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暗夜の礫  作者: 篁霞流
Ⅳ 沈黙の法
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雪に散る。 後篇

「驚いた顔をしているな、そんなに意外か」

 レライは乾いた顔で、フォンビレートを見やった。

 その顔に、フォンビレートの思考は混迷を極めた結果、絶え間ない小さな嗤いがこぼれている。だがその混沌の中で、それとは別の部分で、フォンビレートは解を弾き出そうとしていた。自分自身でこの数分、何度も何度も否定してきたその解を振り払うように、フォンビレートはレライを見詰める。

 まさか、自分の命が生かされるなど ―― そんなことが。

 フォンビレートは既に言葉を発することが出来ないが、その思いを受け取ったレライは苦笑した。

 それから、鼻で笑う。

「うぬぼれるな、お前だけが王佐になれるわけではない」

 たった一言だけ、フォンビレートに投げつけてからさっさと裁きの位置に着く。

 

「これより裁判を開廷する。訴状提出者は、カルデア王国シシリア=マイアー=ド・イジュールである。代理として、ファーガーソン王立騎士団ソーイ=ラルフ=ド・アルイケが読み上げる」

「はっ」

 落ち着いた顔つきで進み出た男は、フォンビレートが生涯の友であると考えていたその男である。常に清廉潔白である彼を認めた瞬間、フォンビレートの顔は歪んだ。

 この友に軽蔑される瞬間を見ることになるのだと理解していたからだ。

「訴状を読み上げさせて頂きます」

 一言、前置きを置いてから、ソーイは淀みなくそれを読み始めた。

  フォンビレートがカルデア王国にやってきた事情。

  彼の当初の計画、すなわち裏切りの全貌。

  そして、彼が潰そうとしたその手順、良心の動き。

  最終的な時系列を追っての出来事。

 友を友として葬るために、友を罪人として葬るために、ソーイは読み上げる。

 『貴方は貴方の義によって歩むことを願います』そう言われたのは、そう遠い昔のことではない。執事としての実力を存分に振るって見せた、その姿に憧れたその直後のことだ。

 『仮に敵対するとしてもそれがあなたの正義なのですから、恥じることも後ろめたさを感じることもないでしょう』

 確かにそうだ、とソーイは考える。

 確かに、自分はなんら恥じてもいなければ後ろめたさも感じていない。自らの正義によって自らの心のままに歩み、自分の行為の全てが王と王国に向けられていることを解っているのだから、後悔など微塵も感じていない。フォンビレート、お前を断罪することに呵責は感じない。

「……以上を持って、カルデア王国政府の訴えとさせていただきます」

 一礼をして、元の位置まで歩きながら思う。

 だから今、自分の中にあふれそうなこの気持ちは、決して悔恨の情などではありえない。

 ただただ、ただひたすらに、お前を惜しんでいるだけだ、と。

  友よ、お前が哀しい。


 

 「フォンビレート、何か反論はあるか」

 ソーイが戻ったのを見て、レライは型どおりにフォンビレートに問いかけた。

 訴状提出者がシシリアであるので、当たり前だが、フォンビレートが告白したその内容がそのまま訴状に乗っていた。そして、それに一片の瑕疵があるはずもなく、フォンビレートは「ありません」と答えるのみである。

 その答えに満足したように頷いて、レライは判決文を読み上げた。


「では、裁きを申し渡す。このたびの訴えに関し、フォンビレートの罪は明らかである。従って、求め通りに死刑に処することが妥当であると考える」

 それ以外にはありえない判決を言い渡したレライはしばしの間、沈黙した。

 それから、フォンビレートを裁きの座から見下ろした。

 何もかも受けれいる態勢をとり、何度も押しとどめられてきた罪人の姿勢を取ろうとするフォンビレートへ向かって、鮮やかに笑って見せる。

 この先の展開を読めないはずもないフォンビレートの小さな抵抗をせせら笑って、その切り札を提示する。


「異議ある者は申し出よ!さもなくば沈黙せよ!」

「異議あり!!!!!!」

 レライの言葉が上がると同時に大音量の返答が広間に響く。

 それは、ユミルとクイートの後ろに付き従っていた者たち、すなわちミスタリナの騎士団員たちであった。いや、それだけではない、政府関係者やイジュール家の者たち。そのほとんどが異議ありの声を上げていた。

