまいません。……ブルンジ伯、閣下でもかまいません。どのようにして鍵を揃えることができたのか論理的に説明していただけますか?」
できますか? と問うフォンビレートの言葉に応えることが出来る者は誰もいなかった。
「……陛下よりもしもの際は、ということでお渡しいただいていたのだ」
「そ、そうだ!!」
ジェームズが苦し紛れにポツリとこぼした言葉に便乗するように、言い訳が始まる。
「われらは、陛下より厚い信任を受けっておった。……その陛下の期待に沿っただけだ」
「我らと陛下との絆に疑問を呈すなど言語道断だ!」
「言い訳は、後回しにしていただいてよろしいですか?」
ルーン侯爵の言葉をさえぎって、フォンビレートが嗤う。
「あまりに醜く、聞くに堪えない。……皆さまの知らない事実を一つ申し上げましょう。……王家の鍵の保管者は、その時の第1位王位継承者にあるのです」
「……なに?」
フォンビレートの言葉にジェームズの顔色が変わる。
「疑問に思われませんでしたか?……あの時、いくら探しても分からなかった鍵がシシリア様の継承とともに出てきたことを」
シシリアから預かった鍵をフォンビレートは掲げて見せた。
「7代国王陛下の治世の反省点を生かした処置として、王家は代々そのような処置をとっているのです。……知らなくとも無理はありません。私もまた、シシリア様にお聞きして初めて知りえた情報ですので」
7代国王テリドアは、さまざまな法律を制定したことで知られる。その中にはあまりにも愚かしい法律が多数存在した。たとえば、『動物は一切傷つきてはならず、その罪は殺人よりも重い』などという法律はその代名詞といえる。その時の反省を生かし、『実際に施行されるのは原本改正後』であり『原本を保管するのは8本の鍵がそろわなければ開かない金庫』となった。それに加えて王家では、国王本人ではなく次期国王が鍵を所有することで、国政の混乱を防ごうとしたのである。
「昨年の冬から、鍵の保管者はシシリア陛下であり、陛下がこの鍵をヘンリル前陛下のもとに返されたことはただの一度もありません」
「……では!私たちも手に入れられるはずがないではないか!!」
声をあげたグライスの方を見ながら、フォンビレートの声がこれ以上ないほどに強まる。
「お忘れですか?……前アルイケ侯爵であるケアリー様は第1位王位継承者であったことがあるのです」
ケアリーは鍵を保管する正当な権利を持っていた。だが、国王でなければそれを自由にする権利は当然有してはいない。つまり、その鍵を使用することもその鍵を複製することも、どちらも不正なのだ。
「閣下は、ケアリー様が偶然に鍵を手に入れて、複製を行ったと思っておられたかもしれませんが、そうではありません。ケアリー様が正当に保持する権利をお持ちの時に、職人に命じて作らせておいたのです。……尤も、ケアリー様もすでにお忘れだった御様子ですが。……その時の職人も連れてまいりましょうか?アルイケ侯爵」
フォンビレートの後ろには一目で職人と分かる者が待機しており、もし、ジェームズが否定すればすぐにでも証人喚問されるだろう。
最後通牒であることは誰の目にも明らかにだった。
「……そうだ、複製を作ったのは父であり、それを使って不正に王国法原本を書き換えたことは認めよう」
ジェームズの言葉を待っていた人々は、それを聞いて深くため息をついた。
長い裁判の終わりが見えてきたように感じたからだ。
「……だが、それと今回の嫌疑は別物だ。私は暗殺を企んでなどいない。ただ、今この法案を可決させなければ国が混乱に陥ると思い、強行しただけだ」
再びジェームズが否定して見せると、その頑迷な言葉に白々さを覚えながらも、これからどうやって本来の訴えを成立させるのかと、周囲の意識は再びフォンビレートに集まった。
視線を向けた先には、獰猛な笑みを浮かべたフォンビレートがおり、引き込まれる。
「閣下。閣下は執務室内で私に対して罪をお認めになりました。それを否定されるのですか?」
「さて、何のことだ」
フォンビレートの追及をジェームズは鼻で笑った。
「……私は、私の言葉へ嫌疑がかかっていることを知り、身の潔白を知らせるためにここに来たのだ」
「私の仮の姿、ルシアに対して行われた言葉をも否定されたと考えてよろしいですか?」
「その件はすでに認めておる。自覚が足りなかったことは認めるが、それだけだ。実行に移してなどいない」
黙り込んだフォンビレートに、ジェームズは我が意を得たとばかりに矢継ぎ早に話しだす。
「まさか、私室での話を罪に問うというのでもあるまい? それはすなわち我々への冒涜だ。確かに……私は、私の気持ちを理解してくれると思ったルシアという男に話していた。だが、それは実行に移されるまで罪に問われないという前提のもとだ。……まさか、貴族は一言の愚痴を述べてはならないなどと言うのか?」
事実を言えば、愚痴を述べるような貴族は出世できないのだが、この場においてはジェームズの主張が正しい。貴族特権は建国以来認められた権利であり、明文化されていないとはいえ、それを無視することはできない。だが、フォンビレートは涼やかに笑った。
「まさか、そのような愚かなことは主張いたしません。……ですが閣下。閣下は10人以上の人々に対して御自分の罪を公に宣言しておられます」
「……!?」
「そうですよね? ソーイ団長?」
フォンビレートが振りかえった先には、ソーイが立っていた。言い訳を繰り返す父への動かしがたい感情を抑え込むように深呼吸をし、しっかりと前を見据える。
「アルイケ侯爵。……あなたが、罪を認められたことは公の宣言です。……我々、騎士団がその証人です!」
ソーイの後ろに並んだ騎士団が、実は証言者であったことに気付いたジェームズは天井を見上げ脱力した。
フォンビレートは、ジェームズが法廷において否認する可能性を考え、逮捕の場に10人を超える騎士を連れていったのである。打ち合わせにおいて、そのことをフォンビレートから聞かされたソーイは驚きに、しばし思考が停止したほどである。
「閣下、これ以上はお止めください! 罪が目の前にあるのに、盲目の振りをすることに貴族の精神などないではありませんか……!」
震える声で訴えるソーイの正視に耐えきれずジェームズは目をそらした。原告の、騎士団長としての言葉を取っているが、それは紛れもない息子からの懇願であった。
時を見計らったように、法務大臣から声がかかる。
「ジェームズ=ダイナン=ダ・アルイケ侯爵。もう一度お聞きします。……陛下に対して害を成そうとした事を認めますか?」
「……認めます」
うつむいたまま返事をしたジェームズに、ソーイは耐えきれないように顔を背けた。
自分が信じてきた、信じたかった者への複雑な思いが涙を次々にあふれさせる。
対照的に、傍に立っているフォンビレートは無表情で一礼したのち、原告席に戻り裁定者の言葉を待った。