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暗夜の礫  作者: 篁霞流
Ⅳ 沈黙の法
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表層世界

 戦時における参謀とは、すなわち頭脳であり知能である。

 どれほど勇猛果敢な戦士が居ようとも、どれほどの大軍を率いていても、その頭脳がお粗末であれば戦に勝つことはほとんどない。あわよくば勝ったとしても、それは忌むべき戦として、歴史に刻まれることになる。したがって、その参謀の有能さが勝敗を、あるいは名誉を左右すると言っても過言ではない。

 だがそれはあくまで戦時に限った話だ。

 軍において、新兵卒は等しく訓練を受けるが、ある程度の年数が経つと、その道は2つに別れる。

 すなわち『頭脳を使う者』か『肉体を使う者』か。そのどちらに選ばれるかは、勝ち得る尊敬の念でも、名誉ある地位においても、大きな意味を持っていた。5つの騎士団とは一線を画す確かなヒエラルキーが軍には存在し、それはねたみや嫉妬を生み出し、ある場合にはエネルギーを、ある場合には諍いを巻き起こす。

 平時において『頭脳を使う者』は、出世することはありえず、また他の兵士たちからは『使えない奴』という烙印を押されることになる。いくら紅白戦に勝利しようとも実質の貢献は無きに等しく、またきつい訓練も受けないのだから、そういう言われをしても仕方のないことではあった。

 

 さて、このような状態のカルデア王国軍において、一際異彩を放つ人物が居る。

 エルー=ド・カリスト少将。

 幼い頃、初代近衛隊隊長エメリカに憧れ、彼女のようになりたいと軍に入った、元はと言えば唯の商人の娘である。彼女が軍の門をたたいた時、大勢は嘲笑し、一部は説得にあたった。騎士ならばとかく、どんな男がいるかもしれない軍に入るとは、誰の目から見ても正気の沙汰とは思えなかったのである。

 だが、彼女は周囲のあらゆる好奇の視線に怯まなかった。

 それどころか、新兵卒訓練において男を差し置き、10位の成績でそれを突破したのである。訓練が終わるころには、誰も彼女のことを馬鹿にすることはなくなっていた。

 ところが彼女はさらに我が道を行く。

 なんと参謀への途を志願したのだ。

 これは当時の軍部でも、今現在においても、常識として到底信じられるものではなかった。誰が好き好んで、臆病者と罵られる道へ進みたいなどと思うだろうか。大抵の場合、その道を進んで志願するものは、自らが体力において劣った存在であると認めざるを得ない、そんな人間だけである。つまり、下から数えたほうの良い一兵卒でいるか、蔑まれようとも或る程度の出世を目指すか。そんなところだ。

 従って、エルーの選んだ道は明らかに他と異なっていた。

 1年後には、10人隊長の任官がされるのが規定路線とさえされる上位成績者でありながら、参謀の道を選ぶなど、何をしたいのか周囲には理解されなかった。

 当時の上層部は、エルーへ繰り返し意思を確認し、その意思が強固であることを確かめるや、ある譲歩案を提示した。すなわち、兵卒として訓練を重ねながら、退官を間近に控えていた参謀長ザック=ダ・バッフベルトの手ほどきを受けることを提案したのである。

 ここにカルデア王国軍初の兵卒でありながら参謀でもある軍人が誕生した。

 その後の歩みにおいて、彼女はその才を遺憾なく発揮し、出世を重ねた。

 余談だが、この彼女の才能をもっとも早く見抜き、騎士団を通じて軍に働きかけた存在がいることは、内部で割と有名な話である。その話が、羨望や嫉妬を生み出すことはなく、むしろ彼女が同情や尊敬を勝ち得た一つの要因となったことは、その人物がいかに恐れを持たれているかを語る上での一つの伝となっていた。その人物が誰であるかは、推して知るべし、であろう。閑話休題。

