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暗夜の礫  作者: 篁霞流
Ⅳ 沈黙の法
46/58

手を伸ばす人

 

「さて、参りましょうか」

 エルー=ド・カリスト少将の見送りを背に、フォンビレートは歩き始めた。

 陣営の中を闇を縫うように移動し、もう一つの用事を済ませるべく、僅かな隙をつくる。

 その背後に、同じく気配のしない気配が降り立ったことに、フォンビレートは気付いていた。

「おい」

 振りむけば、予想通り、ミスタリナ王立騎士団団長・クイートが佇んでいる。

 「何です?」

 「分かってるだろう?」

 フォンビレートの質問に、クイートはわざとらしい質問で返した。誤魔化されるのがいつものパターンだが、今回はそれを許さない。


 「ここじゃなんだ、こっちに来い」

 言うだけ言って、歩き出す。

 まるでフォンビレートが付いてくることを確信しているかのように、かなりの早足だ。フォンビレートの方を確かめることもしない。

 その姿をしばらく眺めていたが、やはりこれはちょうどいい機会だろう、と付いていくことにする。

 出来るなら手順(・・)の最中に余計な邪魔は入って欲しくはない。これぐらいのことで済むなら、むしろありがたいくらいだ、と計算する。

 

 付いていくと、深い森の手前でクイートは止まった。

 これ以上ないほどの密談のための場所であり、だれかに目撃される可能性は極めて低い。

 なにしろ、現在は夜半。見張りの兵と参謀及び大将とその護衛以外は全く寝静まっているのだから。


 「フォンビレート」

 「はい」

 「お前と俺が初めて会ったときを覚えてるか」

  


 「今日から裏の一員になるフォンビレートだ。能力が高いことは俺達が確認している」

 そうやって、当時の団長から紹介されたのは、フォンビレートが14歳、クイートがようやく成人を迎えたころだった。

 荒さの欠片も見えない落ち着いた佇まい。感情の読めない無表情。それでいて、確かな意志を感じさせる双眸。その奥の醒めた感情。

 クイートの目で見える情報があまりにもちぐはぐで歪だった。

 その探るようないくつもの視線を感知しているはずなのに、特に気にする様子も無い無関心さもまた、クイートを苛立たせた。

 まるで、誰も眼中に無い、と宣言されたのと同じに感じられたから。


 「クイート、お前が組め」

 「……はっ」

 何とか絞り出した声は途轍もなく小さなもので、団長が苦笑いしていたことも覚えている。多分、クイートと同じく団長もまた、フォンビレートの異質さに内心苛立っていたのだろう。その苛立ちを笑みに変えることが出来たのは、単なる人生経験の差だった。

 「フォンビレート。とりあえず、あいつについて学べ。いいな?」

 「はい」

 対するフォンビレートは、あいつに、のくだりで僅かにクイートを一瞥した以外は特に動かなかった。馬鹿にされているような気がして、さらに頭が沸いたが、今なら分かる。あれは馬鹿にされていたのではない。眼中にない、と宣言しているのでもない。

 無関心ではなく、無感動だっただけなのだ、と。


 「お前と初めて会った日も、今でも。俺はお前が大嫌いだ」

 「はい」

 あの日からかなりの年月が過ぎたが、フォンビレートのその立ち位置は些かも変わってはいなかった。

 闇に生きる者でありながら、光の路をまっすぐに歩む美しい男。女王からの信任を得ていながら、それを十全には受け取らない執事。人の心の奥底を容易く見抜き、利用し、切り捨ててしまう最低の騎士。

 ミスタリナはあの日からこの男の手で踊らされていたのだと確信したのはいつだろう。

 そして。


 「それでも、少しはお前に同情できる」

 微笑みも嘆きも、その全てが虚偽だと理解したのは一体いつだっただろう。

 

