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暗夜の礫  作者: 篁霞流
Ⅴ 偽りの公正
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蠢く

 食事を終えたシシリアは、執務室の椅子に深く腰掛け、フォンビレートを待っていた。

 皇帝を待たせるとは何事だ、という声が周囲から聞こえそうだが、シシリアは黙殺している。

 フォンビレートの腹黒さを身をもって知っているシシリアにとっては、あるいはその性質を信じているシシリアにとっては、フォンビレートを待つ事に大した苛立ちは感じない。

 フォンビレートの動作の全ては、解決のための手立てであり、それ以上でもそれ以下でもない。そういう人間であることをシシリアは知っており、この待ち時間すらも某かの意図を持ったことだろうと見当がついている。

 むしろ問題は。

「お待たせいたしました」

「それで? その黒い笑みを引っ込めることは可能かしら?」

 フォンビレートの黒すぎる笑みの度合いである。

 シシリアの正面に立ち、レライ以下執務官らを従えるような構図で立つフォンビレートは相も変わらない黒い笑みを浮かべていた。はっきりいって気持ち悪い。

 気持ち悪いったら気持ち悪い。

 何せ、食事中こらえきれないように浮かべ続けた笑みが、さらに濃くはっきりと示されているのだから、さっさとこの場を逃げ出したいほどである。

「ああ、申し訳ありません。これは黒い笑みなどではなく勝利の笑みでございますゆえ、少々我慢していただければと存じます」

「……ああ、そう。止めるつもりはない、ってことね」

 白々しく言い訳を加えるフォンビレートに、シシリアは肩をいちど竦めただけで抗議を取り下げた。

 周りのざわめきは気にしない。所詮、蛙は蛇に勝てないのだから。

 

 気持ちを切り替え、シシリアは一つ息を吐いた。それから、易い口調で促す。

「そのままの黒い笑みで構わないから、貴方の案を言いなさい」

「御意」

 胸を燕尾服にぴたりと当て、フォンビレートは僅か顔を下へ向けた。それから、フォンビレートは静かに一歩右へ動き、全員を視界に捉える。

 その眼は鈍く光り、絶え間ない愉悦を湛えていた。

 顔から目を離せなくされた全員の顔をじっくりと眺めた後、フォンビレートは再びシシリアへと視線を定めた。そうして、悪戯に口元を歪めた。

「では、僭越ながら私の案を述べさせていただきます」

 僭越ながらと恐縮しているが、その表情に臆面はまるでない。

 いつもどおり尊大で不遜な態度である。快くはないが不愉快でもない、そういう絶妙なバランスの傲慢さがフォンビレートであり、執務室内の誰もが否が応でも耳を傾けてしまう理由でもあった。

 実際、幾人かが眉をしかめた以外、反応はない。

 誰からも咎め立てされないことを確認して、フォンビレートはシシリアへ向き直る。

「我々が今現在、抱えている問題、すなわち『貿易に関する不均衡』ですが、この問題の根本的問題とは何でしょうか」

 フォンビレートの意外な切り出しに、すぐに解決策が話されると思っていた皆は、一様に黙りこむ。答えが出ない、というよりは、考えてもいなかったという風情の沈黙に、フォンビレートは満足げに頷く。

「言い方を変えましょう。この度、何を成せば、解決したと言えるでしょうか」

 改められた問いに、レライが口を開く。

「それはつまり……塩の問題を解決する、ということだろう」

 幾人かは同意を表すように視線を上げるが、フォンビレートは首を振った。

「いいえ、そうではありません。確かに、『塩』は一面ではありますが、根本的問題ではない」

「では、エルバルトは何だと?」

 総務大臣の問いかけに、フォンビレートはぐるりと面々を見渡した。

 自信を持って口を開く。

「根本的問題とはすなわち、『我々が到底及ばない問題だ』ということです」

「なに?」

 複数の訝しげな声が上がるが、フォンビレートは揺るがなかった。

「もう一度、申し上げます。このたびの根本的問題は『政府が手出しできない問題だ』ということです。それはすなわち、経済と政治は切り離して考えるべきだと言う御題目に縛られた政府ではどうにも出来ない、ということでもあります」

 にっこりと白い笑みを浮かべたフォンビレートに、誰も口を開けない。

 実も蓋もねぇ、という誰かの呟きが全員の相違には違いなかった。

「お前な、」

 レライが口を挟もうとするが、フォンビレートは右手を一振りして、言葉を封じ込めた。

「根本的問題がそうである以上、政府が経済に介入することを可能にすること、それが解決したという事と同義ということになるでしょう」

「いや、それは皆分かっていてだな、話し合って、」

「いえ、分かっておられません」

 レライの二度目の反論も、フォンビレートは聞く必要がないとばかりに切り捨てる。

「先ほどから我々が話し合っていたのは、ロンドニトの商人をどうするか、もっと言えば、塩を扱う商会をどうするかということです。しかし、私が今皆様に投げかけているのは、そのような小さな話ではありません。……政府は、経済そのもの(・・・・)に介入すべきであると申し上げているのです」

