誇りと傲慢 前篇
「まったく、忌々しいものだ」
アルイケ侯ジェームズは、王都にある自分の屋敷の執務室にて壁をにらみつけるようにして独りごちた。彼は、用意に用意を重ねた計画が寸前でとん挫したことに大いに腹を立てていた。
「あの、くそ坊主め!!!」
腹立ち紛れにたたかれた机は、大きな音を立てて震えている。
彼の言う『くそ坊主』とは、リーベルタイス家の筆頭執事・フォンビレートのことであった。
今年、51才になったジェームズにしてみればほんのひよっこに過ぎないはずのフォンビレートに阻止されたことが、計画失敗のいらだちに拍車をかけている。
昨年の春の失敗の際には、失敗した男の首を打ち、代わりの者を雇うことで怒りをおさめたが、今回失敗したのは彼の腹心の部下である男だ。代わりなどそうそう見つかるはずもなく、首を撥ねられるはずもない。
「申し訳ありません。まさか、あのような手段を使われるとは思いもよりませんで」
失敗した部下は、壁際にてうなだれている。
あのような手段、つまりフォンビレートのとった手段はシシリアの想像をはるかにこえる強引さで行われていた。非常識、と呼んでも差し支えがないほどに。
「まさか、王国中に王家の金をばら撒いてまで回収に乗り出すとは思いもしませんでした」
部下の言葉にジェームズは一層眉間にしわを寄せ、先週の計画の顛末を思い出す。
そもそも、計画は2段構えであった。
毒入り茶葉で殺してもよく、誰かが死んでもその対応を非難することでシシリアを退位させることが可能なように計画を練っていた。
シシリアはこれまで表舞台に立ったことはなく、カイルのように国民の指示を受ける基盤があるわけでもない。貴族の間では、あの執事を使いこなしているということで一目置かれていたくらいのものだ。
よって、ジェームズが吹けば飛んでいくような政権である。それも、現諮問機関の暗黙の了解を経たのであり、1つでもシシリア側がミスを犯せばそれで事足りることが明白であった。
だが、フォンビレートは対応においてただの一つもミスを犯さなかった。
彼は、商人が来た時点でジェームズの側近であることを見破ったそぶりを見せたが、ただそれだけで特に言及しなかった。茶葉を確認しただけで、すぐに茶葉の回収にあたったのである。
もしも、その時に商人に扮した側近を拘束していたか、あるいは疑念を投げかけただけでもシシリアは非難されていただろう。彼は運んだだけの人間であるということを証明する十分な証人が揃えられていたからである。また、側近を捕らえようとすれば、彼は抵抗に抵抗を重ね時間を稼ぎ、その間に茶葉はばら撒かれていたはずだ。
だが、フォンビレートはそれをせず、ただ「茶葉を調べさせていただきたいのですが」と下手に出て、茶葉を確かめるにとどまった。
よって、側近をだしにした時間稼ぎは使えなくなったのである。
次に、フォンビレートは茶葉を回収するために大胆な策に打って出た。
王家の金庫―― 本来は、王族の私的なもろもろを整えるために、国家予算として取り分けられていた分――を使って、仕事にあぶれた男を何十人も雇った。
彼らに「黒塗りの馬車を見つけたらすべて倒せ」と命令を与えて町中に散らしたのである。
それも、給金は後払いだと言って。
仕事を遂行できなければ給金をもらえないと知った彼らは猛然と街中を疾走し、命令通りアルイケ領下の馬車の特徴である黒い幌をまとった馬車を見つけたらもれなくすべて道にひっくり返したのである。
中には、茶葉でない品を運んでいる商人もアルイケ領下の商人でない者もいたが、フォンビレートはそれらの馬車に対して商品を3倍で買い取ることを取り決めて彼らを宥めた。
茶葉を運んでいた者に対しては「命にかかわる事態に対応しただけだ」と言って、その行為を正当化することで不満を抑え込んだ。
最後に、王都北門を除くすべての門に対して『緊急宣言』を発令。すべて閉鎖したうえで、北門に殺到した馬車を1台1台丁寧に調べ、茶葉を積んでいた商人だけより分けたのである。
