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暗夜の礫  作者: 篁霞流
Ⅳ 沈黙の法
51/58

愛とともに

 まずい。絶対に、まずい。


 クイートは暗がりを全速力で失踪していた。フォンビレートの姿は既に見えなくなっており、クイートは自らの勘と、昼前に手に入れた地図を叩き込んだ記憶を頼りに進んでいる。

 ポツリポツリと降っていた雨は、強さを刻一刻と増しており、もうすぐ豪雨に変容するだろう。

 

 クイートの脳裏に昨日の戦い直後のことが思い出される。

 自らで確信した情報を元に、ユミルを問い詰めた。といっても、クイートがその名を出したときにはもう、ユミルは泣いていたのだが。

 クイートの説明することにいちいち頷き、一言も言い訳じみたことや反論をしなかった。もうどうしようもない、ということをクイートもわかっており、ユミルはもっとわかってたに違いない。

 死者の数まで計算して始まった戦争はもう終結の間際だった。今更、その死者を減らすことは出来ない。そこにあるどんな思惑を解明したところで、過去には戻れないのだ。

 だから、話を最後まで聞いた後、クイートは「生きて帰ってこいよ」と激励と同情の言葉だけをかけてその場を後にしたのだ。


 それが全て罠だと、どうして気付かなかったのだろう。


 あの男が。

 ミスタリナの悪魔であり、王の力とまで評される完全無欠の執事が。これまで何一つ損なわなかったフォンビレート=メイリー=ダ・エルバルト(・・・・・)、その名に『不可能を可能にする』と背負う男が。

 何の計算なしに、クイートの誘いに乗るはずがないのに。

「ああ! くそっったれめ!」

 苛立ち紛れに声に出しても、何も収まらない。自分の鈍さを呪うばかりだ。

 

 クイートがそれに気づいたのは、奇跡と言ってもいい確率だった。

 もしも彼が、単独で行動し続けていたならきっと気づかなかっただろう。もしも、フォンビレートがヒントを残さなければ気づくことは出来なかっただろう。

 けれど、彼はフォンビレートの思惑通り気付いた。

 5日前(・・・)、王都を出発する直前に立ち寄った調査課で、功労金を出す家のリストに『ルーチェ家』が、ユミルのみが籍に登録されているはずの伯爵家が、入っていたということに気付いてしまったのだ。

 

 功労金とはすなわち戦死者の家族に対してこれまでの働きを金銭に換算し、その保障を人の一生分支給し続ける制度の事である。最も、貴族に対しては勲章を理由に給付されない場合が多い。平民とは違い、貴族は政府に仕えると引き換えにさまざまな恩恵を受けているのだから当たり前と言えよう。それでも、この功労金のリストに乗る家の者達には全く平等の事実が待ち受けている。

 つまり、その家の夫か息子か娘かが、戦死した、ということだ。

 それはすなわち、ユミルの死が予言されたということに他ならない。


 『くれぐれもお元気で』

 あれは、ユミルの口癖だ。

 いつもいつも変な挨拶だ、と思いながら愛しんできたユミルの定番の挨拶だ。

 そのことに気付いたとき、クイートの背中を悪寒が這い上がり、声を上げそうになった。

 一体あいつには何が見えているのだ、どこまで見えているのだ。

 幾度となく叩き込まれたことをもう一度思う。

 ―― あいつは、一体何を喰らって生きてきたのだ!―― 

 

 ミスタリナはもう何年もあいつに操られている。それは本当のことだ。けれど、それは全てではないとクイートはこの土壇場で気付いた。


 あいつは、フォンビレートは嘘をつかない男だった。嘘ではない嘘はよくつくが、決して嘘になる言葉を吐くことはしなかった。もしかしたら、それが矜持なのかもしれないが、今はどうでもよい。

 問題は、そのフォンビレートがユミルを『鏡』と言ったことだ。

 『ただの依存を勘違いさせているだけですから』

 フォンビレートがそうのたまったのは、いつの事だったか。『クイート様、貴方もそうですよ』とも。

 あれは、フォンビレートが操っていた、という意味ではない。

 光に影があるように、強い光には濃い影が出来るように。殺人者には死者がいるように、裏切りには信頼があるように、王には臣下がいるように。

 鏡の自分が自分の動作をけっして裏切れないように。


 『クイート様、貴方もそうですよ』に掛かるのはフォンビレートではない、ユミルだったのだ。

 人が人を縛るのに最も有効な手は、人がその人になら縛られたいと願うように仕向けることだ。そこにはどんな正義も正論も介在できない。そしてそれこそが、フォンビレートが最も好んで用いる手段だ。

