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暗夜の礫  作者: 篁霞流
Ⅳ 沈黙の法
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涙雨

 眼下に鈍く光る太陽を見て、シシリアは目を細めた。

 王宮殿近くにある練兵場に集められた兵士たちの鎧が陽光を乱反射して、1個の生き物のように見せている。時折舞い上がる砂埃と相まって、蜃気楼のように現実感を持つことを妨げていた。

 既に先発隊として派遣された騎士団を除く、全ての軍隊がこの場に勢ぞろいしていた。皆、一身にこちら側――広義の上級将校が並ぶ高台――を見上げている。どの顔も今聞かされたことへの純粋な怒りを湛えていて、彼らがカルデア王国民であることをシシリアは嬉しく思った。

 「陛下」

 背後からするりと近づいてきたフォンビレートの声に、準備が完了したことを知る。

 フォンビレートの顔を見て、それから背後に控えるダンの顔を見て、それから参謀長と軍務大臣を確認して。

 シシリアは玉座から立ちあがった。

 その動きに合わせて、高台に居た全員が立ち上がり、同時に兵士たちの間に静寂がいきわたる。王の述べる一言といえど聞き洩らすことのないようにと、一心に傾けられた耳が見えるようだった。


 「今日平和は破られた。安寧と安穏は妨げられた。何故だ?」

 間をおいて、シシリアの首が2、3度縦に動く。確信を持つ声が続いた。

 「我らの愛する者が傷つけられたからだ! 敵が敵意を剥き出しにして、愛する者に手を掛けたからだ!」

 シシリアの言葉に怒号が跳ね返ってくる。まるで、大地がざわめいているかのようだ。

 間髪いれずに、シシリアは言葉を重ねた。

 「我が勇敢なる兵士たちよ。王を頂くカルデアを愛し、その力を振るうことに何ら戸惑いを見出さぬ戦士たちよ。……敵は必ずや貴様らの前に屈服するであろう。必ずや貴様らの目に矮小な者として映る。恐れるな。その剣を振るうことを、矢を番えることを、馬を駆ることを、恐れるな。……門は必ず貴様らに対して開かれる。……故に。私は唯一つの命令を下す。敵の住処へ昇って行け!その敵たちの嘲笑を止め、我らに勝利をもたらせ!」

 兵士たちを鼓舞する女王の演説。

 勝利を微塵も疑わぬ、カルデア王国今代君主の姿。

 聞き入る兵士たちに、女王の問いかけがなされる。

 「唯一度限り、私は問う。……この戦いに身を投じる者はたれか」

 遠くにいる兵士たちにも、自分たちを睥睨する女王の視線が感じられた。

 「この戦いに自らの命を賭ける兵は誰か」

 その視線は否応なく、心を高ぶらせる。

 誰が口火を切ったわけでもない。しかし、それは小川から始まる大河の源流のように、兵士たちの間を瞬く間に駆け巡り、そうして一つの声が生み出された。


 ――ここに、我らがおります。


 コルベール暦1547年、秋。戦争は高らかに開始された。


★★★★★★ ☆☆☆☆☆☆ ★★★★★★ ☆☆☆☆☆☆ ★★★★★★


 10月19日 カルデア王国 エリザベス王太子妃に対する暗殺が行われる。

       王国法第48条に基づき、女王シシリアは緊急事態を宣言。騎士団が動員される。

 同 20日 軍法第3条に基づき、軍部を召集。

       多方面からの情報を精査し、神聖クメール帝国の関与を認定。      

 同 21日 カルデア王国、神聖クメール帝国へ宣戦布告。

 同 22日 全カルデア王国軍、ルルクスの丘にて忠誠を誓う。

      神聖クメール帝国へ向けて陸軍中将ヨシヤを総大将に据え、進軍開始。

 同 25日 全894KMの距離をわずか3日で走破。史上類を見ない速度で、国境へ到着す。

      国境守備兵を合わせて、40,000人が戦闘隊形を整える。

 同 26日 第1回会戦。

      神聖クメール帝国軍13,000人が守るザイル城塞へ激烈なる攻撃を加えるべく、前進。


 夜明けとともに攻撃を加えるため、その少し前から進軍を開始していたカルデア軍は、城塞からの視認が難しい距離――すなわち、矢が届かない距離――において、全軍停止していた。