そのより分ける作業が完了した、つまり、計画の失敗が明らかになったのは、ジェームズが事を仕掛けてから1日経った後のことである。
その結末を部下から知らされた時、ジェームズは血の気が引いて行くのが分かった。
失敗に終わったことやそれによって自分が罪に問われるかもしれない、ということではなく、フォンビレートが執務を通常通り行いながら片手間に事態を収束させたことに鳥肌が立った。
「あの男は……どうなっておる!!」
彼の叫びに答えを持つ者は、彼の部下の中には誰もいなかった。
ただ、主とともに背筋に冷たいものを感じることしかできない。
フォンビレートが10分も掛からずにシシリアに説明したことは、ジェームズ達にとってすさまじく破壊力のある収拾の仕方であった。心も一緒に折ろうとしていることが明白な対応の仕方である。
「練り直すぞ……シュットガルツ。ルシアを呼べ!!」
ひとしきりに怒りを発散していたジェームズだが、すぐに頭を切り替え部下に指示を出し始めた。
同時に、フォンビレートに対抗するのにこれ以上はないと思える部下を呼びにやる。
これまでに計画した数多の暗殺の穴を1つずつ指摘してくれていた有能な部下だ。そのおかげで、今回これほどまでに完璧な計画になったと言っても過言ではない。
確かにフォンビレートに阻止されはしたが、だからと言って捕まるような証拠が残っているわけでもなかった。仮に、裁判になったとしても勝てると確信できるほどの隙のなさである。
なぜか計画の実行時にはいなかったが、多分、なにがしかの計画の補佐をしていたのだろう。
彼が再び計画を練ってくれれば、今度こそ成功するはずだとジェームズは確信していた。
「……あ奴には隙はないが、シシリアの方は隙が大分ある。あの二人を分断するためにはどうすればいいと思う?」
シシリア、と呼び捨てにし、見下していることを隠そうともしない。
ルシアが来る前に、計画の概要でも作ろうと部下に呼びかけ、早速話し合いがはじまる。
彼の考えを最大限に良く解釈するならば、シシリアが政権を取ってもうまくはいくまいと思っており、国民の平和と安全のために自分は王位に就かなければならないということになる。
優秀な右腕を引き離せば、数段劣る頭脳しか持たぬシシリアはすぐにでもボロを出すはずだ。
そう考えたジェームズが思いついた計画を話そうとした、その時――。
コンコン、と控えめなノック音が響いた。
「ルシアか?」
呼んだ者が来たのかと思い、誰何の声をあげた。
「いえ、お客様にございます」
だがその期待を裏切り、扉の向こう側で答えたのは執事であった。
先に人払いの命令を行い、自分が出てくるまで訪問者を知らせなくても良いと伝えていたジェームズは多少いぶかしく思い、「だれだ?」と苛立ちもあらわな返事を返す。
廊下の向こう側から聞こえた執事の声は、今までになく焦りを含んでいる。
「申し訳ありません。女王陛下の使いの方がお見えのようです」
女王の使い――
「フォンビレートか?」
心臓を鷲掴みにされる感覚に陥ったジェームズが、執事の微妙な物言いにも気づかず、思わず呼び捨てにしたその言葉に答えたのは、彼が最大限に警戒していた者の声であった。
「ええ、あなたの憎きフォンビレートでございます」
むかつくほどに涼やかな声。
ジェームズは呼吸も忘れて扉を凝視ししたまま固まってしまった。
それに倣うように、室内にて指示を仰ぐため集まっていた全員も動きを止める。
その静寂の中、空気を一片も崩すことなく異常なほど静かに扉は開けられ、隙間から入った光が細身のシルエットを室内に落とした。
それによって空気がほんのわずか揺らぎ、ジェームズは意識を取り戻す。
彼は、侯爵としての正当な権利を主張し、一歩も立ち入ることを禁じようと声を張り上げようとした。
「貴様! なんの権限があっ……」
なんの権限があって、侯爵執務室に立ち入ろうとしているのだ!!