 クイートはフォンビレートのことを嫌っている。けれど、ユミルの事は疑えない(・・・・)

 1度疑い、その疑念を告白されてしまえば、その告白が嘘かどうかを疑うことが出来ない。よく話してくれた、悪いようにはしないと、慰めることしか出来ない。

 だからフォンビレートは、クイートの前にユミルを置いたのだと、今更ながらに理解する。

 ユミルが心を開くか否かはさほど重要ではない。けれど、心を開いたならば重畳。フォンビレートにとっては、その程度のこと。

 もしもユミルが決して裏切らないならば、クイートは確信が得られず事が終わるまで手出しできない。

 もしもユミルが心を開きクイートに話したとしても、そこまでだ。やはり手出しは出来ない、とフォンビレートは読んでいた。

 そしてその読みは全く正解だった。


 ユミルが心を開き、フォンビレートに話した事は演技(うそ)ではない。彼女の本心からの行動であり、一部分においてクイートがフォンビレートの鎖を上回ったことは真実だ。

 だが、それでは駄目なのだ。それでは、まだ破りきれていないのだ。

 なぜなら、ユミルはフォンビレートの「鏡」だから。

 鏡の自分が自分の動作を裏切らないように、ユミルはフォンビレートの意思を裏切れない(・・・)。1度裏切ったことが足かせとなり、例えどんな悪人であろうと世話をした人間を赤子が慕うように、絶対として振舞い続けたフォンビレートへのこれまでの日数がユミルを責め立てる。そして、本心を覆ってしまう。

 あの時、ユミルが泣いた時ならば結果は違っていたかもしれない。けれど、クイートは時間を置いてしまった。フォンビレートを想う時間を与えてしまった。それが、クイートの失態。

 そしてフォンビレートが気紛れにヒントを与えた理由。

 それを教えてしまってもクイートには手出しできなくなっていると確信したがゆえに、フォンビレートはそれ(・・)を近くで見届けることを許したのだ。

 


「団長、そこまでです」

 背後から掛かった声と正面に展開する人影に、クイートは舌打ちした。

  ―― ミスタリナはもう何年もフォンビレートに操られている? 我が言葉ながら反吐が出る。

「もう、お前の団長じゃねえよ、ユミル」

  操られたままにしたのは、自分の怠慢だ。――


 

 手を上げ、抵抗の意思が無いことを示しながらクイートは振り返った。

 冷鬼、と呼ばれ暗鬼のそばに居続けた女の瞳はどんよりと曇っている。そこにクイートの胸に縋って泣いていた女の面影は無い。

「そうでした……フォンビレート様より、これより先に通してはならないと命を受けています」

「そうだろうよ」

 そうでなければ、ユミルはフォンビレートの後をついて行っただろう。自分を足止めに来たのはあいつの命令であることぐらい察しはついた。

 全く、慎重なことだ、と思う。

 勝利を確信したのなら放っておけよ。胡坐くらいかけよ、とも。

 軽口でも叩かなければ冷静になれそうもない。ひとしきり、本人には決して言うことの出来ない罵詈雑言を心中で浴びせ、覚悟を決める。

 負け戦。けれど、足掻く足掻かないは俺の勝手だ。

「こんなところでいいのか? もっと中に誘わなくて」

「……」

「俺が本気を出して王都に帰れば2日だ。ああ、その前に本陣に帰れば1時間と掛からない、だろ?」

 慣れない笑みを浮かべながら言うが、ユミルは特に顔色を変えなかった。

「陛下、殿下。ああ、大将閣下でもいい。誰かの耳に入れフォンビレートの裏切りは明らかになる。俺がそれをしないとでも?」

「それらには既に対応がなされています。されたいのであればご自由に」

 その言葉に、クイートはちっと舌打ちした。予想はしていたが、全方位、クイートがすぐにでも連絡の取れる箇所は塞がれている、ということだ。本当に、隙のない野郎だと思うがそれを押し込める。変わりに、胡散臭い笑みを継続させて、笑いかけた。

「ま、だろうな。そんなことは俺にだって分かってるさ」

「では、なぜここにいるのですか?」

「中で、近くで見たほうが楽しいかなーと思ったからだよ。フォンビレートが歩き出したから、見せてくれんのかなーと思ってさ。何? フォンビレートってけち臭いやつなんだな、がっかりだ」