 「ユミルとお前は同質の気配がする。……そして、あいつは変わったが、お前は変わらなかった。いや、変われなかったんだな」

 「……」

 フォンビレート自ら「鏡」と称した、そのユミルを見ていてようやくクイートは彼が心を動かしていないことを理解できるようになった。

 死に絶えた瞳。物体を認識するために動かす以外は止まったままの頭脳。

 そういうユミルを構成するものを少しずつ知って、それが何故そうなったのかも知って。

 器用に覆い隠されていた部分が一枚ずつ露わになるようにして、理解していった。


 「お前は正義なんて何一つ知らないままで居たかった。そうだろう?」

 ユミルと同じ境遇で、そして彼女よりもずっと器用なはずのフォンビレートが何故それほどまでに心を凍らせたままだったのか。あんなにもシシリアに心酔して、その心に手を伸ばすお前が、何故最後まで自分の心をさらけ出そうとはしなかったのか。

 その答えをクイートはもう知ってしまった。

 最悪で最低のくそったれ野郎としか思えなかった筆頭執事の、多分大抵の人間が知ることのない、凄絶な微笑みの内奥を知ってしまった。

 だから、これは俺の仕事だ。


 フォンビレートのお株を奪うかのように、指を一つずつ立てる。


 「ユミル=アリズ=ド・ルーチェ」

 「……」

 「グレイブ=ダ・デュカルス」

 「……」

 「100人隊長、ダ・ラックス、ダ・イース、ダ・ミカエル、ダ・シューザ。その下についていた兵士の多くの者たち」

 「……」

 「リリー、その他大勢の、イジュール家の闇の者たち」

 指が増えるほどに、フォンビレートの視線が揺れているような気がした。否、表立った反応はないが、もう何年も仕事をしているクイートだからこそ感じ取れた。

 そのことに確信を得て、沈黙し続けるその眼の前にもう1本指を突き付ける。

 「そして、エリザベス=クライム=ド・コンフォール……その全員が全員、過去の記録が存在しないだなんて誰かが仕組んだとしか思えないよな。ああ、違うか。造られた(いつわりの)記録が存在したなんて、だ」

 「…………」

 決定的な言葉を吐いたクイートにフォンビレートは僅か目を見開き、それから静かに目をつぶった。小さく吐かれた息が、彼の思考を表している。

 フォンビレートが作り上げた強固な仲間意識。誰も決して裏切ることのない透明の糸。

 エリザベスやグレイブでさえ、つまり直接の権力渦中に居ない人間でさえ切ることのできない、情と沈黙の掟に縛られた組織。それが探りだされるとは考えにくい。

 「ユミルが落ちたんですね?」

 それこそ、裏切り者でもいなければ。

 「ま、そういうことだ。」

 「……掟を上回れるは(なさけ)のみ、とは先達もよく言ったものですね……」

 

 ユミルを駒として拾ったフォンビレートでは決して成しえなかった、心を"ほぐす"ということ。それをクイートはやってのけた。彼自身がフォンビレートの掌で転がされているような状況にも関わらず、困難に戦いを挑んだということは、フォンビレートの目から見ても称賛に値した。

 最大級の賛辞を持って、フォンビレートはクイートの功績を認める。

 「その通りです。これ(・・)は全て仕組まれていた、そのルートを辿っているに過ぎません」

 これ、という言葉に現在発生しているありとあらゆる問題が含まれていることはクイートにも分かった。例えば、エリザベスの暗殺未遂。例えば、ユミルの騎士団長就任。例えば、戦争。

 そして――

 「例えば、死者の数、とかか?」

 クイートの瞳を真正面に捉えて、フォンビレートは静かに頷いた。

 あまりにも出来すぎた出来事の裏に居たのは自分だ、と何の弁明をつけずに唯肯定した。


 「その通り。全ては16年前、仕組まれたことです」

 そうして直截に紡がれたタネに、クイートは息を詰めた。

 はっきりと名前が出されなくともクイートには――この件を調べていたクイートには――理解できた。そしてそれは、クイートの心を大いに動揺させた。

 息を大きく吐き、心をなだめる。

 それから、自らの手の届く範囲にある懸念事項を解消すべく、フォンビレートに切り出した。

 

