法廷は踊る 前篇
王宮殿の大広間は、ざわめきと得体の知れない何かが満ちていた。僅か二週間前に即位式が開かれたときの、曲がりなりにも美しかった王宮殿とは同一のものとは思えない淀みである。
シシリアは即位して僅かしか経っていない。そこに、この騒動である。
早馬によって主要な貴族が集められており、物見遊山気分の者もいれば、王位に対する不信感を隠し持っている者もいる。容疑者が公侯爵の1人であるという噂もそれに拍車をかけていた。
歴史上、ただ1度だけそのような事例があるが、それは時の愚王に対して諫言を行ったことにより捉えられたのであって、反逆として語り継がれていはいない。むしろ、同情的だ。
今回はそれとは事情が全く異なる。そもそも捕えられたその人が、常々、ヘンリルが最も優れた為政者であると語っていたことを皆知っている。そして、シシリアはそれに遠く及ばないと言っていたことも。
本来、法廷はこのような大々的な方法では開かれない。にも関わらずこれほどまでに大勢の爵位持ちが集められたということはすなわち、この裁判が見世物の様相が強いということになる。もう二度と、誰も反逆など考えさせないように見せ付ける、ということだろう。
それらの要素が相まって、高い関心が払われていた。
扉が開く音ともに、法務大臣が現れる。
「これより、ジェームズ=ダイナン=ダ・アルイケ侯爵位の裁判を執り行う!!被告人は入場せよ!!」
法務大臣の声と共に、今度は広間後方の扉が開き、騎士に付き添われる形でジェームズが入ってくる。
侯爵であるため、拘束されてはいないが、それでも国の公侯爵の1人が被告であるという事実に、今一度広間はざわめいた。法務大臣の手ぶりによってすぐに収まる。
ジェームズはそのまま広間中央の椅子に腰かけた。
あえて貧相に造られている机と椅子が、彼が嫌疑をかけられている人間であることを証明している。
「訴状提出者、ファーガーソン王立騎士団団長・ソーイ=ラルフ=ダ・アルイケ。共同提出者、フォンビレート=メイリー=ダ・エルバルト 入場!!」
誰が敵で誰が味方かという基本的な情報が不足しているため、訴状提出者すなわち原告は、シシリア・フォンビレート・ソーイの3人に絞られた。シシリアは裁定者でなければならないので原告にはなれない。必然的に2人のどちらかということになった。フォンビレートは「自分が行く」と言ったが、ソーイは「息子たる自分の責任である」と言って譲らず、結局それで落ち着いたため。主となる原告者はソーイということになった。
原告が読み上げられた瞬間、ジェームズの閉じられていた瞼がピクリと反応したが、それっきり取り乱すようなそぶりはない。むしろ、ソーイの方が無表情の中にも、痛みを感じているようであった。
一方観衆は、ソーイの登場により、自分たちが聞き及んでいる噂が本当であるかもしれない、という思いを強くした。家長制度が今でも根強く残るこの国において、家族内で闘うということに覚悟のほどを推し量ることができる。
「罪状、王位に対する罪……双方ともに、証人を随時喚問する権利を有していることを確認する」
「「はっ」」
2人ともはっきりとした答えを返す。
容姿だけでなく、良く似た声もまた、2人が血縁者であることをより一層際立たせていた。
「証人となった者は、偽りを述べず、ただあるがままを述べることを命ずる。偽証を行った場合は、その者が罪を問われることを覚悟せよ」
証人に対する注意に、広間にいた多くの者、特にアルイケ家にいた者は血の気が引いている。順調にいけば、彼らは証人として喚問されるだろう。証人となった者には、一定の恩赦が与えられることになっているが、命が助かったところで2度と貴族社会で生きていけないことは明白である。だが、僅かであっても偽証を行えば、助かるはずの命さえ失いかねないのである。
彼らの瞳は、心の中の動揺が見てとれるほどに落ち着きを失っている。
「……裁定者、第28代国王・シシリア=マイアー=ド・イジュール。 入場」
前方の扉が開けられると同時に、全員が起立して最高権力者を迎えた。