 さりげなくフォンビレートを貶めるとユミルの顔に僅かばかりの変化が現われる。普段とは似ても似つかない軽薄な口調に気付けば、全部演技だと分かるだろうに、今のユミルにはそれが分からないようだった。心底、縛られてるのだと逆に感心してしまう。

 ついでにこの機会を逃す馬鹿はいないと自らに言い聞かせて、言葉を積み重ねる。

「大体さ、あいつはいつだって阿呆だよね。何でもわかってるって顔してさ、本当は大分ばれてんのに、ポーカーフェイスとかしちゃってさ。本当、アホだよ。皆、笑ってんだぜ。餓鬼が粋がってるって。だからさ、見世物にされるのは好きかと思ったのにさ、見せてくれないとか本当阿呆だよな。がっかり・」

「黙れ!」

 ユミルの剣が大薙ぎに振るわれる。

 それをクイートは軽々と避けた。

「ミスタリナの団長を何だと思ってんだよ、小童」

「うるさい!」

 何度も何度も振るわれるが、クイートはそれを避けるだけで反撃はしなかった。実際、フォンビレートと同じくユミルも剣技が得意ではない。彼女が団長に抜擢されたのは、裏の理由はともかく、表向きは副団長としての事務経験を買われての暫定的なものである。

 一方の、クイートは曲がりなりにも正規の出世によりミスタリナの団長を務めているのだ。暗殺に長けるのはもちろんのこと、剣技に関しても他の騎士団から侮られないようにある程度、というよりは全騎士団中5本の指に入る実力を持つ。ユミルは文字通り、クイートから見て小童のようなものだった。

 その剣を慎重に避けながら、周りを見極めると誰も彼もが見守るように手を組んでいる事に気付く。

 ―― そうか、お前たちもそうか。

 本当に可笑しみがこみ上げて来て、とうとうクイートは声を出して笑った。

 とつぜん笑い声を上げるクイートを、ユミルは凝視し正気を疑うようなそぶりを見せる。その一瞬を逃さず、クイートは距離を詰め、剣先をすっぱりと切断した。

「本当、ミスタリナの団長を何だと思ってるんだ、お前」

 足掻くように力を入れるユミルはそこで初めて、周りが誰一人自分を助けようとしていないことに気付き、驚愕の顔をした。どうして、という顔をするユミルにクイートは軽薄な笑みを引っ込めて、本当に心から笑いかける。

「だれも助けちゃくれねえよ。みんな、俺と同じ気持ちだからな」

「な、な、な」

「皆、生きたいんだよ。どうしようもなく、な」

 クイートの言葉に、ユミルは沈黙した。その顔からは動揺が見て取れる。

「こいつらは人形じゃない。愛する偽りの過去があったとしても、その罪悪感に押しつぶされそうでも、守りたい今があるんだ」

 手加減なく出される非難に、ユミルの顔が歪む。

 その揺らぎを存分に感じ取って、それからユミルに手を延べる。どうか、この手を握り返せと願いながら、言葉を差し出す。

「それは、お前も同じだ」

「ち、がう!……違います……」

「何が違うんだ? 人殺しだからか? 俺だってそうだ」

「……」

「ここまで来てしまった? 俺だってそうだ。諦めたせいでこんなところまで来てる」

「……」

「それでも俺は、ただの人間のために死にたいなんて思えやしないし、まして、あのクソッタレ自己中視野狭窄野郎のためには死にたくねぇ」

 クイートの口からはフォンビレートに対する本音がぼろぼろと零れているが、ユミルは体を強張らせたまま動こうとはしなかった。その様子に、クイートは手ごたえを感じ、さらに踏み込む。

「何で来たかって? 近くで見たいからだよ。近くで見て」

 静かに抱き竦める。

「お前を取り戻したいからだよ。……お前を失うのは耐えれそうになくて、お前の為なら死んでもいいからだよ」


 言いたいことは言い終えたとばかりに、というより饒舌ではない部類のクイートには言うべき言葉がもう見つからず、沈黙が下りる。

 それは、ユミルがこれまでに経験したどの瞬間よりも優しい沈黙だった。



「俺を中に連れて行け。必ず、ひっくり返してやる」

 

 答えは是、だった。


 

 


  


   

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