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暗夜の礫  作者: 篁霞流
Ⅴ 偽りの公正
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懸念

 カルデア帝国は広大な領土と豊かな土壌を誇り、『草原の国』と呼ばれるほどに豊かである。

 一方で海に接する地域が非常に少ないため、海産物を手に入れることが大変に難しい。北に小さな漁港があるにはあるが、そこから王都まではあまりに遠い。市場に安定して供給することは不可能なことであり、実際、ロンドニトとの貿易によってそのほとんどが賄われている。

 この取引は何も、カルデアの一方的な需要により成り立っているのではない。

 というのも、領土のほとんどが海に面するロンドニトにおいては、海産物が豊富である一方、塩害により作物が育たない地域がある。つまり、カルデアはロンドニトへ作物を、ロンドニトはカルデアへ海産物を提供する、というほとんど物々交換に近い取引が行われてきたのだ。

 そんな事情もあり、もともとかなり活発であった両国の貿易は、間を遮っていたクメールがカルデアに併合されたことによりさらに勢いを増している。直線で結ぶ道路が出来たこともそれに拍車を掛けた。

 機を見るに敏である商人たちが、聡く動き回らないはずがない。

 輸送路が短く安全となれば、運送の原価が下がる。鮮度は上がる。つまり安価で質の高いものが提供される。安価で質の高い商品は売れる。売れる場所には商人が集まる。そして商人が増えれば、当然のように価格競争が始まり、結果として市場の値はさらに下がる。

 この大いなる循環によって、現在、かなりの数の商品が安価でやり取りされており、物々交換から一歩進んだ貿易が推し進められている、のだが。


「これだけはそう上手くはいかないわよね」

「はい」

 執務室に居たシシリアは半ばあきらめの気持ちで、手元の書類に目をやった。関係部署の幾人かも同じく深々とため息をついた。

 ここ数ヶ月、毎日のように議題にあがる問題が再び議論の的になっている。

「塩は向こうも足元を見てきますからね」

 フォンビレートも手元の書類を見ながら渋い顔をしている。

 海産物の中でも、料理の根幹をなす塩の値段がなかなか下がらないのがその原因だった。 

 ロンドニトとの取引においても、一般の商人は塩を扱うことが出来ず、ロンドニト指定の専門の商会が寡占している。専門の商会は全部で4つ。だが、どこも同じ値段で卸しているため、優位性はない。

「しかしなあ、これが下がらないことには、カルデア側の利益はないも同然だぞ」

「その通りなのですが……」

 レライの鋭い指摘に、フォンビレートも同意せざるを得ない。


 現在、ロンドニトとの貿易において、カルデア側は分の悪い取引をせざるを得なくなっている。

 それは、海産物と作物の商品価値を比べてみれば明らかなことであった。

 海産物は作物よりもさらに鮮度が求められる。平たく言えば、少々腐りかけた野菜は口に出来るが、腐りかけた魚や貝類を口にするものなど誰も居ない。腐らせないためには塩が必須なのだが、その塩の値段が下がらなければ、保存する為に馬鹿高い金を払う、という本末転倒の状況になってしまう。

 また、海産物の保存の利かなさは商人達にとっても悩みの種であり、それゆえ、夕刻になれば如何に高級といえど叩き売りに入るのだが、塩ではそういう事態に全くならない上、4商会が市場を独占している現在、市場原理による値下がりも期待できない。

 このままではカルデア帝国全体が貿易赤字の深みにはまり続けることになるのが明白であり、政府を名悩ませている最たる問題であった。


「ロンドニト政府に申し入れは出来ないわよね」

 シシリア自身も、出来るとは思っていないのだろう。口調が投げやりだ。

 そんな主君にフォンビレートは淡々と事実を告げる。

「陛下もご承知措きくださっている通り、実質はどうあれ、独占している4商会は政府の『認可』を受けているだけであり、政府の代理機関と言う認識ではありません。したがって仮に、ロンドニトへの申し入れた場合、受け入れられるか否かというよりも、その申し入れをしたことによりカルデア側の外交能力の弱さを露呈したと世間に公表したも同じなるかと思われます。もちろん、ロンドニトに対して幾分かの温情を求めるという選択しがないとは申しませんが、現時点において最善手でないことは明白であるかと思われます」

「……そこまで扱き下ろさなくても良いじゃない」

 まさしく、立て板に水を地で行くフォンビレートに、シシリアは大いに拗ねた。

 シシリアとてフォンビレートが指摘したことは既に把握済みであり、手慰みと言うべきか、間を埋めるために口に出しただけなのである。フォンビレートの反論が如何に正論であり、表面上シシリアに対する批判の形をとっていないとは言っても、その皮肉がどこに向いているかは歴然としてる。

 そこまで言わなくたって良いじゃないか、とシシリアは口を尖らせるが、フォンビレートは素知らぬふりで書類にわざとらしく目を落としただけで流してしまった。

「申し訳ありません。少々、的確に申し上げすぎました」

「……もーいーです」

 謝っているんだが、追撃を掛けているのか分らないフォンビレートの言葉を、シシリアは無言でやり過ごした。主君って、と何度目か分らない愚痴を脳内にぶちまけながらではあるが、黙殺を選択する。