 現在、彼女の肩書きは『カルデア王国軍第1方面第4大隊隊長参謀少将』であり、今回の一団においても筆頭参謀として従軍していた。

 今、彼女以下参謀達は、ヨシヤ中将へ具申する作戦の議論の真っ最中であった。


 「こちら側から攻めては?」

 「いや、それでは非効率すぎる。既に大勢は決まりつつある。無理をすることもない」

 「しかし! それでは!」

 開戦から早3週間。

 最初の城壁を乗り越えてからのカルデア王国軍は、これ以上ないほど優位に戦いを進めている。

 もちろん、途中途中でいくつかの障害はあるものの、最初の戦いにおける死者を上回ることはなかった。もともと戦力差が絶対的なまでにあるのだ。高い壁がなくなればあとは思いのままである。

 揉めているのは何を優先するかというその1点だけだった。


 「ですから! いたずらな戦死者を出す必要はどこにもないではありませんか!」

 「何を言う。王太子妃に手を出された怨念は早めに晴らす必要性があるのだ。貴様の作戦では生ぬるい」


 皆、思いは共通している。

 最小限の損失での、迅速なる勝利。これに全てが凝縮されている。

 しかしながら、そのどちらかしか成立し得ない。何しろ、相手方に攻め込んでいるのだ。クメールの帝都まで行かなければ、「勝利」とは名が付かない。

 そのため、参謀陣はかれこれ1時間ほど、真っ向から意見が対立している。

 

 その喧騒を、愚かしいと心中で断罪しつつ、エルーは座っていた。筆頭参謀として渦中にいるべきなのだが、余りの不毛さに辟易していた。

 ――これだから、参謀馬鹿は困るのだ。


 『損失』『迅速』『戦死者』

 その単語が、それぞれつながりを持つとなぜ想像できないのか。

 兵士は数字ではないのだ。損失は数に係るのではなく想いや祈りに係るのだ。迅速なる勝利は、誇りに係るだけ(・・)なのだ。そうして全ては戦死者という名の悲しみを生むのだ。

 それが、長年の平和でだらけきった参謀達には理解できていなかった。

 もっとも、それは彼女が人格者であるとか優れた軍司令官であるとか、そういう要素に起因しているわけではない。ただ彼女だけが、自らの作戦とともに戦場に駆り出した。その経験のために理解できているに過ぎなかった。

 だから、それを参謀達に求めようとは微塵も思わなかったが、それでも精神を削るに違いはない。


 「議論が煮詰まっているようだ。しばし、休憩を入れる。それから採決だ」

 エルーの言葉に、掴み掛からんばかりに意見を飛ばしあっていた双方が動きを止めた。熱くなりすぎたせいで、当初の作戦を決めるという目的から逸脱し、軍の存在意義にまで発展していたことにようやく気づいたらしい。そのあたりでも経験不足を伺わせる。

 「はっ。参謀長の仰るとおりで」

 「解かりました。どのぐらい後で再集合すればよろしいですか?」

 伺いにしばし考えて、30分後を指定する。少し長いようだが、これぐらいが多分ちょうどいい。

 エルーの一声で、銘々で離散し、或る者は水飲み場、或る者は煙草を吸いに向かう。


 その背を見送って、エルーは慎重に声を出した。

 「どういうおつもりですか?」

 「荒鷲は気配察知もお手の物というわけですか。御見それしました」

 「ご冗談を。私だけが気づくように仕向けた張本人が何を」


 ハッと吐き捨て、それからエルーは慎重に振り返った。

 多分、陣営中の誰にも見つからずにここまで足を運んできたであろう人外。すなわち――

 「エルバルト様、失礼を承知でお伺いしますが、何故なにゆえこのような真似を」


 闇夜からゆっくりとその相貌が浮き上がる。

 さながら夜が明けたかのように、陣内に灯火によらない光で満たされた。


 「エルー少将閣下に、少しばかりご相談したい案件がありまして」

 フォンビレートは政府の正式な役職を持たないが、貴人であることに疑いの余地はなく、しかしながら公式ではエルーの立場が上という状態であるため、双方ともに尊称を使って呼びかけた。