 誰もが虚をつかれ黙り込む中、フォンビレートは悠然と立っていた。

 身じろぎ一つ許されないような静寂が執務室を包む。


「で?」

 一人ひとりを、ひたと見据え、誰にも侵されない空間に居るかのように、超然としているフォンビレートに声をかけたのは、やはりと言うべきか、シシリアであった。

「問題は解かったわ。解決策は?」

「その前に」

 焦れたようなシシリアの、皇帝の問いかけに、フォンビレートは素直に答えることをせずに、話を転換させる。


「もう一つ、考えていただきたい事がございます」

 隠しているような印象を受けるフォンビレートの言動にシシリアが険悪な顔つきになるが、フォンビレートは恐れなく言葉を押し出した。

「申し訳ありません。決して出し惜しみしているわけではないのです。ただ、思考の(みち)を私と共に追って頂きたいと思ってのことです。そうでなければ、私以上の案も、以外の案も出ることがないかと考えます」

 執務室内に居るのは、フォンビレートの部下ではない。

 シシリアに忠誠を誓うものたちであり、カルデア帝国で最も有能な者たちの一人に間違いない。

 フォンビレートの思考の型は図抜けているが、しかし全てではない。

 仮に、フォンビレートが意見を述べた場合、他の意見を求めることなくこの場でそれは採用されてしまうだろう。それが、最善かどうかを十分に諮ることもなく、善い案だというだけで、決定してしまうだろう。

 それはいずれ、政府のあり方の崩壊を招く。

 フォンビレートはその意図を言外に伝えて見せたのだ。

「……許可する。話せ」

 正確に理解したシシリアが続きを催促すると、フォンビレートは安堵の息を小さく漏らし、全員へ向けて話しかける。

 

「陛下のご配慮に縋り、今一度わたくしの話に耳を傾けていただきく存じます。……この政府が加入できない、という問題における、主要な部分とは何だと思われますか」

「……主要な部分?」

 シシリアの思わずといった形であがった声に、フォンビレートは小さな笑みを浮かべ、首を二、三度首を縦に振る。

「他の方でも構いません。最も重要かつ難題の部分、です」

 フォンビレートの問いかけに、室内は一瞬のざわめきに包まれ、再び静かになる。誰もが自分なりの答えを描き出し、自信が持てずに黙っているようで、視線がいくつか交わったほかは動きはまるでない。

 しばらく後、シシリアが口を開く。

「ロンドニトとの関係ということ、かしら」

 探るように答えるシシリアに、フォンビレートはほんの少し頷いた。

「きっとそうでしょう。陛下は少々大雑把に分類していらっしゃいますが、ロンドニトとの関係という言葉には多くの要素が含まれます」

 大雑把、とつぶやくシシリアを丸無視したフォンビレートは滔滔と語る。

「国と国との関係、あるいは民と民との関係、国と民、商人と民。挙げれば(きり)がありません。皆様が最も重要かつ難題だと思っていらっしゃるのは、カルデア政府とロンドニト政府との関係、ということでしょう」

「そうだ」

 シシリアから同意があり、続いて幾人かが同調した。

「そう考えるのも無理はありません」

 今から、カルデア政府が経済に介入する仕組みを構築すること、それ自体は何通りも方法がある。

 だが、現在の状況においてそれを実行した場合、誰が見てもロンドニト商人たちを目の敵にしたと思われる。そうなれば、もはや経済と政治の関係ではなく、ロンドニト政府との"政治対政治"に決着の場が移行してしまう。

 それはカルデアが最も避けたい展開の一つであるし、政府が根本的問題を解決しつつ、同時にロンドニトとの関係に気を使う必要もある、ということでもあった。話し合いが決着を見ない最たる理由でもある。

「しかしながら、それは間違いです」

 フォンビレートの断言に、間抜けな顔がいくつも表れる。


「お忘れにならないでください。彼らは力を持ちはしますが、ただの(・・・)一平民です」

 ロンドニト商人が極めて優秀であることは誰でも知っている。

 だが、その優秀さの影にあるのが、彼ら自身ではなく、拠り所に依存したものであることに気づく者はさほど多くはない。

「塩を売る商人たちは、それが必需品であり、需要がなくなることなど、決してないと確信しています。そして、その商売すら政府に保護されていると考える(・・・)なら、大胆なことも出来る」

 彼ら商人たちは自らの力によって、カルデア政府と渡り合っているわけではない。需要と供給という経済的要素と『認可』という名の『保護』の上に、傲慢さを築いているのだ。そこに、一人間としての謙虚さはない。

「要するに、彼らは多くの要素の上に胡坐をかいているだけなのです。……では、その保護をなくしてしまえばどうでしょう。どういう結末になると思われますか」

 笑いをも含んだ問いに、室内の誰もが話しの終着点にやっと気づきはじめた。

 つまり。

「……ロンドニトからカルデアに鞍替えさせる、ということ?」

「その通りです」

 如何に強大な力、すなわち富を手にしていようと、彼らに直接の恩でもない限り、徒人以上には決してなりえない。そして、彼らの力の根本は『人が欲するものを扱っている』という一点に集約してしまえる。

