騒動の始まり 後篇
話しを続ける前に、と、フォンビレートは湯気香る新しい紅茶を入れた。ついでに、今日も今日とて忘れ去られているスコーンをシシリアの前へと移動する。このスコーンを残した日には、料理長が号泣するに違いない。
過去に愚痴を延々と聞かされた経験のあるフォンビレートは、それを回避すべく「先にお食べください」と進めれば、促されるままシシリアはスコーンをほおばった。続きが気になっているのだろうが(それは当然のことだが)王にあるまじき行儀の悪さである。
フォンビレートは注意すべきか一度悩んだが、結局うやむやにすることにしたらしく、シシリアがスコーンを呑みこみ、紅茶に口をつけたところで続きを話し続ける。
「さて、アルイケ侯ジェームズが陛下を狙ったという仮定を立てますと、動機が見当たりません。ジェームズは野心のある人物ではありますが、陛下を毒殺することにより得られるものと、企みが明らかになった場合に失うものの比重が釣り合っていないように思われました」
例えシシリアが殺されたとしても侯爵であるジェームズにはなんのメリットもないはずである。確かに、国政の重要な局面に立ち会うかもしれないが、所詮は侯爵位であり公爵位には敵わない。他の諮問機関の委員達が愚かであれば違うかもしれないが、今代公侯爵達はそれぞれに優秀であった。ジェームズが図抜けて優秀であろうと、一人で決定権を荷うことなど、まずないだろうと思われる。
「それで? あなたの突き止めた動機って何かしら?」
「陛下、私が、一日の休暇を申請しました事を覚えておいででしょうか?」
「ええ、覚えているわ。それも、昨年の春ね」
フォンビレートは7つの年に奉公して以来、ただの一度も休暇を取ったことはない。彼自身に行くあても帰るあてもないということもあるが、重度の仕事中毒者であることがその主な理由だ。休暇を取るように勧めても拒否し、無理やり休ませても邸内の草むしりを始め、問いただせば「休暇ですので、自然と触れ合っております」としれっと言い放つ。
だから、フォンビレートが「お暇を頂きたく」と言った際、誰一人休暇の事だとは思わず執事を辞めてしまうのだ、との思い込みによる大騒動に発展したのだ。
必死にひきとめたことが今となっては懐かしい。よくあれだけの罵声の嵐を切り抜けたものだ、と彼を賞賛する気持ちさえ生まれるほどの、騒ぎであった。
実際には、王都へ用事があるというそれだけのことであり、誤解が解けた時の何とも言えない気まずい雰囲気は二度と味わいたくない。その後の、フォンビレートからの耳がはれ上がるような説教はトラウマモノだ。
「その日、私は王都に参りましてヘンリル前陛下と非公式にお会い致しました」
「父上と?」
その王都での意外な用事に、シシリアは目を瞬かせた。
「はい。目的は王国法の原本を見ること、もしくは内容を教えて頂く事です」
王国法に乗せられているほとんどの法は、王国議会により可決されてから付け加えられたものであり、建国時の法律と合わせて副本が5つ作成されている。そのどれも、王領に存在する図書室に保管されており、貴族であれば無制限で閲覧可能となっていた。ただし、例外は存在する。
「原本……ということは、王位に関する法律が見たかったということ?」
王位に関する法律は、一般に公開されておらず(もちろん、基本的な部分は建国の際に明らかにされているが)王位簒奪者による暗殺を防ぐため、基本的に発表されない。第1位継承者だけは発表しなければ内乱の危険が高まることと、アルバへ住まうことが定められているため隠すのが困難であることから、発表するようにはなっているが、ほとんどの部分が秘密にされている。
「はい、その通りです。もちろん、ある程度の確信のもとに向かっておりました」
「確信?」
フォンビレートの双眸がふっと鋭くなり、話が核心に近づいていることが分かった。
「陛下はご存じ無いかもしれませんが、前アルイケ侯ケアリーは、ヘンリル前陛下の治世のおり、王位継承権を得たことがございます。流行り病により、一時的に直系王族が絶えた際、第1王女シュレ様の御子にあたる前アルイケ侯、当時のアルイケ伯ケアリーが、第1位継承者となり『ケアリー王太子』であったことがあるのです」
衝撃的な事実に、シシリアは驚きを隠せなかった。
彼女の知るケアリーとは、野心はあるが王位簒奪を狙うようなものではなく、領地を良く治める為政者であった。昔、王位継承権を持っていたことなど知りもしない。
もっとも、それは彼女の生まれるずっと前のことであり、知っていなくとも当然と言える。逆に言えば、知っているフォンビレートがおかしいのであって、シシリアとしては問い詰めたい気持ちでいっぱいであった。時間の無駄であることは承知しているので、断念したが。