 「ユミルを責めるなよ。俺はある程度の確信を持って問い詰めたのだからな」

 そういうことはしない、と確信してはいても念には念をとフォンビレートに釘をさす。

 「ご心配なく。決してそのようなことはしませんので」

 クイートの心配は無用であるとフォンビレートは保証した。

 その言葉に安心して、大きく息をつく。実際のところ、クイートは今の今まで緊張していた。

 これまで一度も優位に立てたことのない人間に、優位に立てない分野で闘いを挑むなど、自分から見ても正気の沙汰とは思えなかったのだ。それでも、強固な使命感ゆえにクイートはここに立っている。


 「ところで」

 一息ついたクイートにフォンビレートはゆっくりと問いかけた。

 「差し支えなければ教えて頂きたいのですが、どこに違和感がありました?」

 クイートはユミルを攻める前に確信を持っていた、と言った。ならば、どこかに隙があったということだ。フォンビレートはその予想すらついていたが、それでもなお本人に聞いてみたかった。

 「どこから綻びました?」

 軽いように見せかけて、その実その問いは真剣そのものだ。

 その様子にクイートはほんの少しバツの悪い顔を見せる。正直なところ伝えるのは気が引けるのだが。

 「あー。まあ、あれだ。お前のことを知っている奴と俺が知り合いってことだ」

 「だれです?」

 「シシリア様の元・親衛隊長バルク。あれは俺の親父だから」

 ああ、やはり。

 あの方は気付いておいででしたか。 そんな思いが過ぎる。

 「やはり、疑っておられたのですね……」

 「やはり?」

 「ええ。私は遠くからあの方を何度かお見かけしたことがあります。あの方は決して差別をなさるような方ではなかった」

 「ああ、まあ。そうでなけりゃシシリア様の、いや陛下の側近など勤まらんだろうよ」

 シシリアはルイズ程ではないにしても正義感が強かった。彼女ほど正論を押し通そうとはしなかったが、それでも王族としては異端だった。その側近をいつも(・・・)貧民街を嫌悪する人間に勤まるわけがない。

 「その通り。それなのに、あの方は何かと私につらく当たられましたから。気付いておられたのでしょうね。黒、に」

 最初に気付いたのは、あの方の側近。

 クイートがバルクの子と知った時からある程度予想はしていた。しかし。

しかし。邪魔はさせない。

 その決意を胸に、フォンビレートは向き直る。さあ、最期まで往こう。


 「……実際のところ、どうなんだ?」

 「何がです?」

 しばしの沈黙ののち、再びクイートが窺うように差し出した言葉に、フォンビレートは僅かに目を細めた。それは、まだ挑むのか、という驚愕を表している。

 「勝てるのか?」

 「勝てますよ」

 息をするような返事に、クイートは肩透かしを食らったかのような顔をした。

 ややあって、目の前の人物がこれまで成し遂げてきたことを反芻し、頷く。この執事が失敗したことなどなかったではないか、と。

 

 「違いますよ」

 その心中を見透かしたかのように、フォンビレートは小さく首を振った。

 自分の内面が読まれたことよりも、フォンビレートがそれを否定したことにクイートは驚き、じっと彼を見つめる。得体のしれない悪寒がクイートを駆け巡った。


 「勝つように仕組まれているので」

 「……」

 「ただ、それだけのことです。……それだけ、の事なのですよ」

 向かい合う瞳が―― 諦観の念に覆われていた。

 そこにクイートは奇妙な既視感を覚えた。どこかで自分はこれを見たことがある、と。

 その思考がまとまらないうちに、フォンビレートは頭を下げ、辞去の姿勢になる。


 「では、クイート様。くれぐれも(・・・・・)お元気で。どうか、全ての事を冷静に受け止められますように」

 「お、い」

 止めようと伸ばした手は、フォンビレートに触れることなく、まるで幻のように思える。

 

 「何だってんだ、あいつ…………そうか……」

 呟きながら、クイートはようやく記憶にたどり着く。



 あの瞳は、ユミルの泣き顔にとてもよく似ている。 

 ルーチェはユミルの姓名。

 名簿。


 全てのからくりを断続的に理解したクイートは、フォンビレートから遅れること数十秒。地面を蹴った。

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