 上げなかったのは、自分にそれを裁定する権利のないと思っている者たちだけであり、実質広間に集まった者は全員一致で「異議を」叫んだのである。


「ほう……何故か?」

 態とらしいレライの言葉に皆、次々に名乗りである。


「その男がこれまでにしてきた功績を無視することはできません」

「その通りです。その男がこれまで王国のために粉骨砕身してきたのは事実です」

 口々に上がるその声を受け止めたのち、レライは重ねて問う。

「これまでの功績と罪とは別物である。したがって、過去の忠義によってこの罪が帳消しになることはない」

 それはこれ以上ないほどの正論だった。

 例え、これまでに千人を救おうと、万人を救おうと、たった一人を咎なく殺害した者に極刑が下されるように、フォンビレートのこれまでの功績は功績であり、この瞬間にも決して貶められるものではないが、同じように罪を帳消しにすることはない。功績を無視することはできない、というその一言はフォンビレートの罪を問わない理由に不適当だった。

 レライの言葉に皆、押し黙った。


 忘れ去られていた男が声を上げるまでは。



「その男は、奴隷であり、また奴隷であっただけよ」

 誰もが予想していなかったところから掛かった声に、一斉にそちらに顔を向ける。

 血まみれで片腕を失くし、子の手によって捉えられた法皇が切れ切れの意識の中で声を上げていた。

 顔も上げられぬほどに疲弊した床から、掠れる声で懸命に声を上げていた。


「その男は、我らの奴隷であったのだ。麻薬で言うことを聞かせてな」

「……どういうことだ」

 レライが慎重に声を出す。

「我が計画に利用したまでだ。馬鹿、な男だ。正常な、判断、を、なくして……ここまで復讐心、だけで、来た。利用した、男をかばおうとする、なんて、バカな男だ……」

 

 広間に暫しの間、沈黙が広がる。

 身動き一つ、赦されないとさえ感じるその空間でフォンビレートは目を見開き、レライは思考を限界まで酷使してその意図を探ろうとしていた。 

 麻薬、というのは、あの麻のことだろう。

 エメリカが使っていたというあのことだろう。あの中毒性のある薬物のことだろう。

 フォンビレートはここでその資料を読んだことがあった。ということは、クメールでは使われていたということで、それは、ラプツェルがフォンビレートに与えることも可能だったということだ。

 つまり、この男は……フォンビレートを救おうとしている……?


「……それは、まことか」

「当たり前、だ。敵国(・・)の、人間を庇わねばならぬ、理由がどこに・」

 そこまで言い終えると、ラプツェルは再び力を失って地に伏す。

 もう彼に、力は幾らも残っていなかった。これ以上、この場で発言することはできないだろう。

 それでも彼は、人生の中で最も満足できる時を迎えていた。

 背後の彼の顔を見ずとも、ラプツェルには予想できる気がした。

 多分、泣きそうなのを我慢する、壮絶な美しさにあふれた無表情でこちらを見ているのだろう、と。

 あの日、お前に託した刃がお前を貫こうとしている。それをどうにかして助けたいなどと思う私をお前は笑うだろうか。哀しげに笑むだろうか。

 もう正確には解らない。

 お前はお前として旅立ってしまったから。

 それでもどうか許してほしい。

 どうか、最期にお前の鎖を解き放つことを、父と同じ所業をすることを許してはくれまいか。

  お前が可愛かったのは嘘ではないから。



 ラプツェルが意識を失ったのを見て、レライは仕切りなおす様に背筋を伸ばした。

 実際、彼が描いた筋書きからは既に離れてしまっている。それでも今は、この判断が必要だと思った。

「……今の発言は、証拠として採用するに足るものと認める」

 それはすなわち、フォンビレートがこの件に関し、首謀者ではなく実行に使われたということ、そしてそれは本人の意思によるのではなく麻薬の影響下にあるということを、公式に(・・・)認めたということになる。