そう続けようとした彼の声は、その影の全体像が見えたことで途切れる。
入ってきたその男は、彼がここ数か月で見慣れた男そのものだったからだ。
「貴……様…………なぜ、お前が…………フォンビレートなのだ?」
混乱した彼の口からは、意味の通らない質問が零れおちた。
「さて、なぜでしょう? アルイケ閣下」
対する彼、つまりフォンビレートは顔に不敵な笑みを浮かべただけで質問に答えもせず、ずかずかとジェームズの目の前まで足を運ぶ。
「お久しぶりです。と申しましょうか……はじめまして。がお好みですか……それとも…………」
頬をあげたまま小馬鹿にしたようにフォンビレートは続ける。
「御主人様、が一番しっくりくるでしょうか?」
御主人様、と彼が言った瞬間、ジェームズ以下すべての人間の顔から余裕が消え去った。
この時を遡ること、1年前。
アルバでのシシリア暗殺が失敗に終わったことに腹を立てたジェームズは、衝動的はねてしまった部下の代わりを探していた。後をつけられたことが明白であり、数週間、やきもきさせられたことがそのような行為を後押しした。
だが失敗したその男はそこそこ優秀な駒であり、首をはねてしまったことを後悔していたジェームズのもとに、王立ペンタグ孤児院の院長イッサーラが訪ねてきたのだ。
彼は1人の孤児を連れ、その子を雇ってくれないかと頼みに来たのだった。
イッサーラは王国内でも識者として良く知られた人物であり、ジェームズほか、現在爵位を継いでいる男子は彼の教えを一回は受けたことがあるといわれるほどである。
彼が孤児院に秘蔵っ子を隠しているという噂は貴族の間でよく知られた噂であり「その子を連れてきた」と言われて、ジェームズとしても喜んで会うことにしたのだ。
「ほう、この子ですか……」
ルシアです、と言って紹介されたその青年にジェームズが会ってみれば、確かに顔には知性が宿っていた。
「ええ、頭脳だけならば、私をはるかに超えるでしょうね」
実際、イッサーラのお墨付き同然であるので、すぐにでも使用人として迎え入れたいと感じたのである。
ただ――
「なぜそのような子を私どものところに連れてきてくださったのでしょうか?」
それだけがジェームズには不思議でならなかった。
それほどまでに優秀であるならば、公爵家でも雇われることは可能であったはずである。
アルイケ家は、公侯爵の中でも侯爵に叙任されたのがもっとも遅い。
カルデア王国の爵位は領地に付随するため、領地替えでもしない限り爵位が変更になることはまずない。
アルイケ家が昇爵したのは、先の大戦でのアルイケ伯ケアリーが挙げた数々の戦績のおかげである。戦績に加えて名誉の戦死を遂げており、いわば特例中の特例で昇爵したのであった。
ゆえに声がかけられるとすれば最後のはずであった。なにかあるのではないか、と疑うのも無理はない。
ジェームズのもっともな質問にイッサーラは少し逡巡した後、口を開く。
「あぁ……それは、彼が」
ゆっくりと伸ばした手がルシアの頭から茶色のかつらをはぎ取ると、純粋な黒髪が表れた。
「クメール人の象徴を持っているからです」
黒髪を見たジェームズは、あぁ、と得心が行った様子でうなずく。
黒髪はカルデア王国の人間にとって、特に貴族にとって避けたい色の一つであるからだ。
カルデア王国の成り立ちには、王国の南に位置する小さな国『神聖クメール帝国』が大きく関わっている。
神聖クメール帝国はフロン大陸で最も古い国の一つであり、月を力とあがめ、クメール人を至上とする文化が息づいている国であった。
カルデア王国の建国の祖であるルツヤン=アブネル=オ・リーベルタイスは純粋カルデア人と呼ばれる人種であり、他の人種とともに、神聖クメール帝国内でかなりの迫害を受けていた。
ルツヤンはカルデア人を含め北東に住むイシュマイカ人やトリニア人が迫害を受けることに我慢ならなくなり、少数のクメール人を巻き込んで帝国に対して反乱を起こした。
結果として独立は成り、今ではフロン大陸第2の国なるまでになったわけだが、その歴史ゆえにクメール人とその他の民族とには深い溝がある。
もちろん、少数とはいえ帝国のやり方に嫌気が差したクメール人も反乱に参加していたわけで、表だって嫌われているわけではない。だが、深層心理にはクメール人に対する嫌忌の念があるので、クメール人の特徴たる黒髪は歓迎されないのだ。
「なるほど、それで、先生はどこにも出さずにおかれたのですね」
「ええ……ですが、先ほども申し上げた通り、彼はかなり優秀ですから私としては信頼できるところで働かせたいと思っています。そしてジェームズ。君は、血統主義の側面も持っていますが、能力を正当に評価できるところを私は高く買っています」
イッサーラの述べるとおり、ジェームズは人種としての血にこだわるところがあったが、それだけで爪弾きにするような狭量な男ではなかった。
