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暗夜の礫  作者: 篁霞流
Ⅳ 沈黙の法
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矢面

 カルデア王国王都ペンタグ。

 ダルセイユは秋から冬へと向かう空を馬車から眺めながら深いため息をついた。空は曇天で、雨が予想される分厚い雲に覆われているが、ダルセイユの心中もそれに負けず劣らず鬱々としたものとなっている。


 「一体どうしろって言うのよ……」

 手元のタオルに目を移したところで、思わず本音が口を衝いて出た。

 「本当ですよね……」

 向かい合わせに座っている後輩も、ダルセイユに負けず劣らず顔が暗い。

 二人は今しがた戦死の宣告を行い、返答に氷水をかけられた、その帰りである。全身が寒く、それに対する気持ちももてあまし気味で、次の仕事からしばしの逃避を図っていた。

 彼らがこれまでの1週間で回った家は、34軒。そのうち、家人に罵倒されたのは33軒。大抵の家で、罵倒され、時には殴りかかられた。唾を吐きかけらるというような侮辱を受けることもある。


 「これは私たちの責任なのかしら!? 、こんなのやってらんないわよ」

 普段の丁寧な言葉づかいをかなぐり捨ててダルセイユが毒づけば、車内の空気はさらに重くなった。


 「ごめん……私が口に出していい言葉じゃなかった。本当に、ごめん」

 「いえ……解っていても心に澱みますから」

 「……そう、だね」


 2週間前。

 直属の上司に呼ばれ、ダルセイユを含む調査課にある仕事が割り当てられた。

 すなわち、それぞれの家族に戦死の知らせと戦功に見合う勲章を授与する、というものである。その仕事を割り当てられたときの気持ちをダルセイユは鮮明に思い出せる。

 

 「女王の名により、カルデア王国軍部運用局調査課へ命令を発す。……此の戦いにおいて流された血を一滴残らず、戻せ」

 命令書通りに読み上げられた後に続いた上司の深い声。

 戻せ、と言う命令が何よりも絶対的に響いた。身震いした。背筋が自然と伸び、1年に1度の演習時ぐらいにしかしない敬礼が自然と出た。

 ダルセイユ自身は今回の戦いのどの現場にも赴いては居ない。それどころか、命令を下されるその瞬間まで通常業務を続けていた。毎日のように数字(・・)でしか感じ取れない戦況を見詰め、全てが日常に埋もれていく、それが彼女にとっての戦争だったのだ。

 だが、調査を割り当てられ、数字に名前がつき、名前に生活が彩られ、そうしてその全てが渾然一体となってダルセイユに迫ったとき、その重さに向き合う機会が作られた。戦争に行っていない者が何を言うか、とあざ笑うものだっているだろう。ダルセイユとて、自分の感じる恐怖や悲しみが当事者と釣り合うとは露ほども思っていない。

 だが。それでも。

 それでも、名前の付いた重さを――それが失われたことを――ダルセイユは悲しみ、それが誰かに与える衝撃について熟考した。それから、一度も話したことのない、これからも交わらない、一人ひとりの覚悟の重さにもまた圧倒された。

 家族への遺品(いひん)遺書(いしょ)遺言(いごん)。その数の、なんと少ないことか!

 兵士達、いや戦士達と呼ぶべきだろう。その、王に捧げられる敬愛、友への友愛、家族への親愛。

 会ったこともない男や女達の、振り返らない背中が見えるようだった。


 日が経つにつれ積み上げられていく想いを余さず心に仕舞いこみ、死者への敬慕と哀惜を忘れずに使命を粛々と果たしていこう。

 そういう覚悟をしたのが、2週間前。


 現実を思い知らされたのが、1週間前からだ。


 「王国を代表し」「政府を代表し」「心からの敬愛の」「感謝を」

 どんな言葉を尽くしたところで、何にも成りえないのだと痛感した。どれほど心から出た言葉であっても、全ては堪らなく虚しくて、風よりも軽かった。

 遺族から寄せられる『返してくれ』という想いが、痛くて仕方なかった。

 その立場にはないと理解していてなお、泣きたかった。


 悪いのは私たちじゃない、と何度心中で叫んだだろう。

 クメール帝国が王太子妃を殺したからだろう? いや、そもそも徴兵に応じたのは兵士達のほうじゃないか、拒否だって出来るのだから。 わたしたちに政府への不満をぶつけてどうするのだ、と不毛な諭しが何度も口をついて出そうになった。

 出そうになっても出せなかったのは、自分達の言葉が空気にさえ勝てないほどにくだらないと何処かで解かっていたからだった。政府という肩書を名乗る以上、出来ることは、ひたすら真っ直ぐに頭を下げ、その罵倒を"政府代表として"余すことなく受け止めること、それだけだと理解しその役割に徹し続けた。

 1軒ごとに浴びせかけられる物理的及び精神的攻撃で澱んでいく心を支えているのは、はっきりと見える戦士たちの振りかえらない背中だ。それを思い浮かべるたびに、罵倒が澱ではなく、自分が――失われた命によって守られている自分の命が――受け止めるべきものだと心の底から納得し、哀惜の念が湧いた。


 「……わたしたちのすべき仕事、そうでしょう?」

 

 しばし目を閉じて思い出せる限りの顔を思い出し、苦しげに吐き出したダルセイユを部下は静かに肯定した。自分とまったく同じ瞳を宿すその顔に勇気づけられるように、ダルセイユは指示を出すべく御者に呼び掛ける。

 「次は、ルーチェ伯爵家に」


 はっ、と御者は短く返した。


 真夜中には少しばかり届かない王都を、馬車は静かに疾走する。

 戦勝祝いが彩る街中に異質な黒い馬車を振り返る者は多いが、その荷台に詰め込めぬほどの悲しみを運んでいることを知っている者はあまりいないだろう。


 それは、私の心が留めていればいいことだ、と結論付けてダルセイユは次の家までしばし目を閉じた。

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