「他に、追加となる証拠を持つ者はいるか」

「……はっ」

 呆けていた者たちが慌てたように返事をして、その手に持った書類を差し出す。

「フォンビレートは決してカルデア王国民に手をかけては居ません」

「妻たちでさえ、赦そうとするその男を誰が処罰できるでしょうか」

「ここに、戦死者の半数とその妻たちの嘆願状があります」

 それは、ここ数日、リリー達が駆けずりまわって集めてきたものだった。

 別に署名をしてくれと頼んだわけではない。皆、遺族から言付かってきたものだ。

「どの家においても嘆願が戦死者の(・・・・)名において遺されていました」

 彼らは、自分たちの指揮権を持つ子供のことを知っていた。

 20年前、彼らはクメールで、そのための過酷な訓練を課された子供を、その子供が最後の仕掛けを発動させる子供であることを見たことがあった。

 自分たちよりずっと稚い子供が運命の大半を背負わされることを知って、嘆いた。

 自分たちをカルデア王国民として残すために奮闘したかつての幼子の事を知って、嘆いたのだ。

 遺言の代わりのようにしてその紙を残したのだ。

「文面は統一性がありません。また、名前すら記載されていないものもあります」

 それぞれがそれぞれの心からの願いとして、その紙は遺された。

 我々はカルデア王国のために忠義を尽くす。だから、せめて、どうか。

「しかし我々はこれを証拠として提出いたします。金髪の子供の助命を求める480名分の署名です」

 それは遺された家族の願いでもあった。

 皆、知っていたのだ。それぞれが染め上げた髪の下に黒髪があることを知っていて切り出せなかった。

 もしかしたら、自分の知っている人ではないかもしれない、嘘を吐かれているのかもしれない、そういう疑念のを持っていた家族は少なくなかった。

 けれど、出兵のその日まで知らされることはなく、戦死の知らせを聞いたとき、憤りながらも諦観の念に襲われたのだ。ああ、やはり夫はウソつきだったのだ、と。

 ある家では、リビングの抽斗に残されていた。

 ある家では、預けれられたペンダントの中に、または、愛の手紙の最後に。

 そしてそれは家族にとっても大事な願いになった。

 もしもフォンビレートが処分されれば、いずれ明らかになってしまうであろうその計画の全貌。そこに自分の夫の名前があったなら、もうこの地で生きていくことはできないだろう。

 けれど、その子供が――誰もそれが筆頭執事であることを知らなかったが――助かったなら。その子供が裏切り者と呼ばれないならば、夫もまた名誉の戦死者となるだろう。

 夫が結局カルデア王国を裏切らずに戦った、その真実が詰まった紙だったから。

 リリー達に許しと共に、託してくれたのだ。


「他にないか……では、新たに提出された証拠を精査し、改めて判決を申し渡す」

 レライは全ての言葉が滞りなく語り終えられたことを確認すると終わりに舵を取った。

「フォンビレート=メイリー=ダ・エルバルト。生涯、奴隷としてカルデア王国に奉仕することを申しつける。これまでと同様、カルデア王国君主シシリア=マイアー=ド・イジュールに仕え続け、その責を担うように……また、貴様が多くの者の赦しの上に生かされたことを片時も忘れぬように。期待を裏切るな」

 お前を死なせたりしない、死などという甘ったれた世界に逃がしてなどやらない。

 お前は生涯、生きて償え。

 そういう叱責と、自らを礎にここまで登ってきた者たちの無念を代表する宣言だった。

「以上を持って、この裁きの座を閉廷する。異議ある者は申し出よ!さもなくば沈黙せよ!」

 今度こそ、誰からも声が上がらない。

 それが解っていて、レライは間をおかずに宣告した。


「沈黙多数により、この裁判の閉廷を宣言する!」

 

 フォンビレートはただ頭を垂れた。






「こ、れは」

 雪が降る中、フォンビレートの命に従って進軍したエルーは目の前の光景に声を失った。

 ラプツェル14世以下、自決した2名を除く枢機卿7名が出入り口に縛られて並べられていた。

 血が点々と雪の上に広がり痛々しさを増している。

「コールファレス王立騎士団及びファーガーソン王立騎士団は現時刻を持って、戦争犯罪人8名をカルデア王国陸軍に引き渡します」

「ご、苦労さまです」

「では、我々はこれで」

「はっ」

 敬礼に反射的に返すと、後は滞りなく引き渡しは進んでいった。

 ヨシヤがこちらを見ていたので、全て解っていた、という顔をしておいたが、誤魔化しきれたかどうか。

「あー、とりあえず状況把握。……秘密裏に」

 部下が把握するのが早いか、自分の首が飛ぶのが早いか微妙なところである。

 命令を受けてきびきびと動きだす部下に一言だけ助言をしておく。

  多分、筆頭執事殿に聞くのが一番だぞ。








 コルベール暦1547年12月1日。

 カルデア王国・神聖クメール帝国間の戦争終結。神聖クメール帝国法皇ラプツェル14世、捕らえられる。

 同年 12月7日。

 カルデア王国王都にて裁判が開かれる。被告人はラプツェル14世以下枢機卿7名。

 1548年1月10日。

 8名に対し、極刑が申し渡される。

 同年 1月24日。

 刑執行。

 


 なお、法皇ラプツェル14世はその裁判中、一言といえど口を開く事はなかった。


 



 

  


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