 実際には、フォンビレートが名前を出さないことからも明らかなとおり、彼はこの場にシシリアの代理としてではなく、一カルデア王国民としてこの場に存在しているため、エルーが尊称を使う必要は全くない。それが解かってもなお、優位性が揺らがないのがフォンビレートであった。

 へりくだっていながら、その実、一切の謙譲はない。

 

 「拝聴いたします」

 「これより、数時間私に時間を頂けないでしょうか」

 「……理由を私がお聞きすることは可能ですか?」

 意外な切り出しに面食らいながら、エルーは咄嗟に安全を図った。

 出来れば、聞かせないで欲しいと願いつつ、視線を向ける。

 彼女は騎士団ではなく軍一筋の平民である。従って宮殿の権謀術数などとは大方無縁でここまで上り詰めた。頭脳も肉体も劣っていると卑下することはないが、腹の中の探りあいにおいては、貴族の師弟にも負けてしまう自信がある。王宮殿のど真ん中で峻烈に立ち続けているにも拘らず、なお清冽さを失わない怪物と張り合えるはずもなかった。

 最初から試合放棄、というより出来れば巻き込まれないようにと予防線を張った彼女はある意味で、貴族的貴族よりも数段賢いと言えた。

 それが分かって、フォンビレートは心中でだけ笑いを溢す。

 やはり彼女で間違っていなかったらしい、と。

 自分の能力の限界をわきまえ、その使い道を見誤らないというのは、フォンビレートにとって美徳以外の何物でもない。人はそれを保守的と称するのだろうが、そういう人こそが怪我をせずに過ごしていくのだと、今の(・・)フォンビレートは知っている。


 「ええ、構いません」

 「……どうぞ」

 「決着をつけるため、です」

 少しの澱みなく断言するフォンビレートに、エルーは特に聞き返さなかった。

 ただ黙って、言外の意味に耳を傾ける。


 「お願いしても良いのですか?」

 ほんの瞬き幾つかで答えを導き出した彼女に、フォンビレートは今度こそ表情に出して笑った。

 彼女が堅実であることや、実質頭脳の頂点であること以上に、この資質に拠って、フォンビレートは彼女を愛していた。その資質が少将になった今でも、いや、誰が浮き足立ったとしてもおかしくないこの戦場においてさえ失われていないことを喜んで、それから。

 「ええ、それが私の役割のようですから」

 深く、苦く、悲しげに。謡うように、祈るように、暗示のように。

 微笑んで見せたフォンビレートに、エルーは手を差し伸べそうになった。


 完全無欠で。『王の力』と異名がつけられるその執事が。

 一瞬、どこに立っているかを紛うほどに鮮やかに笑うその人が。

 ろうそくの間際の強さのように見えてしまったから。


 「エル、バルト様」

 何とか言葉を搾り出す。

 そんなエルーの努力を確実に理解して、フォンビレートは天幕から見えるはずもない空を見上げた。

 「明日の昼。雨が上がるでしょう」

 「……」

 「夜明けから正午。その時間だけ、引き止めていてください」

 「もし、」

 「もしも」

 思わずといった感じで出たエルーの言葉をフォンビレートはみなまで言わせまいと遮る。

 「私が戻らないときには、皆さんの作戦を開始してください」

 「……」

 それは、すなわち。

 「大丈夫です」

 身動きを封じ込まれたように重くなった思考をフォンビレートの穏やかな言葉が過ぎる。

 

 「私はフォンビレート=メイリー=ダ・エルバルト。不可能を可能にする(エルバルト)、そのために生まれてきたのですから」


 (わたくし)の軍靴の踵がぶつかり合う音だけが響いたっきり、(あと)はただただ静寂だけでした、と(のち)に彼女は回想している。

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