 太陽の光が地平線からわずかに零れているため、真っ暗闇というわけではない。

 獲物に飛び掛る前の獅子のように、荒く潜められた息遣いさえ聞こえるような沈黙が漂っている。

 全員に脳裏に過ぎていくのは、前夜、それぞれの上官を通して与えられたただ一つの命令。


 「城塞を超えろ」

 

 ヨシヤ以下参謀によって、立てられた作戦はシンプルだった。

 もっとも、城塞を攻略する方法など幾らもなく、彼らが立てた作戦は一般的な攻略法からして何ら変わり映えのしない、そういうものだ。

 つまり、死者を出したとしても、城塞を超えるということである。

 あの城塞を、正確に言えば、こちらにせり出している一枚の壁がある限り、どんな攻撃を加えることもできない。もちろん、城砕兵器を持っていることは持っているが、それは射程距離が短く、戦いの最初において使えるものではない。やはり、壁に取り付く人間がいて、そちらに気を捕らえている隙にというのが定石である。

 そして、その最初の攻撃を加える人間で生き残る者は極めて少ない。

 ヨシヤははるか昔、それこそ軍の下っ端だったころに経験している戦においても、最前線に廻された者のうち、4割は戦死した。勝ち戦だったにも関わらず、だ。

 彼自身はその戦いにおける6割に属することのできた強運の持ち主であり、だが、その時の恐怖を一瞬たりとも忘れたことはない。よく死ななかったものだと思う。

 壁と戦う生身の体、それを認識した瞬間の圧倒的な死の対する畏怖の念。

 それを乗り越えることができたのは、軍人としての矜持が、後退することも、足を止めることも許さなかったからだ。言い換えれば、忠誠心のない人間を最前線に廻すことはできない、ということを彼は経験上知っていた。

 それを知っていて、覚えていてなお、彼はその作戦を選択した。

 それを知っていて、分かっていてなお、全ての兵はその作戦に従った。


 夜明けの太陽が、どこからでも見えるようになったその時。

 地の底から響くような、雄叫びとともに、カルデア王国軍は城砦へ向かって突撃した。

 クメール帝国軍もそれを分かっていたかのように待ち構えている。各々、矢を番え、射程距離に入ったその瞬間から、時間との勝負になった。

 矢で射られるのが先か、城塞へ取り付くのが先か。

 あるいは、どちらが先に、恐怖で判断力を失ってしまうのか。

 

 一射毎に、死者と生者が分けられていく戦場の中を誰一人足を止めることなく駆け続ける。

 声もなく絶命していくそれに目を振らず、助けてくれと呪詛のようにつぶやかれるそれに気を配る余裕は誰にもない。立ち止まった瞬間から、格好の標的だ。

 途中から城砕兵器が投入され、第2陣が投入されると、幾らかの負傷兵が助け出された。大抵の兵には間に合わなかったが、それはしょうがない事だった。


 草に広がる血だまりが、徐々にその面積を広げていく。

 むせ返るような鉄の臭いが、兵の心を蝕んでいくとしても、誰もが進んでいった。

 パシャパシャと耳障りな音を立てる赤い液体を認識する人間は、もう死んでいる。


 文字通り、屍を超えていく兵士達。

 その鬼気迫る表情に恐怖に駆られるクメール帝国軍は入れ替わり立ち替わり矢を放ち、熱湯をばら撒いた。その手を止めた瞬間に殺されてしまうと本能が敬称を鳴らしていた。

 

 双方の必死の戦闘は、途中からぽつりぽつりと振ってきた雨が強くなっていくに従って、翳りをみせはじめた。カルデア側からもクメール側からも火矢を使うことができなくなったからだ。

 さらに雨が激しく視界が悪くなると、クメール側からの矢はほとんどカルデア側に届かなくなり、徐々に戦局はカルデア側に傾いていった。


 

 「閣下!!」

 ヨシヤの居るテントへ参謀が幾人か飛び込んでくる。

 「もうすぐ、陽が落ちます。どうなさいますか?」

 参謀達の言葉に、ヨシヤはしばし考え込む。

 「戦況は?」

 「はっ。先ほどの報告と大差ありません。僅か、我が軍有利が続いておりますが、それから一進一退となっております。足場が悪くなっているため、矢が届かなくとも、登るのは困難であるようです」