「1年ほど、より正確に言うならばコルベール暦1480年の秋までは第1位継承者であり、1501年まで継承権を保持していました」
「1501年、ということは、私が生まれるまでということね」
「その通りです。陛下の誕生により王位継承権第5位までが埋まったことになり、そこで前アルイケ侯ケアリーは公的な継承権を失いました。もっとも、第1位継承権は随分と前からありませんでしたから、侯爵が継承権を失ったことはそう大きな話題とは成らなかったようです」
「まぁ、そうでしょうね。で、その話と今回の毒入り茶葉はどうつながるのかしら?」
「はい。前アルイケ侯ケアリーの死後、相次ぐ事故死により陛下が王位に就かれることになりました」
「そうね……あっ、もしかしてお兄様やお姉様を殺したのがアルイケ侯ってこと?」
兄や姉を失った悲しみを未だに引きずっているシシリアは血相を変えてフォンビレートに詰め寄るが、彼は首を振ってそれを否定した。
「いいえ。それに関しては全く事故であることが、調査委員会によって証明されていますし、これほど時間が経ってしまえば真相といったところで推測に至るのがせいぜいです」
王族が亡くなると必ず調査委員会が臨時で立ち上げられる。暗殺の可能性はないのか、だれかがしたミスにより亡くなったのではないか。多岐にわたる可能性を一つ一つ吟味し、精査していき、最終的な死亡原因を特定することがその仕事である。
シシリアの兄弟が亡くなった原因はすべて筋道だった論拠により決定されており、不自然さはかけらも見当たらない。あえて言うならば、調査委員会が真実の隠蔽を行った可能性だけである。さすがにそれを指摘することは、国を揺るがす行為であり、安易に行うことはできない。
それに、これほど時間が経ってしまえば、仮に隠蔽されていた証拠があったとしても発見することが不可能であることは誰の眼にも明らかである。
シシリアもそれぐらいのことは理解しているのだが、それでも期待せざるを得ないくらいに、兄姉を慕っていた。
落胆の色を隠せずにうつむいたが、続く「但し、それが原因であることは確かでしょう」という言葉に、再び顔を上げた。
「えっ?」
「その死に、多くの人々が共通の懸念を抱きました。つまり、王家が途絶えた場合、内戦になるのではないか、という懸念です。しかし、王位に関する某かの動議が王国議会において提出された形跡はありません。かといって、懸念だけ抱いたまま何の手立ても用意しないということは考えにくい。とすれば……」
「御前会議ね……」
「はい、それによって何らかの手立てが用意されたと考えることが出来ます。それを確かめるため、ヘンリル陛下に面会いたしました」
「……結果は?」
「もちろん、一使用人の立場で原本を見ることは敵いませんでしたが、ヘンリル陛下は質問に答えてくださいました。一昨年の冬に御前会議にて、王国法第1条に細則が加えられることとなったようです」
「一昨年の冬……」
「はい、カイル殿下がお亡くなりになったころのことです」
第4王子であるカイルは、シシリアの5つ離れた兄である。当然、当時は継承順位は第1位であり、カイル王太子としてアルバ宮殿に住んでいた。ヘンリル国王の先は長くないと予想されており、優秀であったカイル王子が継ぐことに貴族・国民ともに異議なく、その治世に期待するむきもあった。そのため、彼が肺結核で亡くなった時、人々は悲しみにくれヘンリル国王もひどく沈んだ。そのことがもとで昨年の春に体調を壊して伏せり、結局、失意のまま冬に亡くなったわけだが。
「お兄様は優秀だったもの……私とは違い父上にも期待されていた」
正直にいえば、シシリアは父王にすら『王』としての力を期待されていなかった。もちろん、1人の子どもとしてそれなりに愛されていたことを否定はしないが、それでもやはり次期王としてアルバ宮殿に入ることになり、父王に挨拶に出向いてもいい顔をされなかった時の悲しみは深く根付いている。
「ヘンリル陛下は、国政の乱れを恐れ、御前会議が提案した細則に反対されなかったようです」
シシリアの発言には特に言及せずにフォンビレートは続けた。
彼自身としては、ヘンリルがカイルに多くの期待を寄せていたことは事実だが、特別シシリアの治世を心配していたわけでもない、と思っている。ただ、王位継承直前に失った、その喪失感に耐えきれず、王位継承者として跪くシシリアの姿にカイルを見て直視できなかっただけではないかとも考えている。
ただこれは、考えでしかなく、シシリアを慰めるには材料が足りな過ぎるため、フォンビレートが口出すことはなかった。面会に際して、ヘンリルが口にした事実のみを伝える。