シシリアの白い肌と赤い髪が、窓からこぼれる光に反射して、権力者としてのオーラを増幅させる。
玉座で向き直り「座れ」と一言発し、黒い瞳が静かに閉じられた。
気持ちを落ち着けるように、2,3回浅い呼吸を繰り返したのち、再び開かれる。
「始めよ」
その言葉を合図に、開廷した。
「原告者は訴えを」
「はっ」
法務大臣に促されてソーイが一歩前に出、訴状を読み上げる。
すでに、噂として王都中を駆け巡っているため、一切の情報を持たない者など誰もいない。
それでも、彼が昨年の春からシシリアを狙っていたというくだりには、多くの者が驚愕の顔を浮かべていた。注意深く観察すれば、それは一部の伯爵と子爵であって公侯爵は誰も感情をあらわにしていないことが分かる。
「…………よって、アルイケ侯爵ジェームズを国家反逆罪に問うことが妥当であると考えます。以上」
ソーイの訴えは、20分ほどで終了した。
次はアルイケ侯爵の弁明である。
「アルイケ侯ジェームズ。反論はあるか?」
大臣の言葉に、ジェームズは眼を開きまっすぐにシシリアを見つめる。
一呼吸おいて、迷いのない動作で立ち上りる。
「陛下、私の弁明を最後までお聞きくださいますように。決して、私の口を亡き者にはしないでください」
その態度に、アルイケ侯爵が騎士の精神にのっとり肯定するだろうと考えていた人々が揺れる。その憐みを請うような姿勢は、誇り高き貴族にとってあり得ないもので、絶対の忠誠を持つ場合にすること以外、その矜持が許すことはない。
―― もしかしたら、彼は誤解によってこの場にいるかもしれない ――
その間を利用して、ジェームズは攻勢に打って出た。
「私は、確かにヘンリル陛下を敬愛し、この方を生涯の君主として定める、と常々憚りなく申しておりました。ですから、シシリア陛下に対する尊敬の念が足りないといわれても仕方のないことであると自覚しております。亡くなられてから今日まで、私の思いはいまだ解き放たれてはいないからです」
「ですが、それがシシリア陛下に対する憎悪の念に発展することなどあるとお思いでしょうか?」
広間を360度まんべんなく見渡し、自分のペースに引き込む。
「ありえません。私は、国を司る方としてこの方のほかにおらぬと思っております。それが、前陛下への忠誠心に、今及ばないとしても、いずれこの方に心酔してしまうであろうことは、周知の事実なのです」
執務室でのフォンビレートへ語った言葉をことごとく翻し、ジェームズは一世一代の演説を行っている。それが分かったフォンビレートは内心で幾度となく舌打ちをした。翻すと思っていたが、プライドの高い彼がこの戦法をとってくるとは思わなかったのだ。
ジェームズはシシリアをこれでもかと褒めそやすことで、自分がそんな大それたことは考えてはいないということと、それほどまでに評価している人間から信頼されなかった哀れな人間であるということを周囲にアピールしているのだ。さすがは侯爵、というところである。
おかげで、証人喚問する予定であったアルイケ家に居た者たちも生気を取り戻している。今、喚問したところで、うまくいかないであろう。
「あぁ、それなのに私が疑われるとは……!?」
涙を流し、シシリアを見つめ訴えるジェームズは忠義の士と呼んでも差し支えがないほどに堂に入っている。それを恥じる仕草が一層の真実味を持たせている。
「陛下、信じてください。確かに、私は息子に対して、あなたが即位して間もないころ不満をこぼしたこともあります。使用人に対してもよもやあったかもしれません……ですが、それは国を憂える気持ちがあまりに先走ったせいなのです。王家の人々が立て続けに亡くなっていくその現状が、私の至らなさへの苛立ちが、不完全な私の口を滑らせたのです……ですから、陛下。そのことに関しての処罰ならば喜んで受けましょう。私は忠誠心をもつ者と呼ばれるには値しないからです。ですが……ですが、この訴えはあまりにひどい!」
ソーイの方にちらりと視線を送り、息子の方によろけながら一歩近づく。