「彼らは、塩を扱う利権を手に入れる時に、その力を使ったのでしょう。だがそれ以上の進歩を止めてしまった。競争もせず、客にも媚びず、他国の政府にすら腰を折らない」

 再三再四の申し入れを一顧だにせず、彼らは切り捨てた。ロンドニト政府が『認可』したという極めて脆弱な論拠を基に、他の商会と競う事さえ考えなかった。

 だが、彼らは忘れている。

 彼らが今商売をしているのは、カルデア帝国の地であり、その人口はロンドニトより多いということ。

 そして、彼らが思うほどにはロンドニトが介入できる余地はないということ。 

「確かに、4商会を相手取るのは非常に難しいでしょう。ですが、1商会だけならば、容易です。その1商会に価格を下げさせ、客に頭を下げさせ、政府に敬意を払わせる。最も堅牢な牙城を崩すことが出来れば、必ずや全ての商会が追従し、やがては経済全体に広まります。それが、市場の原理というものです」 

 盛大な笑みを一つ付けて床に視線を落としたフォンビレートを、室内の瞳は凝視した。

 わざとらしく目を伏せ、控えめな執事を演出しているが、全く持って効果はない。その口元に"笑み"よりもさらに恐ろしい何かが浮かんでいるのが、誰からも見える。

「……具体的には」

 からからに渇いた喉から、レライは何とか声を絞り出した。

「大きく分けて2つあります。1つは先ほどからも出ている法令の整備です。新たな法令を1つ発令します。そして、もう1つ。4つのうち1つに、取引を持ち掛けます」

「どんな?」

 間髪入れずシシリアか疑問を挟んだ瞬間、フォンビレートの顔は大きく笑みを象った。

「他の1,5倍の値で買い取る、という取引です」

「1,5倍…………他の不満を煽ると言うわけか」

「いいえ、違います。恐らく、その商会は取引にはのってこないでしょう」

「そう、だろうな」

 少し考えれば、誰にでも分かる。

 取引はかなり大きなものになる。その額を1度だけ独占しようと思えば、それにのるだろう。だが、代わりに競争を生まれる。何処かに1,3倍、何処かに1,2倍と持ちかけられるうちに、価格は下がり続ける。

 聡い商人であれば、取引にのったが最後、自分の首を絞めることになるのは自明の理だ。

「その取引はただの布石に過ぎません」

「布石……?」

「はい」

 フォンビレートはいっそう笑みを濃くして、全員を見渡す。

 その口が紡いだ続きは、誰から見ても、完璧で、悪魔の所業だった。


「……幾度も思ったが」

 聞き終わったレライは重い口を開く。

「今日ほど思ったことはない。……味方でよかった」

 魂から吐き出されるような声に、フォンビレートは心外だというように目を見張り、他は深く同意を表して首を縦に振った。

 この男がもしも敵だったら。

 カルデアはどれほど蹂躙されていただろう。カルデアはこの世界から消滅していたかもしれない。その想像をレライは振り払うことが出来ない。 

 これが天から与えられた者か、と深く刻まれる。

 天才、という言葉がレライは嫌いだ。努力で良い領主たらんとした過去が、その言葉を拒絶する。

 だが、それでも。フォンビレートを天才と呼ぶことにレライは僅かも躊躇しない。出来ない。

 フォンビレートが成し遂げてきた数多のこと。それは歴史の表に出ることも裏に残ることも。その全てが呼吸のようになされ、あるいは暇つぶしのように為されてきたことをレライは知っている。その能力が及ばなかったことなど一度もないと知っている。


「本当に」

 短く同意を表したシシリアに、室内の注目が集まった。

「貴方が味方で居てくれてよかったわ、フォン」

 その呼び掛けに、フォンビレートは今度こそ、本当に目を見張り、静かに頭を下げた。

 シシリアが公の場以外のほとんどで、愛称で呼びかけるようになったのは、つい最近のことだ。それが、自らへの親愛であると同時に、一種の脅迫であるとフォンビレートは理解している。

 縋るような甘い脅迫を、フォンビレートもまた甘んじて受け入れるのだ。決して、貴方を裏切らない。生涯、傍にあり続けることを誓う、と。頭を下げることで答えているのである。


「他に案がある者は居る?」

 シシリアの確認に、いっせいに否が返され、フォンビレートの案は承認されたも同然になる。

「さ、動きましょう」

 束の間、停滞した室内は、シシリアの号令と共に忙しなく動き始めた。

 レライとフォンビレートは法務大臣と法務局の幾人かと共に、法令を出す準備を行うべく話し合いをはじめた。その横では、総務大臣が通達の時期を見計らっている。農務大臣は、カルデア帝国内での根回しの為に部下数人を引き連れて、執務室を辞去した。

 

 シシリアはそれを眺め、この国は確実に良い方向に向かっていると確信して、くすりと笑みを零した。

 フォンビレートの能力あってのことだが、自分も少しは君主らしく思われているだろうか、と。

 まあ、答えが出るのはもう少し先だろう、とシシリアは直ぐに思考を打ち切り、仕事を再開する。



 シシリアが彼らの、自らへの忠誠心を思い知るのは、もう少し先のことである。 



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