不確定なことを主人に対して口にはしない、というのがフォンビレートのモットーであり、それゆえ彼は『優しく』はないが『優秀な』執事であった。
「その内容は?」
シシリアもフォンビレートが話を逸らしたことに気付いたが、それが彼の誠実さでもあることを知っているので、特に追及したりもしなかった。なにより、落ち込んでいる暇はない。
「『直系王族が死に絶えた場合、その直系王族第1子の男子の家系が王位を継ぐものとする』というものです。これは、御前会議により評決されたものであるため、一般には一切知らされません。また、第2位以下の王位継承権の発表も正式にはなされないため、国民が知る様になることは無いでしょう」
ようやくシシリアにも話の全容が見えてきた。
御前会議で決定されたということは当時の諮問機関、公爵3人、侯爵4人の合わせて7人だけで採決が行われたことを指す。現在の諮問機関はヘンリルの治世の最後の期間から変更は加えられていない。当然、その中には現在でも諮問機関の一員を努めるアルイケ侯ジェームズも加わっていたはずだ。
王国法の原本は、その7人と王の合わせて8人がいなければ決して開くことのできない王室金庫に保管されることになっており、よほどのこと無ければ確かめることもできないし、されない。王国法の改正にあたっては、採決から半年後に王宮筆頭書記官により8人の立ち会いのもと書き加えられるので、その際一部の役人は知ることになるが、王位に関する法律は公表の必然性をもたないので公に知られるようなことはない。そして、王位継承者は御前会議内でのみ確認が行われ、『公式』の発表は行われない。
つまり――
「現在第1継承権は第2王子ミシェル様の御子ダン殿下ではなく、第1王女第1子前アルイケ侯ケアリーの家系にあるということになります。すなわち、陛下がなんらかの事情で王位を放棄された場合、王権自体がアルイケ家に移る、ということになります」
王家を守るための秘密を逆手にとって、アルイケ侯はまんまと第1王位継承者の地位を勝ち取ったのだ。それも、イジュール家からアルイケ家に直系を変えることさえ可能な法律を可決させて、である。
シシリアは即位したばかり。メリバからの引っ越しは使用人の失態で未だ完了していない。
継いだばかりの王に対して『王位継承』などという早急な案件ではない報告を意図的に後回しにされれば、シシリアが聞くことは無い。遅くともあと数カ月すれば第1継承者は発表されるだろうし、王国法原本を見る機会もあるかもしれないが、あくまでそれは数カ月先であり、このままシシリアが殺されれば彼は誰にも気づかせずに王位に就く。
「おそらくアルイケ侯ジェームズは、前アルイケ侯ケアリーより王位が目の前にあったことを聞いたのでしょう。そして、道が開かれるように直系の王位継承者は1人だけになった」
そこで、野心を刺激された侯爵が企てたのだ。
時間をかけて。周到に準備をして。何も知らないままでシシリアを消してしまおうとして。
「こうなると、本当に直系の王族が事故死であったかどうかが疑問になってきますが、既に調べる術は失われております。当面にして唯一の問題は、彼が毒入りの茶葉を王宮殿にすらよこしたことです」
シシリアはしばし瞑目する。
アルイケ侯が裏切ったこともそうだが、その他の6家も筆頭書記官を含む上役人の一部も、間接的にこの暗殺を承知していることを知ったからである。
彼らが御前会議にて提案される内容に事前に目を通さないはずがない。国政を担ってきた彼らがアルイケ侯の狙いに気付かないはずはないのだ。提案自体はそれほど的外れではないが、それを共同で提案したということは、それをシシリアに報告しなかったということは『アルイケ侯が王位に就く可能性を彼らが認めた』ということである。
もっと言えば、アルイケ侯が王位に就いた後、それでも国政に関わる自信があったということになる。
「彼らは……奴ら……」
シシリアの顔は怒りで震えた。
命を狙われることは何度もあった。貴族から狙われることも他国から狙われることもあったが、王の諮問機関に、それもこれほど明確な仕方で敵対されるなど誰が予想出来たろう。静観ではなく、殺意を、しかも見極める時間もおかずに向けられるなど。
いや、予想は可能だった。それでも信じていたかったと言ったら、甘いと笑われるだろうか。
私の力を見極める時間を多少は持つはずだと信じるのは、為政者として間違いだろうか。
―― やはり父上は、私の事など気にしていなかったのだ
冷静が保たれた思考の片隅で考える。
父がアルイケ侯の、ひいては諮問機関の企みの可能性を見逃していたはずはない。
つまり、自分は国政に難ありと判断され、殺されたとしても良いとされていたのだと。
―― ああ……王になりたいなどと誰が言った?