 「兵もだいぶ消耗しているようです」

 「そうか・・・・・・分かった、今日のところは戦闘を終了しよう」

 ヨシヤは決断を下すと、伝令役を振り返り銅鑼を鳴らすように命令を与えた。

 平原に銅鑼のゴオンという鈍い音が響き渡り、程なくして後援の部隊の動きが慌しくなる。

 その喧騒を耳で捕らえながら、ヨシヤは再び参謀達に顔を向けた。


 「さて・・・・・・お前達、意見はあるか?」

 「雨はまったくの予想外でしたからね。このぐらいの犠牲で済んだのが幸いでしたな・・・・・・明日は作戦を多少変更したほうが良いでしょう」


 雨には雨の戦い方がある。

 予想できていれば・・・・・というところだが、それは無駄な恨み言だろう。ヨシヤ達のすべきことは、雨ために作戦を合わせ、なおかつ晴れてきた場合の準備もしておくということになる。

 その作業に次第に没頭し始めた彼らの耳が、テントの外の音を捉えれなかったとしても、仕方がないことであった。




 ★★★★★★ ☆☆☆☆☆☆ ★★★★★★ ☆☆☆☆☆☆ ★★★★★★


  「いいか!」

 最前線において10人隊長の声が響く。

 「俺たちは今から、あの壁に向かって全速力で進軍する」

 彼らから見える壁はすでに山のようになっていて、近づけばその威圧感は増大するだろう。それでも、進んでいかなくてはならない、と全員で睨み付ける。

 「敵どもは、俺たちの動きを止めようとして、攻撃してくるだろう」

 「そりゃ、そうだ」

 真面目くさった隊長の言葉に、誰かが茶々を入れて、笑いが起こる。

 だよな、などと言いながら隊長も笑う。

 「・・・・・・だが、まあ、言わせてくれ」

 ひとしきり笑った後、また、至極真面目な調子で隊長は話し始める。

 「矢が降ってくるかもしれん。石が投下されるかもしれん。梯子がはずされるかもしれん。・・・・・・仲間の死体が、すぐ横にあるかもしれん」

 「・・・・・・・」

 「それでも、足を止めるな。絶対に壁の向こう側に行け。あの壁の向こう側のさらに向こう側にいるはずの卑怯者を殺すために、進んで行け」

 多分、誰もがそれは無理な話だと理解していたが、それでも「おう!」と力強く返した。

 「誰一人失われるな、とは言えん。だが、俺は俺の命令をお前たちに言う」

 隊長に命令を下した100人隊長の、1000人隊長の、大隊長の、将軍の、命令ではなく、彼らの命の前を進んでいく男の言葉は、胸に深く刻まれていく。

 「俺たちの勝ちを証明して来い」

 

 クメール帝国軍とカルデア王国軍との戦力差は約3倍。

 単純計算として、1人が敵軍を1人殺せば、絶対にカルデア王国軍が負けることはない。

 

 「俺たちは、壁を越える道具じゃねぇ!戦士だ!」

 「おう!」

 「俺たちは、木偶の坊じゃねぇ!戦士だ!」

 「おう!」

 「俺たちは、死にに来たわけじゃねぇ!この国のために戦いに来た戦士だ!」

 「おう!!!!」


 この国に係る者は、それぞれだったろう。

 家族のために徴収されてここまで来た者だっていただろう。口減らしのために、ここまで来た者だっていただろう。純粋に国防のために、ここまで来た者だっていただろう。新平卒だって、老兵卒だって居ただろう。今、この瞬間に思い描いている人間だって、物だって、全員が違っていただろう。

 だから、きっと彼は短い命令を下したのだ。


 「戦うぞ!」

 「おおおおおぉおおぉおぉおおぉう!!」




 ザイルの低地平原にて、幾万の者が、それぞれの部下のために、それぞれの家族のために、戦った。

その日、玉座で1人の女が祈って悲しんだことを知っていたのは1人だけで、そしてそれが、誰かの慰めになりえたかどうかは誰にも分からない。




 コルベール暦1547年10月26日。

 カルデア王国軍は、ザイル城塞に激烈なる一打を加える。

 この戦いにおいて出撃した兵は14,000。死者784名、負傷者6,000名超。

 なお、死者の中に、戦闘後1日経って死亡した者は含まれない。

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