「先生に評価していただいているとは光栄ですね……しかし、邸内にはそれにこだわる者もおります。具体的な能力などをお聞かせいただけると楽なのですが」
ジェームズの当然の要求にイッサーラはどこか楽しげに口を開く。
まるで、今から手品の種明かしをする奇術師のように、意味深な笑みを浮かべた。
「ルシアが、わが孤児院の図書を読破したのは10才の時のことです。その中には、私のすべての著書が含まれます」
「先生の……? それは、本当ですか?」
思わず、といった調子でジェームズは聞き返した。
イッサーラは識者とされているだけあって、その著書は100を超えるとも言われている。
それだけではなく、彼が書き表わした本はすべて貴族高等教育のおりに使われるものであって、英才教育も受けていない孤児に理解できるはずもないのである。もし、イッサーラが述べることが本当ならば大天才児と呼んでも差し支えはない。
「ええ、読むだけでなく、完ぺきな理解も伴っています。どの本のどのページのどの行を指定しても諳んじることができ、それに解釈を加えることもできますよ。試してみてはいかがですか?」
驚くジェームズをイッサーラは挑発してみせた。
ジェームズもそこまで言われて引くわけにもいかず、生徒の時を思い出しながら全力で問題を出す。
「『王権の基盤』。王権の始まりついて、24ページ第1行目より暗唱の後、現王権への解釈を加えよ」
「『王権が与えられることになるのは以下の3つに大別できる。1、自然発生的に指導者を求めた者たちの後押しにより与えられ場合。まとまりを求めるのは人間の常であり、この場合争いは生じない。2、人間が欲望により権力を求め、なんらかの方法により他を圧倒する場合。多くの場合、武力による解決が最も多く、その王権自体は既に確立されている。3、同じ目的をもつ者同士が寄り集まり、その目的を達成した後、同志の中で決められた指導者がそのまま王権をもつようになる場合。』現王権は、ヘオース暦1年、神聖クメール帝国の用いる年代記によればクメール暦895年。ルツヤン=アブネル=オ・リーベルタースが帝国の残忍な人種政策に反旗を翻したことに始まります。彼の反乱には、多くの民族が協調したことで達成されました。よって、先に述べた3つにより分類するとすれば、③に当てはまることになります。ただし、革命達成の後、内紛により王位は決定しましたから、②の性質も包含すると思われ、結論としてまとめるならば『カルデア王国の王権は、帝国からの独立という共通の目的をもった者たちにより革命が成功したことに始まるが、同志のうちほとんどの者が権力を欲し、武力によってルツヤン初代国王が王位に就いたことに始まる』となります。以上、解釈終わり」
立て板に流れる水のように淀みのないルシアの返答を、ジェームズはただ黙ってと聞くことしかできなかった。
王国の成り立ちを正確に述べて見せたこともそうだが、現王権の始まりを『欲望』をも含むと正々堂々非難していせたことに驚いていたのだ。
王国内では、ルツヤンは英雄として奉られており彼を悪く言う者など一人もいない。
ルツヤンは当然うけるべき王権をその手に確立するために戦った、とされており、悪者になるのはいつも彼以外の革命者である。
「驚いたな……先生、これは先生の教えですか?」
言外に、「これは謀反に近いですよ」と匂わせながらジェームズはイッサーラに問う。
だが、イッサーラの方でもルシアの回答に呆れたように笑い「いや、ある日書庫から出てきたと思ったらこうなっていたのです」と言うにとどまった。
―― これは、拾いものかもしれない ――
ジェームズは自分の胸が高鳴るのが分かった。
ルシアが自分でその考えに至ったということは、革命家としての素質があるかもしれないと考えたためである。
「君は……ルシアは、もしも王権にふさわしくない者がいたらどうするのが最善と考える?」
「挿げ替えるのが最善かと」
ルシアの端的かつ苛烈な質問に、ジェームズは笑いがこらえ切れなくなった。
―― ああ、首を切ったことは正解だったかもしれない ――
「先生、決めました。この子はアルイケ家で雇います」
宣言したジェームズにホッとした様子でイッサーラは息を吐いた。
「あぁ、それは良かった。私も一安心というものです……ジェームズ、どうかよろしくお願いしますね」
「もちろんです、御安心ください」
イッサーラの横で小さく頭を下げたルシアの方に目をやりつつ、ジェームズは胸を張ったのである。
その日から、ルシアはアルイケ家の執事補佐として働くことになり、期待を背かぬ働き手として屋敷内の者からの称賛を一身に受けるようになったのだが ――
「ルシア……なぜ、お前はその様に笑うのだ……!?」
目の前にいる、見事な金髪を纏う『ルシア』をジェームズは見つめながら吐き出す。
なにが、なぜ、どうして、こうなったのか。ジェームズには検討もつかなかった。