王としての尊厳を、肉親への愛情を、父を慕い求める幼子の途方に暮れた寂寞を混ぜ合わせたように、捉えどころ無く揺れる。
この事態に対処することはとても難しい。
一手でも見誤れば、王権の舵取りは更に自分の手から離れていくだろう。
―― どうすれば、私は『王』に成るのか。
「いかがいたしましょうか? シシリア様。すべての準備は整えられております」
突然、シシリアの停滞した頭に一筋の声が通る。
フォンビレートの冷たい声に、意識が急速に浮上していった。
目線を上げれば、フォンビレートがいつもの瞳でこちらを静かに見詰めていた。何物にも揺らされることのない、鋼鉄の意志を持つ顔が静かに存在している。
その瞳と表情は彼が第3執事、つまりシシリア付きの使用人の中で最上級使用人となった日のことを思い出させた。
――約5年前。
フォンビレートは、ちょうど今と同じようにシシリアの側に立っていた。
その時、シシリアは王宮殿の近くアーデル宮殿に住んでいた。次期国王でない王族は全てここに住まう。シシリアもそうであり、しかしそこに住まうただ一人の直系王族であるがためにそこの主でもあった。
当時、フォンビレートは15才。その若さでは……と多くの使用人から反対されたがシシリアはそれを押し切ったのだ。
その任命式―― 頭執事の任命式に比べればもっと簡素なものだが ――にて、ヘンリルについていた当時のリーベルタイス家筆頭執事・ダニタ=イエール=オ・クレマは問うた。「汝、何を誓う」と。
それに答えたフォンビレートは一切濁りのない瞳で、シシリアだけを見詰めて
「シシリア様は私の確信。私の信頼。私の全てにございます。滅ぼせとおっしゃるのであれば徹底的に滅ぼします。壊せとおっしゃるなら完膚なきまでに壊します。守れとおっしゃるのであればどこまでもお守りいたします」と言い切ったのだ。
執事の答えとしては、とても合格点を与えられるようなものではなかった。
執事とは時に主人をいさめることも必要であり、全体としての主人の評判のために尽力する存在である。主人の願いを全て叶えたいというのが執事の本望とするところであるが、それだけで『良い執事』とは成りえないのだ。
だから、それを聞いたダニタも血相を変え、フォンビレートを叱ろうとした。彼自身もフォンビレートの就任に最後まで反対していた1人であったので、「やはり」という思いも強かったのだろう。
その叱責を止めたのはシシリアである。
「いいわ、いつでもどんな時でもあなたは私のただの味方でいなさい」
それにフォンビレートは、頭を垂れることで答えたのだった ――
「王家など……この国など知ったことではありません」
それは、国民に聞かれれば唖然とするであろう一言。だが、シシリアにとってはなによりも甘い。『陛下』ではなく『シシリア様』と言うことによって、フォンビレートはシシリアの絶対の味方であることを示したのである。
「それでも、私の誓いの言葉は一片の偽りも含んではいないのです。私は陛下のただの味方にございます」
故にご命令ください、とフォンビレートはかつてのように頭を垂れた。手足となりましょう、と無言のうちに四肢を差し出す仕草に、シシリアの頭が働き始め、この事態への最も効果的な処置を探し始める。
数分の沈黙の後、シシリアは命令を下した。
「――――――――――」
「御意」
フォンビレートは優雅に一礼すると、シシリアの私室を出て行った。
ただ、主の望むものを備える手段を整えるために。