 横で主君に対してそのような、と渋い顔をしている家臣団と、呆れたようなレライは徹底無視だ。

 彼らとて、フォンビレートが本当の意味での無礼者でないことは百も承知であるはずなのだ。加えて、シシリアはフォンビレートの口の悪さが状況に対する苛立ちに起因していることを理解している。

 レライに言わせれば、よく出来た主従関係とでも評するのだろうなとぼやきつつ、もう一度見当に入る。


「とにかく、何か手を打たなければ」

「左様。ロンドニトはこれから関係を密に保たなければなりませんが、こと経済に関しては、このままでいいはずがありません」

 農部貿易局局長が発言すれば、総務部からも賛成の声が上がる。

「幸いにも、ロンドニトはこちらと同じく、政治と経済を分けて考えることが一般的です」

「少々こちらの国側で介入したとしても、抗議は起こらないでしょう」

 厳密に言えば、政治と経済は分けて考えることなど到底不可能だ。

 政府の制定する法律が商人達に大きな影響を与えることはままあることである。物々交換がなくなり金による取引が始まってはや100年。金は、天下に絶大な力を持って君臨している。実際、国の廻りは商人の気分次第、などという冗談が流行るくらいなのだ。

 商人達が財を成せば、それを吸い取る仕組みを政府が考え、政府が押さえ込もうとすれば商人達が逃げる。そんなことが現実に起こっている以上、誰も政治と経済を分けて考えることなど出来ない。

 むしろ、そんな御題目を真剣に唱える人間は、為政者としての才能は皆無であろう。

 だが、その事実を双方ともに否定したがるのが国と言うものの面白いところである。独自の権力を有したがるが故に、どちらも自らを独立した存在として誇示するのだ。

 そしてそこが狙い目である。

 双方ともに影響力を否定する以上、ロンドニトに対する申し入れが不可能になる一方、商人に対してカルデア帝国内でどんな制限を課そうともロンドニトは抗議を行うことは出来なくなる。

「肝心なのは、それがカルデアの商人に対しても同じように行うということです」

「ロンドニトの商人にだけ、というのは十分抗議を招く理由になるでしょう」

「でも、そんな都合の良い対応策があって?」

 シシリアの問いかけに、皆互いに目を合わせるが、すぐに誰も案を持っていないことを見て取りため息をつく。そんな体のいい策がすぐに思いつくはずもなく、そもそもそんなものがあるとは到底思えない。

 

「やっぱり」

 もっと別のやり方を考えましょう、という声をシシリアは寸でのところで飲み込まされた(・・・・)

 目の前にずいっと出された金時計と良い笑顔の執事がその原因である。

「もうすぐ正午を指しますが、お食事は何時ごろお召し上がりになりますか」

 閉塞感漂う会議に全くそぐわない明るい声だ。というか、お前かんがえてなかったのかよ、と思わないでもない。

「フォン……」

 うんざりした顔を向けるが、もちろん、そんなことぐらいではフォンビレートの笑みは微塵も崩れなかった。むしろ、黒い笑顔成分が増して、大変なことになっている。

「失礼ながら、陛下の現在の状態では良い案が浮かぶとは思えません。従いまして、非生産的な会議を早々に終え、しばしご休憩なさるのも選択肢に入れていただきたく」

 凄まじい皮肉のオンパレードに、シシリアの脳みそは戦意喪失一歩前である。好きにして、と声に出す前にしっかりと読み取ったらしいフォンビレートは、かしこまりましたと返事をした後、意気揚々とシシリアの椅子を引いた。

「今すぐ食べろと?」

「ただ今お召し上がりになられますように、お願い申し上げある次第でございます」

 わざわざ丁寧な言い回しに言い換えて案内するフォンビレートに不快指数が上昇していく。

 ああ、5年前の私よ、何でこんなやつを執事になんかしてしまったの。おかげで毎日美形から繰り出される罵詈雑言に耐える羽目に。おお、神よ。これは私への試練なのですか。

 実際には、皮肉程度であり罵詈雑言など毛ほどもないのだが、それは些細な問題である。

 問題は、シシリアの毎日受けている精神的くつ――


「ご昼食後、お聞きいただきたいこともございますので、なにとぞ」

 ―― うであり……り?

 支離滅裂な思考に割り込んだ涼やかな声を認識した瞬間、シシリアは顔を跳ね上げた。

 フォンビレートの顔を仰げば、いつもと変わらぬ美しさで佇んでいる。

 絵画のようでありながら、瞳の奥に人にしか持ち得ない熱さを秘めた顔に、シシリアはあっけにとられた。周りの役人達は一様に驚きの眼差しをフォンビレートに送っている。唯一レライだけは、そそくさと書類の片づけを行っているが、それは単なる経験の差だろう。

「提案?」

「いえ」

 恐る恐るシシリアが差し出す質問に、一度微笑んでから、フォンビレートはきっぱりと口にする。


「勝利にございます」

「……」

 不敵に微笑むフォンビレート。

「いいわ」

 ややあってシシリアが破顔する。

「昼食をしっかりとりましょう。それから、その希望とやらをじっくりと聞かせて頂戴」

「御意」

 ドレスの裾を翻して歩くシシリアに、すばやくフォンビレート、そしてレライが続いた。




「わっけわかんねー」

 誰かが発したそのつぶやきは、楽しげに笑みを浮かべて歩く主従を見送った部下達の心からの叫びである。


 

 

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