「私がこのようなことをする動機があるとでも言うのでしょうか? ……私がこのようなことをすることによって何か良いものを得るとでも言うのでしょうか? ……私はそれほどまでに愚かな人間であるとでも言うのでしょうか? ……私は……私は、陛下の僕でございます!!」
絶叫が広間に響き渡る。普段、国政を担う者として存分に力をふるっている者が述べるそれは、抜群の威力でもって広間を支配していた。
「陛下。これだけは信じてください。私は王国の未来と王家の未来とを繁栄させたいと願う一国民なのです。私自身は何も持たざる者でございますが、それでも尽力することを、父より爵位を継ぎし日より心に誓ってまいりました。それに1点の曇りもないことを私は陛下に申し開きいたします。私は、陛下を亡きものにしようなどとはただの一度も、そうです、ただの一度も考えたことなどないのです……どうか、どうか……私に公平な裁きをお与えくださいますように」
ひざまずき、慈悲を請い求め、自分の至らなさを公衆の面前で暴露するジェームズの姿に涙を流す者までいた。ソーイもまた、父のなりふり構わない演説に、真実を知っていても心にくるものがあった。
ソーイはジェームズが罪を告白した場に居合わせた。フォンビレートからジェームズがした数々のことを論理的に説明されてもいる。それでも、揺らぐのだ。
この人を信じたいという思いは、血がつながっている限りにどうしようもないものかもしれない。
シシリアでさえ、寒々しさを感じながらもソーイに同情の念を持っている様子であった。
法廷は今、完全にジェームズによって掌握されたも同然であった。
「発言の許可を求めます」
ただ一人を除いては。
法務大臣に一度、許可を求めてから、フォンビレートは一歩前に出た。
「御立派な演説でした。」
明らかな侮蔑を含んだ分かりやすい挑発に、広間の人間は皆、フォンビレートへの反感をもった。
王座で見ていたシシリアも内心は冷や汗をかいていた。これほどに挑発的な始まりをするということには、余程の勝算があるに違いないが、それでもすべてを敵に回すような発言である。
ソーイもフォンビレートの言葉に不満げな顔をしている。
広間はジェームズへの同情心で溢れかえっていた。
「結局、否認なさるのですか?なさらないのですか?アルイケ侯爵」
フォンビレートの冷たい問いに、皆我に返らされる。
「あなたがおっしゃったのはすべて、あなたがどれほど国を愛し、ヘンリル陛下を愛し、シシリア陛下への愛も培えるだろう。ということであり、肝心の質問には何一つお答えいただいておりません」
ジェームズが行ったのはただの議論のすり替えである。
『暗殺計画をおこなったか』という質問に対して『私には動機がない、私に私心はない』という動機の弁護を行ったのである。おこなったかどうかに関しては一切触れていないのだ。むしろ、こんな私がそれをすると思いますか? ということで広間の人々に答えを求めていたことになる。
「お答えください。なさったのですか?なさらなかったのですか?」
自分が取り込まれようとしていたことに気づき自失している周囲を置き去りにして、質問は繰り返される。シシリアに対する忠誠心が芯にあるフォンビレート以外は気づけないほどに、ジェームズの弁舌は見事だったのだ。
「……しておるわけがなかろう!!」
ジェームズは気付かれたことに忌々しさを感じながらも、はっきりと容疑を否認した。
「確かに、お聞きしました」
ジェームズの答えに、フォンビレートの瞳が輝く。彼がはっきりとした肯定を行ったことにより、二度と同じ戦法を行えなくなったからだ。
自分のペースに持ち込めたことを確認したフォンビレートは、踏み出していた中央から原告席へ戻っていく。ソーイに必要なことを行ってもらうべく、軽い打ち合わせを行い、それから向き直った。
「では、閣下。これより行います質問に、過不足なく、一切の偽りなくお答えくださいますようにお願い申し上げます」
言外に『(頭のいい)閣下。過不足なく(意図的な的外れな回答なく)お答えくださいますように』と言ったことを理解した周囲は表情を険しくして、フォンビレートの弁論に耳を傾けた。